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会津若松市 飯盛山 会津さざえ堂 白虎隊十九士自刃の地

2024年07月08日 14時13分16秒 | 福島県

飯盛山。会津さざえ堂。福島県会津若松市一箕町(いっきまち)八幡弁天下。

2024年5月29日(水)。

会津大塚山古墳見学後、東近くにある飯盛山へ向かった。「会津さざえ堂」と「白虎隊十九士自刃の地」見学が目的である。石段下交差点西近くの会津若松市営の無料駐車場に駐車して、石段へ向かうと、有料のエレベーターがあったが、高いので利用せず、石段の中ほどから迂回して緩やかな坂道を登ると、右の石段上にさざえ堂が見えた

建物内部の階段が上り下り別になる三匝堂(さんそうどう)の形式は、どこかで体験しているが、ここだったかは記憶がない。1990年代末に日本百名山の磐梯山を登頂したあとに、会津若松城を見学したが、飯盛山を横に見て通過してしまった記憶がある。1980年代からJAFの雑誌で知っていた。

さざえ堂近くにある受付で料金を払って入場した。

重文・旧正宗寺三匝堂(会津さざえ堂)。

会津さざえ堂寛政8年(1796)飯盛山に建立された高さ16.5m、六角三層の仏堂である。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」という。当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)という寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物である。かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていた。

栄螺堂(さざえどう)は、江戸時代後期の東北から関東地方にかけて見られた特異な建築様式の仏堂で、堂内は螺旋構造の回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され、堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観が巻貝のサザエに似ていることから、通称で「栄螺堂」「さざえ堂」などと呼ばれる。

上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという珍しい建築様式を採用していることが特徴である。  

頂上。上り下り折り返し地点。

反対側。

会津さざえ堂から進むと、広場に出て、白虎隊十九士自刃の地への坂道を下っていく。

 

「白虎隊十九士自刃の地」。人物像の視線の先に会津若松城がある。

江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊が結成され、抗戦した。そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し、撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の城下町が燃えているのを確認し入城か突撃か、いずれを主張した隊士も、敵に捕まり生き恥を晒すよりはと、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃した地である。

白虎隊十九士自刃の地から見る鶴ヶ城(会津若松城)。

 

このあと、会津若松城三の丸跡にある福島県立博物館へ向かった。

福島県会津若松市 国史跡・会津大塚山古墳



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