ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

doironご先祖ヒストリーかも3

2021-08-16 21:07:32 | 日常

「龍」の姿が描かれた土器。



弥生時代にもう中国から龍のことが
入ってきていたんだといいます。
いやいやもしかしたら、
近辺に龍が本当に
飛んでいたかもしれませんね。

龍というよりは、
もしかしたら草むらにいる
マムシの姿だったかもしれません。

弥生時代の土器は、
当時のことを様々に想像させてくれます。

発掘されたものの中には



飾りの勾玉や



繊維に撚りをかける部品などもありました。

一方で、猟の生活に必要な
「やじり」などもありましたが、
驚くのは海に関するものが多かったことです。



これは釣り糸につける重り、


そしてなんとこれは今でいう
「タコつぼ」だということです。
当時、このあたりは海に近かったんですね。



doiron家でも家を建て替える際に、
地面を深く掘ったときに
貝殻なんかも出てきたように
記憶しています。
そこへ信太山丘陵などから流れてきた
土砂なんかが堆積し、
今の地形を作っていったのでしょう。

我が家あたりは大阪の
西河岸だったんでしょうね。

発掘物は他にもいろんなことを語ります。

石器の姿、木を加工したものなどで、
どんどん昔の生活が明らかになってきます。



その木では、建物に使われた木や
大きなお風呂になった



クスノキなんかも発掘されました。

これらはどれくらい
昔のことでしょうと考えたら、
木の年輪などから紀元前の
52年くらいであることがわかりました。

もういまから2000年以上前のことです。

これはこれまでの常識を
100年はさかのぼらないと
いけないという発見だったそうです。

また一方で木で生まれた製品は
これ以前からもどんどんと
複雑化してゆきました。



こんな柄杓や斧なんかもありますし、



こんな男性型の呪縛に使った
道具なんかも出て来たそうです。

どうやって使うのか、
興味がわきますねえ。



それからこれはシャベルなんだそうです。



発掘物がこうしていろいろ
出てきましたが、さらにもう一度
これらを他の遺跡発掘物と
比較しながらそして土器が語ること
なんかをじっくり検討してゆくように、
別の説明エリアにも並行して
並べられてゆきます。

これが紀元前3~2世紀の土器、
これが紀元前2世紀以降で
これが1~3世紀の土器です。
まあさほど大きな発展は見られませんが、
少しずつ複雑化しているようにも見えます。

人類、ここんところ100年の発展は
とても大きいですねえ。
インターネットなんかを使った
発展はもう驚くばかりです。

そんなすごいスピード発展は
もう別次元ですが、
この遺跡周辺もそれなりに
徐々に発展を続けているようです。

これらの土器が、
なぜ繁栄につながったのか。
それは土器の発達により、
水がこぼれないように
貯められ火を通すことで
様々な食料の発展につながってゆきました。

土器時代の後年にはこれで、
米を炊くことが行われるようになり、
その消化の良さで老人や子供も
しっかりと食事ができるようになり、
生活の向上につながってゆきました。

まあ土器は今でいう
インターネットのようなもので、
それにより生活が繁栄していったわけですね。

また土器は亡くなった人々を
収める棺代わりにも作られていきました。
これはねえ、以前の収納庫の
展示会で大量にあるのを見ましたねえ。

続く

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doironご先祖ヒストリーかも2

2021-08-15 21:00:53 | 日常

学校で、ここは土器を発掘してるんや
と言う話を聞きました。
土器のそばには石器もあったりしたそうです。

そんな公園で子どもの頃、
ここを流れる川で遊んでいたら、
これが土器やあという
土の塊をひらったりしたし、
川の底にはとんがった石が
落ちていたりしたのは、
今思えば石器のかけら
だったのかもしれません。

そうしてみんなで遊んでいた田んぼも、
あちこちで掘り返されるようになり、
僕らの遊び場もどんどん
変になっていってがっかりした
記憶もあります。

そして起こった大事件。

そんな掘り返しのなかで、
大きな井戸の後なんかも見つかったし、



巨大な宮殿のような建物跡を
見つけたころには、
その地もかなり変わった感じになりました。
もう愚かな私たちはここで
遊べないなあという雰囲気になって、
近づかなくなった頃には、
どんどん公園として整備されていきましたね。

やがてここに外周路ができるぞ
と聞いて、ん?どれくらいの長さかなあ。
ランの練習に使えるかなあ
なんて考えるような、
doironもそんな年頃になっていたのです。

