今回の~乳がん撲滅キャンペーン特別寄稿作品~の「地球より軽い私の命」は、一般の方はもちろんのこと、アニメや音楽、芸能、スポーツ、出版、家族、学校関係者など多くの方々が、ジャンルを問わずにご覧くださっているようです。さらに、老若男女に関係なく多くの方が、覧くださっているようです。この機会に、ぜひみなさんも今回の~乳がん撲滅キャンペーン~参加していただき、本作品を通じて1人でも多くの方に、この~乳がん撲滅キャンペーン~(「ピンクリボン」キャペーン)の本来の趣旨が伝えられますよう、どうぞご協力をよろしくお願い致します。
~乳がん撲滅「ピンクリボンキャンペーン」特別寄稿作品~
「地球より軽い私の命」 1
人は、自分の命があとわずか1ヶ月で終わると知ったとき、果たして何を考えるのだろうか?
そして、その残された1ヶ月の間に何をやろうと思うのだろうか?
この「地球より軽い私の命」の物語は、“乳がん”がリンパ筋から脳や肝臓に転移し、そのせいでたったわずか22歳の若さで死の現実と直面し生きることを終えた、渋谷の東西デパートに勤めるOLの女性“美咲愛華”が日記帳代わりに1冊の大学ノートに綴った手記を、みなさんに人間の運命が自分の年齢や意思に関係なく、一度狂ってしまうとどんなに悲劇を齎し儚いものなのかを知ってもらい、老若男女に関係なく1人ひとりの“人間の命の尊さ”をもう一度再認識してもうために、ひとつの日記形式のブログ短編作品として纏めたものです。
平成20年5月3日
私、美咲愛華はほんの半年前までは、渋谷の東西デパートに勤める、普通のどこにでもいるような22歳の女性と変わらない、おしゃべり好きで好奇心旺盛のOLだった。
だが、私をこれ以上の人生における苦しみがないというような、大きな悲劇が襲ったのは、ちょうど去年のクリスマスイブの前日だった。
それは、仕事が終わり、彼(中居大輔)にクリスマスプレゼント上げるために、職場の同僚でひとつ年下の後藤明日香と一緒に渋谷駅ハチ公口の北側向かいにある、109の姉妹店である109-2のメンズショップHEROに立ち寄り、ニットセーターを買いに行っているときだった。
突然、何気なく店内の陳列棚に置かれている、ニットセーターを手に取り見ようとしたら、左の腕が上下に動かしづらくなり、左の乳房に激痛が走った。
その瞬間、人間の悪いことが起こる前の直感って凄いもので、「どうしたのだろう?」という、これまでには一度も感じたことがないような不安が脳裏を過ぎった。
だが、その日は明日香が買い物に付き合ってくれていたために、109-2で買い物を終えた後もその場ではそのまま痛みを我慢して、彼女に道玄坂の道路沿いに面してある中華料理店桂花で食事をおごることにした。
ただ、明日香には凄く悪い気がしたが、やはり左の乳房の痛みのことが気になり、いつものように陽気にはしゃいでしゃべる気になれずに、かなり口数が少なかった。
そのせいで、すぐに明日香も私が、かなり体調が悪いことに気付いたようだった。
そのために、明日香も私の体調が悪いことを気遣ってくれて、その日は食事もそこそこに切り上げて、二人とも帰宅することにした。
「美咲さん、大丈夫ですか?かなり、顔色も悪そうですし、お家まで送っていきましょうか・・・」
明日香は、私の体調の悪さを気遣ってくれて、私に家まで送ってあげることを進言したが、もしもまた帰宅途中で何かあった場合、よけい明日香に迷惑を掛けることになるかも知れないと思い、私は彼女のせっかく申し出だったが、「ありがとう。明日香の気持ちだけはいただいておくね・・・」と言って、彼女の好意を無下に断って彼女の気持ち傷つけないようにするために、笑顔でやんわりと断った。
だが、このときまだ愛華自身は左の乳房の痛みが、まさかこの後半年で自分の命を奪うことを警告している、左胸の腫瘤がわきの下のリンパ節を通り越して骨や肝臓に転移して、末期症状の“乳がん”であることを知るよしもなかった。
「地球より軽い私の命」 2
人は、自分の命があとわずか1ヶ月で終わると知ったとき、果たして何を考えるのだろうか?
そして、その残された1ヶ月の間に何をやろうと思うのだろうか?
