ロマン派🥀 今日を生きられない

現実と非現実を行き来する憂鬱な日記

ガクアジサイの旅

2019-06-08 | みんなの花図鑑

色々あって2週間ほど「特集みんなの花図鑑」を開いてませんでした。
久しぶりに投稿しようとしたら「ジャンル」が消えて  #  になってました。
よく解りませんけど、ま、どうでもいいです。 (goo の不具合で 特集みんなの花図鑑 の投稿が更新されていません、、これはどうでもよくない。早く直してください)

アジサイについて書きます。調べ不足なので所々 推測を入れます。


今、うちのガクアジサイが咲いています。

両性花の周囲を額縁のように装飾花がかこむから「額紫陽花」。いわばガクブチアジサイ。装飾花はじつは萼なので萼アジサイ...ではなさそうです。


こんな感じですよね


アジサイの原産地は「東アジア、日本、北アメリカ」。日本、北米はまあわかるけど、東アジアってどこだよ.... 推測、、中国の東のほう、朝鮮半島、台湾。  その辺と、日本と、北アメリカ(の東部)に様々な種類のアジサイがあったらしい。例えばカシワバアジサイの原産は北米(東部)です。真っ白なアナベルも、北米。

ですが、「ガクアジサイ」の原産地は日本だけです。どんなに調べても他の国は出て来ません。


うちのです。早く投稿しないと終わりそう..


日本のガクアジサイが西洋に持ち込まれ、品種改良され、世界に広まって日本へも「逆輸入」された、とはよく語られることです。

日本にはガクアジサイだけでなく、手毬咲きのアジサイもあったようですよ。
↓こんな花。画像検索から勝手に、無断で引用して貼り付けます(私の撮影ではありません)



そして、わが国でもアジサイは歌にうたわれたり、絵画に描かれたりしていたようです。(絵は見てませんけど)

だけど庶民のあいだで人気のある花ではなかったらしい。
例えば、椿や桜や花菖蒲は、古い時代から品種改良がなされて、いろんな品種が作出されて来ました。が、アジサイはそうではなかった。アジサイを見出したのは、ヨーロッパ人でした。





日本のガクアジサイが江戸時代に西洋に渡った、って簡単に言われますが、その頃の日本は鎖国でしょ。どうやってヨーロッパへ渡るんだよ💢(失礼しました )。

確からしいことは、、日本から中国に入って花を咲かせたりしていたガクアジサイが、1789年頃ロンドンに送り込まれ、そして20世紀の初めからヨーロッパ(ベルギー、オランダ、フランス、ドイツなど)で本格的な品種改良が始まった、ということです。
ロンドンにガクアジサイが送られてから1世紀ほど、あいだが空いてますね。このタイムラグについては不明です。推測、、島国イギリスから欧州大陸の国々にアジサイ(ガクアジサイ)が認知・評価されるのに100年ほどかかったんでしょう・・・



両性花の部分を大きく撮りました。この写真では雌しべがどれか良くわからない。


さて、日本原産のガクアジサイがヨーロッパで盛んに品種改良されて行きます。
そうやって出来たアジサイはすでに大正時代に、日本に入って... というか帰って来ています。逆輸入と言われる所以です。
でも相変わらず、人気は今一つでした。





戦後(1945年〜 ですよ)、アジサイを観光資源として「お寺」が目を付けた、と言われています。これは確証がありません。しかし、今も各地に「あじさい寺」があることから、信じて良い情報ではないでしょうか。

結局、万葉集にも(2首だけとはいえ)歌われたアジサイが一般に広まっていくのは、戦後のことです。
欧州だけでなく、わが国でも品種改良が進められて行き、数え切れない.. というか覚え切れない種類のアジサイが作り出されました。



両性花が青いのが多いなか、これみたいに赤っぽいのも咲いています


・・というわけで、日本原産のガクアジサイが欧州に渡り、姿を変えてこの国に逆輸入され、広まっていった過程を大急ぎで書いて見ました。急いだので誤植等あると思いますがお許しください。

検索から載せた一枚を除き、すべての花はうちのガクアジサイです。


↓今 撮って来ました。まだ蕾が見える花も多いので、もう少し楽しめそうです。