いま、こうして池上曽根遺跡と
なっている公園は、
直前はdoiron達の遊び場であり、
水のいっぱいひかれた
田んぼ地帯だったのに
大きく変わりましたねえ。

水路にはフナなんかも結構いて、
子どもの頃は魚とりなんかもしたし、
ザリガニなんかもたくさんいたのにねえ。
生き物は一気に減りましたが、
doiron達の遊び場のひとつは
こんな風に公園になっていったのでした。

この公園のファミリーヒストリーですね。

それからも発掘は公園の片隅で続き、
大きな宮殿跡があったりしたので、
偉い人が住んでいたのでは
ないかといわれるようになりました。

もしかしたら、卑弥呼がここにいた
なんて言う説もあるそうです。

doironは卑弥呼の子孫なんていう説も・・・。

そうして弥生人の村、田んぼ地帯、
doiron達の遊び場という過去を持つ
この公園を抜けて、
じゃもともと公園ルーツはどうだったのか、
どんなふうに繁栄してきたか、
それを展示しようとしている
博物館にいよいよ到着です。

家からあるいて5分くらいなんですが、
その間に2000年もの
歴史を鑑みながら歩いてきたわけですね。



博物館の中に入っていくと、
観光バスが二台止まっています。

フロントガラスの表示を見ると
どこかの小学校のようです。
ウヒャー、うるさいかなあ
と不安になりつつも、
せっかくですから入ってゆきましょう。

こどもらの動きを避けて見学しましょう。

入り口で入館券を渡し、
入ってゆきます。

幸い、小学生の団体は、
一般展示場の方にいますので、
これはチャンスです。

一般展示場は腐るほど見ました。
卑弥呼の人形もいますし、
弥生時代の犬の人形も置かれていますよねえ。
そして床にはこのあたりの
航空写真が貼られており、
ああここが自分の家やあって
いつも確認してしまいます。

子どもたちがそんな展示に
興味を示している間に、こっちは
目的の企画展の方を見ておきましょう。

まずは遺跡発掘の経緯が書かれています。
先程書いた発掘の歴史と自分の年代が
重なってゆきますねえ。

そして掘り出されたものが並んでゆきます。

これは占いに使われた鹿の角。



そして骨のペンダントや
いのししの牙の飾り。



また木で作った鳥など
祭礼的なものも多くありました。



そして見つかった土器の中には
建物の姿が書かれたものもあり、
いまある宮殿の元になっています。

そして見つかった土器の中で、
驚きだったのがなんと
「龍」の姿が書かれた壺でした。



続く

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doironご先祖ヒストリーかも1

2021-08-14 20:59:24 | 日常

doironが住んでいるのは、
泉大津市の東の端の地域です。
すぐ隣にもう和泉市がくっついています。

その和泉市の近隣のエリアに、
府立弥生文化博物館があります。



池上曽根遺跡という弥生時代を
再現した公園があり、



その脇に立っている博物館。

常設としては池上曽根遺跡を通じて、
このあたりの昔の雰囲気を
紹介していこうというところですが、
時折企画展なんかを開催しています。

前回は、「泉州貫く軌跡」と題して、
阪和線全通90年の展示会をしていたので、
講習会も含めて参加してきました。

その時に得た知識をもとに、
自分の散歩コースを作ったりもし、
駅の観察なんかにも出かけてきましたし、
まだこれからもその散歩の
続きを企画しています。

そんな博物館がこの夏にまた
新たな企画展をおこなっています。
それが「繁栄の池上曽根遺跡」と題した展示会。



おお~、我が村の名前がついていますねえ。
この村の過去はどうだったのか。
そしてどうして繁栄してきたかが
テーマなんですから、
これはもうこの地域の町会長としては
是非とも見ておく必要があるでしょう。

doironのもしかしたら
ご先祖ヒストリーかもしれません。

早速出かけて行くことにしました。

といっても、ステテコとシャツ一丁で
ぶらっと出てゆくわけにはいきません。
また博物館の入り口で、
この展示している村の、
この時代の自治会長です。
といっても、「では無料でどうぞ」
というわけにはいきませんよね。

なので過去に地元新聞の取材なんかで
行ってるから、博物館が
市内施設なんかに配っている入館券を、
「へへへ」といただきに上がりました。

これで430円が無料ですからね。
あ、65歳以上なら330円か。
ありがたいことです。
年金暮らしには夢のようなお話です。
これで早速準備オッケーですね。
普通の服装でちょっと天気が悪くて、
遠くに遊びに行けなさそうな日に
歩いて博物館に向かうことにしました。

