『間違いだらけの物理概念』(Ref-1)の中に、小林稔「f=mαは、力の定義か質量の定義か?」という記事があります。
最初に述べられている、ニュートン力学の運動の第一法則「すべての物体は、その状態を変えようとする力(ここで力とは何かということが示されていない)が働かないかぎり、静止、または一様な直線運動を続ける」の位置付けは、見落とし易い点であり、なるほどと思いました。第二法則は「物体の運動の変化は、作用している力に比例し、その力が作用する直線の方向を向いている」なので、第一法則は第二法則で作用している力がゼロの場合に過ぎないのではないか、と思いがちですが、そうではないと著者は述べています。
----引用-------
運動の第一法則は慣性系のとり方の規定をしているといえる。
----中略-------
第一法則は第二法則に意味を持たせる大前提であり、ガリレイが実験によって慣性系の存在を発見し、近代科学の哺矢となったといわれる所以である。
----終わり------
しかし最後の結論には、私は異論があります。
----引用(最終結論)---
以上に述べたように、f=mαは力の定義でも質量の定義でもない。異質の物理量--すなわち力という物理量と、質量という物理量--の間に成立する「物理法則」である。
----終わり------
第一に「以上に述べた」ことがらが結論の根拠として不明確です。第二に、ひとつの式が物理法則であることと、現れている量の定義であることとは両立できます。
最終結論に至る記事の筋道は次の通りです。
まず、力はストレスを生じさせるものとして定義し、定量的にはバネの伸びと方向から定義されています。これは04/25の記事で述べたバネの伸びによる力の定義と同一の定義です。
----引用-------
われわれが重い荷物をもち上げたり、石を投げたりする場合、手足その他の筋肉に緊張感を覚える。すなわち、その人の筋肉に緊張あるいはストレスが生じ、それを自覚する。このとき、その人は荷物や石に力を行使しているという。一般に、物体が他の物体に力を及ぼす場合、その物体にストレスが生じていると考えることができる。力を行使すれば、それに応じて力を行使される物体の各時刻の位置あるいは運動状態が変わる。そして、その力の強弱は力を及ぼす物体内のストレスの強弱によると解釈できる。
----中略-------
このことから、大ざっばであるが、つる巻きばねの伸びから、取手に働く力の大きさがばねの伸びに比例するとおいてみることができる。この力の量の推定から出発して、次に運動方程式を立てることができ、これから逆に力の量の精密た測定方法を知ることになる。なお、この実験から、力という量が大きさだけでなく方向をもつこともわかる。
----終わり------
次に運動方程式f=mαを式(1)として、係数mがいわゆる慣性質量であることを述べています。(ただし著者は慣性質量という言葉は使っていない)。
----引用-------
式(1)は同じ力を加えた場合、物体の速度の変化、すたわち加速度がその力の大きさに比例し、質量mには逆比例することを示しているから、物体に力を加えた場合の物体の動きにくさ、すなわち慣性の強さを示すと解釈することができる。
----終わり------
次に質量mが物体に付属し、物体自体の量に比例する量であることを述べています。
----引用-------
同じ物体の形状を変えてもそのmは変わらず、物体を二分あるいは三分しても、その質量を式(1)から推定すると、すべての質量の和は元の質量になる。これらのことから、あまり適当な言葉ではたいが、mは物体の中味の量を表していると言うことができよう。
----終わり------
このように物体自体の量に比例するという性質を示す言葉に、銀林浩(Ref-3)・遠山啓(Toyama, Hiraku;Ref-4)らの定義による外延量(Ref-2)という便利な言葉がありますので、今後使うことにします。これは数学上は測度論でいう可算加法的測度という概念に対応します。
さてここまでの話では、力の定義は式(1)によらないことと、式(1)により定義される慣性質量mが外延量であることを述べているのであり、著者の最終結論にまでは至りません。
そして上記引用文の直後に重力質量の話が出てきます。
----引用-------
物体に働く引力、すなわち重さはその質量に比例するから、地上での重さ、すたわち地球からの引力の大きさを測定して物体の正味の量を推定することができる。
----終わり------
このように基礎的テーマの議論で、慣性質量と重力質量が同一の量であることを自明のことのように持ち出すのはいくらなんでも拙いのではないでしょうか。重力質量は万有引力による力の比例係数として定義され、慣性質量は運動方程式(1)により定義されるというのが普通の解釈ではないかと思います。
