(「バックパッカーの旅」カテゴリーは大学生時代の回想シリーズです。本文中の名前はだいたい仮名です。タイの通貨1Bバーツは当時3円程度。ラオスの通貨はKip。 1円=60kipくらい。前回までの話は
こちら)
エアコン付きのホテルで気持ちよく寝て気持ちよく目覚める。タラート・サオという市場へ行ってみたものの、タラート・サオ=朝市という名前のくせに朝開いていない
市場周辺にある屋台でフランスパンのサンドイッチ(1,500kip)と練乳たっぷりのドロドロのコーヒー(1,000kip)で、ラオス人のおじさんたちと喋りながら朝食。
おじさんから『日本人はリッチだ。ラオスはどうだ

Kipは下がり続けているし、いくら働いても給料はほんのわずかだ。お前は学生か?学費はいくらだ?何

月に300ドルだと

お前はとても幸せなんだぞ。』と言われ、肩身の狭い思いをする・・・

大通りにあるアヌサワリーへのぼる。
チケットは100kipを500kipに書き換えたのが丸わかり。ここにもインフレの影響が・・・
まるで凱旋門?ラオスはあちこちにフランス統治時代の香りが残っている。
アヌサワリーからゲストハウスへ戻り、タイのノーンカイへ渡るFriendship Bridgeまでバスに乗る。バス乗り場で待っていると目の潰れたおじいさんを連れて女の子がお金を貰いにくる。迷ったが、500kipだけ渡した。昨日の噴水周りなど、外国人が多いところではたくさん見かけた。外務省お姉さんは『あれは演技だから』と。タナカ氏は時々あげていた。フランス人たちは全く無視。私は・・・何が正しいのかわからない。
Friendship Bridge へは定員の2倍くらい乗ったマイクロバスで移動。国境の建物は免税店もあってとても綺麗。あの寂れたヴィエンチャン空港はなんだったんだろう・・・
出国手続きをしてメコンにかかる橋を渡り、タイ側で入国手続き。
イミグレを出るとトゥクトゥクドライバーがわんさかいて取り囲まれる。この熱気、おおー、タイだ。