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瀬木比呂志 日本の政治は完全に「法の支配」ならぬ「人の支配」になってしまった…なぜ「手続的正義」無視の状況へと退行したのか?

2025年01月31日 08時00分35秒 | 社会

日本の政治は完全に「法の支配」ならぬ「人の支配」になってしまった…なぜ「手続的正義」無視の状況へと退行したのか?

Yahoo news  2025/1/31(金) 現代ビジネス 瀬木比呂志(明治大学教授・元裁判官)

 

発売間もないうちに重版が決まった話題の書『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。

本記事では、〈多くの人が知らない、「果敢な判断」をした裁判官には「報復や差別」が行われていた「恐ろしい事実」〉にひきつづき、政治をめぐる法意識についてみていきます。

※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。

 

「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視…

なぜ日本人は「法」を尊重しないのか?

 

第二期安倍政権時代以降の自民党、また政治全般の劣化

政治については、第二期安倍晋三政権時代(2012~20年)以降の自民党、また政治全般のはなはだしい劣化という問題がある。

 

自民党は、利権政党的性格が強いとはいえ、かつては、考え方にも幅があり、官僚出身者が主として首相を務めていた時期には、首相も、政治姿勢や性格はおくとして、少なくとも能力については一定のものを備えていた。しかし、森喜朗政権(2000~01年)のころから劣化がかなり目立ちはじめた。

それでも、統治は法に基づいて行われなければならないという法治主義の原則だけは何とか守られていたのだが、第二期安倍政権は、確信犯的にそれを有名無実化しようとし、また、「法」や「手続」そのものを軽視する傾向が格段に強かった。

 

こうした傾向の表れといえる第二期安倍政権時代の目立った事件、問題をいくつか挙げてみよう。

(1)森友学園問題、加計学園問題関与疑惑。

(2)森友学園問題に関する財務省の決裁文書改竄

(3)「桜を見る会」への支援者等招待、その私物化

(4)内閣法制局長官を内部昇格の慣例を破って外務官僚から採用する異例の強引な人事とセットになって行われた集団的自衛権の解釈変更(本来憲法改正によるべき集団的自衛権の行使認容を閣議で決定し、各種の関連立法を強行採決)。

(5)内閣人事局制度を悪用した露骨な官僚統制(この後、官僚志望者、特に優秀な志望者が激減)。

(6)一代で日銀を前記のとおり身動きの取れない状態にしてしまった黒田東彦(はる ひこ)日銀総裁の任用とこれに伴う日銀審議委員へのリフレ派任用

(7)政権に近いといわれた黒川弘務東京高検検事長(森友学園に関する財務省の文書改竄や国有地の値引きについて、佐川宣寿元国税庁長官らを不起訴とし、「安倍政権の守護神」と揶揄されることもあったという〔2024年7月3日東京新聞「こちら特報部」〕。『現代日本人の法意識』第7章で言及した賭け麻雀事件の人物)の恣意的な定年延長とその後の関連改正法案提出(特定の検察官の定年を政府の判断で延長できるようにするものだったが、各界の強い反対で廃案)。

(8)高市早苗総務相が放送法四条違反を理由として放送局に対し電波停止を命じる可能性に言及した事件、

(9)ジャーナリストの伊藤詩織氏が、最も安倍首相に近いジャーナリストとの評もある山口敬之氏から性被害を受けたとして行った告訴につき、逮捕状が発付されたにもかかわらず上層部の指示で執行されなかった事件、

(10)安倍首相の国会におけるヤジ反対派市民に対する暴言等々、挙げてゆけばきりがない。

 

要するに、この時代の日本の政治は、抑え込まれたメディアの目に余る忖度傾向と相まって、完全に、「法の支配」ならぬ「人の支配」の状況、現代の民主政治にあって当然に守られるべき「手続的正義」無視の状況へと退行していたのである。

 

前記のとおり、この時代以前の政権には、法律、手続、守られるべき慣例へのそれなりの配慮があったが、第二期安倍政権は、解釈改憲に象徴されるように、「法の支配」はおろか、「法治主義」までをも有名無実化する言動が顕著だった。

この時代に至り、長らく続いてきた自民党と政治全般の劣化、その「法意識」の著しい低下は、最後の一線が突破されてしまったのではないか、完全にたがが外れてしまったのではないかとの印象がある(2024年9月の総裁選では、相対的に中道寄りといわれる石破茂氏が、安倍政治の後継者を自認する高市早苗氏をかろうじて制したが、石破氏の政策や実行力、それによる党と政治の改善の見込みについてはなお未知数であり、予断を許さない)。