むろん式(1)のmを重力質量と見れば、式(1)とは、それぞれ独立に定義される3つの量、力と重力質量と加速度の間の物理法則であると言えます。しかし、この見方だけが唯一の正しい見方ではありません。
この後は、運動量の定義があり、第三法則(作用反作用の法則)があり、その後に最終結論が述べられています。要するに最終結論に至る根拠がきちんと述べられていません。
さて、著者は第三法則についても独特(と私には思える)の見方を述べています。
----引用-------
しかしよく考えると、これは力というものの性質あるいはその本性を表すものであって、力学の運動法則とは異質なものである。力は本来反作用を伴なって働くものであり、一方的に働くということはない。
----終わり------
力学の運動法則とは異質な本性とか本来とは何のことなんでしょうか? 物理学では観察結果が全てであり、何が本性なのかは観察によってのみ検証できるのです。そして検証された本性が物理法則と呼ばれるのです。
次の記載でも、法則とは別の原理なるものがあると主張しています。
----引用-------
すなわち、作用反作用の関係は法則ではなく、対称の原理から導かれるということができよう。したがって、最初に挙げた力学の三法則から第三法則をはずしてよいことにたる。
----終わり------
対称の原理がどんな原理なのかは述べていませんが、恐らくは力以外の諸々の現象について成立している対称性に関する法則を貫く広範な原理というものを指すと思われます。もちろんそのような原理が正しいか否かは、ただ実験と観察によってしか検証できません。しかも、どんな原理がどんな現象について成立するかは個々に検証しなくてはなりません。
著者の提案は具体的には次のようなものになるでしょう。
一般的に対称の原理が成り立つ。これは「全ての現象には対称性が成り立つ」という原理である。ニュートン力学の第三法則は対称の原理から誘導する。
全ての現象になんて無理筋です。現にどんな教科書でも第三法則をはずしたりはしていませんから、「第三法則をはずしてよい」という提案は現在の力学においては異説と考えるべきでしょう。
参考文献
Ref-1) 『間違いだらけの物理概念』丸善(1993)
Ref-2) 日本数学教育学会(編著)『算数教育指導用語辞典 第四版』(2009/01) ISBN 978-4-316-80264-0
http://shohin.kyoiku-shuppan.co.jp/view.rbz?cd=53
Ref-3) 銀林浩『量の世界-構造主義的分析-』むぎ書房(1986)
Ref-4) a)遠山啓『遠山啓著作集数学教育論シリーズ(6)量とはなにか』太郎次郎社(1981/07)
b)遠山啓『遠山啓著作集・数学教育論シリーズ 5 』太郎次郎社エディタス(2009/12)
ISBN-10: 4811809815
http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4811809815/ref=sib_dp_bod_toc?ie=UTF8&p=S00C#reader-link
外延量とその対語である内包量については以下のウェブサイトも参照
1) ウィキペディア(量:外延量と内包量)
2) http://www.bekkoame.ne.jp/~pyonpyon/pomme/pomme24.html#6
「学ぶ-教える」学習・教育ネットワーク
ページ中段ほどに外延量と内包量の説明あり[1996/03/02]
3) 外延量と「加法性」(2010.03.12)
遠山啓の「量の理論」の少し詳しい紹介あり
4)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/quantity.htm 「量の体系」について
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/physicsE.htm 物理教育
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/index.htm ホーム
最初に述べられている、ニュートン力学の運動の第一法則「すべての物体は、その状態を変えようとする力(ここで力とは何かということが示されていない)が働かないかぎり、静止、または一様な直線運動を続ける」の位置付けは、見落とし易い点であり、なるほどと思いました。第二法則は「物体の運動の変化は、作用している力に比例し、その力が作用する直線の方向を向いている」なので、第一法則は第二法則で作用している力がゼロの場合に過ぎないのではないか、と思いがちですが、そうではないと著者は述べています。
----引用-------
運動の第一法則は慣性系のとり方の規定をしているといえる。
----中略-------
