「東電、20年間放置 人災だ」 IAEA元事務次長「福島第1に欠陥」(産経新聞) - goo ニュース
「
日本政府は7日、事故に関する調査報告書をIAEAに提出、防止策の強化を列挙したが、氏の証言で主要な防止策は20年前に指摘されていたことが判明し、東電の不作為が改めて浮き彫りになった。
氏は「事故後の対応より事故前に東電が対策を怠ってきたことが深刻だ」と述べ、福島第1原発が運転していた米ゼネラル・エレクトリック(GE)製の沸騰水型原子炉マーク1型については、1970年代から水素ガス爆発の危険性が議論されていたと指摘した。
スイスの電力会社もマーク1型を採用したが、格納容器を二重にするなど強度不足を補ったという。当時スイスで原発コンサルティング会社を経営していた氏は改良作業を担当し、1992年ごろ、同じマーク1型を使用している東電に対して、格納容器や建屋の強化を助言した。
このほか、水源や電源の多様化▽水素ガス爆発を防ぐため水素を酸素と結合させて水に戻す水素再結合器を建屋内に設置▽排気口に放射性物質を吸収するフィルターを設置-するよう提案した。しかし、東電は「GEは何も言ってこないので、マーク1型を改良する必要はない」と説明し、氏がIAEAの事務次長になってからもこうした対策を取らなかったという。
一方、2007年のIAEA会合で、福島県内の原発について地震や津波の被害が予想されるのに対策が十分でないと指摘した際、東電側は「自然災害対策を強化する」と約束した。
しかし、東日本大震災で東電が送電線用の溝を設けるなど基本的な津波対策を怠っていたことが判明。氏は「臨時の送電線を敷いて原発への電力供給を回復するまでに1週間以上を要したことはとても理解できない」と指摘し、「チェルノブイリ原発事故はソ連型事故だったが、福島原発事故は世界に目を向けなかった東電の尊大さが招いた東電型事故だ」と言い切った。
」
昨日の投稿の続きのような話にはなるが、どちらかと言えば、私は寺島氏の主張を『受け入れている』部類の人間だ。 報道ステーションでの発言は、タイミングを外した観は否めないものの、何より彼は主張が『ぶれない』一貫性を感じさせる人なので、バランスの点から言えば、考え方にはシンクロし易いのだろう。
殊に『日本の技術力は類を見ない』『エネルギー政策の根幹から考え直す時期で、そこに産業をリンクさせることこそ日本の未来だ』『原発に対する報告を行うのであれば、他国の言語を使って直接訴える形でないと無意味だ』といった私の考え方は、寺島氏の提言に端を発している。
残念ながら、原子力に関する考え方には大きな差があり、稼働を受け入れることを『現実的』とするならば、単純に『反対』を繰り返す私の考え方の方が『子ども』と言われても返しようがないか.....。
昨日、ハリケーン対策しかしてない原発の非常用電源が、津波に耐えられるはずもない.....ってな話を投稿したが、問題なのは、その事実や、それを受け入れた後に、対策を施していなかったことばかりではない。 今回の話にもある通り、福島第一原発の事故は、どう解釈しても『人災』なのだ。 そして、事象や経緯に足元をすくわれると、改めて大きな『見落とし』に突き当たる危険性がある。
つまり、『新技術』とか『技術革新』とかといった言葉には、必ず相応の『リスク』が伴う点を度外視して、議論を先に進めるべきではないということだ。 言われるまでもない話に響くかもしれないが、考えて欲しいのは、原子力に関して言えば、時間の経過とともに、殊更新たな技術だとの見方が廃れていると言えるのではないかと思える点だ.....。 新しくない技術であれば、利用に躊躇は消える.....使い方が荒くなる.....認識が尊大となる.....。
新車との認識があるうちは、気を使ってスピードにも留意して土禁にしてまで美しく乗ろうとした車であっても、五年十年経過してしまえば、ちょっとしたバンパーの傷には、見向きもしなくなるだろう。 目前で事故が発生してから、『ブレーキがきかない!』ってな整備不備に気付いても.....遅いのだ.....。
そんな訳で.....どんなに子ども扱いされても、『触らぬ神に祟りなし』だと思うことにした.....。
ついでに言えば、原子力が『効率』面からも『原料』面からも、それほど優れてないって話は、前にも書いたけど.....。
「
2011年6月12日(日)08:00
