おとぎのお家と青い鳥

本ブログでは、主に人間が本来持つべき愛や優しさ、温もり、友情、勇気などをエンターテイメントの世界を通じて訴えていきます。

青春うたものがたり~乳がん撲滅ピンクリボンキャンペーン特別寄稿作品~ 「地球より軽い私の命」

2008-12-15 20:21:50 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

恋の矢今回の~乳がん撲滅キャンペーン特別寄稿作品~の「地球より軽い私の命」は、一般の方はもちろんのこと、アニメや音楽、芸能、スポーツ、出版、家族、学校関係者など多くの方々が、ジャンルを問わずにご覧くださっているようです。さらに、老若男女に関係なく多くの方が、覧くださっているようです。この機会に、ぜひみなさんも今回の~乳がん撲滅キャンペーン~参加していただき、本作品を通じて1人でも多くの方に、この~乳がん撲滅キャンペーン~(「ピンクリボンキャペーンの本来の趣旨が伝えられますよう、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


Photo_4~乳がん撲滅「ピンクリボンキャンペーン」特別寄稿作品~

                    
Psd
「地球より軽い私の命」 1


人は、自分の命があとわずか1ヶ月で終わると知ったとき、果たして何を考えるのだろうか?

そして、その残された1ヶ月の間に何をやろうと思うのだろうか?

この「地球より軽い私の命」の物語は、“乳がん”がリンパ筋から脳や肝臓に転移し、そのせいでたったわずか22歳の若さで死の現実と直面し生きることを終えた、渋谷の東西デパートに勤めるOLの女性“美咲愛華”が日記帳代わりに1冊の大学ノートに綴った手記を、みなさんに人間の運命が自分の年齢や意思に関係なく、一度狂ってしまうとどんなに悲劇を齎し儚いものなのかを知ってもらい、老若男女に関係なく1人ひとりの“人間の命の尊さ”をもう一度再認識してもうために、ひとつの日記形式のブログ短編作品として纏めたものです。


平成20年5月3日


私、美咲愛華はほんの半年前までは、渋谷の東西デパートに勤める、普通のどこにでもいるような22歳の女性と変わらない、おしゃべり好きで好奇心旺盛のOLだった。

だが、私をこれ以上の人生における苦しみがないというような、大きな悲劇が襲ったのは、ちょうど去年のクリスマスイブの前日だった。

それは、仕事が終わり、彼(中居大輔)にクリスマスプレゼント上げるために、職場の同僚でひとつ年下の後藤明日香と一緒に渋谷駅ハチ公口の北側向かいにある、109の姉妹店である109-2のメンズショップHEROに立ち寄り、ニットセーターを買いに行っているときだった。

突然、何気なく店内の陳列棚に置かれている、ニットセーターを手に取り見ようとしたら、左の腕が上下に動かしづらくなり、左の乳房に激痛が走った。

その瞬間、人間の悪いことが起こる前の直感って凄いもので、「どうしたのだろう?」という、これまでには一度も感じたことがないような不安が脳裏を過ぎった。

だが、その日は明日香が買い物に付き合ってくれていたために、109-2で買い物を終えた後もその場ではそのまま痛みを我慢して、彼女に道玄坂の道路沿いに面してある中華料理店桂花で食事をおごることにした。

ただ、明日香には凄く悪い気がしたが、やはり左の乳房の痛みのことが気になり、いつものように陽気にはしゃいでしゃべる気になれずに、かなり口数が少なかった。

そのせいで、すぐに明日香も私が、かなり体調が悪いことに気付いたようだった。

そのために、明日香も私の体調が悪いことを気遣ってくれて、その日は食事もそこそこに切り上げて、二人とも帰宅することにした。

「美咲さん、大丈夫ですか?かなり、顔色も悪そうですし、お家まで送っていきましょうか・・・」

明日香は、私の体調の悪さを気遣ってくれて、私に家まで送ってあげることを進言したが、もしもまた帰宅途中で何かあった場合、よけい明日香に迷惑を掛けることになるかも知れないと思い、私は彼女のせっかく申し出だったが、「ありがとう。明日香の気持ちだけはいただいておくね・・・」と言って、彼女の好意を無下に断って彼女の気持ち傷つけないようにするために、笑顔でやんわりと断った。


だが、このときまだ愛華自身は左の乳房の痛みが、まさかこの後半年で自分の命を奪うことを警告している、左胸の腫瘤がわきの下のリンパ節を通り越して骨や肝臓に転移して、末期症状の“乳がん”であることを知るよしもなかった。




1


Psd
「地球より軽い私の命」 2


人は、自分の命があとわずか1ヶ月で終わると知ったとき、果たして何を考えるのだろうか?

そして、その残された1ヶ月の間に何をやろうと思うのだろうか?

この「地球より軽い私の命」の物語は、“乳がん”がリンパ筋から脳や肝臓に転移し、そのせいでたったわずか22歳の若さで死の現実と直面し生きることを終えた、渋谷の東西デパートに勤めるOLの女性“美咲愛華”が日記帳代わりに1冊の大学ノートに綴った手記を、みなさんに人間の運命が自分の年齢や意思に関係なく、一度狂ってしまうとどんなに悲劇を齎し儚いものなのかを知ってもらい、老若男女に関係なく1人ひとりの“人間の命の尊さ”をもう一度再認識してもうために、ひとつの日記形式のブログ短編作品として纏めたものです。



平成20年5月3日

私は、JR山手線で渋谷から新宿に出て東京地下鉄(東京メトロ)丸の内線に乗り換え、新宿から自分のアパートがある中野新橋に向った。

中野新橋は、かつては料亭や芸妓のいる町としてよく知られていたが、最近は太田プロやオフィス北野所属のお笑い芸人(ダンカン、井手らっきょ、松村 邦洋など)や、元横綱貴乃花の相撲部屋があることの方が、一般的にはよく知られるようになった。

私は、電車が中野新橋駅に到着し乗り降り用のドアが開くと、すぐに下車して階段を小走りに駆け上がって改札口を出ると、駅と繋る橘商店街を半ば走るようにして大急ぎで通り抜け、自宅(アパート)のある氷川神社のある方向に向った。

私のアパートは、大人の足で普通に駅から歩いて7,8分ほどの、氷川神社の近くの住宅地にあった。

どうして?私がそんなに急いで帰宅しているかというと、やはり左の乳房の痛みのことが気になり、一時でも早く自宅に戻ってその左の乳房の痛みの原因を、自分の手で調べたかったからである。

私は、自宅に帰るとすぐに下着姿になり、痛みのある左乳房のブラジャーの中に右手を入れて、そっと指先でその痛みのある部分を押してみた後、今度は手のひらで左乳房全体をゆっくりと掴んでみた。

そのとたん、私の心臓はドックンドックンと激しく波打ち、暖房を入れていて寒いわけでもないのに、体中に寒気を感じてブルブルと震えだした。

その訳は、ちょうど左乳房の乳輪の下あたりに一円玉くらいの大小の大きさのしこりが、三、四個あったからである。

どうして、今までそれに気付かなかったのか?私は自分でもその理由がハッキリとは分からなかったが、おそらく 生理前になるとしょっちゅう胸が張る感じがあったから、たぶんそのせいで今まではまったく痛みがなかったために、単に胸が硬くなっているのだろうと思っていたのが正解じゃないかと思う。

それより、人間の直感には不可思議なものがあることだけは、理屈を抜きにして確かである。

それは、私はこれまで“乳がん”に対する知識などまったくないはずなのに、左乳房に三、四個のしこりがあると分かったとたん、「もしかしたら・・・私は“乳がん”ではないか・・・」という意識が自然に働き、それが数時間後には事実であることが分かったからである。


だが、このときまだ愛華自身はこの左の乳房のしこりとその痛みが、まさかこの後半年で彼女の命を奪うことを警告している、末期症状の“乳がん”であることを知るよしもなかった。






ニコニコ今日の一口メモ

かつて当ブログで掲載し、現在ヤブログで新たにリニュアルして公開中の、~
青春うたものがたりシリーズ1~「風のある町」が、1年近く経った今なお単体の作品として、GoogleやYahooなどの検索サイトで1位
になっています。

例えば、Yahooで言いますと、
96,000,000数(11月25日現在)という天文学的な数字の中で、1位
ということです。

この現実は、いかに本作品が多くの読者のみなさんに愛読されて応援していただいているかの、
真の証
だと言えるのではないかと思います。

またそれと同時に、当ブログ関連のこれまでの1日の訪問者数5,000人という最高記録を樹立しているのもこの作品ですから、自画自賛になるかもしれませんが、こんな凄い作品を自分が書いたんだと思うと、正直に言いまして大へん感動しますね。



Jpg3

~青春うたものがたりシリーズ 1 ~「風のある町」
/ A town with the wind

--♪ただ、キミを愛してる・・・--

大輝の大学のゼミの最中に、彼の携帯電話の着信音である“中島美嘉の雪の華”教室中に鳴り響き、百合子から愛が急激な体調の異変を起こし、彼女の死を知らせる電話が入ったのは、彼が風のある町に帰ってから3日後のことだった。

「か、亀梨さん、あ、愛が今日の午後1時25分に亡くなりました・・・」

「え、え、えっ!!」



 

 
 


星当関連ブログの紹介

OCNブログ「おとぎのお家」
http://wildboar.blog.ocn.ne.jp/blog/

アメーバーブログ「おとぎのお家と仲間たち」
http://ameblo.jp/phoenix720/

ヤブログ「おとぎのお家と愛の家」
http://yaplog.jp/ainoie/


青春うたものがたり~乳がん撲滅ピンクリボンキャンペーン特別寄稿作品~ 「地球より軽い私の命」

2008-12-15 20:21:05 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

恋の矢今回の~乳がん撲滅キャンペーン特別寄稿作品~の「地球より軽い私の命」は、一般の方はもちろんのこと、アニメや音楽、芸能、スポーツ、出版、家族、学校関係者など多くの方々が、ジャンルを問わずにご覧くださっているようです。さらに、老若男女に関係なく多くの方が、覧くださっているようです。この機会に、ぜひみなさんも今回の~乳がん撲滅キャンペーン~参加していただき、本作品を通じて1人でも多くの方に、この~乳がん撲滅キャンペーン~(「ピンクリボンキャペーンの本来の趣旨が伝えられますよう、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


Photo_4~乳がん撲滅「ピンクリボンキャンペーン」特別寄稿作品~

                    
Psd
「地球より軽い私の命」 1


人は、自分の命があとわずか1ヶ月で終わると知ったとき、果たして何を考えるのだろうか?

