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根室市歴史と自然の資料館④擦文時代 西月ヶ岡遺跡 

2024年07月21日 09時22分20秒 | 北海道

根室市歴史と自然の資料館。根室市花咲港。

2022年6月14日(火)。

 

擦文時代。「擦文文化」。

本州の文化の影響を受け、それまで使われていた縄文のついた土器と石器がみられなくなり、本州の土師器(はじき)に似た土器や鉄器が使われはじめる。

この文化を「擦文文化」とよび、7~12世紀ごろまでつづいた。擦文文化の人びとは、同じ時期に本州にもみられるようなカマド付きの四角い竪穴住居で暮らした。8世紀になると、人びとは河口近くに集落をつくり、サケやマス、野生植物をとり、アワやキビ、オオムギなどの栽培をした。

このころの北海道は、東北地方とさかんな交流があり、その強い影響を受けていた。交易によって得た鉄製品が急速に広まり、石器は使われなくなった。また、鉄を加工する野鍛冶の技術ももたらされた。

江別市や恵庭市では東北地方とよく似た末期古墳が発見され、本州産の鉄器などの副葬品が見つかっている。

国史跡・西月ヶ岡遺跡は、根室市街地の西郊外、根室市西浜町にある擦文時代を中心とした集落遺跡で、日本遺産にも選定されている。

洪積台地を開析して流れるキナトイシ川の小谷に向かって舌状に突出した標高20~30m の3つの台地上にある。東高西低の地形上に大小約350個(現在指定地内190個)の竪穴住居跡が、凹地をなして点在する。それらの竪穴の凹みは、正方形を基本とするが、長方形・楕円形・円形もみられ、とくに大形のものは正方形を呈している。竪穴群は、自然地形に即して、北丘の124基、中央丘の45基、南丘の57基がまとまりを示す支群を形成する。

竪穴は約1200年が過ぎた現在も完全に埋まっておらず、月のクレーターのような窪みとして壮大な景観をなして残っている。

1963年に東京教育大学と根室市教育委員会が調査したところ、竪穴住居床面から擦文土器や内耳土器、栽培種とみられるモロコシなどが発見され、擦文文化の性格を解明する上でも重要な資料となっている。

擦文式土器文化期の住居跡で、この遺跡のように良好な状態で保存されているところは国内でも稀であり、発掘調査によって本州と千島及び樺太との文化交流を示唆するものとして考古学上注目されている。

また、後続するアイヌ文化期との関連が指摘されるなど貴重な遺跡として1976年に国史跡に指定され

た。

擦文土器。擦文文化後期のもので、木のヘラでこすって表面を整えている。(北海道博物館所蔵)

11~12世紀頃の擦文時代後半の土器。西月ヶ岡遺跡出土。

擦文土器は一般的に幾何学的な線による文様がみられる。おもに土器で煮炊きをするという縄文時代からの文化は擦文時代で終わることから、擦文文化は日本最後の土器文化として知られている。

内耳土器はアイヌ文化でも使われ続けた。

根室市歴史と自然の資料館③オホーツク文化期 北のビーナス・牙製婦人像 



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