その途中にある池上曽根遺跡は
今は広い公園です。
真ん中に弥生時代の建物が建ち、



公園内のところどころに
昔の住居跡のような施設があります。



まあそういう弥生ファンには得難い公園です。
さぞやいつも人がいてと思うでしょう。
でも大丈夫、コロナに時代になってから、
トイレを使えなくしていたり、
夜間は街灯を一切付けないように
しているから人の集まり具合も
とてもすくないのです。

ただ最近は、子どもたちが
夏休みなのでマスクもつけずに
キャッチボールをしたり、
サッカーをしたりとにぎやかで怖い状態です。
できれば行くのは避けたい状態ですね。
でもこの時はまだ緊急期間には
入っていないうえに、
子どもらもいませんしね。
雨模様ですからね。

この時もそこを抜けて歩いて行きました。

ではこの公園ももう少し前は
どうだったのか。
doironの頭の中の展示館を
まず見ておきますかね。

そもそもこの公園のあった場所は、
僕らが草野球をしたりするような
田んぼ地帯でした。

ソフトボールの三角ベースで野球をしたり、
積み上げたわらで住みかを作ったり、
レスリングしたりして
遊んだところですねえ。
白いトレパンが田んぼの草で
緑色に汚れたりしました。

そんなところだったのですが、
ある時田んぼのひとつが、
ガバっと掘り起こされて
大きな穴になったところから、
ここの遺跡の発掘が始まりました。

現場に行くと、たくさんの作業員が
穴の底にいて、ベルトコンベアが
動き回っています。
学校で聞くと、この場所から
土器とかがいっぱい出て来たそうです。



へ~そんなことがあるんやと、
小学生の頃に感心したことがありました。

続く

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ランとは言い難いけど3

2021-08-13 21:19:22 | スポーツ

このジムの運動について、
もう少し書いておこう。
なんでもない運動なのだが、
続けていると新たに分かったことも
ほかにもいろいろとある。

まずは、スタジオの床のことだ。
体育館の床のようにここには、
合板の長い板が詰め込まれて
引いてあるのだが、
まああまりメンテもしていないんやろなあ。
あちこちで痛みがでてきているようだ。

走っているとき、
たまに床にごみがあったりすると
取り除いてやることにしている。

あいつが走っていることで
スタジオがけがれた、
なんてことをいわれないように
しっかりと使わないとねえ。

そして換気のために開けている窓も、
終わったらちゃんと占めるようにしているし、
空気を淀まさないように
動かしてもらっている
電動ファンも終わったら
報告しておくようにしている。

どうするかは向こう任せだけどね。

先日は、走りながら、
あれ?こんなところにごみが
落ちてるぞと思い、
練習後にひらいに行くと、
ササの葉状に床が
えぐれているところがあった。

これは深い傷であるから、
doironが走っていて付けた傷では
けっしてない。
すみっこの方だから、
あそこに傷あるねえ、
などとでしゃばったことも
言わないでおこう。

床はだいたいそれくらいの
深い傷くらいで、運動するのに
差支えのあるような状況ではない。

でもやはり、日の当たる部分は
乾燥をしてもう少ししたら
使うのに困ったなの状況になるだろう。
ここらへんでしっかり
油引きをしないとなあと思うので、
これについてはトレーナーに
こっそり言ってやるかと思っている。
簡単にできるんなら、
してあげてもいいのになあと思うしね。
まあスタジオのことについては
これくらいかな。

doironがたまにこういう運動を
スタジオを独占して運動しているのと同時に、
女性人たちが腹筋を鍛えて
スタイルを良くしようと、
「腹筋クラブ」と名付けて
マットを敷いて運動をしている。
多い時で6~7人で行っているので、
そんなみんなが集まりやすい
6時から6時半の間で行っているようだ。
なのでdoironのニセラン運動も
この時間帯にはならないように
4時45分くらいから実施しているわけだ。

まわりを走るだけなので、
やっていても腹筋クラブの
邪魔にはならんのだけど、
まあ避けるようにはしている。

もしこちらの練習の始まるのが
遅くなった場合は、途中でやめて、
腹筋クラブが終わったら、
続きをやるというようにしている。

でも女なの人は強いねえ。
自分らで勝手にエアコン入れたりして、
我が物顔で使うのがすごいよ。

doironのように個人でやっているのでは
ないから強いもんだ。
先日そんな腹筋クラブの人が、
早めにやってきて

「これって何歩くらい歩数を稼ぐんやろねえ」

とdoironのニセランのことを聞いてくる。
いやあ、万歩計付けていないし、
携帯も持っていないから
わからんなとこたえたのだが、
ちょっと待てよ数えたらわかるやん。
一周を数えてみると3回計測で
すべて43歩であった。
するとトータル100周回って
三キロだから、