そして、その残された1ヶ月の間に何をやろうと思うのだろうか?

この「地球より軽い私の命」の物語は、“乳がん”がリンパ筋から脳や肝臓に転移し、そのせいでたったわずか22歳の若さで死の現実と直面し生きることを終えた、渋谷の東西デパートに勤めるOLの女性“美咲愛華”が日記帳代わりに1冊の大学ノートに綴った手記を、みなさんに人間の運命が自分の年齢や意思に関係なく、一度狂ってしまうとどんなに悲劇を齎し儚いものなのかを知ってもらい、老若男女に関係なく1人ひとりの“人間の命の尊さ”をもう一度再認識してもうために、ひとつの日記形式のブログ短編作品として纏めたものです。


平成20年5月3日


私、美咲愛華はほんの半年前までは、渋谷の東西デパートに勤める、普通のどこにでもいるような22歳の女性と変わらない、おしゃべり好きで好奇心旺盛のOLだった。

だが、私をこれ以上の人生における苦しみがないというような、大きな悲劇が襲ったのは、ちょうど去年のクリスマスイブの前日だった。

それは、仕事が終わり、彼(中居大輔)にクリスマスプレゼント上げるために、職場の同僚でひとつ年下の後藤明日香と一緒に渋谷駅ハチ公口の北側向かいにある、109の姉妹店である109-2のメンズショップHEROに立ち寄り、ニットセーターを買いに行っているときだった。

突然、何気なく店内の陳列棚に置かれている、ニットセーターを手に取り見ようとしたら、左の腕が上下に動かしづらくなり、左の乳房に激痛が走った。

その瞬間、人間の悪いことが起こる前の直感って凄いもので、「どうしたのだろう?」という、これまでには一度も感じたことがないような不安が脳裏を過ぎった。

だが、その日は明日香が買い物に付き合ってくれていたために、109-2で買い物を終えた後もその場ではそのまま痛みを我慢して、彼女に道玄坂の道路沿いに面してある中華料理店桂花で食事をおごることにした。

ただ、明日香には凄く悪い気がしたが、やはり左の乳房の痛みのことが気になり、いつものように陽気にはしゃいでしゃべる気になれずに、かなり口数が少なかった。

そのせいで、すぐに明日香も私が、かなり体調が悪いことに気付いたようだった。

そのために、明日香も私の体調が悪いことを気遣ってくれて、その日は食事もそこそこに切り上げて、二人とも帰宅することにした。

「美咲さん、大丈夫ですか?かなり、顔色も悪そうですし、お家まで送っていきましょうか・・・」

明日香は、私の体調の悪さを気遣ってくれて、私に家まで送ってあげることを進言したが、もしもまた帰宅途中で何かあった場合、よけい明日香に迷惑を掛けることになるかも知れないと思い、私は彼女のせっかく申し出だったが、「ありがとう。明日香の気持ちだけはいただいておくね・・・」と言って、彼女の好意を無下に断って彼女の気持ち傷つけないようにするために、笑顔でやんわりと断った。


だが、このときまだ愛華自身は左の乳房の痛みが、まさかこの後半年で自分の命を奪うことを警告している、左胸の腫瘤がわきの下のリンパ節を通り越して骨や肝臓に転移して、末期症状の“乳がん”であることを知るよしもなかった。




1


Psd
「地球より軽い私の命」 2


人は、自分の命があとわずか1ヶ月で終わると知ったとき、果たして何を考えるのだろうか?

そして、その残された1ヶ月の間に何をやろうと思うのだろうか?

この「地球より軽い私の命」の物語は、“乳がん”がリンパ筋から脳や肝臓に転移し、そのせいでたったわずか22歳の若さで死の現実と直面し生きることを終えた、渋谷の東西デパートに勤めるOLの女性“美咲愛華”が日記帳代わりに1冊の大学ノートに綴った手記を、みなさんに人間の運命が自分の年齢や意思に関係なく、一度狂ってしまうとどんなに悲劇を齎し儚いものなのかを知ってもらい、老若男女に関係なく1人ひとりの“人間の命の尊さ”をもう一度再認識してもうために、ひとつの日記形式のブログ短編作品として纏めたものです。



平成20年5月3日

私は、JR山手線で渋谷から新宿に出て東京地下鉄(東京メトロ)丸の内線に乗り換え、新宿から自分のアパートがある中野新橋に向った。

中野新橋は、かつては料亭や芸妓のいる町としてよく知られていたが、最近は太田プロやオフィス北野所属のお笑い芸人(ダンカン、井手らっきょ、松村 邦洋など)や、元横綱貴乃花の相撲部屋があることの方が、一般的にはよく知られるようになった。

私は、電車が中野新橋駅に到着し乗り降り用のドアが開くと、すぐに下車して階段を小走りに駆け上がって改札口を出ると、駅と繋る橘商店街を半ば走るようにして大急ぎで通り抜け、自宅(アパート)のある氷川神社のある方向に向った。

私のアパートは、大人の足で普通に駅から歩いて7,8分ほどの、氷川神社の近くの住宅地にあった。

どうして?私がそんなに急いで帰宅しているかというと、やはり左の乳房の痛みのことが気になり、一時でも早く自宅に戻ってその左の乳房の痛みの原因を、自分の手で調べたかったからである。

私は、自宅に帰るとすぐに下着姿になり、痛みのある左乳房のブラジャーの中に右手を入れて、そっと指先でその痛みのある部分を押してみた後、今度は手のひらで左乳房全体をゆっくりと掴んでみた。

そのとたん、私の心臓はドックンドックンと激しく波打ち、暖房を入れていて寒いわけでもないのに、体中に寒気を感じてブルブルと震えだした。

その訳は、ちょうど左乳房の乳輪の下あたりに一円玉くらいの大小の大きさのしこりが、三、四個あったからである。

どうして、今までそれに気付かなかったのか?私は自分でもその理由がハッキリとは分からなかったが、おそらく 生理前になるとしょっちゅう胸が張る感じがあったから、たぶんそのせいで今まではまったく痛みがなかったために、単に胸が硬くなっているのだろうと思っていたのが正解じゃないかと思う。

それより、人間の直感には不可思議なものがあることだけは、理屈を抜きにして確かである。

それは、私はこれまで“乳がん”に対する知識などまったくないはずなのに、左乳房に三、四個のしこりがあると分かったとたん、「もしかしたら・・・私は“乳がん”ではないか・・・」という意識が自然に働き、それが数時間後には事実であることが分かったからである。


だが、このときまだ愛華自身はこの左の乳房のしこりとその痛みが、まさかこの後半年で彼女の命を奪うことを警告している、末期症状の“乳がん”であることを知るよしもなかった。






1_7

「Super SantaClaus シンデレラ」ニュース

1:本日、ある大手出版より連絡があり、当作品「Super SantaClaus シンデレラ」が投稿作品(応募作品)として、選考を検討していただけることになりました。

本結果が、どうなるかは分かりませんが、子供の頃から夢である“物書きになるという”ことへの大きな前進ではないかと思い、大へん嬉しく思っています。


2:また、当ブログ関連の作品を見ていただいた別の大手出版社の方より、わざわざお手紙をいただいたり、友人や知人などの「携帯小説に参加してみないか・・・」というアドバイスを貰い、この話もまたこれまで私が思い描き続けて来た「物書きになりたい・・・」という夢に対して、天が与えてくれた大きなチャンスではないかと思い、素直に彼らのアドバイスに従い参加することを決めました。

そうは言っても、これから新作品を含め、「Super SantaClaus シンデレラ」などの作品を1作1作ずつ纏めていかなければいけないという大変な作業が待っています。

でも、今回のチャンスを逃すと、いつまたこのようなチャンスと出会えのるか分かりませんので、自分の夢の完成に向ってトライすることを決心しました。つきましては、みなさんの応援が一番の元気の素になる薬ですので、これからもよろしくお願いします。







 



星当関連ブログの紹介

OCNブログ「おとぎのお家」
http://wildboar.blog.ocn.ne.jp/blog/

アメーバーブログ「おとぎのお家と仲間たち」
http://ameblo.jp/phoenix720/

ヤブログ「おとぎのお家と愛の家」
http://yaplog.jp/ainoie/


~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 19

2008-12-15 20:19:03 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

ニコニコ只今、当ブログを含め当関連ブログ全体で~乳がん撲滅キャンペーン特別寄稿作品~ピンクのリボン」の作品を通じて、~乳がん撲滅キャンペーン~を行なっています。その結果、当ブログをご覧いただきました多くの方より、“たいへん感度しました・・・”などのメッセージをいただいたり、予想もしなかった数多くの方々が、当ブログ関連にご訪問してくれています。この大きな反響と声援に対しまして、このお場をお借りしまして心よりお礼を申し上げます。