第一法則は第二法則に意味を持たせる大前提であり、ガリレイが実験によって慣性系の存在を発見し、近代科学の哺矢となったといわれる所以である。
----終わり------
しかし最後の結論には、私は異論があります。
----引用(最終結論)---
以上に述べたように、f=mαは力の定義でも質量の定義でもない。異質の物理量--すなわち力という物理量と、質量という物理量--の間に成立する「物理法則」である。
----終わり------
第一に「以上に述べた」ことがらが結論の根拠として不明確です。第二に、ひとつの式が物理法則であることと、現れている量の定義であることとは両立できます。
最終結論に至る記事の筋道は次の通りです。
まず、力はストレスを生じさせるものとして定義し、定量的にはバネの伸びと方向から定義されています。これは04/25の記事で述べたバネの伸びによる力の定義と同一の定義です。
----引用-------
われわれが重い荷物をもち上げたり、石を投げたりする場合、手足その他の筋肉に緊張感を覚える。すなわち、その人の筋肉に緊張あるいはストレスが生じ、それを自覚する。このとき、その人は荷物や石に力を行使しているという。一般に、物体が他の物体に力を及ぼす場合、その物体にストレスが生じていると考えることができる。力を行使すれば、それに応じて力を行使される物体の各時刻の位置あるいは運動状態が変わる。そして、その力の強弱は力を及ぼす物体内のストレスの強弱によると解釈できる。
----中略-------
このことから、大ざっばであるが、つる巻きばねの伸びから、取手に働く力の大きさがばねの伸びに比例するとおいてみることができる。この力の量の推定から出発して、次に運動方程式を立てることができ、これから逆に力の量の精密た測定方法を知ることになる。なお、この実験から、力という量が大きさだけでなく方向をもつこともわかる。
----終わり------
次に運動方程式f=mαを式(1)として、係数mがいわゆる慣性質量であることを述べています。(ただし著者は慣性質量という言葉は使っていない)。
----引用-------
式(1)は同じ力を加えた場合、物体の速度の変化、すたわち加速度がその力の大きさに比例し、質量mには逆比例することを示しているから、物体に力を加えた場合の物体の動きにくさ、すなわち慣性の強さを示すと解釈することができる。
----終わり------
次に質量mが物体に付属し、物体自体の量に比例する量であることを述べています。
----引用-------
同じ物体の形状を変えてもそのmは変わらず、物体を二分あるいは三分しても、その質量を式(1)から推定すると、すべての質量の和は元の質量になる。これらのことから、あまり適当な言葉ではたいが、mは物体の中味の量を表していると言うことができよう。
----終わり------
このように物体自体の量に比例するという性質を示す言葉に、銀林浩(Ref-3)・遠山啓(Toyama, Hiraku;Ref-4)らの定義による外延量(Ref-2)という便利な言葉がありますので、今後使うことにします。これは数学上は測度論でいう可算加法的測度という概念に対応します。
さてここまでの話では、力の定義は式(1)によらないことと、式(1)により定義される慣性質量mが外延量であることを述べているのであり、著者の最終結論にまでは至りません。
そして上記引用文の直後に重力質量の話が出てきます。
----引用-------
物体に働く引力、すなわち重さはその質量に比例するから、地上での重さ、すたわち地球からの引力の大きさを測定して物体の正味の量を推定することができる。
----終わり------
このように基礎的テーマの議論で、慣性質量と重力質量が同一の量であることを自明のことのように持ち出すのはいくらなんでも拙いのではないでしょうか。重力質量は万有引力による力の比例係数として定義され、慣性質量は運動方程式(1)により定義されるというのが普通の解釈ではないかと思います。
むろん式(1)のmを重力質量と見れば、式(1)とは、それぞれ独立に定義される3つの量、力と重力質量と加速度の間の物理法則であると言えます。しかし、この見方だけが唯一の正しい見方ではありません。
この後は、運動量の定義があり、第三法則(作用反作用の法則)があり、その後に最終結論が述べられています。要するに最終結論に至る根拠がきちんと述べられていません。
さて、著者は第三法則についても独特(と私には思える)の見方を述べています。
----引用-------
しかしよく考えると、これは力というものの性質あるいはその本性を表すものであって、力学の運動法則とは異質なものである。力は本来反作用を伴なって働くものであり、一方的に働くということはない。
----終わり------