 

一方の野党が自民党に対抗しうるような健全で確固としたヴィジョンをもっていればまだ救いがあるのだが、実際には必ずしもそうはいえない野党に対する人々の信頼もまた、全般に低下していることが否定しにくいのである。

 

端的にいえば、現在の日本の政党は、その多くが、何らかの意味での利権政党、またポピュリズム的な性格の強いイデオロギー政党であって、言葉の本来の意味における自由主義政党はもちろん、言葉の本来の意味における保守主義政党すら存在しないのではないか? そんな疑念さえもたざるをえない状況なのだ。積極的に支持できるしっかりした政党がないからこそ、無党派層が五割、六割にもおよぶという事態になっているのではないだろうか。

 

政治家の法意識と国民の法意識

7年前、二度目のアメリカ在外研究中に話した、ある女性教授の言葉が忘れられない。

「政治が、あまりにも愚かで醜く、汚いものになってしまったために、もはや、まともな人間は、それにかかわろうとしなくなってしまいました」

彼女はアメリカの現状について語ったのだが、実は、日本の場合も全く同じ、いや、「愚かしさ」という点ではもしかしたらそれ以上にひどい状況になっているのではないか? 

ただ、日本人が、未だその事実を十分に直視していないというだけのことなのではないか? アメリカの場合、各組織のトップないしそのブレーンには有能で抜け目のない人物も多いが、現在の日本については、この点もいささかおぼつかないのである。

 

「国民は、それにふさわしい統治機構、それにふさわしい政治、行政、司法をもつ」というのは、否定できない真実である。先のような事態については、政治家、行政官僚、裁判官だけに責任があるわけではない。法律家・法学者である私はもちろんだが、一般の国民、市民一人一人にもまた、一定の責任がある。たとえば、選挙に行って一票を投じるという最小限の行為すらしない人々が、選挙制度そのものを変えられるわけはない。それは、否定しがたい事実だ。

しかし、私をも含め、日本人は、ともすれば、その「責任」については忘れがちだ。だから、改革の芽はなかなか出ないし、たとえ出ても、不十分な結果に終わってしまう。

 

司法の場合同様、政治や行政をよりよいものとすることについても、日本に、必要な人的資源自体はあると思う。経営、研究、教育等についても同様だ。しかし、その適正な実現のために必要な前提条件が整っているかというと、やはり、必ずしもそうはいいにくい。適切な制度を構築し、ふさわしい人々がそれを担うには、ふさわしい人々にそれを担わせるには、社会の側にも、個人の側にも、相当の認識、ヴィジョン、そして不退転の決意と覚悟が必要とされるのだが、この点に関する「手応え」が、なおまだあまり感じられないのである。

こうした事態の根本にある問題は、やはり、専門家の、また人々の、認識と熱意の不足、「法意識の未熟」ということではないかと思うのである。

 

私が生まれた1950年代半ば、日本は、未だ、東洋のエキゾチックな辺境とみられていた。それから70年が経過し、今日、その文化の多彩さとユニークな価値は、世界に広く認められている。しかし、それほどの厚く洗練された文化的伝統とは裏腹に、日本人、日本社会が抱えてきた根本的な諸問題は、今なお、多くが未解決のままであり、この国は、民主主義国家として十分に成熟しているとはいえない。それは、なぜなのだろうか?

戦後に近代主義者川島が提起した「日本人の法意識」というテーマは、実は、その広がりを、こうした事柄にまで及ぼしているのではないだろうか?

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日銀金融緩和継続に反対した木内登英・元日銀審議委員「引き返すタイミング逃した」

2025年01月30日 21時13分36秒 | 社会

引き返すタイミング逃した 木内登英・元日銀審議委員インタビュー

Yahoo news  2025/1/30(木) 時事通信

 

金子勝@masaru_kaneko

【失われたターニングポイント】2014年7~12月に開いた日銀の金融政策決定会合の全議事録が公表された。副作用を指摘する反論がたくさん出て、採決は5対4だった。そこで引き返すチャンスを失い、その後8年以上も金融緩和を続け、出口がなくなってしまったのだ。

【泥沼のアベノミクス】14年10月の日銀の金融政策決定会合の議事録が公開された。賃金が上がらないまま、法人税減税や金融緩和の拡大で結局、物価目標「2年で2%」は到達できなかった。アベノミクスの副作用を問題にする政策委員を排除していき、泥沼にはまったのだ。