Photo_4ピンクのリボン


今日も君が眠る 病院のベッドの横のテーブルに 

家族みんなが写った写真と 一緒に置いてあるピンクのリボン

いつも君が病気の苦しみに負けて 心が折れそうになったとき

 “生きる力”と“生きる勇気”を与えてくれる魔法のリボン

だけど・・・ある日突然 家族の写真が伏せられてピンクのリボンが消えていた

僕が不思議に思い「どうしてかって?」尋ねると・・・

君は思わず涙ぐみながら 「もう私、これ以上家族みんなの重荷になって、生きて行く自信がないの・・・」と、悲しみに怯えるように答えた


ごめんね いくら毎日の夢のない暮らしに疲れていたからって そんな君の本当の苦しみにも気付かずに 

まるで自分ひとりだけが すべての人生の不幸を背負って生きているような そんな馬鹿げたセリフばかりを口にして

君のたったひとつの生きる希望のピンクのリボンの花の芽を まだ花も咲かないうちに無理やり摘み取って 傷つけていたこの僕を


1


(19)

再び、拓也の人生の運命の時計が狂いだしたのは、息子の健太が幼稚園時代からの顔馴染みの悪友たちと渋谷のセンター街に遊びに出掛け、そこで本人にとってはいくら興味本意からだったとはいえ、未成年者は禁止されているタバコを吸っているところを少年警察補導員に見つかって補導され、学校側から停学処分を受けたことがきっかけだった。

それは、学校側から健太が停学処分を受けたことをきっかけに、彼の停学処分を撤回する条件として、彼の停学期間中(二週間)は親が責任を持ってその保護(監視)の下で、彼に中学生としての心身ともに健全な生活を送らせることを義務付けられたからである。

と、なると、もうその学校側との約束を守るためには、今の時点では妻の愛美が当てに出来ない以上は、自分で拓也自身が今在職中の鹿児島での仕事に見切りをつけて、もう二度と住むことはないと思っていた東京に戻る以外、ほかに学校側や義父の新三郎、姉の寿代たちを納得させるためのいい手段は見つからなかった。

ただ、拓也が一番恐れていたのは、このまま自分が鹿児島での仕事を捨てて東京に戻るということは、ようやく彼が五年という長い歳月を掛けて、家族みんなと住むための目標を達成するために積み上げてきた軌跡のすべてを、その目の前で見捨てざるを得なくなる可能性があることだった。

そしてまた、それと同時に、いくら我が息子健太のためだとはいえ、もしも今回の一件ですべて今の仕事を失うようなことになれば、あれだけ100通もの履歴書を出して仕事を探しても、何ひとつとして仕事が見つからなかった東京で、また新たに仕事を探して生活して行くという自信が、まったくなかったからだった。

そうなると、おそらく99パーセントいや100パーセント、義父の新三郎が許すはずがないと分かっていても、家族みんなが一緒に暮らせるようにするためには、どうしても妻の愛美に相談して彼女の力を借りる以外には、もうどんなに拓也が昼夜を問わずにもがき苦しんで考えたところで、ほんのわずかでもその悩みから開放されて、その答えを出せる余力などどこにもなかった。

いかに、拓也の非力さに愛想を尽かし五年以上別居しているとはいえ、愛美も健太の母親である以上は、彼女だって少なからず彼のことを気に病んでいるはずである。

例え、その確率が0パーセントに限りなく近いとしても、今の拓也にとってはその方法に賭けてみることが、今後みんなが生活の基盤を失わずに上手く暮らして行くためには、それが何よりも一番よりよい選択だと思った。

案の定、義父の新三郎は愛美の病気のことを気遣って猛反対したが、愛美自身は拓也が仕事をなくして、再び健太が実家の方に帰ることにでもなると、彼女自身の中で以前のことから合わせ見ても、すぐに健太と新三郎が対立する可能性が高いことが分かっていただけに、今回の拓也の頼みごとが自分の本意ではなかったにせよ、彼が予想して以上に何の反抗的な態度を見せることもなく、義父の新三郎を強引に説得して上京してくれることを承諾してくれた。

そんな愛美の従順な態度を見ると、そんな言葉を口にすることは一言もなかったが、もしかしたら彼女自身の心の中には、家族みんなで一緒に暮らしたいと思う気持ちが、これまで拓也が感じている以上にあったのかもしれない。

ただし、まだ愛美の病気(乳がん)が治療の途中で、今でも抗がん剤の投与に月に一度は宮崎市内にある大学病院に通院していることを考えると、愛美の父親としての義父の新三郎の言っていることを、まったく無視して決して否定できることではないことは、拓也自身にも十分に分かっていた。

またそれとは別に、愛美が上京するのにあたり、大きな問題が二つあった。
そのひとつ目の問題が、長女の舞を一人愛美の実家に残しておくわけには行かず、急遽彼女を通わせるための、高校を探さなければならないことだった。

そしてそのもうひとつ目の問題が、それに加えて、現在姉の寿代と健太の三人で暮らしているのには十分だったが、愛美と舞が上京して来るとなると、一挙に3DKのマンションに5人が住むことになるために、毎月の収入に限りがある中で寿代を含めた、拓也の家族が住む部屋や生活費をどうするかということだった。

ただ、またこの問題とは別に、まったくこのとき拓也自身もそうだが愛美本人も気付いていなかったが、彼の家族は愛美と舞が上京して一年も経たないうちに、これ以上の大きな問題に襲われることになるのである。


それは、愛美の右乳房の脇の下のリンパ節で止まっていたがん細胞が、血液やリンパの流れに乗って、左乳房に方に転移していることが分かったため、再び最初に乳がんに掛かったときと同じように、西新宿にある大都医大病院に入院することになったからである。





★★★★驚異の3大ニュース!!★★★★

音譜今回は、当ブログで起きた驚きの出来事及び、現在と将来の日本の財政危機を救う大発見!!驚異の3大ニュースをご紹介します。


\(^o^)/ニュースその1(11月1日現在)

偉大な2人の存在の力!

とても正直に言いまして嬉しいことですが、今でもちょっとその理由について不思議に思っていますのは、当ブログの会員(アメンバー)に“IT・パソコン・インターネット”の世界で第3位。総合ランキングで3643415人中116位bmpro-soft さんと、同“IT・パソコン・インターネット”の世界で7位。総合ランキングで3643415人中241位T.K.I.サービス さんの凄い2人の方が参加してくれたことにより、いきなり当ブログのランキングが約7~10万人を飛び越えてアップしたことです。


\(^o^)/ニュースその2

ピンクリボン” が、あなたを「乳がん」の恐怖から救う!

“ピンクリボン”の~乳がん撲滅キャンペーン特別寄稿作品~「生きる力」と「お星さまになったママ」の作品を、当ブログで公開したところ、一般の方はもちろんのこと、アニメや音楽、芸能、スポーツ、出版関係者など多くの方々が、ジャンルを問わずにご覧いただき、その読者数が20,000人を越えたことです。


\(^o^)/ニュースその3

現在、世界を含め日本で起こっている金融・経済危機は、もう日本政府や専門家の机上の数字合わせだけでは立ち直らせることは出来ない!それは、今回の日本の金融・経済危機を再生させ救出するためのすべての答えは、全国民が持っているからである。

1:現在、国や地方自治体がその税収の徴収方法に一番頭を痛めている、高齢者の介護保険料、医療費などの負担を10%~30%削減し、将来若い人への増税の負担が極端に削減できるシステムの開発を現実につくりあげることが実現可能な内容を発見したことです。

2:現在、麻生総理が赤字国債を発行し、2兆円規模の金を国民に提供(バラ撒き)し、日本国が今まさに遭遇している金融危機を打開しようとしていることや、その他の銀行金利引き下げなどの追加経済対策を最低限に抑えて、現在の金融危機を打開するこの実現性がかなりの高い確率で可能な、経済対策システムを発見したことです。

携帯本内容の詳細について知りたい方は、下記のメールまでお問い合わせください。

※ただし、明らかにいたずらや現実性のないと思われる問い合わせには、ご回答できませんのでご了承ください。

willtown720@yahoo.co.jp



本商品は、PL高校時代に甲子園のヒーローになって以来、常にプロ野球界ばかりではなく日本を代表するヒーローの1人であり続けた、清原和博選手の「限定保存版切手シート」です。期間限定の商品だけに、清原選手のファンだけではなく、日本のプロ野球ファン全員のみなさんにとっても、とても魅力がある貴重な商品だと思います。ぜひ、この機会をお見逃しなく!ご購入いただきますようよろしくお願い致します。

◎本商品につきましての、購入方法につきましては、Yahooオークション下記のURLページをご覧ください。

Yahooオークション
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e81841966


J

 


星当関連ブログの紹介

OCNブログ「おとぎのお家」
http://wildboar.blog.ocn.ne.jp/blog/

アメーバーブログ「おとぎのお家と仲間たち」
http://ameblo.jp/phoenix720/

ヤブログ「おとぎのお家と愛の家」
http://yaplog.jp/ainoie/



お月様My Cafe の紹介

OCNCafe「Fairy Land」
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/kotobuki



~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 18

2008-12-15 20:18:25 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜この度、ご縁があって当ブログおきまして、今季限りで23年間のプロ野球人生に幕を下ろし、プロ野球選手としてのユニホームを脱ぐ清原和博選手の、「清原和博引退記念切手の限定販売の告知及び、~NPO法人日本子守唄協会10周年記念~の「親子で聴く子守唄(CD6曲付き)2009カレンダーの告知をさせていただくことになりました。この2つの商品に関します詳細内容につきましては、下記の告知欄をご覧ください。このご縁がきっかけで、清原選手本人や清原選手のファンの方々が、当ブログを見ていただくと、たいへん嬉しいことですね。


