【3/12全国消費者大会での中野晃一さんの講演「民主主義の再生と新たな政治参加への希望」】
<K.Mより発信>
全国消費者大会の2日目、午前中の全体会で上智大学教授の中野晃一さんが「民主主義の再生と新たな政治参加への希望」というテーマで講演されたのを聞いてきた。会場のプラザエフ地下2階のクラルテを150人が埋めつくして熱気にあふれた。
以下、レジュメとメモより作成。
私はバブル期の学生で哲学とか文学をやっていた青年で、デモなどしたことがなかったのに何故今みたいになったかというと、今はどうみてもおかしいし、息子(8歳)の世代にこのままの社会を渡したくないと思ったから。日弁連だって高村、稲田や橋下までいる強制加入組織なのに安保法制に反対しているのは弁護士は社会正義の促進と人権の擁護の責務があると弁護士法で決まっているから。戦争法ということに批判はあるが、先に政権側があんなものを「平和と安全のため・・・」とズーズーしく言ったことに対してだからこれくらい言っていい。
安保法制の問題点
①立憲主義からの論点:人権の前に個人の精神や身体までを含む広い所有権(プロパティー)の概念があり、侵害は絶対王政権力であっても許されないし守るためにはむかうことが許され、権力にタガをはめないと社会のためにならないということで憲法が生れてきた。米軍と少数メンバーによるNSCを常設し秘密保護法、集団的自衛権解禁のセットはクーデター。
②民主主義からの論点:日本はずっと官尊民卑の国であり、民主党政権が官僚を叩きすぎて失敗し、信頼を取り戻せていない。かつて問題になった「政官業癒着」「天下り」は復活して話題にすらならない。官僚側は、自分たちにたてつくような民主党への政権交代は二度と許さないし、そのためには知力体力胆力全てに問題があっても祖父ちゃんを超えたいというコンプレックスがある安倍をうまく使っていく戦略。特に外務・経産・警察官僚が「国威発揚」で中国に馬鹿にされない、アメリカにも認められる国をめざしている。
現在は小選挙区制のつくる「少数者支配」の状態。一票の格差解消をやるとしたら2020年と言っていて、アダムズ方式の論議は目くらまし。原発があるのは参議院の一人区というのも象徴的。
③安全保障面での論点:この議論をしなかったのが大きな問題。中国が脅威というがGNPが日本の2倍3倍になる国と戦争をやっちゃいけない。官邸で防衛官僚だった柳澤協二も短期的には守れるが長期的には勝てないと言っている。原発を海岸線沿いに並べていることも危険極まりない。
今は日本の方がモラル的に有利であり、外交努力が絶対大事なのにアメリカの戦争協力要請を受けて派兵するようになれば国際世論の味方を得られなくなる。アメリカは自らの利益しか考えないドライな国であり尖閣のために助けてくれると思うのは「お花畑」。
新しい市民運動の広がり:従来の社会運動はないがしろにされる少数派の人(マイノリティ)が声を上げるものでコワイ人、触らぬ神に祟りなしと思われた。それが大きく変化したのが3.11後の脱原発運動でそれまでは加害者の側だったのに一転して被害者になって声を上げることになった。安保法制で木曜日に国会前の抗議行動に従来から頑張ってきた人たちが党派を超えて市民運動と一緒にやる場ができた。
触媒・起爆剤としてのSEALDs:彼らは原体験が東日本大震災で、戦後直後世代と同様に自分たちでつくっていくしかないという感覚。「主権者意識」が強く、あなたも当事者なんです、普通の人が参加できるようにとデモの仕方も変えてきた。さらに一緒になって行動する中で前の世代の人たちからも影響を受けている。そのことに従来からの運動がムダではなかったことがわかる。
また、従来からの運動をしている人たちは「正義が勝つ」と信じているが、今の若い世代はデジタルネイティブでありネットの中では「悪が勝つ方が多い」ことを知っている。ネトウヨの影響力の方が強い中で正しいメッセージをどうやったら伝えられるか、伝えたい相手にどうリスペクトするかに時間をかける。メンバーどうし、お互いの他者性を認めて一致できる点で手をつないでいくことができる。
2015~16年が民主主義の最低の時期だったね、議論の土俵を作り直すことができたねと後から言えるようになりたい。
「個人の尊厳」の擁護を「エトス」(精神・文化)とした緩やかな連帯の政治へ
空洞化した国家の威信を振り回す寡頭政治に対して、個人の自由や尊厳の擁護を旗頭に「リベラル左派連合」が組めるか、等への言及は時間切れ。
全国消費者大会のチラシには、以下のようにあった。
この国の主権者として、消費者市民として、政治参加の可能性について考えます。民主主義の「危機」と「希望」を感じさせる昨今、暮らしも考え方も多種多様な消費者を構成員とする消費者団体は、民主主義の再生に向けてどのような役割を果たし得るのか、講師のお話をもとに考えます。
「消費者」ではなく、「消費者市民」という概念は比較的新しい。適格消費者団体「消費者市民ネットとうほく」のホームページの「基礎知識」コーナーに以下のように説明されている。
1. ルールを知り、被害を防ぐ努力をする消費者
ルールを知り、被害にあわないよう合理的意思決定のできる消費者
2. 経済主体・社会の変革主体としての消費者
消費を個人の要求を満たすものとのみ捉えず、社会、経済、環境などに消費が与える影響を考えて商品・サービスを選ぶ市民
3. 公正で持続可能な発展に貢献するような消費行動をとる市民
消費が持つ影響力を理解し、持続可能な消費を実践し、主体的に社会参画・協働していく市民
4. やさしいまなざしを持った消費者
自分だけでなく周りの人々や、将来生まれる人々の状況、内外の社会経済情勢や地球環境にまで思いを馳せて生活し、社会の発展と改善に積極的に参加する市民
今回の課題は、2の「経済主体・社会の変革主体としての消費者」として考え、いかに行動するかが問われてくるということだろう。これまでの消費者運動の中心的な担い手は高齢化がすすんでいる。公正で持続可能な社会へと変革していくためにも世代を超えてつながって共同行動を起こしていかなくてはならないと思う。
そのためにも、SEALDsなどの若い世代と一緒に取り組みをすすめてきた中野晃一さんの講演は非常に参考になった。若い世代に歴史を伝え、若い世代の新しい工夫に学び、学び合う中で前にすすんでいきたい。
※「生協だれでも9条ネットワーク」のメンバーは5人はいたことを確認(もっと多いかもしれません)。なお、冒頭の写真は、藤原一也さんのFacebookからいただきましたm(_ _)m