4300歩。

運動でへたっている頭で計算すれば、
なんと一歩は約70cmで
あることがわかった。

また歩くのも歩数を測れば1周53歩だから、
これも弱っている頭で無理くり計算したら、
1700歩になるので、
練習そのもののトータル歩数が
ちょうど6000歩となることが分かった。

まあこれはこれでいい運動である。

練習後のローラー歩きの歩数も
加えたら約8000歩は
動いていることになるようだ。

高齢者に歩数を計算したら
こんな感じやでと報告したら、
ああ脳もちゃんと動かしているや
といわれてしまいましたね。

ああ、これもまた脳のニセ脳活用運動と
名付けておくことにしましょう。

走りながら、少し複雑な計算を
してみるというのも、
ボケ防止を兼ねて出来るだけ
するようにしましょうかね。

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ランとは言い難いけど2

2021-08-12 21:10:04 | スポーツ

今回、自分の練習用に作ったシートがこれだ。



日にちと時間を記入し、
周回150mを走るための表だ。

左から、周回チェック欄、周回数、
回る方向、感想欄を作ってある。

一周ごとにこれを書いたり
チェックしたりすると、
休息になるしね。
ランの合間にウォーキングを
2周、3周をいれてそれも
休息とすることにした。

こうすると、何回まわったのか、
回る方句はちゃんと交互に
なっているかがすぐにわかる。

あ、ランといってもゆっくりですよ。
もうニセランといってもいいくらい。

基本は絶対有酸素を超えないことなんで、
早くてもキロ7分という超スローだ。

最初はこれくらいでいい。
これくらいなら無酸素になる気配はない。
絶対無理しちゃいけないから、
ここから始めて行こうという感じだ。

このニセランが終わったら、
自転車で読書を兼ねた
20分のゆる漕ぎ、ローラーで
20分の歩き、身体各部のストレッチ、
機械による振動マッサージなどを行って、
シャワーを浴びて
「さ、ビールを飲むぞ」と帰っていく
というのが、最近のコロナの時代の
doironのジムの毎日ということになる。

この緩さがとっても庶民的でしょ。

で、そのニセランのことを
もう少し詳細に書いてみましょう。

始めたころには計測していなかった
時間を測る用になって、
練習が少し科学的になった。

150mが1分10秒から1分30秒。



山用に買った時計でも
そんなタイムはスタート、
ストップボタンで簡単に測れるから、
活用している。
これは早いと意識してゆっくり走ると
見事にタイムに反映される。
また、次は無酸素の部分が
出てこないように最高に
走ってみるかと走って
タイムを見たりすると、
イケナイ、イケナイと気持ちを
押さえてしまうんだよね。

まあ自分の体の貧しさと
ふわふわ戦っているわけだ。

でもねえ、新たにいろんなことにも気が付く。



例えば、ずっとローラーで
走っていたのだが、
こうして実際走るとすると、
足首の疲れが一気に出てくる。

ローラーは機械が進んでいくのだが、
実際に走ると足首で地面をける
必要が出てくるからだ。

コメント欄に最初は足首が疲れる
と書いていたので、
取組前の足首ストレッチを
念入りにするようにしたら
少しマシになった。

また、ジム休みや飲み会などが
重なって走れない日が続くと
その後の練習が、いきなり
楽にタイムが上がったりするのも面白い。

マスクの付けはずしや、
ニセランに興味のある人が見に来たりしたら、
知らず知らずにタイムが上がったりするのも、
自分なりにあさましく可愛い所があるもんだ。
まあ若い時にあれだけ
無茶苦茶走っていた人間が、
こんな初心者的な気づきに
フムフムと感心するなんて、
我ながら感慨深く
やっててよかったなあと実感したりする。



それに高齢になって、
膝のストレッチ、腰のストレッチなんかも
とても大事だということも
実感としてわかってくるから
またこれがおもしろい。

そうそう、ついつい無酸素に
なっちゃいけないという警戒心から、
ウエイトトレーニングも
あまりしなくなり、
腹筋もほぼなくなり
ワンパックのおなかになってしまい、
来月産み月やねんなどと
言ったりしているのも、
ニセランでもすると腹筋や
背筋を使うことになるんやね、
何となく体の芯がしっかりしてきた
気がするのも、新鮮で楽しい。

相撲の時は相撲の鑑賞が
メインとなったり、
どうしても読書をしたときには
バイク乗りが一番になったりと、
色々変遷はするのですが、
まあそれなりに楽しく、警戒して
運動をしている
doironなのでありました。

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