ベル当ブログで、現在紹介中の清原和博選手の「限定保存版切手シート」商品の記事が、日刊スポーツ新聞(10月17日号)で、紹介されました。




僕は歩く。休まず歩く。どこまでも歩く。

僕が休んだら、きっと僕の人生は今ここで終わってしまう。

だから僕は歩く。怖いから歩く。休まず歩く。いつまでも歩く。

誰のためにと聞かれても、分からない。

何のためにと言われても、分からない。

それは、きっとこれが人生だから だろう。

それは、きっとこれが運命だからだろう。

でも・・・おそらくその真実(ほんとう)の答えは、

きっと僕が生きているうちには、分かったようで分からないだろう。

ただひとつ分かっているのは、僕のこの足が止まったとき・・・

僕の人生も止まること。

僕の生命も止まること。



1


(18)

―ゴオォー、ゴオォー、ゴオォー・・・―

拓也は、羽田発鹿児島行きの飛行機が滑走路を離陸し地上を離れた瞬間に、「もう、これで二十年以上も住み、人生の大半を過ごした東京に自分が、もう二度と戻って来ることはないだろうと・・・」と、思った。

そしてまたそれと同時に、「これで、本当に家族を東京に呼び戻して、かつてのように一緒に暮らす夢もいっさい絶たれた・・・」とも思った。

拓也は、飛行機が羽田空港を出発し鹿児島空港に到着するまでの間、そんな自分の不甲斐無さを恨み後悔したが、もう彼の東京においての生活には何の見通しも立たずに、自分の力ではどうすることも出来なくなっていた。

そして、そのこと自体は、拓也本人が自ら一番感じて知っていた。
そして、その結果として新しく人生設計をやり直すための場所として選んだのが、自分の生れ故郷の種子島に近い鹿児島の地だった。

バブルがはじけた当時の時代背景や、四十歳を越えた年齢を思えば、そう簡単にかつての暮らしが取り戻せるほど甘くないことは分かっていた。

だが、会社をリストラされたり家族に見放されたりしたことのすべてが、自分の生き方の不器用さや力不足が原因だと自分自身で分かっているのにもかかわらず、結局それだけ自分自身に自信がなく弱いからだろう。

いつの間にか、その人生のすべての失敗を自分をも通り越して、他人や社会のせいにしたり親や先祖のせいにしたりまでして、誰彼に関係なく憎しみ恨むようなっていた。

もうそうなると、正常な人の域をとっくに超えて病的状態だった。

ただ、その頃の拓也の精神状態は正直に言って、もうそこまでズタズタになっていた。

そして追い込まれていた。

東京での生活により拍車をかけて、自分の意思とは裏腹に自分の居場所がもうどこにもないことを現実に直感させられたのが、会社のリストラや家族との一家離散に遭遇したこもさることながら、再就職先がまったく見つからないことだった。

いくら、会社をリストラされたとはいえ、当初は拓也にもプライドがあった。

それは、ほんの数ヶ月前までは、大手通信機器メーカー関連会社の役員だったからである。

だが、ハローワークや新聞、雑誌など問わずに、求職情報関連記事には毎日のように目を通し、職種に関係なく応募要項が合致すると何かに取り付かれたように履歴書を送り続けたが、これまでの仕事がまだ当時はさほど一般的には普及はしていない、インターネットを使用したWebコンテンツの開発という特殊だったこともあり、まったく再就職先が決まることはなかった。

そして、気が付いた時には、その送付した履歴書の数はすでに100通を超えていた。

そんなときに話があったのが、ある大手電気メーカーの知人からの、インターネットを活用した産業育成の仕事の誘いだった。

そして、その仕事先が、鹿児島だった。


拓也は、この仕事の話をある大手電気メーカーの知人から受けたとき、これまで実際のところ東京以外の場所で仕事をしたことがなかったために、それが大きな不安や障害となり相当に悩んだことは事実だが、これ以上東京にいても仕事が見つかる保障がないことが、これまでの実体験で分かっていたために、姉の寿代とも相談し二つ返事でその話に乗った。




星当関連ブログの紹介

OCNブログ「おとぎのお家」
http://wildboar.blog.ocn.ne.jp/blog/

アメーバーブログ「おとぎのお家と仲間たち」
http://ameblo.jp/phoenix720/

ヤブログ「おとぎのお家と愛の家」
http://yaplog.jp/ainoie/



お月様My Cafe の紹介

OCNCafe「Fairy Land」
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/kotobuki






本商品は、PL高校時代に甲子園のヒーローになって以来、常にプロ野球界ばかりではなく日本を代表するヒーローの1人であり続けた、清原和博選手の「限定保存版切手シート」です。期間限定の商品だけに、清原選手のファンだけではなく、日本のプロ野球ファン全員のみなさんにとっても、とても魅力がある貴重な商品だと思います。ぜひ、この機会をお見逃しなく!ご購入いただきますようよろしくお願い致します。

◎本商品につきましての、購入方法につきましては、Yahooオークション下記のURLページをご覧ください。

Yahooオークション
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e81841966



J 



本商品は、「NPO日本子守唄協会」の発足10周年を記念して販売されますカレンダーです。今回のカレンダーの企画趣旨は、“子守唄で親と子の穏やかな心をはぐくもう”ということがテーマで、子守唄は長い年月にわたって、“親と子の心の絆を繋ぐ情操教育に、大いに役立つと言われ、現在まで絶えることなく歌い継がれてきています。そして、また現在社会問題になっています“児童虐待”や“親と子の心の障害”、“憎しみ、暴力”などを取り除くための、親と子の心身の健全さの育成にも、大いに役立つと言われています。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんから、お父さん、お母さんへ・・・お父さん、お母さんから、子供へと・・・歌い語り継がれている“親子で聴く子守唄”を、あなたのご家族でも一度お試に聴いてみませんか

※本商品の話題は、NHKみんなのうた「北風小僧の寒太郎」やNHKおかあさんといっしょ「こんなこいるかな」、明治製菓の「イソジンのかばの親子」、富士通の「タッチおじさん」などのアニメーターやキャラクター作家でお馴染みの月岡貞夫先生が、カレンダーに使用されている画をすべて描いていることです。

◎本商品につきましての、購入方法につきましては、Yahooオークション下記のURLページをご覧ください。

Yahooオークション
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g71824671



6j  


パンダ当「親子で聴く子守唄」CD付カレンダーをご購入いただいた場合には、当商品販売のための特別記念企画としまして、月岡貞夫先生の描いた直筆の“北風小僧の寒太郎”の色紙を、抽選で10名の方にプレゼントします。

Photo_2 






 
  
 
 
 


~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 17

2008-12-15 20:17:47 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

Photo_4約一月間休んでいた「生きる力」を再開するに当たり、一番に感涙したことはサイドバー(左側)に掲載されている、緑の木々の上に乗っかっている、乳がん患者のための“ピンクのリボン”を目にしたことです。その理由は、現在私の妻が三度目の乳がんが再発し、それも今回はこれまでの2度の再発時とは違い、脇の下のリンパ節への転移で止まっていたがん細胞が、血液やリンパの流れに乗って、咽喉から肺に転移したために、それが脳や骨、臓器などに移転しないように、毎日癌という巨悪な悪魔と壮絶な戦いを行なっているからです。また、さらに今回は2度目の癌の再発のときに、一緒に入院していた同室の24歳の若い患者を含む、私の妻以外の入院患者のほとんどの方が亡なくなったことが彼女に大きなショックを与え、2度目の癌の再発時まではあんなに「生きる意欲」が強かった妻が、すっかり今はその「生きる意欲」を失くしてしまっているからです。従って、現在の私の最大の願いは、そんな妻にもう一度これまでと同様に、「生きる力」や「生きる意欲」を取り戻して欲しいことです。
ちなみに、このピンクのリボンは、福島県立医科大学医学部付属病院の6F西病棟に入院していた乳がん患者のみなさんが中心となって、「退院後も親睦を深め、お互いを励まし合える関係を続けて行きたい・・・」と平成14年に結成したものだそうです。そして、これは私の単なる気のせいなのかもしれませんが、この「ピンクのリボン」は、何故か?単にこの絵模様を眺めているだけで、なんとなく心をホッさせ、乳がん患者を持つ家族の者にとっては、本当に精神的に支えになります。つきましては、この“ピンクのリボンをお考えになったみなさんに、この場をお借りして心から敬意を表したいと思います。


音譜この度、ご縁があって当ブログおきまして、今季限りで23年間のプロ野球人生に幕を下ろし、プロ野球選手としてのユニホームを脱ぐ清原和博選手の、「清原和博引退記念切手の限定販売の告知及び、~NPO法人日本子守唄協会10周年記念~の「親子で聴く子守唄(CD6曲付き)2009カレンダーの告知をさせていただくことになりました。この2つの商品に関します詳細内容につきましては、下記の告知欄をご覧ください。このご縁がきっかけで、清原選手本人や清原選手のファンの方々が、当ブログを見ていただくと、たいへん嬉しいことですね。


君の命は誰のものでもない 君自身のものだから

君がどんな人生で終わろうと 誰も文句は言えないけれど

君の帰りを 愛する家族が待っている以上は

君の笑顔を 愛する者が見たがっている以上は

昨日までの悲しみなんかに 負けないで

心の傷みや苦しみなんかに 負けないで

もう一度 君が一番輝いていたときのように

「生きる力」を取り戻して

もう一度 君が力強く生きていたときのように

「生きる意欲」を取り戻して

明日を生きていることの幸せを その両手いっぱいに感じて欲しい

明日を生きていることの喜びを その心いっぱいに感じて欲しい



1


(17)

