Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

人民中国の残像/朝陽

2022-10-09 13:16:42 | 旅行

2005年の記録

瀋陽に戻り、しばらくは瀋陽の生活が続くと思っていたが、地方都市・朝陽へ。

 

 

ちょうど収穫最盛期だったのかもしれないが、街のあちこちには、長葱と白菜の山があった。

 

 

朝陽市は、瀋陽市の西方にある。当時、遼寧省で最も貧しい地域と言われていて、「気をつけてください」と通訳に注意された。今では、瀋陽・北京の高鉄(中国版新幹線)が、開通している。

※「朝陽」の地名は、「北京市朝陽区」の方が有名になっているが、本家本元は、「遼寧省朝陽市」である。

 

 

朝、瀋陽を出発し、高速道路の車窓からは、カラカラに乾燥した土地と屋上にトウモロコシを干す、どう見ても豊かとは思えない農家が見えた。

朝陽で電動の輪タクを見ることはなく、トラックも三輪トラックばかりか、馬車が目立つ。蓋州と比較しても明らかに貧しい。

 

 

2005年当時、中国の美容室店頭には、浜崎あゆみ風モデルの描かれた看板が掲げられていた。実際、街には、それ風に髪を金色に染めた女の子もいた。

 

 

早朝、ホテルから駅前までタクシーに乗ったのだが、50元札をドライバーに渡すと釣りがないと言う。財布の中の小銭を集めて支払いをした。駅に向かった理由は、駅近くの旧市街にマーケットがあるだろうと言う読みだ。結果的に読みはあたり、朝市の露店街があった。

蓋州の朝市にあった肉屋や魚屋がない。(中国では、淡水魚が一般的に流通しているので、内陸でも魚はある。) ほとんどの食料品は、野菜や穀類。やはり、貧しい、ということか。

 

 

二度と来ることはないだろうと思って、眺めた帰路・瀋陽北站行きの高速バスの車窓は暗黒、灯がまったく見えない。「今、バスがエンストしたら?」 あらためて、とんでもない辺境にいたことを思った。

約10年後の2014年、僕は朝陽市からさらに奥にある北票という町の国有企業に駐在することになる。その物語は、また別の機会に記したい。

 

 

【回想録】

中日合作契約では、再外注を原則禁止としていた。蓋州市の協力企業への外注は、協議の結果、特例として承認した経緯があった。朝陽の企業への再外注を「“外注”ではない、“製造委託”である。」と中国側のマネジャーは言う。あれっ、“戦争”と呼ばず、“特別軍事作戦”と呼んだプーチン大統領、「共産主義って、そういうもの?」 ともかく、中国側に押し切られて、朝陽の国有企業への外注が決まり、僕は朝陽へ行くことになった。

 

当時、地方の中国国営国有企業にも市場経済の嵐が吹きはじめていた。それまで、国営企業は、機能・品質の良否と関係なく“作れば売れる”を保証されていた。その保証が、取っ払われると、力のない国営国有企業は、雇用維持のための政府補助金で、経営を継続する。朝陽の企業も、そのような企業の1つだった。政府補助金は、日本の生活保護費と同様、収入 (売上)があれば減額される。僕たちの製造委託費は、売上に計上されず、幹部のポケットに入る、“闇受注”である。それを知った作業者のサボタジュ。“闇受注” の顧客である僕たちは、応接室どころか、事務棟への立入りも許されず、昼休みは、「どうなっちゃうんだろ?」と、事務棟前の階段に座り、雲一つない“黒いほどに青い空”を仰いだことが思い出された。

※“黒いほどに青い空”とは、チベットの紺碧の空を表現した旅人の言葉で、黒く見えるのは、宇宙の暗黒が見えるからで、それほど空気が澄んでいるのだと聞いた。

 

 

【Just Now】

東京都議会で、都立高校入試の英語スピーキングテスト導入に関して議論になっていると耳にした。日本人の英会話能力が向上すれば、日本が再浮上すると信じている人が少なからずいるが、僕は真逆だと思う。仮に大卒以上の日本人が、英語で不自由なくコミュニケーションできるようになったら若いホワイトカラーは、海外に職を求める人が急激に増える。高卒にまで、範囲が拡がれば、貴重なブルーカラーも海外に流出するだろう。アメリカの魅力は、給与の高さだけではない。日本のような同調圧力や閉塞感に苛まれることもなく、自らの可能性に挑戦することができるからだ。かつて、地方に生まれた人材が、進学や就職を機に東京、大阪といった都会に流出したのと同じ構図である。

 

フィリピンは、かつてアセアンの優等生だった。ところが、現在のフィリピンは、今一つのポジション。国民の大半、高卒以上ならば、英語のコミュニケーションに不自由しない。その結果、若い頃は、海外で働き、母国に仕送りする。老いると帰国し、息子娘の海外送金を頼るライフサイクルが固定化している。出稼ぎ者の送金がGDPの1割に達する。日本語教師の友人が彼らに「次世代は出稼ぎしなくて良い国造りを」といった話をしても、「ハッ?若い頃は、海外で働くものでしょ」といった反応が却ってきたきたと言う。国内に就業機会がないので、優秀な人材が海外に出る、国内に優秀な人材がいないので、国内に産業が育たない、まさに負のスパイラル。

 

日本の空洞化が、僕の杞憂に終わることを祈る。

 

 

旅は続く