【金利引上げ:3年後利払い費5割増】2024年12月に成立した24年度補正予算は一般会計で13.9兆円の歳出。大規模予算が続く。金利上昇は利払い費が3年後に5割増日銀も金利が2%になると当座預金利払い増加で赤字になる。泥沼化したアベノミクスの罪は限りなく重い。

 

 日銀は2014年下半期(7~12月)の金融政策決定会合の議事録を公表した。

 野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミスト当時審議委員として10月31日の会合に臨み、量的・質的金融緩和(異次元緩和)の大幅拡大に反対票を投じた。木内氏はインタビューで「いたずらに長く続けると副作用も大きくなる。引き返すことができた重要なターニングポイントだった」と振り返った。主なやりとりは次の通り。

 

 ―異次元緩和の拡大に反対した。

 14年前半まで物価は上昇したが、円安や原油高の影響が大きかった。異次元緩和の効果ではなく、円安が一巡すると物価が下がっていった。1年半やって物価が思ったように上がらないのは、政策の効果がないからだと考えた。それを長く続けたり、さらに拡大したりするのは副作用ばかりが高まると懸念した。

 ―どうすべきだったのか。

 効果がないのであれば、政策の方向を変えるとか縮小するのが自然な形だ。引き返すことができた重要なターニングポイントだった。転換できていれば、(副作用の)傷はもっと浅かった。しかし、せっかくうまくいっていたものが、消費税増税で頓挫したと考え、もう一度エネルギーを充満してやろうというのが緩和拡大だった。

 

 ―異次元緩和の総括は。

 長期金利をわずかに下げたくらいで効果はかなり限られた財政規律の緩みを招いたことが、何十年先に財政危機につながるかもしれない。将来大きな副作用を生むリスクを考えると、それに見合わないリスクを取ったのではないか。

 

当時の審議委員2氏に聞く 緩和拡大は誤りだった 木内登英氏

2025年1月30日  日本経済新聞

 

木内登英氏、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミスト。 

 

2014年10月の金融政策決定会合は異次元の金融緩和から折り返す最後のチャンスだった金融緩和の拡大は誤りだったと思っている。

せっかく金融緩和の効果が出ていたのに、消費税の引き上げや原油価格の下落で崩れたというのが追加緩和に賛成する主流派の見解だったが、間違いだ。その後も物価は2%に向けて上がったわけではない。

当時の執行部は期待に働きかけることが重要で、副作用を指摘することは期待を下げると考えていた。しかし、金融政策で副作用を議論しないのは道を外れている。

 

デフレを脱却するには金融政策より成長戦略や構造改革のほうが重要だ。こうした取り組みで経済の成長力が高まれば、自然利子率の水準を上げることができ、金融緩和の効果を発揮することができる。


瀬木比呂志 「何のための憲法なのか」「日本はまるでアメリカの植民地」…国の義務を放棄し、国民の主張を否定する《最高裁判所》のヤバすぎる事実

2025年01月30日 08時47分48秒 | 社会

「何のための憲法なのか」「日本はまるでアメリカの植民地」…国の義務を放棄し、国民の主張を否定する《最高裁判所》のヤバすぎる事実

Yahoo news  2025/1/17(金)  現代ビジネス 瀬木比呂志(明治大学教授・元裁判官)

 

日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行され、たちまち増刷されました。

「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」

これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。

 

「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。

残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。

裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。

『絶望の裁判所』 連載第40回

 

空港騒音差止め訴訟

最後が空港騒音差止めである。確かに、空港は一般国民が利用するものであり、無条件に差止めが正しいということにはならないかもしれない。しかし、逆に、たとえば睡眠を妨げるような深夜の大きな騒音まで空港周辺の住民が甘受しなければならないものではなく、両者のバランスを取った適切な線引きが必要なのである。

だが、第38回で紹介した大法廷判決は、およそ差止めは認めないという乱暴なものであり、空港差止め訴訟は問答無用で切り捨てるという姿勢が明らかである。実は、この事件については、第一小法廷において限定的差止めを認める方向が決まっていた。

ところが、なぜかこれが大法廷に回付されることになり、第38回で紹介したような結論に至ったのである(毎日新聞社会部『検証・最高裁判所──法服の向こうで』毎日新聞社)。その背後に政治的な動きや思惑があったことは想像に難くない。

 