人の運命って、本当に不思議なものである。

それは、誰彼には関係なく、その人が「生きる力」を失くしたときから、その人のすべてのことが負に向かって進み始めるからである。

まさに、拓也の人生もそのものだった。

今回、息子の健太が幼稚園時代からの顔馴染みの悪友たちと渋谷のセンター街に遊びに出掛け、そこで本人にとってはいくら興味本位だったとしても、未成年者は禁止されているタバコを吸っているところを少年警察補導員に見つかって補導され、学校側から停学処分を言い渡されたのを機に、姉の寿代や義父の新三郎などからの忠告もあり、これまで拓也は自分自身が家族みんなと一緒に暮らせるようになることだけを目標に励んで来た、やっとそのための鹿児島の地で手に入れた仕事に見切りを付けて、東京での生活に比重をおかなければならなくなったからである。

それは、逆にいうとそれに付随して、ようやく五年間かけて築き上げて来た、これまでの安定した収入源を失うことでもあった。

そして、さらにそれはまた、五年前に“もう絶対にこうことがあってはならない・・・”と心に誓った、妻の愛美が“乳がん”にかかったのをきっかけに子供たちを連れて実家に帰省したために、家族の温もりのすべてが消えてなくなった家の中に独り取り残されて拓也を、彼が心身ともに死ぬほど苦しめられた、過去の惨めな生活に逆戻りするようなものでもあった。

その五年前に、家族に見捨てられ姉たち姉妹みんなと別れを言って、独りで新たに生きて行くための生活の場所を求めて、鹿児島に向かったときの心境を大学ノートに纏め書きした文章が、屋根裏部屋の資料を整理していたら見つかった。

ゴオォー、ゴオォー。

羽田空港を離陸した飛行機が、初秋の茜空のカーテンコール中に向けて飛び立った。

その瞬間、拓也は「これで、本当に東京とも永遠の別れになるかもしれない・・・」と思った。

それもそのはずだった。

いくら三十年以上住み慣れた土地とはいえ、今の拓也にとって、東京は自分がもう生活できる場所ではなくなっていた。

父辰三の突然の死から始まり、妻愛美が病気(乳がん)になったのを機に、家族が家族の絆という機能をすべて失ってしまうのに、それほど時間は掛からなかった。

マイナス作用が働き始めた、人の運命って皮肉なものである。

僕が、会社からリストラを言い渡されたのは、妻の愛美が乳がんの手術を終えて出社した半年後だった。


そして、もう家の中にはいくら探そうと思っても、人生の不安と一緒に独り取り残されて、薬(精神安定剤)と酒を頼って生きている精神病を患った自分がいるだけで、家族の匂いや思い出などは何もなく、しだいに日が経つにつれて心の中には、自分や社会に対する憎悪と後悔だけが渦巻き、もうそれが自分の力ではどうすることも出来ない増幅していくだけの毎日だった。



本商品は、PL高校時代に甲子園のヒーローになって以来、常にプロ野球界ばかりではなく日本を代表するヒーローの1人であり続けた、清原和博選手の「限定保存版切手シート」です。期間限定の商品だけに、清原選手のファンだけではなく、日本のプロ野球ファン全員のみなさんにとっても、とても魅力がある貴重な商品だと思います。ぜひ、この機会をお見逃しなく!ご購入いただきますようよろしくお願い致します。

◎本商品につきましての、購入方法につきましては、Yahooオークション下記のURLページをご覧ください。

Yahooオークション
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e81841966



J 



本商品は、「NPO日本子守唄協会」の発足10周年を記念して販売されますカレンダーです。今回のカレンダーの企画趣旨は、“子守唄で親と子の穏やかな心をはぐくもう”ということがテーマで、子守唄は長い年月にわたって、“親と子の心の絆を繋ぐ情操教育に、大いに役立つと言われ、現在まで絶えることなく歌い継がれてきています。そして、また現在社会問題になっています“児童虐待”や“親と子の心の障害”、“憎しみ、暴力”などを取り除くための、親と子の心身の健全さの育成にも、大いに役立つと言われています。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんから、お父さん、お母さんへ・・・お父さん、お母さんから、子供へと・・・歌い語り継がれている“親子で聴く子守唄”を、あなたのご家族でも一度お試に聴いてみませんか

※本商品の話題は、NHKみんなのうた「北風小僧の寒太郎」やNHKおかあさんといっしょ「こんなこいるかな」、明治製菓の「イソジンのかばの親子」、富士通の「タッチおじさん」などのアニメーターやキャラクター作家でお馴染みの月岡貞夫先生が、カレンダーに使用されている画をすべて描いていることです。

◎本商品につきましての、購入方法につきましては、Yahooオークション下記のURLページをご覧ください。

Yahooオークション
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g71824671



6j  


パンダ当「親子で聴く子守唄」CD付カレンダーをご購入いただいた場合には、当商品販売のための特別記念企画としまして、月岡貞夫先生の描いた直筆の“北風小僧の寒太郎”の色紙を、抽選で10名の方にプレゼントします。

Photo_2 





 
  
 
 






 
  
 


~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 16

2008-12-15 20:17:06 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」は、私の妻が38歳という若さで癌(乳がん)にかかり、その癌というとてつもない巨悪な病魔と戦う現実の姿を、ほとんど実話に近い形で書いているものです。それだけに、本作品が本当に人の生きることや命の大切さの意味を訴えているのを、よくみなさんにご理解していただいているのか、本作品が、小説や音楽、ドラマetcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かりました。本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」が、何故?そんなに人の心を魅了し感動を与えるのか!ぜひあなた自身もその目とその心で直接確かめてみてください。


君にとって 一番悲しいことは

誰も君を愛してくれる人が きっと自分の周りにいないことだろう

だからどんなに悲しいことがあっても だからどんなに苦しいことがあっても

みんな泣くのを我慢して 明日に向かって歩いているんだよね

だからどんなに傷つくことがあっても だからどんなに嫌なことがあっても

みんな立ち止まるのを我慢して 過去を振り返らずに歩いているんだよね

そう・・・だからね 君が自分を愛してくれる人が欲しいと思ったら

君が昨日以上に その人に優しさを届けてあげることだね

君が今日以上に その人に温もりを届けてあげることだね

君が明日以上に その人に幸せを届けてあげることだね


1


(16)

拓也は、健太が幼稚園時代からの顔馴染みの悪友たちと渋谷のセンター街に遊びに出掛け、そこで本人にとってはいくら興味本位だったとしても、未成年者は禁止されているタバコを吸っているところを少年警察補導員に見つかって補導されて、学校側から呼び出しの電話を受けたことに大きなショックを受けた。

そして、いくら健太が我が子だからといって、自分の親の甘さだけの尺度で測って彼を信じ、自分が健太の生活費をいちいち仕送りするのが面倒だからという身勝手な都合だけで、これまでつきにせいぜい二、三千円の金しか持ったことがない、たかだか中学一年生の子供に五万円もの大金を手渡したこと事態を、何よりも後悔した。

そしてまた同時に、自分の親としての我が子に対する、管理不足の甘さを反省した。

もちろん、今回の件で拓也が学校側や警察の補導員に、さんざん父親としての子供に対する管理の甘さについて叱りを受けたのはもちろんだが、健太自身もその罰として一ヶ月の停学処分を受けた。

今回の問題(事件)が発端となり、健太自身が遊ぶ金欲しさに母である愛美や叔母である寿代にまでにも、拓也からの仕送りが遅れているなどと嘘をついて、金を無心していることまでが分かった。

さすがに、その話を愛美や寿代から聞かされた瞬間には、拓也の怒りは自分が健太を信じきっていたぶん、その悲しみや寂しさもあって一気に頂点に達して、もう気がついたときには健太の頬をおもいっきり平手で殴りつけていた。

健太を殴った瞬間の拓也の目の周りには、大粒の涙が溢れ出していた。

それは、今回の健太が犯した事件への怒りや口惜しさもあったが、彼が生れて以来こういった形で彼を本気で殴るのが今回が初めてだったこともあり、必要以上に自分の心の中に怒りよりも哀しみが込み上げて来たからである。

そして、「今の、お前の頬の痛みは時間が経てば治るが、お前が犯した罪は一生消えないんだよ・・・」ということを、涙ながらに訴えた。

そして、それは同時に、今回健太が起こした問題でも分かるように、いくら肉体的には大人に近づいていても、まだまだ精神的にはまったくな未熟さが残り、物事のよしあしの判断が欠如していることが分かっていたからである。

そのために、このままではまた同じ過ちを犯す可能性が高いと思い、また新たな大きな問題に発展するのを避けるために、義父の新三郎には内緒で愛美と電話で話し合い、親が子供に言い聞かせる手段としては少し手荒いような気もしたが、今度こういった問題を起こした場合には、「いっさい、お父さんもお母さんもお前を手助けすることはしない・・・だから、もしお前が再度こういった問題を起こして警察に捕まったり、学校を停学になるようなことがあっても、お前には悪いがお父さんやお母さんはお前を引き取りに行ったり、学校や警察の呼び出しにも応じないようにするので、そのことだけは十分に肝に銘じておくように・・・」と、いうことを伝えた。


ただ、今回の問題を起こした自分の子供の健太を含めて、その悪友仲間の顔ぶれを見て拓也が親として考えざるを得なかったのは、みんなが一同に父母が離婚して母子家庭の子供だったり、母親が再婚してその新しい父親と親子関係が上手く言っていない子供だったりしたことである。




 
  
 
 





 

 
 

 


