日立冷蔵庫で“エコ”不当表示、省エネ大賞も返上(読売新聞) - goo ニュース
天下の日立も堕ちるトコまで堕ちちゃったか!?...と、言うのがこのニュース耳にした時の最初の印象。
「偽装」話は、中国からの輸入食材やら、事故米混入事件やら、昨今目新しい話でなくなってしまった情けない現状があるだけに、業界の優等生も赤字転落を契機に、体質的に堕落したのか!?...という印象を受けたのだ。
もっとも、咄嗟に思いこんだのは、TVコメンテーターの過剰な反応があったからであって、NHKで耳にしていたら、違った印象を抱いていたかもしれない。 正直な話、自身何らかの被害を受けた訳ではないので、この偽装事件が齎す社会的な影響に関しては、どの程度の大きさか、俄に判断し兼ねると思うのだ。
無論、「エコ大賞」なるものが、需要に相応の影響を与えていただろうことは、容易に納得できるので、結果論であるにせよ、今回の件を擁護するようなことは全くないし、一消費者としても、糾弾して然るべきと考える立場にあることは間違いない。
とは言え、昨今の報道番組の「あり方」には、少々疑問を感じてならない。 それなりのネームバリューを持った人間が、自身の見解を差し挟んで「事実」を伝えるのには「無理」が生じていないだろうか? この商品を購入して、実際「被害に遭った」人には、歓迎される話かもしれないが、伝え方を誤ると、返品や交換に応じない日立の姿勢は、非難の対象となり兼ねない。 確かに、これが「氷山の一角」である可能性も今すぐ否定し切れるものでもないので、次の被害者を発生させる前に警鐘を鳴らす意味はあるのかもしれないが、個々の判断は、個々で下せば良いのであって、一概に「日立汚し!」といったイメージを刷り込むことが、報道機関の役目ではなかろう...。
政治に関する報道についても、報道機関の「行き過ぎ」が昨今目に余る...。 タロウ政権発足時の解散しない首相への糾弾にせよ、イチロー代表の下野を促すキャンペーンにせよ、過剰な報道が齎す弊害は枚挙に暇がない。 そもそも現時点の衆参のネジレを生み出した張本人はマスコミである。 これを利用しない「手」はない!として、積極果敢にマスコミ利用に徹して、国民に異常な人気を博した前総理総裁を見れば、本来自戒して然るべきはずだが、以降、国民「受け」するネタに対するマスコミの動きは、第三者に徹することで存在理由のある立場を大きく逸脱して「えげつない」とさえ言える。
「解散総選挙に追い込めなかった」のは、マスコミの恥か!? 「代表辞任に追い込めなかった」のは、マスコミの落ち度か!?
何れにしても、マスコミが糾弾されるようなこと「だけ」はあり得まい。 にも関わらず、結果の報道に関して、何ゆえ「悔しさを滲ませる」必要性があるのか?
世論調査とやらの結果報道を見る度に、マスコミに踊らされる人間が、世の中どれほど多いことか、遣る瀬無い気持ちに苛まれる。 人間である以上、「好き嫌い」が判断基準であって何ら問題がある訳ではない。 ただ、それと知らず、マスコミが作る虚像に、自身の考えを重ね合わせて、納得顔になることだけは、避けるべきだと思う。 是非とも自身の信念だけは、持ち合わせていて欲しいと思う。
ちなみに、第三者的立場に立つ必要のない人間として、タロウ政権を「毛嫌い」している立場として、政治やら政府やらに関して思うところを書き殴っておけば...。
政府が経済対策としてやろうとしていること自体は、緊急を要するとなった時点で、誰が考えても、大きな差異など発生しない。 とは言え、これだけ金をかけて、経済波及効果が全く「ない」などということはあり得ないので、経済対策を打った時点から、タロウ内閣は更に評価され、支持率も政権運営に全く問題ないところまで、回復してしまうのではないかと思う。
問題なのは、政権交代が「ない」ことイコール「自省する機会がほとんどない」点だろう。 8月だ9月だと選挙の日取りを取り沙汰する記事が躍っているが、ある程度景気が上向いたと判断できた時点で、選挙を実施した場合、天上天下唯我独尊系の首相を野放しにする結果に陥りゃしないか?...というのが、さし当たって最も大きな懸念だろうか...。
従って、今の民主党には到底任せられないが、政権交代できる選挙にすることが、必要だと思うんだけど...。