この判決は、差止めを一切認めない理由付け「航空行政権」に関わる事柄だからという理屈を用いているが、これについても学者からは批判が強い。こんな論理を用いれば、国の事業はほとんどが公権力の行使だということになってしまい、一律に民事訴訟の対象から外されてしまうことになるからだ。

また、「行政訴訟ができるか否かはともかく」という言い方も実に欺瞞的である。どのような行政訴訟ができるのかは一切明らかでなく、実際、学者たちも、それは難しいと考えており、砕いていえば、「行政訴訟については、さあね、知らないよ(知らねえよ。知ったこっちゃねえよ)」といっているに等しいからだ。

 

さらに、差止めを全く認めない以上被害が継続することは明らかであるにもかかわらず将来の損害賠償請求を一切否定するというのも問題が大きい。本来は、将来の損害賠償も一定期間、たとえば数年間の分を認めた上で、もしも国が損害を減少させた場合には、国のほうに民事執行法35条の「請求異議の訴え」を提起させた上でその分の強制執行を止める、という形で事案を解決するのが当然なのである。

 

被害が過去のものとなった時点で被害者のほうから再度損害賠償請求を起こさなければならないというのは、理論(民事訴訟法学でいうところの「提訴責任の適正な分配の原則」)にも、正義にも反する。なお、このように被害者に損害賠償について再度の訴えを余儀なくさせることについては、差止めを問答無用で認めないという態度と相まって、全国各地における関連訴訟提起押さえ込みの意図が露骨に透けてみえる。

 

植民地と何ら変わりがないのでは?

第11回で言及した、米軍基地に関する騒音差止請求を主張自体失当として棄却した最高裁判決(1993年〔平成5年〕2月25日)も、大阪空港判決と同様、木で鼻をくくったような内容である。米軍の飛行は国の支配の及ばない第3者の行為だから国に差止めを求めるのは主張自体失当であるというのだが、そもそも、アメリカと日米安保条約を締結したのは国である。つまり、国が米軍の飛行を許容したのである。

また、条約ないしこれに基づく法律の定めがないからできない、というのもおかしい。

適切な法律がないのであれば国にはそれを作る義務があるはずだし、また、日米地位協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定)第2条2項には「両国政府は、一方の要請があれば、取決めを再検討し、施設の返還や新たな提供の合意ができる」旨が規定されている以上、つまり、施設の返還まで求めることができる以上、国がアメリカに対して飛行の態様に関する協議の申入れをできないはずがないからである。

 

さらに、憲法秩序が条約に対して優位にあることは憲法学の通説であり、憲法上の基本的人権、人格権の侵害に関わる事柄については、国は一層前記のような行為を行うべき義務がある。

アメリカのやることだから国は一切あずかり知らないというのであれば、何のために憲法があるのか?それでは、植民地と何ら変わりがないのではないだろうか?

 

なお、安保条約については、日本の政治家が、国際情勢に関する明確な展望を欠いたために、本来であればする必要のない妥協を重ねてきた事実が、やはり機密指定を解かれた米公文書により明らかにされている(外岡秀俊ほか『日米同盟半世紀──安保と密約』朝日新聞社)。

 

相当の覚悟がなければ新たな方向へは踏み出せない

以上の私の議論は、自由主義者である学者(学者はほとんどが自由主義者だと思うが)としてのものであり、何らのイデオロギー的な背景はない(なお、空港訴訟に関する部分は、私たちが沖縄で考えていた理屈ではなく、その後私が考えてきた結果を簡潔にまとめたものである)。また、学者の意見としても、比較的先鋭な部分もあるかもしれないが、決して特異なものではないと思う。

言い換えれば、学者の常識の範囲内の分析であり意見なのである。裏を返せば、こうした、統治や支配の根幹に触れる事柄に関する最高裁の判断、また、裁判官一般の考え方が、いかに権力寄りにバイアスがかかっており、また揺るがないものであるかということが、おわかりいただけたのではないかと思う。

 

なお、下級審判例が、以上のような法律上の争点に関して私が論じたような方向に進んでいく可能性も、現在の裁判所システムの下では、あまり高いとはいえない。

そもそも平均的な裁判官は私が論じたようなことはおよそ考えもせず、受け入れもしないだろうし、また、そのような方向が望ましいと考える裁判官がわずかにいたとしても、相当の覚悟をしない限り、新たな方向へは踏み出せないだろう。こうした法律問題に関して果敢な判断を行った裁判官は、前記のとおり、おそらく無傷ではいられず、いつどこでどのような報復を受けるかわからないからである。