~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 15

2008-12-15 20:16:22 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」は、私の妻が38歳という若さで癌(乳がん)にかかり、その癌というとてつもない巨悪な病魔と戦う現実の姿を、ほとんど実話に近い形で書いているものです。それだけに、本作品が本当に人の生きることや命の大切さの意味を訴えているのを、よくみなさんにご理解していただいているのか、本作品が、小説や音楽、ドラマetcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かりました。本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」が、何故?そんなに人の心を魅了し感動を与えるのか!ぜひあなた自身もその目とその心で直接確かめてみてください。


ある日、学校の先生に

母のいない子は 手を上げてと言われ

ほかのクラスの子はみんな 赤い薔薇の花をもらったのに

僕一人だけが 白い薔薇の花をもらった

そんなみんなのお母さんのいる幸せぶりが 子供ごころに悔しくて

“母の日”なんてなけりゃあいいと 暦を恨んで泣いた少年時代


1


(15)

おそらく、息子の健太は義父の新三郎との折り合いが悪かったぶん、どうしても東京の中学に行きたいという意思を貫くために、きちんと新三郎に東京の中学に転校することを納得させるために、自分なりに猛勉強をして義父が納得する、それなりのいい成績を取ったのだろう。

そのかいあって、義父も健太が東京の中学に通うことには何一つ反対することもなく、すんなりと方南町にある区立の泉北中学校に入学することが決まった。

そして、東京に出て来て泉北中学校に通い始めた頃は、これまで一度も一緒に暮らしたこともない姉寿代への遠慮もあり、まるで借りてきた猫でもあるかのように大人しく通学をしていた。

だが、そのときの拓也は一日でも早く家族を東京に呼び戻したいと言う気持ちがあり、少しでも賃金の高い会社で働くことが根底にあったために、知人より紹介された国の外郭団体企業のひとつであり彼の生まれ故郷の種子島の所在県でもある、鹿児島県の国分市にある株式会社鹿児島電脳センターに単身赴任し、その会社の契約社員として働いていた。

そのために、月に一度くらいは上京して帰宅するものの、ほとんど東京にいない生活が続いていた。

そのせいで、健太の東京での生活は、父と母の両親が二人ともいない、伯母との二人暮らしという形だった。

やはり、一番難しい年頃の思春期の少年の生活で、父と母の両親が二人とも揃っていないという生活は、健太を非行に走らせるのには、まったく時間はかからなかった。

そして、健太をその非行に走らせる原因をつくってしまったのが、拓也自身の親としての管理の甘さだった。

それは、健太を非行には走らせる原因になったのが、そもそも毎月拓也が仕事で家にいない代わりに渡しておいた、たかだか十二、三歳の子供に与えて持たせるのには大金の、五万円という生活費だったからである。

これまで、毎月千円や二千円の小遣いしか手にしたことがない、いくら肉体的には一見大人と変わらないくらいに見えても、まだ物事の判別に対してはその良し悪しが付けにくい思春期の子供が、急に五万円もの大金を自由に使えることになると、否が応でもそれがいくら興味本位だとしても、遊びや未成年者は禁止されているタバコや酒などを買うために使われたりするのは分かっていたはずである。

それにもかかわらず、これまで拓也は健太に数回に分けて仕送りしていた生活費を送るのが面倒臭くなり、自ら上京した帰宅時に五万円という大金の生活費を、彼にまとめて手渡しするようにしたのである。


健太が、小学校時代の悪仲間と渋谷のセンター街に遊びに出かけていて、そこでタバコを吸っているのを少年警察補導員に見つかって補導されて、拓也が学校側から呼び出しを受けたのは、ちょうど彼が健太に五万円の生活費を、直接手渡すようになってから二ヵ月後のことだった。




  
 
 



~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 14

2008-12-15 20:15:40 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」は、私の妻が38歳という若さで癌(乳がん)にかかり、その癌というとてつもない巨悪な病魔と戦う現実の姿を、ほとんど実話に近い形で書いているものです。それだけに、本作品が本当に人の生きることや命の大切さの意味を訴えているのを、よくみなさんにご理解していただいているのか、本作品が、小説や音楽、ドラマetcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かりました。本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」が、何故?そんなに人の心を魅了し感動を与えるのか!ぜひあなた自身もその目とその心で直接確かめてみてください。

「家族ってなんだろう?」 そんな疑問に悩み苦しんで 
いつも孤独と不安におののきながら 死ぬことさえも考えた僕だった
だけど、そんな孤独と不安の中で もがき苦しむ僕に優しく手をさしのべて
愛ある温もりと生きる勇気を与えてくれて 僕を救ってくれたのは家族だった
だからもう過去を振り返って 人生の道に立ち止まりメソメソ泣くのはやめよう
だからもう心に鍵を掛けて 今の生活(くらし)から逃げ出すのはやめよう
僕にはこの世で一番 僕を愛してくれる 家族がいるから・・・・・


1


(14)

いくら、“マザー・テレサ”との本の出会いで生きる光明を得たと言っても、いちど狂ってしまった人間の人生の運命が、そう簡単に修正できるはずがなかった。

そして、月日が経つのは早いもので、もうかれこれ家族と離散して暮らすようになってから、三年近くが経っていた。

ただ、家族に見放されて独りぼっちになり、生きることを含めて人生の何もかにも嫌になって、自分が生活していくための仕事でさえ探そうとはせずに、一日中外出することすらも億劫に感じて家の中でゴロゴロしながら、事あるごとに生きることより死ぬことばかりを考えて毎日を送っていたときとは違い、少しずつではあるがすべての物事をポジティブに考えられるようになっていた。

そして、これまでに比べるとかなり規模的に小さい会社で安い給料だったが、つい最近まで親兄弟に迷惑を掛けて、すべての生活の面倒を見てもらっていたものを、きちんとした職が見つかって働けるようになるまでに立ち直れたことで、なんとか一人立して自活できるようにまでにはなっていた。

だが、まだ正直に言って、家族みんなを呼び戻して生活できるような収入を得る身分までには、復帰できていなかった。

そんな中、いくら病気〔乳がん〕とはいえ、自分を見捨てて実家に子供をつれて帰ってしまった、妻の愛美から一通の手紙が届いた。

愛美に対しては、心のどこかに“自分が見捨てられた・・・”という憎しみが、まだ何だかんだとすべてを吹っ切ることが出来ずに残っていたが、でもいざ子供のことになると話は別問題だった。
愛美から来た手紙は、次のような内容のものだった。

大沢拓也様

前略

もう早いもので、家族がばらばらになってくらすようになってから、三年の月日が経ちました。今さら、こういうことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、私も、あなたを一人取り残して実家に帰るときには、正直にいうとかなり悩みました。しかし、父(新三郎)に“病気に一番良くないのは、病気以外の生活面や仕事面のことなどで、必要以外の精神的に圧迫を受けることだ・・・”だと強引に説得されたことと、いつ命を奪われるかもしれない癌という病気への恐怖心から、父の意見に従って実家に帰り、宮崎の大学病院で治療を受けることを決意しました。
ただしかし、私の病気もだいぶ良くなりましたので、今はまた一日でも早く家族みんなが、同じ屋根の下で暮らせるようになるのを願っているのも事実です。その話とは別になりますが、今回突然手紙を書かせてもらったのは、だんだんと健太が年齢と共に、自分自身で物事の判断をするようになった機に、父に反抗的な態度を取るようになったからです。それは、健太に対して “お父さんのように家族も守れないような男になりたくなかったら、地元の中学を出たら、少年自衛隊に入隊して給料を貰いながら、高校に通うのが一番安定している道だから・・・」と言って、自分が自衛隊員だったこともあり、何か事あるごとに強引に説得するようになった父も悪いのですが・・・。そのせいで、今では毎日のように家族中での喧嘩が絶えなくなるし、健太と父の二人の憎しみ合いの間で板ばさみになって、もう私の手ではどうしようもなくなっています。そして、このまま二人の問題を放っておいたら、将来的には健太が父に反抗して、何か悪い道にでも入ってしまうのではないかと思い、心配でたまりません。つきましては、この問題を解決するためには、健太が希望しているように彼をあなたに引き取ってもらって、東京の中学校に通わせる以外に方法がないと思っています。何卒、本件につきましてご理解いただき、健太の将来のためにも、彼の希望を叶えてあげていただきますよう、どうぞよろしくお願いします。
                                                                                                                  草々
                                              平成14年10月25日
                                                                                                             大沢愛里

ただ、いずれにしても現在の拓也一人の手ではどうすることも出来ないのは分っていたために、次女で外資系の一流金融会社で働いているで、次女の寿代に相談するしかなかった。(父の歳三が亡くなったときの葬儀を取り仕切りや、ちょうどそのとき失業中の長女郁恵一家の東京から種子島までの交通費や宿泊費を全額負担し、歳三の葬儀に呼んであげたのもそうだが、今回の愛美たちが彼を見捨てて家を出て行った後の、すべての物事に対してネガティブな考え方しか持つことが出来ずに、精神安定剤(躁鬱)の薬だけに頼って悩み苦しんで、日ごとすさんだ生活を送り続けている彼を、常に励ましてすべての面度を見てくれて、彼が立ち直るきっかけを作ってくれたのも彼女だった。おそらく、そう考えると、もし寿代という姉の存在がなかったら、もう拓也自身がこの世でこうして存在していることがなかったことだけは確かだろう。)

寿代との相談の結果、彼女がこれまで住んでいた1LKのマンションを引き払い、拓也たち家族が住んでいたマンションに移り住み、これまで二家族分支払っていた家賃を切り詰めて、息子の健太を東京の中学校に通わせることが決まった。

そして、寿代が自分の住んでいるマンションを引き払って、拓也たち家族が住んでいるマンションに移り住むことを決意したのには、それ他にはもうひとつの理由があった。
それは、健太が以前のように東京に移り住んで、こっちの中学校に通うことになると、いずれは長女の舞も東京に帰ってくることが予想されたからである。

