2005年の記録
蓋州が、どれほど田舎であるかは、走っている車両を見ると良くわかる。走っている“クルマ”と書かず、“車両” と書いたところがミソで、走っているのは、クルマから馬、ロバまでなのだ。
地図には、便利店(コンビニエンスストア)や超市(スーパーマーケット)といった文字が見えるが、これらがあるのは、「今」の話で、2005年の頃には、便利店を見ることはなかった。
メインストリートの紅旗大街や蓋州路で、荷車を牽く馬やロバを朝晩に見ることも少なくない。
ロバやリヤカー、三輪トラックで、行商人が朝市に野菜を運んできている。大型トラックは、4輪だが、1トンクラス以下は、様々なスタイルの3輪トラックが走っていた。
最も目立つのは、電動輪タク(数は少ないが、人動の輪タクもある)で、どこに行っても、いくらでも走っていて、道路端に立つと次々と寄ってくる。市中心部の中だと、2、3元均一だったと思う。夜も無灯のまま走ることも多く、ほぼ交通ルールを守らない、「危ないから乗るな!」とお父さん(通訳)から言われたが、便利なので、ついつい使ってしまう。
工場への出勤は、3人でタクシーを使うことにしていた。中国のタクシーの車種は、都市ごとに特色があって、北京はシトロエン、上海はVWサンタナ、瀋陽はVWジェッタ、そして蓋州は夏利(ダイハツ・シャレード)だった。現在は多様化していて、韓国車、中国車が増えている。
大柄な健さんは、窮屈そうだったし、日本だと廃車体としか思えないほどガタガタで、扉は少し持ちあげないと閉まらない。
貧しい国、地域ほど貧富の差が大きい。僕が住んでいた金都大酒店は、三星クラスだが、蓋州No.1の高級ホテルだったので、ポルシェの最新SUVで乗り付ける客もいる。街では、メルセデスやアウディも見るし、長城汽車のSUV(トヨタ・ハイラックスサーフのフェイク)だってある。
【回想録】
蓋州の工場には、瀋陽の会社から派遣されている連絡員の国さん(仮名)がいた。典型的な文革世代のおじさんだ。隣のおじさんなら“愛嬌のあるおじさん”なのだが、一緒に仕事するとなると別だ。その場しのぎの嘘と責任回避の屁理屈だけは、長けているのである。
「国さん、議事録にサインしているじゃないか」
「見ただけ、合意したとは書いてないよ」
「一昨日も昨日も『明日やる』って、国さん言ったよな。なのに今日もやってないじゃないか、言ってることが違うじゃないか」
「俺は、いつでも『明日やる』って言ってるよ」
でも、蓋州を発つときになって、僕は国さんの優しさに涙することになるが、次回以降に。
次第に寒くなってくる、夜には湯船に浸かりたくなる。しかし、金都大酒店には、浴槽のある部屋がない。何軒か、浴槽付きの部屋を探したがない。あるホテルでは、「エイズ感染予防のため浴槽は設置していない」 と真顔で、言われた。嘘だろ?地方って、こんなものなのだ。
銀行に人民元に両替に行くと、「口座を作れ」と言われる。面倒だなぁ、と思っていると、黄牛(闇両替)のおばちゃんが、銀行の中にいて、声を掛けてくる。これも、地方では、よくあることだ。
【Just Now】
ウクライナの避難民が日本に入国してきた。難民受入に高いハードルを設けている日本政府としては英断だ。
※難民は法的な規定(定義)があるが、避難民には適用される法令がない。
悲しいかな難民受入経験が極端に少ない日本の避難民対応は稚拙だ。(移民、難民の多いドイツほかEU諸国では、行政システムが機能しているようだ) 長期の避難を覚悟している避難民の多くは、就労とその前提となる語学教育を希求しているが、日本では、専らボランティア頼みのようである。避難民であっても、自立を忘れないウクライナ人の高い民度は素晴らしい。
一方、日本政府の対応は情けないばかりだ。我がワラビスタンのグルド人の難民申請を(友好国トルコの手前) 認めず、だからと言って、国際的な批判を恐れて強制送還もしない仮放免を20年近くも続けている。仮放免下では、正規の就労は認められず、生活のために不法就労を続けている。軽犯罪でも即刻収容、強制送還が待っているので、彼らは品行方正だ。まさに生かさず殺さずだ。
教育の機会を与えられ、勉強しても、その先に正規就労がなく、不法就労(多くは解体業など、日本人の寄りつかない3K職場、入管も見て見ぬふり。) しか見えない将来、「何を目標に学べ」と言うのか? 人にとって“就労”は、基本的な権利だと思う。
旅は続く