この「地球より軽い私の命」の物語は、“乳がん”がリンパ筋から脳や肝臓に転移し、そのせいでたったわずか22歳の若さで死の現実と直面し生きることを終えた、渋谷の東西デパートに勤めるOLの女性“美咲愛華”が日記帳代わりに1冊の大学ノートに綴った手記を、みなさんに人間の運命が自分の年齢や意思に関係なく、一度狂ってしまうとどんなに悲劇を齎し儚いものなのかを知ってもらい、老若男女に関係なく1人ひとりの“人間の命の尊さ”をもう一度再認識してもうために、ひとつの日記形式のブログ短編作品として纏めたものです。
平成20年5月3日
私は、JR山手線で渋谷から新宿に出て東京地下鉄(東京メトロ)丸の内線に乗り換え、新宿から自分のアパートがある中野新橋に向った。
中野新橋は、かつては料亭や芸妓のいる町としてよく知られていたが、最近は太田プロやオフィス北野所属のお笑い芸人(ダンカン、井手らっきょ、松村 邦洋など)や、元横綱貴乃花の相撲部屋があることの方が、一般的にはよく知られるようになった。
私は、電車が中野新橋駅に到着し乗り降り用のドアが開くと、すぐに下車して階段を小走りに駆け上がって改札口を出ると、駅と繋る橘商店街を半ば走るようにして大急ぎで通り抜け、自宅(アパート)のある氷川神社のある方向に向った。
私のアパートは、大人の足で普通に駅から歩いて7,8分ほどの、氷川神社の近くの住宅地にあった。
どうして?私がそんなに急いで帰宅しているかというと、やはり左の乳房の痛みのことが気になり、一時でも早く自宅に戻ってその左の乳房の痛みの原因を、自分の手で調べたかったからである。
私は、自宅に帰るとすぐに下着姿になり、痛みのある左乳房のブラジャーの中に右手を入れて、そっと指先でその痛みのある部分を押してみた後、今度は手のひらで左乳房全体をゆっくりと掴んでみた。
そのとたん、私の心臓はドックンドックンと激しく波打ち、暖房を入れていて寒いわけでもないのに、体中に寒気を感じてブルブルと震えだした。
その訳は、ちょうど左乳房の乳輪の下あたりに一円玉くらいの大小の大きさのしこりが、三、四個あったからである。
どうして、今までそれに気付かなかったのか?私は自分でもその理由がハッキリとは分からなかったが、おそらく 生理前になるとしょっちゅう胸が張る感じがあったから、たぶんそのせいで今まではまったく痛みがなかったために、単に胸が硬くなっているのだろうと思っていたのが正解じゃないかと思う。
それより、人間の直感には不可思議なものがあることだけは、理屈を抜きにして確かである。
それは、私はこれまで“乳がん”に対する知識などまったくないはずなのに、左乳房に三、四個のしこりがあると分かったとたん、「もしかしたら・・・私は“乳がん”ではないか・・・」という意識が自然に働き、それが数時間後には事実であることが分かったからである。
だが、このときまだ愛華自身はこの左の乳房のしこりとその痛みが、まさかこの後半年で彼女の命を奪うことを警告している、末期症状の“乳がん”であることを知るよしもなかった。
今日の一口メモ
かつて当ブログで掲載し、現在ヤブログで新たにリニュアルして公開中の、~青春うたものがたりシリーズ1~「風のある町」が、1年近く経った今なお単体の作品として、GoogleやYahooなどの検索サイトで1位になっています。
例えば、Yahooで言いますと、96,000,000数(11月25日現在)という天文学的な数字の中で、1位ということです。
この現実は、いかに本作品が多くの読者のみなさんに愛読されて応援していただいているかの、真の証だと言えるのではないかと思います。
またそれと同時に、当ブログ関連のこれまでの1日の訪問者数5,000人という最高記録を樹立しているのもこの作品ですから、自画自賛になるかもしれませんが、こんな凄い作品を自分が書いたんだと思うと、正直に言いまして大へん感動しますね。
~青春うたものがたりシリーズ 1 ~「風のある町」
/ A town with the wind
--♪ただ、キミを愛してる・・・--
大輝の大学のゼミの最中に、彼の携帯電話の着信音である“中島美嘉の雪の華”教室中に鳴り響き、百合子から愛が急激な体調の異変を起こし、彼女の死を知らせる電話が入ったのは、彼が風のある町に帰ってから3日後のことだった。
「か、亀梨さん、あ、愛が今日の午後1時25分に亡くなりました・・・」
「え、え、えっ!!」
当関連ブログの紹介
OCNブログ「おとぎのお家」
http://wildboar.blog.ocn.ne.jp/blog/
アメーバーブログ「おとぎのお家と仲間たち」
http://ameblo.jp/phoenix720/
ヤブログ「おとぎのお家と愛の家」
http://yaplog.jp/ainoie/