【ロンドン=木村正人】1993~99年に国際原子力機関(IAEA)の事務次長を務めたスイスの原子力工学専門家ブルーノ・ペロード氏が産経新聞のインタビューに応じ、福島第1原子力発電所事故について「東京電力は少なくとも20年前に電源や水源の多様化、原子炉格納容器と建屋の強化、水素爆発を防ぐための水素再結合器の設置などを助言されていたのに耳を貸さなかった」と述べ、「天災というより東電が招いた人災だ」と批判した。日本政府は7日、事故に関する調査報告書をIAEAに提出、防止策の強化を列挙したが、氏の証言で主要な防止策は20年前に指摘されていたことが判明し、東電の不作為が改めて浮き彫りになった。
氏は「事故後の対応より事故前に東電が対策を怠ってきたことが深刻だ」と述べ、福島第1原発が運転していた米ゼネラル・エレクトリック(GE)製の沸騰水型原子炉マーク1型については、1970年代から水素ガス爆発の危険性が議論されていたと指摘した。
スイスの電力会社もマーク1型を採用したが、格納容器を二重にするなど強度不足を補ったという。当時スイスで原発コンサルティング会社を経営していた氏は改良作業を担当し、1992年ごろ、同じマーク1型を使用している東電に対して、格納容器や建屋の強化を助言した。
このほか、水源や電源の多様化▽水素ガス爆発を防ぐため水素を酸素と結合させて水に戻す水素再結合器を建屋内に設置▽排気口に放射性物質を吸収するフィルターを設置-するよう提案した。しかし、東電は「GEは何も言ってこないので、マーク1型を改良する必要はない」と説明し、氏がIAEAの事務次長になってからもこうした対策を取らなかったという。
一方、2007年のIAEA会合で、福島県内の原発について地震や津波の被害が予想されるのに対策が十分でないと指摘した際、東電側は「自然災害対策を強化する」と約束した。
しかし、東日本大震災で東電が送電線用の溝を設けるなど基本的な津波対策を怠っていたことが判明。氏は「臨時の送電線を敷いて原発への電力供給を回復するまでに1週間以上を要したことはとても理解できない」と指摘し、「チェルノブイリ原発事故はソ連型事故だったが、福島原発事故は世界に目を向けなかった東電の尊大さが招いた東電型事故だ」と言い切った。
」
昨日の投稿の続きのような話にはなるが、どちらかと言えば、私は寺島氏の主張を『受け入れている』部類の人間だ。 報道ステーションでの発言は、タイミングを外した観は否めないものの、何より彼は主張が『ぶれない』一貫性を感じさせる人なので、バランスの点から言えば、考え方にはシンクロし易いのだろう。
殊に『日本の技術力は類を見ない』『エネルギー政策の根幹から考え直す時期で、そこに産業をリンクさせることこそ日本の未来だ』『原発に対する報告を行うのであれば、他国の言語を使って直接訴える形でないと無意味だ』といった私の考え方は、寺島氏の提言に端を発している。
残念ながら、原子力に関する考え方には大きな差があり、稼働を受け入れることを『現実的』とするならば、単純に『反対』を繰り返す私の考え方の方が『子ども』と言われても返しようがないか.....。
昨日、ハリケーン対策しかしてない原発の非常用電源が、津波に耐えられるはずもない.....ってな話を投稿したが、問題なのは、その事実や、それを受け入れた後に、対策を施していなかったことばかりではない。 今回の話にもある通り、福島第一原発の事故は、どう解釈しても『人災』なのだ。 そして、事象や経緯に足元をすくわれると、改めて大きな『見落とし』に突き当たる危険性がある。
つまり、『新技術』とか『技術革新』とかといった言葉には、必ず相応の『リスク』が伴う点を度外視して、議論を先に進めるべきではないということだ。 言われるまでもない話に響くかもしれないが、考えて欲しいのは、原子力に関して言えば、時間の経過とともに、殊更新たな技術だとの見方が廃れていると言えるのではないかと思える点だ.....。 新しくない技術であれば、利用に躊躇は消える.....使い方が荒くなる.....認識が尊大となる.....。
新車との認識があるうちは、気を使ってスピードにも留意して土禁にしてまで美しく乗ろうとした車であっても、五年十年経過してしまえば、ちょっとしたバンパーの傷には、見向きもしなくなるだろう。 目前で事故が発生してから、『ブレーキがきかない!』ってな整備不備に気付いても.....遅いのだ.....。
そんな訳で.....どんなに子ども扱いされても、『触らぬ神に祟りなし』だと思うことにした.....。
ついでに言えば、原子力が『効率』面からも『原料』面からも、それほど優れてないって話は、前にも書いたけど.....。