Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第18回

2022-06-13 23:16:08 | 旅行

2022年の記録

“外国の街を散策したい願望”が抑えきれず、5月と6月に各1回、仕事帰りに汐留シオサイト5区イタリア街を散策した時の記録。

 

 

ライトアップされた白亜の建築物は、海外の雰囲気か?

 

 

汐留はオフィスの目と鼻の先、その気になれば、徒歩でも行けるが、サラリーマンの聖地・新橋までJRで行き、焼き鳥の煙を抜けてシオサイト5区へ向かった。

 

 

僕自身は、イタリアどころかヨーロッパにも行ったことがない。欧州、イタリアのオフィス街が、どんなものなのか知らないので、頭ごなしに「こういうモノだ」と思い込むしかない。

 

 

もう少し日が落ちると、ワインを飲む客が目立つようになる。店頭での飲食、コロナ禍で増えたけれど、やっぱりお洒落なチョイ悪オヤジとアンニュイなイイ女が似合う。

 

 

すっかり日が暮れ、白亜のライトアップとランプは、おしゃれな雰囲気。

 

 

【メモ】

日銀のおっさんのひと言で、20年来の円安・135円/$。

富裕層は、値上を受け入れたくなければ、高級スーパーから庶民派スーパーにくら替えする選択肢がある。しかし、庶民は、もともと最安値のスーパーで買い物しているので、鞍替えしたところで、どこも大差ないから鞍替えしないだけ。決して値上を受け容れている訳ではない。

この類の失言、本来は、封印されるはずなのだが、それをチェックする官僚が、暴力沙汰で辞任して、空席になっていたので、本音がリークされちゃったとか。まぁ、良くも悪くも、これが日本を動かす“お偉いさん”の発想なのだろう。

欧州の庶民は、実質的に値上を受け容れているみたいだ。食パン1斤分の小麦や光熱費が50円あがれば、今まで1斤150円の食パンは、200円になる。それを庶民は受容しているみたいだ。(ドイツ在住の友人と話していて知った) 日本では、作る数を減らして売れ残りロスを減らすとか、アルバイトを減らし、店主が長時間店頭に立つとか、まぁ、涙ぐましい企業努力をして、1斤180円に抑えることが、美談として語られる。逆にそれをやらずに50円まるまる値上すれば、「企業努力をしないのか!」と非難されることになる。ドイツの友人に言わせれば、「何の非もないパン屋の店主が、なぜ、苦労しなくちゃならないの?」ということらしい。このような話をすると、日本の友人は、「だって、給料があがらないんだから」と異口同音に言う。しかし、欧米では、物価があがると、労働者は、倹約に努力するのではなく、賃上に努力する。(賃上要求する) 人材の流動性が高い欧米では、給料があがらないと会社を辞める。労働者に辞められると事業を継続できなくなるので、経営者は、給料をあげて、その分、商品の値上をする。さらに物価があがる循環らしい。それでも、実質賃金は維持され、経済成長は持続するのである。一方、日本は、人件費と物価を中途半端に抑制するので、実質賃金は低下し、経済成長も鈍化する。もちろん、欧米人のみんながみんな、給料があがらなければ、景気の良い業界に転職できる器用な人ばかりではないので、アメリカの鉄鋼や自動車産業の現場労働者のような貧困層を生むのも事実だ。

海外製品は、原材料高騰、円安になれば、容赦なく値上する。一方、海外の富裕層は、日本人の涙ぐましい努力の賜物の値上抑制を「日本、安い!」と爆買いする。インバウンド消費を素直に喜んで良いものか? ちょっと複雑な気持ちだ。

 

 

旅は続く