Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの青い空/ クチャ 第2回

2023-02-20 00:12:13 | 旅行

2015年の記録

東トルキスタン最後の訪問からまる3年、正直、行きたくて、行きたくてしょうがないのだが、まだ、ちょっと行けそうにないので、8年前の写真で想いを馳せることにした、第6回。

 

 

おばあちゃん、お母さんに子供たち・・・・。1人にカメラを向けると、みんなが集まって来て、集合写真になっちゃう。

 

 

クチャの休日を満喫したあとは、夜行列車でウルムチまで行き、ウルムチから飛行機で上海へ。

 

 

クチャ火車站から庫車飯店を案内してくれたタクシードライバーのRさんにホテルに来てもらった。「どこかお薦めのところに連れて行ってくれないか?」と相談したものの、手持ちの現金を勘案すると100元ほどの予算。彼曰く、「とても郊外の観光地には行けない」 彼はボランティアでもなければ、この時点では、朋友(友達)でもないので、いたって真っ当な返答だ。一旦、市内のモラナ・エシディン・マザールまで送ってもらったあとは、自力で散策。夕方、あらためて庫車飯店からクチャ火車站に送ってもらうことにした。

 

 

モラナ・エシディン・マザールは、14世紀にクチャにイスラム教の伝導のために来たエシディンの眠る墓である。それなりの偉人であるが、墓地は日干し煉瓦と土壁の質素なものだった。

 

 

モラナ・エシディン・マザール脇にカレーズ(地下用水路)が地表に出た流れがあり、それに沿った小道を進む。閑静な住宅がならび(自家用車が停まっていたので富裕層) 大きな通りに出たところにナン・ミュージアムなる不思議な博物館があった。幾らか忘れたが、結構な入館料だったのでパスした。

 

 

依西哈拉鎮の商店で、おじさん、おばさんたちが、のんびりと過ごしていた。1人の子供にカメラを向けると、「おれも、おれも」と次々に集まることはあるが、依西哈拉鎮の商店では、おじさん、おばさんたちが、集まってきて、集合写真撮影会。

 

 

歩いてきた水路脇の小道を戻り、天山中路からバスに乗る。クチャ王府前を通り、終点のバスの車庫まで行く。天山西路を渡り、北側にある小さな集落に分け入ってみた。

 

 

社区の中で、ナン屋があり、オヤジと奥さんと手伝い女性の3人で黙々とナン焼いていた。女性2人が、成形してオヤジが窯の中に出し入れしている。ナンは、驚くほど、すぐに焼きあがる。写真を撮らせてもらうと、「ナンを持って行け」と言ってくれたが、とてもキャリーバックに入る大きさでも、食べきれる量でもないので、丁重にお断りした。(数年後、この時に撮らせて貰った写真をプリントアウトして持参する。驚き、歓んだオヤジは、即座に奥さん手作りのラグメンをご馳走してくれた。)

 

 

小さな社区であるが、モスクが2つある。1つ目のモスクの前にいた家族連れの写真を撮らせてもらった。若いお母さんは、横を向いてしまったが、チラッこちらを見た時にパチリ。ちょっとはにかんで、了解してくれた。

 

 

小売部(万屋)前にいたおじいちゃん、おばあちゃんにおばちゃんをスナップ。その近くには、2つ目のモスクがあった。

 

 

社区から天山西路を突っ切り、クチャ大寺の前を通ってクチャ河まで歩き、団結新橋の家畜市場に行く。

 

 

クチャ河は、カラカラに干上がっていた。団結新橋付近では、今日も羊の取引をやっていた。

 

 

団結新橋からバスで、市街地中心地まで戻り、夕食を摂り、庫車飯店に帰る。ロビーで時間を潰していると、約束の時間ピタリで、タクシードライバーのRさんが迎えに来てくれた。彼のタクシーで、庫車火車站まで送ってもらった。彼は、二度と会うこともないと思っていただろうが、次にクチャに来た時には、彼のクルマをチャーターして、郊外観光に行くことになる。ナン屋のオヤジ同様、驚き、歓んでくれることになる。

 

 

翌朝、ウルムチが近づくと、土漠の風力発電の風車が目立つようになる。列車は2時間ほど遅れたが、フライト時間まで余裕があったので、慌てることはなかった。ただし、ウルムチ南站前のタクシーの対応は最悪だった。怒ったところで、どうにもならないので、ムッとするも、我慢、我慢。ウルムチ空港からは、予定通りで、格安チケットなのにビジネスクラスで寛ぎ、上海虹橋空港へ。

 

 

旅は続く