Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの青い空/ クチャ

2023-02-10 18:49:31 | 旅行

2015年の記録

東トルキスタン最後の訪問からまる3年、正直、行きたくて、行きたくてしょうがないのだが、まだ、ちょっと行けそうにないので、8年前の写真で想いを馳せることにした、第5回。

 

 

真っ直ぐな少年の眼差し、その先に彼は何を見るのだろうか?

 

 

新彊ウイグル自治区は、中国の西方にある。その西端の街・カシュガルから東に一晩・700キロ走ったところにクチャ市がある。

 

 

クチャに早朝到着、といっても、実質的には深夜。下車した乗客、出迎え、ホテルの客引き兼乗合タクシーのドライバーが、真っ暗な駅前でワサワサしている。深夜の駅前にいる客引きが、善良とは思えないが、僕に選択肢はない。最初に声を掛けてきた客引きに「カードで泊れる外賓ホテル※1ある?」と訊ねると、「ある、ある、でも、連れて行くのは、最後だよ。」と返ってきたので、僕はタクシーに乗り込んだ。2軒ほどの旅社(安宿)で客を降ろしたあとに、彼は僕を庫車飯店の別館に連れて行ってくれた。1時間ほどロビーで待てば、今晩からの宿泊費でチェックインできるようフロントと話をつけてくれた。客引きに宿泊費の交渉もさせるのは、僕の常套手段だ。僕の要望をちゃんと聞いてくれ、親身に対応してくれた。彼に礼を言い、名前と携帯電話の番号を聞いた。

※1:外賓:中国のホテルは、公安に外国人宿泊者の登記が必要。外賓登録したホテルでないと外国人登記ができないため、外国人の宿泊できるホテルは限られる。高級ホテルOK、安宿NGとは限らない。ドミトリーの安宿でも、外国人バックバッカー御用達のホテルは、外賓登録している。

 

 

クチャ市は、新彊ウイグル自治区アクス地区に属する県級市(日本の郡部に相当する)。天山山脈南麓、タリム盆地北縁、新疆ウイグル自治区中部に位置する。温帯大陸性気候に属し、年平均気温は11.4℃、年平均降水量は64.5mm、無霜期間は266日、全国で年平均晴天日数の最多都市である。石油や天然ガスが豊富な西部大開発の基地がある。郊外には、遺跡、奇景の観光地もあることから街の規模に対して、宿泊施設は比較的多い。

 

 

チェックインして、しばらく休んだあと、バスに乗って市街地の観光名所のクチャ王府※2に行き、その周囲の住宅街を散策す。カシュガルと違って、質素な土壁、日干しレンガの住宅が目立つ。

※2:クチャ王府は、1759年に清時代の乾隆皇帝が地元のウイグル族責任者を激励するため、漢族の工事人たちを派遣して作らせた王府。

 

 

クチャ王府から東に緑豊かな綺麗な商店街が延びる。カシュガルとは異なるカラフルな木製の扉が美しい。クチャのナンは、抱えきれないほど大きい。

 

 

クチャ王府門前商店街からクチャ大寺に行く途中にあったモスク。周辺住民の祈りの場だろう。

 

 

クチャ大寺の日本語訳では、“寺”と表記するがイスラム教モスクである。入口に高さ20メートルの2本のミナレットがある。イスラム教がクチャに伝播した後、約15世紀頃に創建された。最初は日干しレンガ造で、17世紀に木造に改修された。1923年火事で焼失、現存のモスクは、1931年建造、1980年代に修繕されている。

モスクの周囲は、近隣の子供が遊ぶ以外、人混みがある訳でもなく、静かに青空が広がっている。

 

 

クチャ大寺から再びクチャ王府門前商店街に戻り、東に進んだところにある団結新橋下の河川敷が家畜市場になっている。売買されているのは、ほとんど羊と山羊だ。東トルキスタンで、食べられている肉は、羊肉と鶏肉。もちろん豚肉が食べられることはないが、牛肉も珍しい。なお、中国では、羊と山羊を厳密に区分していない。よって千支の羊のキャラクターに明らかに山羊の絵が描かれていることがある。

 

 

街道のポプラ並木、日陰で寛ぐ人々、ゆったりとした時間が流れる。まさに僕のイメージしたシルクロード・西域の世界だ。

 

 

家畜は3輪オートバイで運ばれることが多いが、野菜の運搬と販売は、専らロバが使われる。

 

 

ナンを売る店は、街中にある。ナンは、日常食だが、自宅で焼くことはなく、買うもののようだ。

 

 

乾燥させるためにバラまかれたトウモロコシ、中国乾燥地域の田舎では、しばしば見る壮観な光景だ。

 

 

クチャの街の商店、住宅の軒先には、五星紅旗がたなびく。中国国内、いろいろな街を散策したが、最も五星紅旗を目にしたのは、東トルキスタンの街だ。それが何を意味するかは、書くまでもないことだ。

 

 

【メモ】

「物価が高騰しても給料があがらない」と日本中が嘆いている。批判覚悟で書くと、段々と生活が貧しくなるのは、日本経済が弱体化しているので、どうしようもないことだ。我々日本は、ある時期まで、人口増加と勤勉性に支えられ、右肩上がりの経済下にあった。国民みんなが、昇りエスカレータに乗っているようなもので、特別なことをしなくても、ふつうに働けば、生活は豊かになった。

 

僕が子供のころは、家族が寄り添う居間だけが、冬にはストーブがあり、夏には扇風機があった。自室があっても、暖房はなく、夜に布団に潜り込み寝るだけ、夏は汗を垂らしながら机に向かった。今の日本の家庭は、各自の部屋にエアコンが設置され、どの部屋も冬は暖かく、夏は涼しい。プライバシーの守られる豊かな生活が、あたりまえになった反面、エネルギーの消費量は増えた。

 

今の日本は、人口が減る経済衰退期にある。特別なことをしなければ、自然に貧しくなっていくのである。経済的な理由からエネルギー消費を抑制し、夕飯のおかずを一品減らし・・・・・は、必然なのだ。

 

アメリカは移民を受け入れ続けることで、人口が増え続けている。多くの日本人が憧れる北欧や豪州、ニュージーランドは、極端に少ない人口に対し、豊富な天然資源を有している。日本のように資源に恵まれず、人口も減少しているドイツは、EUの先鋒に立ち、カーボンニュートラル、EV化、SDGsといった自国に有利な枠組み作りに奔走している。日本が技術的に突出していたハイブリット車は、日本の独り勝ちを恐れた欧州や中国に寄ってたかって潰された。日本と言えば、愚直に乾いた雑巾を絞るばかりなのだ。

 

今の物価高騰の原因は、海外由来の資源(農水産物、金属、エネルギー)価格が高騰しているからだ。なぜ、高騰しているかと言えば、需要が増えたのではなく、供給が縮小したからだ。景気が良く、需要が増えるのと違い、供給の縮小による価格高騰は、景気を悪化させ、生活を苦しくするばかりなのだ。

 

 

旅は続く