我流 らくがき&日記

思いついた事を雑学的に不定期になると
おもうが描いてみたい!

大地震(東北地方大地震)

2011-03-17 07:15:20 | Weblog
11日(金)の午後2時45分ごろ突然起きた、大地震で、津波警報があり、我家は大平洋の海に近く
そして川を背負っており、津波が堤防約1m近く上昇したらしい(?)、その時私は所要で 
車で東京に居り用事が済み帰宅途中、高速道路で地震を感知し行ける所まで行ったら、
通行禁止になり、渋滞で高速道路上で約2時間、立ち往生し、石岡の幹線道路に降ろされ、
そこから、渋滞が激しく進まず、我家が心配で、電話をかけるが、つながらず、カーラジオで
情報を聞きながらノロノロと走行したが、海に近い所い我家まで約20キロ手前では
津波で道路が遮断され通行不能で、可能な道路を探して、翌日(12日)の早朝午前4時に
やっと苦労して無事帰宅出来、家の外回りは、さほど異常が見受けられなかったが、家族の人影がなく
近くに小学校に避難していたのでひとまず安心した。
帰省途中、道路上から見える、関東地区の家では、ブロック塀や屋根の瓦、半壊がみられ
今回の悲惨さを肌に感じた。

12日、明るくなるのを待って、家の中を覗いたら、家具が倒れ、棚の物の落下で、足の踏み場がないの
メチャメチャであるが余震があるので、ひとまずその晩は避難先に泊り漫然としていた。
我家より見える範囲でも津波の影響で、人が住めない所が多いらしい(まだ、現場をみてないので人のはなしで)

13日に解除が出て、一先ず寝場所確保の為、整理しようと、長年の不要物もゴミ袋に入れながらの作業で
その日は、二部屋しか整理できなかったが、寝るところは出来たのでその晩は雑魚寝した。
幸い、電気、水道水は通電水していた、隣近所では通水していない箇所が多くて給水車より貰っているらしい、
14日も残りを整理してほぼ、完了したがごみ袋が約80個出て、集収車が停止していて捨てる事が出来ず
ガソリンが残り少ないが、乗用車2台で9キロ先の焼却場まで持参して処理したが、まだまだ、袋詰めが残っているが
燃料がないので、一時停止し、ガソリンの売っている場所を探して行ってみたら、多くの車がおり約七時間待っていたら
数台前で、在庫がなくなり、入れる事が出来ず、泣く泣く(?)諦めて帰って来たが、今後入荷するまで、動かせる事が出来ない
困った状態になった、 今まで、被災は人事と軽く思っていたが、実際に受けて、身に感じた、
県内では、原発の事故があり、15日には、南に向けて何処に行くのか車で避難で幹線道路は、パニック状態であった、
食料、日用品を売っている店が一店で、早朝からならんで買い求めている、我家は幸い、少し残っているがいつまで持つか
不安である。

今だに、時々余震があるが強地震がこないようにと願っている、災害があると正確な情報がつかめないので大変な教訓になった。

   多くの犠牲者に黙祷!!