山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館。山形県東置賜郡高畠町安久津。
2024年9月6日(金)。
特別テーマ展「遊佐町の考古学Ⅰ-旧石器、縄文時代-」展
6月15日(土)~9月8日(日)
小山崎遺跡は山形県の最北、秋田県に接する遊佐町吹浦地区に所在する。山際の斜面地からは縄文人が4,200年~3,000年前に暮らした住居跡が発見され、その正面の低地には石敷きの道や作業場を持つ「水辺の施設」が残っていた。
周辺からは縄文人が食べたサケやイノシシなどの動物の骨や木の実のほか、約6000年前の祖先の骨までもが見つかる。加えて、シカの角で作られた道具や高い技術力がうかがえる漆製品、数々の木工品が発見されている。
小山崎遺跡の低地東部からから出土した前期初頭の上川名2式、前葉の大木1式土器、中葉の2a、2b式、3式、後葉の5式、6式を展示。
小山崎遺跡の低地西部から出土した中期後葉の大木9式の深鉢破片と台地斜面部の住居跡から出土した大木10式の深鉢や注口土器、珍しい橋状把手のついた土器など展示。
上川名式土器は、東北地方南部の前期初頭土器型式。「羽状縄文系土器」の最初期に位置する関東地域の前期初頭の土器型式である花積下層式と共通性がある。
大木(だいぎ)式土器は、東北地方を中心に分布する縄文時代前期前葉から中期末葉までの土器型式で、標式遺跡は宮城県七ヶ浜町の大木囲貝塚である。1式から10式に細分され、大木6式土器までが縄文時代前期に属し、7a式以降は縄文時代中期に属する。
縄文時代前期から中期中葉までは、概ね秋田市・田沢湖・盛岡市・宮古市を結ぶ以南の東北地方南部を主な分布域とし、東北地方北部から北海道南西部にかけて分布する同時期の円筒土器と並行する。
後期中葉の加曾利B式併行の土器 小山崎遺跡低地西部から出土。
加曽利B式は縄文後期中頃の土器。
吹浦(ふくら)遺跡で出土した大木6式1・2期、3期、4・5期の土器と土器片を展示。
吹浦遺跡。遊佐町吹浦堂屋・一本木・赤坂。
鳥海山(2237m)の泥流が築いた西裾の南に舌状に突出する台地上、標高5―16mの緩斜面にある。庄内平野と庄内砂丘の北端を限る山裾にあり、眼下の牛渡(うしわたり)川が遺跡の西で月光(がつこう)川(吹浦川)に合流してすぐ日本海に注ぐ。縄文海進時には河口から内陸深く潟湖であったと推定される。遺跡の北北西には大物忌(おおものいみ)神社吹浦口之宮と神宮寺跡があり、「三代実録」仁和元年(885)に「神宮寺西浜」に石鏃が降った記載がある。
大正8年(1919)に貝塚が出土し、一本木(いつぽんぎ)貝塚として紹介され注目された。昭和24年には遺物と横穴が出土。さらに同26―28年にかけて四次にわたる県下初の科学的発掘調査が実施され、竪穴住居・洞窟・竪坑・貝塚などが明らかになり、食生活の残滓も含めた縄文文化が総合的に示された。
朝日下層式土器は北陸地域を中心に分布する縄文時代前期末の土器型式である。富山県氷見市に所在する国指定史跡朝日貝塚の下層出土資料を指標として設定された。
柴燈林(さいとうばやし)遺跡から出土した中期前葉の深鉢や浅鉢、北限の火炎土器(馬高式土器)など展示。
吹浦遺跡、小山崎遺跡、神矢田遺跡から出土した土偶、石棒・石刀・石剣、異形石器、土製石製の耳飾り、土製品、骨角製の装身具、漆関連製品や漆容器、アスファルト付着石器、ヒスイ、ネフライト製品とココヤシ、青銅刀のレプリカを展示。