力学の運動法則とは異質な本性とか本来とは何のことなんでしょうか? 物理学では観察結果が全てであり、何が本性なのかは観察によってのみ検証できるのです。そして検証された本性が物理法則と呼ばれるのです。
次の記載でも、法則とは別の原理なるものがあると主張しています。
----引用-------
すなわち、作用反作用の関係は法則ではなく、対称の原理から導かれるということができよう。したがって、最初に挙げた力学の三法則から第三法則をはずしてよいことにたる。
----終わり------
対称の原理がどんな原理なのかは述べていませんが、恐らくは力以外の諸々の現象について成立している対称性に関する法則を貫く広範な原理というものを指すと思われます。もちろんそのような原理が正しいか否かは、ただ実験と観察によってしか検証できません。しかも、どんな原理がどんな現象について成立するかは個々に検証しなくてはなりません。
著者の提案は具体的には次のようなものになるでしょう。
一般的に対称の原理が成り立つ。これは「全ての現象には対称性が成り立つ」という原理である。ニュートン力学の第三法則は対称の原理から誘導する。
全ての現象になんて無理筋です。現にどんな教科書でも第三法則をはずしたりはしていませんから、「第三法則をはずしてよい」という提案は現在の力学においては異説と考えるべきでしょう。
参考文献
Ref-1) 『間違いだらけの物理概念』丸善(1993)
Ref-2) 日本数学教育学会(編著)『算数教育指導用語辞典 第四版』(2009/01) ISBN 978-4-316-80264-0
http://shohin.kyoiku-shuppan.co.jp/view.rbz?cd=53
Ref-3) 銀林浩『量の世界-構造主義的分析-』むぎ書房(1986)
Ref-4) a)遠山啓『遠山啓著作集数学教育論シリーズ(6)量とはなにか』太郎次郎社(1981/07)
b)遠山啓『遠山啓著作集・数学教育論シリーズ 5 』太郎次郎社エディタス(2009/12)
ISBN-10: 4811809815
http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4811809815/ref=sib_dp_bod_toc?ie=UTF8&p=S00C#reader-link
外延量とその対語である内包量については以下のウェブサイトも参照
1) ウィキペディア(量:外延量と内包量)
2) http://www.bekkoame.ne.jp/~pyonpyon/pomme/pomme24.html#6
「学ぶ-教える」学習・教育ネットワーク
ページ中段ほどに外延量と内包量の説明あり[1996/03/02]
3) 外延量と「加法性」(2010.03.12)
遠山啓の「量の理論」の少し詳しい紹介あり
4)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/quantity.htm 「量の体系」について
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/physicsE.htm 物理教育
http://www005.upp.so-net.ne.jp/rainbow-room/index.htm ホーム
F = m a
を法則とみなし定義とはみなさないというのは正しい考え方です。
測度論をご存知のようなのでその言葉を使うなら
質量:スカラー測度
力:ベクトル測度
加速度:アフィン空間内のモデル空間に属するベクトル
というのが今のところ一番ベストな定義方法です。
これらは、お互いに独立しています。
その上で運動方程式と呼ばれる関係が成立すると主張したのがニュートンの凄いところであり第2”法則”と呼ばれる所以です。
小林先生の第3法則に対する主張は恐らく
運動とはアフィン空間内の曲線であるので、外力(ベクトル測度)の定義としての第3法則は運動についての話題ではない
と言いたいだけでしょう。
目に留まったのでコメントしました。
さて、なんちゃって物理学者さんの物理へのとらえ方が私とはなんだかずれがあるように思えます。どういうずれかはよくわからないのですが、ひとまずコメントします。
あなたの3つの定義は私から見ると定義ではありません。少なくとも物理における定義とは言えません。それは「(すでに物理概念として定義された)質量は、数学的にはスカラー測度という性質を持つ」という、法則ないし観察事実だと言えます。そもそも明らかに質量ではないスカラー測度もあるのに、「質量とはスカラー測度である」では定義にはならないのではないでしょうか? 力と加速度についても同様です。
第3法則については、論理の筋道がよく見えません。以下のことをおっしゃりたいのでしょうか?
・第3法則は定義をしべている。
・第3法則は力だけの話であり、運動には触れていなので法則とは言えない。