天下の日立も堕ちるトコまで堕ちちゃったか!?...と、言うのがこのニュース耳にした時の最初の印象。
「偽装」話は、中国からの輸入食材やら、事故米混入事件やら、昨今目新しい話でなくなってしまった情けない現状があるだけに、業界の優等生も赤字転落を契機に、体質的に堕落したのか!?...という印象を受けたのだ。
もっとも、咄嗟に思いこんだのは、TVコメンテーターの過剰な反応があったからであって、NHKで耳にしていたら、違った印象を抱いていたかもしれない。 正直な話、自身何らかの被害を受けた訳ではないので、この偽装事件が齎す社会的な影響に関しては、どの程度の大きさか、俄に判断し兼ねると思うのだ。
無論、「エコ大賞」なるものが、需要に相応の影響を与えていただろうことは、容易に納得できるので、結果論であるにせよ、今回の件を擁護するようなことは全くないし、一消費者としても、糾弾して然るべきと考える立場にあることは間違いない。
とは言え、昨今の報道番組の「あり方」には、少々疑問を感じてならない。 それなりのネームバリューを持った人間が、自身の見解を差し挟んで「事実」を伝えるのには「無理」が生じていないだろうか? この商品を購入して、実際「被害に遭った」人には、歓迎される話かもしれないが、伝え方を誤ると、返品や交換に応じない日立の姿勢は、非難の対象となり兼ねない。 確かに、これが「氷山の一角」である可能性も今すぐ否定し切れるものでもないので、次の被害者を発生させる前に警鐘を鳴らす意味はあるのかもしれないが、個々の判断は、個々で下せば良いのであって、一概に「日立汚し!」といったイメージを刷り込むことが、報道機関の役目ではなかろう...。
政治に関する報道についても、報道機関の「行き過ぎ」が昨今目に余る...。 タロウ政権発足時の解散しない首相への糾弾にせよ、イチロー代表の下野を促すキャンペーンにせよ、過剰な報道が齎す弊害は枚挙に暇がない。 そもそも現時点の衆参のネジレを生み出した張本人はマスコミである。 これを利用しない「手」はない!として、積極果敢にマスコミ利用に徹して、国民に異常な人気を博した前総理総裁を見れば、本来自戒して然るべきはずだが、以降、国民「受け」するネタに対するマスコミの動きは、第三者に徹することで存在理由のある立場を大きく逸脱して「えげつない」とさえ言える。
「解散総選挙に追い込めなかった」のは、マスコミの恥か!? 「代表辞任に追い込めなかった」のは、マスコミの落ち度か!?
何れにしても、マスコミが糾弾されるようなこと「だけ」はあり得まい。 にも関わらず、結果の報道に関して、何ゆえ「悔しさを滲ませる」必要性があるのか?
世論調査とやらの結果報道を見る度に、マスコミに踊らされる人間が、世の中どれほど多いことか、遣る瀬無い気持ちに苛まれる。 人間である以上、「好き嫌い」が判断基準であって何ら問題がある訳ではない。 ただ、それと知らず、マスコミが作る虚像に、自身の考えを重ね合わせて、納得顔になることだけは、避けるべきだと思う。 是非とも自身の信念だけは、持ち合わせていて欲しいと思う。
ちなみに、第三者的立場に立つ必要のない人間として、タロウ政権を「毛嫌い」している立場として、政治やら政府やらに関して思うところを書き殴っておけば...。
政府が経済対策としてやろうとしていること自体は、緊急を要するとなった時点で、誰が考えても、大きな差異など発生しない。 とは言え、これだけ金をかけて、経済波及効果が全く「ない」などということはあり得ないので、経済対策を打った時点から、タロウ内閣は更に評価され、支持率も政権運営に全く問題ないところまで、回復してしまうのではないかと思う。
問題なのは、政権交代が「ない」ことイコール「自省する機会がほとんどない」点だろう。 8月だ9月だと選挙の日取りを取り沙汰する記事が躍っているが、ある程度景気が上向いたと判断できた時点で、選挙を実施した場合、天上天下唯我独尊系の首相を野放しにする結果に陥りゃしないか?...というのが、さし当たって最も大きな懸念だろうか...。
従って、今の民主党には到底任せられないが、政権交代できる選挙にすることが、必要だと思うんだけど...。