そうなった場合は、いくら寿代が外資系の一流金融会社で働いていて、それなりの給料を貰っているとはいえ、いずれは拓也がもっと今より大きな会社に就職して高い給料をもらえるようにならない限り、現在の寿代の生活に支障が出て来ることが分かっていたからである。

そうこうしているうち、月日の経つのは早いもので息子の健太が冬休みを利用して、中学受験のための塾に通うために上京することになった。


そのときのことを思いのままに、日記代わりの大学ノートに書いたのが、下記の作品である。


「息子」

ピンポーン。
「あっ!けん坊だ。」
けん坊が帰ってきた。
最初に顔を合わせた瞬間には、どんな顔をして、どんな言葉を掛けてやろうか。
頭の中では、色んな想像を思い巡らし、けん坊を迎える準備をしていたつもりだった。
それがいざ現実になると、つい慌てしまってそう上手くいかないものである。
それもそうかもしれない。
それは、三年ぶりの再開だからだった。
僕が突然リストラされて職を失い、家族が一緒に暮らせなくなってから、もうはや三年の歳月が経っていた。
その間色々なことがあった。
父が死んだ。
妻が病気(乳がん)になった。
家族が家族でなくなった。
僕は僕の非力さを恨んだ。
学歴なさを恨んだ。
社会を恨んだ。
それでも恨みたりずに、四十歳が近い年齢だというのに馬鹿げたことだが、貧しい家に生まれたことまで恨んだ。
僕は泣いた。
暗闇の中で泣いた。
独りぼっちで泣いた。
それは、僕の周囲から昨日まであった、家族の温もりがすべて消えたからである。

―ガチャ・・・―

ドアを開けると、けん坊が立っていた。
十二歳になったけん坊が立っていた。
三年前に分かれたときには、百二十センチそこそこだったけん坊が、百五十センチ超える大男になって立っていた。
親子なのに、年月と時間の空白が、やはりお互いの心のどこかに壁を作るのだろうか?
最初は、三十センチもない距離の間にいるのに、二人とも声を掛けられずに、ただ黙って見つめ合っていた。
一分。二分。三分・・・
「ただいま」けん坊が、笑顔で言ったそのひと言が、これまでの年月と時間を飛び越えて、僕をかつてと同じように父親に戻してくれた。
僕は泣いた。
自分と同じくらいの背丈になった、けん坊を強く抱きしめて泣いた。
ふと顔を見たら、けん坊の目にも涙が光っていた。
―カキーン―
「かんぱ~い」
けん坊が笑ってる。
僕が笑ってる。
冷凍物の寿司と飲み物(ビールとジュース)で祝う、二千円足らずの歓迎会だった。
だけど、今の未だに仕事が決まっていない僕にとっては、これが精一杯のけん坊にしてやれる、ご馳走であり歓迎会だった。
「ごめんね・・・」と、心の中で詫びる。
それでも、けん坊が喜んでくれている。
それでも、けん坊が僕を訪ねて来てくれた。
久しぶりに、僕に家族の温もりを届けてくれた、けん坊に感謝。
パパから”お父さん”と呼ぶようになり、一回り大きくなったけん坊に感激・・・
久しぶりにけん坊と弾む会話の最中に、「ここに、お母さんとお姉ちゃんがいたら、もっとよかったね・・・」という、けん坊の口から何気なく出た言葉が、僕に父親としての責任を、いや人間としての責任を再認識させた。
その瞬間、この“家族”という温もりを手に入れられるのなら、もう過去のプライドなんてどうでもいいと思った。

けん坊が帰る。
まだ薄暗い、人気がない裏道を帰る。
リュックを背負って、一人で帰る。
母と姉が待つ、家族のもとへ帰る。
父が欠けた、家族のもとへ帰る。
僕は黙って、その後姿を見てる。
声も掛けずに、ただ黙って見てる。
あっ、けん坊が振り向いた。
笑った。
手を振った。
僕も思わず、けん坊の釣られるように笑った。
手を振った。
そして、手を振りながら、ふとこの子たちと本当の家族に戻れるのは、いつの日だろうと心に思った・・・・・

 
  
 



~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 13

2008-12-15 20:15:01 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」は、私の妻が38歳という若さで癌(乳がん)にかかり、その癌というとてつもない巨悪な病魔と戦う現実の姿を、ほとんど実話に近い形で書いているものです。それだけに、本作品が本当に人の生きることや命の大切さの意味を訴えているのを、よくみなさんにご理解していただいているのか、本作品が、小説や音楽、ドラマetcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かりました。本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」が、何故?そんなに人の心を魅了し感動を与えるのか!ぜひあなた自身もその目とその心で直接確かめてみてください。

若い季節の悲しみは 誰でも一度は通る道
だから涙かみしめて 明日の笑顔に会いに行こう
君を乗せて今走り出す 青春という名の汽車が
素晴らしい未来へと まだ見ぬ恋人のため
ホラ耳をすませば 幸せの足音が聞こえてくる

1

(13)

拓也は、家族と離散して暮らすようになってからもう一ヶ月以上も経つというのに、まだ仕事ひとつ探そうとせずに、ただ毎日自分が家族の温もりや話し相手も誰もいない部屋に、独りぼっちで取り残されたことの寂しさにから、しだいに姉や友人とさえ会うことさえ億劫になり、一日中外出することもなく、家にゴロゴしていることが多かった。

そのせいで、食事もろくに取らず精神安定剤に頼ることが多くなり、七十二キロあった体重も五十六キロまで減少し、かつての友人や仕事仲間などと合うと、その窶れぶりから人目で病気であるというのが分るほどだった。

そして、逆にその寂しさや苦しみから、いつしか自分があんなに努力して病気(乳がん)の面倒を見てあげたのにもかかわらずに、いくら拓也が会社を首になり今後の生活に不安を感じたとはいえ、まったく彼の話しに耳を貸そうともせずに、さっさと自分のことを見捨てて実家に帰ってしまった、妻の愛美に対して憎しみを抱くようになっていた。

そして、そのあげくの果てには、自分が会社を首になったのも、愛美の病気(乳がん)にかかったせいで、決して自分に非があったわけではないのだと思うようになっていた。

またそればかりではなく、さらにもちろん愛美が相談したからだろうが、まったく拓也の意見を聞こうともせずに無視して、彼女を強引に実家に帰らせた、彼女の父親である荒井新三郎に対しては、愛美以上に憎しみを抱くようになっていた。

いくらどんな理由があったにせよ、いったんそういうふうに気持ちが捩れてしまい、いっさい自分の非を認めようとはせずに、人のせいに自分の過失の責任を転換しだすと、人間の精神構造って不思議なもので、“なんで?自分が自分を見捨てて出て行ったあんな連中のために働かなければいけないのか” と、すべてのことが疑問になって来て、すべての物事に対してネガティブな考え方を持つようになって来る。

そのせいで、最近の拓也はすっかり自分自身の“生きる力”が半減してしまい、常に自分がこれからどうやって生きていくのかということよりも、いつもいっそ死んだほうが色々な悲しみや苦しみごとから開放されて自由になり、ずっと今より精神的にも肉体的にも楽になるのではないかと考えるようになっていた。

そして、そんな気分が強まると、事あるごとに自宅があるマンションの屋上まで行き、その屋上から飛び降りて死のうとは思うものの、いつもその瞬間に父が兄の達夫が電気工事の最中に高圧電線に過って接触して死亡したときに、「達夫、お前は親より早く死ぬなんて、それが親にとって一番の親不孝なんだぞ・・・)」と、兄の顔に自分の顔をくっけて嗚咽していたことが脳裏に浮かび、結局最後には死ぬことが出来ずに部屋に帰るという、そんな馬鹿げた行動を三日に一度は繰り返していた。

そんな、拓也の精神的に病んだ心(躁鬱)を救い、彼に再び“生きる力”を与えて立ち直らせてくれたのが、いつも変わらない姉たち家族の温かい励ましや援助と、ある一冊の本との出会いだった。

その本のタイトルに書かれていた名前こそ、あの「神の愛の宣教者会」の創立者である、“マザー・テレサ”だった。

たまたま、拓也が姉の家に行った帰りに自宅近くの商店街にある本屋を覗くと、ふと一冊の本がまるで後光の光でも放って誘っているかのように、目に留まった。

それが、「マザー・テレサ」の本だった。

彼女のことが書かれている本を、その本屋で立ち読みしたとたん、その日から、「この世の中に、こんなに強くて素晴らしい生き方が出来る人がいるのだ・・・」と、凄い「マザーテレサ」という一人の女性の人生とその生きざまに魅了され、その場に並べてあった彼女に関する本をすべて購入し、その夜から一睡もしないくらい、数多くの彼女に関する本を毎日毎日気でも触れたかのように読みふけった。

その結果、目からうろこが取れたように、その日その日を無理に考え込んだり背伸びしたりしないで生きていければ、それでいいじゃないかという気持ちになり、これまで自分が勝手に思い悩み引きずっていた、すべての重荷から開放されるようになった。


そのときの気持ちを、まったく文字数なんか関係なしに、自分の思いのままに素直に書いのが、下記の作品である。


「愛ってなんですか?」

Mother  人間はどうして傷つけ合うの?
Mother  人間はどうして憎しみ合うの?
Mother  人間にはどうして運命があるの?
もっとみんなが心で語り合い  真実の愛に触れたら
人間はみんな  平和の時間を送れることを知っているのに
人間は今より  笑い合って生きていけることを知っているのに
Mother   あなたの愛ってなんですか?
Mother    あなたの教えってなんですか?
Mother   人間が生きるってなんですか?

