やないづ縄文館。福島県柳津町柳津下平。
2024年5月31日(金)。
5月30日に会津坂下町埋蔵文化財センターを見学したときに、やないづ縄文館のポスターが掲示されていたので、見学することにした。柳津虚空蔵堂参拝後に、近くの道の駅「会津柳津」で尋ねると、すぐ近くだと教えられたが分からなかった。「ほっとinやないづ」の中にあるので、気が付きにくい。
やないづ縄文館には、柳津町石生前遺跡などで発掘された土器・石器・土偶や復元住居などが展示されている。土器は縄文中期~後期そして晩期のもので、中でも新潟などとの交流を物語る中期中頃の火炎系土器などが特徴である。2階収蔵庫も一般公開している。入場無料。
福島県柳津町の池ノ尻遺跡から出土した縄文土器「人体像把手(とって)付土器」の修復が完了し、27日から町内のやないづ縄文館で公開される。精巧な表現の人体像が対になって付けられているのが特徴で、縄文文化を考える貴重な資料となっている。
土器は口径37センチ、胴部の最大径57・6センチ、推定の高さは約80センチ。奈良市の元興寺文化財研究所で修復・強化作業を行っていた。口径部の一対の人体像は指先まで細かく表現され、ブレスレットのような飾りを付けていることも確認できる。
町文化財専門アドバイザーの長島雄一さん(66)によると、土器の多くは調理具などに用いられたが、今回公開する土器は調理具には大きすぎるため、新生児のひつぎとして使われた可能性もあるという。長島さんは「一対の人体像は我が子の復活・再生を祈る両親の姿を表している可能性がある」と考察している。(福島民報)
土器は「人体像把手付(とってつき)土器」。町内にある縄文時代中期中葉(約5千年前)の池ノ尻遺跡から2002年に出土した。04年に町に寄贈されたが、長く大量の土器片の一つとして保管されていた。
22年、資料整理の最中に、土器の破片に人の顔のような文様があることに長島さんが気づいた。町教育委員会や県立博物館と分析し、土器の取っ手部分に施された人体像の装飾だとわかった。
土器は奈良県の専門施設で修復され、昨年末、高さ推定約80センチ、つぼ口の直径約37センチの大型土器として復元された。約17センチの人体像は、顔に目、鼻、口があり、胴体や腕、指まで精巧に作られている。
福島県柳津町で出土した、人体像の飾りが付いた「激レア縄文土器」の復元作業が完成し、同町のやないづ縄文館で公開されている。同様の人体像が付いた土器は、土器が大量に出土した町内の石生前(いしゅうまえ)遺跡や、郡山市や須賀川市、県境の新潟県阿賀町の縄文遺跡に見られるという。
長島さんは、土器は幼くして死んだ子どもの棺(ひつぎ)や、再生への祈りが投影された祭祀(さいし)用の道具などの可能性があると推測する。「謎が多いが様々な気づきを私たちに与えてくれる土器だ。縄文人の感性の豊かさを、多くの方に想像していただきたい」と話している。(朝日新聞)
(🍓口が開いているもの、閉じているもの。阿吽(あうん)・陰陽という概念か。)