山形県鶴岡市田麦俣 「旧遠藤家住宅」②「兜造り」多層民家の内部 2階から4階

2025年01月29日 09時07分26秒 | 山形県

多層民家「旧遠藤家住宅」。山形県有形文化財。山形県鶴岡市田麦俣字七ツ滝。

2024年9月13日(金)。

 

田麦俣地区では、三層構造で居住空間と客人を泊める空間を立体的に確保した茅葺きの建築形式が発展した。これらの民家は明治に入り養蚕業が盛んになると、2階・3階部分の採光と通風を確保するため、寄棟屋根の平部分には屋根窓(高はっぽう)が設けられ妻面側は屋根を垂直に切り上げた兜造りへ改造されるようになった。

旧遠藤家住宅内部は、一階が主に家族の居住用として、二階は下男たちの居住用及び作業場・物置として使われた。その上に養蚕と作業のための三階「チシ(ツシ)」、さらにその上に物置用の「天井チシ(ツシ)」がある。

三階部分は蚕の上蔟、物置として襲われていた。養蚕は多収入を得ることができるので、蚕のことを「お蚕様」と呼び、大切に扱っていた。

四層目の屋根裏。

このあと、南東方面から山越えして山形盆地方向へ下り、大江町の左沢楯山城史跡公園へ向かった。

山形県鶴岡市田麦俣 「旧遠藤家住宅」①「兜造り」の多層民家


金子勝 第2波円安インフレが押し寄せている インフレ下のインフレ政策 アベノミクスのツケ 

2025年01月28日 19時07分57秒 | 社会

金子勝@masaru_kaneko

【アベノミクスのツケ】日銀の0.25%利上げで長期金利は1.2%を超えた。円安のまま長期金利がじわじわ上昇する。国債含み損を抱える日銀は国債を売れない閉じ込め効果を抱えたまま、円安インフレで利上げを余儀なくされる。外資ファンドは日本国債をショートで大もうけ

政府・日銀の政策は結局、円安インフレが続く。野党第一党が失敗したアベノミクスに対抗する代替策を急ぐ必要がある。

【第2波円安インフレが押し寄せている】12月の生鮮食品を除く消費者物価上昇率が3%にあった。1年4ヵ月ぶりだ。生鮮食品を含む総合指数では3.6%も上昇している。アベノミクス残党は、政策的失敗をきちんと総括せず、財務省のインフレ課税路線を影で支えている。

【インフレ下のインフレ政策】イシバが「令和の列島改造」と言い、財務省は115兆円のインフレ課税の大規模予算で、野党協議でさらに膨張。対し、日銀はインフレ抑制のため金融正常化を打ち出し、政策は矛盾。結局、日銀は金融緩和を続けざるをえず、円安インフレは続くだろう。

【ガソリン価格上昇】ガソリン価格が1リットル=185.1円と上がり、過去最高水準に迫る。石油大手はガソリン補助金で過去最高の利益を得てきた石油元売りの独占利益にメスを入れつつ、代替財源を与野党で真面目に討論し、燃料税の一時的引き下げ、トリガー条項を発動すべき。

【どんどん貧しくする】アベノミクスで日本経済は豊かになったのか?大企業は内部留保をため込み、名目賃金も実質賃金も低下を続けた。

アベノミクスを続けて円安インフレにし、2023年には一人あたりGDPは32位まで落ち込み。いまや韓国にも抜かれる。

【泥沼のアベノミクスが円安インフレを招く】2022年4月以降、消費者物価上昇率が2%を超え、再び3%超えていく。なのに、「デフレ脱却」と言ってアベノミクスを続ける無責任社会。メディアはアベノミクスの失敗に関してまったく反省がない。誰も失敗の責任をとらない。

【円安インフレの第2波】12月の企業物価(卸売物価)が3.8%と、前月から0.1%上がった。東京都の消費者物価が3%に達したが、物価上昇が止まらない。失敗したアベノミクスから抜け出られなくなっているのに、煽った輩がまだ責任をとっていないままだ。無責任社会の典型

【フェイク玉木】謹慎しない国民民主党の玉木雄一郎は、存在しない103万円の壁を存在するかのように嘘をつき、基礎控除引き上げが金持ち減税であることを隠し、赤字国債依存の減税が円安インフレをもたらすのに、国民を騙す。企業団体献金の自民党を救う誤情報拡散者だ。

 

〔倉重篤郎のニュース最前線〕闘う経済学者・金子勝の2025年日本経済大予測 円安インフレのドツボからどう抜け出るか? サンデー毎日 2025年2月2日号.