僕にはあなたが歩いたその道を  一歩も歩ける自身がないけど
あなたが歩いたその道は  いつも優しさと温もりが溢れていた


Mother  みんな同じ笑顔なのに
Mother  みんな同じ涙なのに
Mother  何故?人間には国境があるのですか?
みんな同じ大切な生命だから  その手を握り合ったら
人間はみんな  心がひとつになれることを分かっているのに
人間は今より   助け合って暮らしていけることを分かっているのに
Mother    あなたの夢ってなんですか?
Mother    あなたの幸せってなんですか?
Mother    人間を愛するってなんですか?


僕にはあなたが歩いたその道を  一歩も歩ける勇気がないけど
あなたが歩いたその道は     いつも笑顔と希望に輝いていた


※僕にはあなたが歩いたその道を  一歩も歩ける自身がないけど
あなたが歩いたその道は  いつも優しさと温もりが溢れていた



1_3 



1a_3


1_5
いよいよ
現在、「
本夢づくり大学」の仕事が本格的に活動をスタートしました。「本夢づくり大学とは?!全国のみなさんが自分は将来こんな仕事に就きたいと思っているとか?こんな商品を作ったのだけどどういうふうにして売り出したらいいのかとか?個人でネットショップを開店したのだけど、お客を増やすのにはどうしたらいいのかとか?そんなみなさんが今悩んでいる夢づくりの実現をお手伝い(有無料)することです。そして、そのみなさんの悩んでいることに対する草案やフロー略図などの提案(無料 / 3日~5日ほどで回答)させてもらい、その内容を気に入っていただきますと、実際の夢づくりための準備の次の段階に進んでいくというシステムです。そして、その内容が現実的に実現した場合には、この仕事に対しては自分でこれくらいの金額を払ってもいいと思うお手伝い金額を、自分自信で決めて支払ってもらうというシステムの、新たなベンチャーコンサルティングビジネスです。

ラブラブ日本夢づくり大学」の詳細内容につきましては、下記のURLをご覧ください。

株式会社東京メディアステーション

http://www2.ocn.ne.jp/~willtown/



1_3


星当関連ブログの紹介

OCNブログ「おとぎのお家」 
http://wildboar.blog.ocn.ne.jp/blog/
 
アメーバーブログ「おとぎのお家と仲間たち」
http://ameblo.jp/phoenix720/
 
ヤブログ「おとぎのお家と愛の家」
http://yaplog.jp/ainoie/


1_3


♪ クリックよろしくね


 
  
 


~青春うたものがたりシリーズ 5 ~「生きる力」 12

2008-12-15 20:14:14 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」は、私の妻が38歳という若さで癌(乳がん)にかかり、その癌というとてつもない巨悪な病魔と戦う現実の姿を、ほとんど実話に近い形で書いているものです。それだけに、本作品が本当に人の生きることや命の大切さの意味を訴えているのを、よくみなさんにご理解していただいているのか、本作品が、小説や音楽、ドラマetcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かりました。本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」が、何故?そんなに人の心を魅了し感動を与えるのか!ぜひあなた自身もその目とその心で直接確かめてみてください。


金より愛や夢が大切だと どんなに綺麗ごとを並べても
人の命を救うのも 人の暮らしを守るのも
金がなければ出来ないことだから
もしかしたら 悲しいことだけど 人の愛や幸せよりも
もしかしたら 寂しいことだけど 人の夢や希望よりも
人生の重さ比較(くら)べてみたら 運命の長さと比較べてみたら
ずっとずっと本当は 金のほうが重いのかもしれないね


1


(12)

癌病棟が同室だったり、自宅が方南町と新高円寺という近かかったりしたこともあり、大東医大を退院後も一緒に買い物や食事などに出掛けたりして、常に公私を問わずに付き合っていた同じ乳がん患者の本間美奈子の死は、愛美に相当ショックを与えたようだった。

それは、ある意味、本間美奈子の死に同じ乳がん同士ということもあり、自分の死を重ね合わせてみたのかもしれない。

今回の本間美奈子の死が、愛美に与えたショックの大きさがどれくらいのものだったのか?それはその後の彼女の行動を見ればすぐに分かった。

大東医大を退院後に、ある雑誌の記事かテレビ番組かなんかで見たと言って、自分が乳がんであるという不安や恐怖心などを取り除くためにやっているという、ある乳がん体験者の女性の話に触発されて、あれほどはりきってやっていたガーデニングも取り止めて部屋に引きこもるようになり、すべて育てていた花や野菜などを枯らしてしまったからである。

確かに今思うと、愛美自信の中に、乳がんの不安や恐怖心を一時の間でも忘れたいという気持ちがあるのは、間違いない事実だろう。

それは、大東医大を退院したその日の直後にもかかわらず、突然帰宅したとたんに拓也か彼女の体調を心配してとめるのも聞かずに、汗だくになって家中の掃除を始めたからである。

ただ、人間の運命には自分では予想も出来ない、計り知れない怖さがあることは事実である。

そして、一度その人生の歯車が狂ってしまうと、もう自分ではどうやっても修正が不可能である確率が高いこともまた事実である。

それは、その体験を拓也自信が自ら遭遇することになったからだった。

そのきっかけは、愛美の乳がんの病気が始まりだったが、拓也が彼女の病気の看護や子供()たちの面倒を見ざるを得なくなって会社を休むことが多くなったのを機に、今度は彼が会社を休んでいるその間に、彼が取り組んでいたプロゼェクトチームの外注先の社長が、その仕事の金をその先の数社の下請け会社に支払わずに、その社長の彼女である中国人の女性が経営するクラブの内装工事の費用に流用していることが発覚したのである。

当初は、そのせいで会社側やその社長の下請け会社から達也自身にも疑いがかかり、彼がその外注先の社長から賄賂を受け取っているのではないかという、よからぬ噂まで立った。

ただ、会社側の調査で達也の賄賂の疑いは晴れたものの、その仕事によって会社側に対して与えた損害が一億円近くにも及ぶ金額だったために、結局彼はその責任を取らされ会社側から自宅待機という処分命令を受けた。

それは、体のいい退職勧告でもあった。

そのことを帰宅して愛美に伝えると、突然彼女の顔色は青ざめて険しさを増し、拓也に涙ながらにこれから先の生活についての不安を訴えた。

それは、彼女にとって自らの乳がんの治療費や、子供たちの養育費のことを考えると、当たり前の話だろう。

それに加えて、抗がん剤の投与の副作用より、悪心嘔吐や脱毛などためにかなり精神状態が不安定になっている彼女にとっては、拓也が会社を首になり収入がなくなったその中で、毎日の生活費のやりくりしながら過ごさなければいけないことは、たぶん拓也が考えている以上にとても耐えられない大きな心の負担なると思えたのだろう。

その結論として、愛美が取った行動は、子供たちをつれて実家に帰ることだった。

義父の荒井新三郎にとっては、自分の娘可愛さからだろうが、その愛美の取った行動によって“そんな自分の家族も養えないような奴のところに、いつまでも娘を置いておくわけにいかない・・・”と、拓也の責任能力がないことを散々ののしったあげく、今すぐ彼に対して離婚届けを出すようにとまで暴言まで吐いて来た。

ただ、これまで自分が会社の仕事よりも愛美の看病を優先してやって来たことや、今回のこの愛美の取った行動については、失礼ながら義父に対して拓也自身にもかなりの言い分はあった。

だが、今さら何を言ってももう後戻りをすることが出来ないことを分かっていたために、この場では義父にひたすら頭を下げて、愛美と子供たちのことを頼むしかなかった。

そして、まだその場では拓也自身も自分がこの先どうなるのかさえ分かっていなかったが、その条件として愛美と子供たちを一年以内に連れ戻しに行くことを約束した。


そして、再び拓也が「家族ってなんだろう?!」と考えるようになったのは、愛美と子供たちが家を去って宮崎(都城)の実家に帰り、ぽっつんと独りぼっちで家族の温もりや話し相手が誰もいない、昨日まであった生活観の何もかにもが消えた、カチカチという柱時計の音だけがやけに大きく反響して聞こえる、氷のように冷め切った部屋の中に取り残されたことだった。



1_3



2_2


音譜書いている本人もビックリするような、大事件が起こりました。それは、現在gooブログ“おとぎのお家と青い鳥”で掲載中の「生きる力」に、昨日1日約1000人近くもの読者が訪れてくれたからです。本作品が、小説や音楽、ドラマ、芸術etcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かっていますが、この場をお借りしてみなさんのご支援に対しまして、心よりお礼を申し上げます。 



1_3



1a_3

1_5
いよいよ
現在、「
本夢づくり大学」の仕事が本格的に活動をスタートしました。「本夢づくり大学とは?!全国のみなさんが自分は将来こんな仕事に就きたいと思っているとか?こんな商品を作ったのだけどどういうふうにして売り出したらいいのかとか?個人でネットショップを開店したのだけど、お客を増やすのにはどうしたらいいのかとか?そんなみなさんが今悩んでいる夢づくりの実現をお手伝い(有無料)することです。そして、そのみなさんの悩んでいることに対する草案やフロー略図などの提案(無料 / 3日~5日ほどで回答)させてもらい、その内容を気に入っていただきますと、実際の夢づくりための準備の次の段階に進んでいくというシステムです。そして、その内容が現実的に実現した場合には、この仕事に対しては自分でこれくらいの金額を払ってもいいと思うお手伝い金額を、自分自信で決めて支払ってもらうというシステムの、新たなベンチャーコンサルティングビジネスです。

ラブラブ日本夢づくり大学」の詳細内容につきましては、下記のURLをご覧ください。

株式会社東京メディアステーション

http://www2.ocn.ne.jp/~willtown/



1_3


♪ クリックよろしくね