風に吹かれて

ハーレーツーリングと山旅やクライミング、そしてグルメ

久しぶりの尾瀬

2012年08月28日 | 登山
TEAM BLAST

昨日、30年ぶりに尾瀬に行った。
連れは女房。

自宅を午前3時に出発し、尾瀬の鳩待峠駐車場に7時に到着。

月曜なのでマイカー規制は解除。鳩待峠までなんなく行くことができた。
ちなみに駐車料金は、四輪車2500円/日、二輪車500円/日である。



30年ぶりの尾瀬はさすがに整備が行き届いていた。

まず片品から鳩待までの道だが、昔は未舗装道の酷いデコボコ道だった。
今はすばらしい舗装道路へ。

この道で昔起こしたアクシデント。。。

車のバッテリーの固定金具が緩んでいたらしく、
バッテリーが倒れショートして、
配線から発火、車を一台燃したことがある。

片品から消防車が来てシコタマ怒られた・・・・・


鳩待の駐車場から『山の鼻』までの登山道もすばらしく良くなった。
昔は山の縁をトラバースする岩がゴツゴツしたごく一般的な登山道だったが
今は木道が100%整備され、いたって快適。



なにより、山小屋の立派なこと。
トイレの綺麗なこと。



登山をまったく知らない人が訪れても、
健康な足を持ち、天候の急変さえなければ
誰でも尾瀬ヶ原に行くことができる。

かえってその容易さが恐いところだ。

観光バスで来るツアー客に遭遇した。
どう見ても『こりゃ~無理だろ』と思われるお年寄りも見られた。
雨具を持っている様子もなさそうだ。
添乗員も危険を百も承知で来ているとしか思えない。
無謀なことだ。



しかし、よく考えれば、昔の僕らのほうが無謀だったかもしれない。

登山をはじめてすぐ、学生時代に友人と二人で雪のちらつく11月に尾瀬に入った。

お金はないので山小屋には泊まらない。
かといってテントも持ってない。

ツエルトと言ってビバーク(緊急避難)用の簡易テントをもっていった。
まあ、大きなただの袋みたいなものだ。

食料は沼田のスーパーで調達した。

見ると、うまそうな『釜飯』の箱が目に入った。
二人は目と目を合わせて『これにするべ』と言った。

うまそうな釜飯の写真だけが脳裏に焼きつき、
袋を暖めるだけで、釜飯ができるものと勝手に思い込んだ。

『ボンカレー』のイメージだ。
まかさ『具』だけで、お米が入ってないとは夢にも思わなかった。

この馬鹿二人組は、よせば良いのに、
朝昼晩3食すべての食料をこの『釜飯』にしてしまった。

雪の舞う極寒の夕暮れ、
尾瀬のテント場到着しお楽しみの『釜飯』を暖めた。

ボンカレーのように鍋で袋を暖めた。

袋の中でコメが膨らむものと思った。
しかし、袋はびくとも膨らまない。。。。

待ちかねた友人が袋を開けた。

『コメがねぇ!!!!!!』

馬鹿2人組は一瞬で喧嘩になった。
『おめぇが、これにしようって最初に言ったよなっ!!』

しかし、すぐに喧嘩は二言三言でおさまった。
喧嘩より腹が減って切ないのだ。

友人が釜飯の素でスープを作って飲んだ。
しょっぱくて飲めない。

僕は竹の子と椎茸を洗って食った。
恐ろしくしょっぱくて食えない。

涙がこぼれてきた。

暗闇に雪が舞っていた。
寒すぎる。
零下である。
化繊のシュラフのなかで一晩中ガタガタ震えていた。

朝を待って一目散で尾瀬を脱出した。

若い頃は山に行くたび、似たようなドジを毎回やっていた(笑)

山に秋の気配を見つけた。。。。。

盆の一日

2012年08月15日 | 日記

母親から早朝の墓参りを命じられた。

花を供え、線香をあげるだけなのだが、
市内に3個所も管理しなければならない墓地がある。
しかも墓石の数にすると15墓石以上にもなるので結構な仕事だ。

玄関のドアを開けると玄関照明の下に『鬼ヤンマ』がとまっていた。
立派なトンボだ。子供のころは麦わらトンボや塩からトンボがほとんどで
鬼ヤンマや銀ヤンマなどの『ヤンマ』と呼ばれるトンボが飛んでくると最高に興奮したものだ。

不思議なことに今は普通のトンボより『ヤンマ』のほうが多く見られる。
トンボの世界になにが起こっているのか?少し気になる。




トンボがいた玄関の脇にはサフィニアが咲いている。
この花はたぶん今年3回目の花と思う。
今年のサフィニアの苗はまあ当りのようだ。



アゲハ蝶も飛んできた。


寺に行くと蓮の花が綺麗に咲いていた。朝は綺麗に咲いている。



墓の脇には小さなカエルがいた。



寺まわりからもどり、10年前に亡くなった親友の墓参りに行った。
彼のお墓はお寺ではなく自宅の裏山にある。

裏山までの道を、腰が90度に曲がった母親が毎年案内をしてくれる。
(下の写真は自宅から彼の墓に続く裏山の道)

スタッフォード大学の講師から東北のある大学の准教授になった彼だが、
日本に戻ってから一年後には癌に侵され亡くなった。

彼が一人前の学者になるために母親は相当な苦労をした。
毎年、盆には母親から同じ苦労話と彼の優しかったことを聞かされる。




友人の墓参をすませ、今度は15年以上は行ったことのない
茨城にある親戚の『新盆見舞い』に行った。

ここの主人は蕎麦打ちが趣味と聞いていたが、
本格的な『蕎麦打ち小屋』が母屋の脇にあった。

もちろん、打ったばかりの蕎麦と蕎麦汁をもらって帰ってきた。
絶品であった。

こんど僕も打ってみようかな・・・・




家に帰った。最後の写真は我が家にあるメダカの池。
この小さな水たまり?の中にメダカがいるのだが、もう10年以上繁殖を繰り返し自然に生息している。

冬の夜と真夏の昼間だけ、池の上にスダレをかけてやる。
それと、ほんのたまに新しい水を補給してやる。

それ以外は何もやらない。
一切自然・・・強いものだ。


ちょっと忙しかったお盆の一日。

(撮影:iPhone)