本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」は、私の妻が38歳という若さで癌(乳がん)にかかり、その癌というとてつもない巨悪な病魔と戦う現実の姿を、ほとんど実話に近い形で書いているものです。それだけに、本作品が本当に人の生きることや命の大切さの意味を訴えているのを、よくみなさんにご理解していただいているのか、本作品が、小説や音楽、ドラマetcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かりました。本作品、~青春うたものがたりシリーズ~「生きる力」が、何故?そんなに人の心を魅了し感動を与えるのか!ぜひあなた自身もその目とその心で直接確かめてみてください。
この世には 幸と不幸があると分かっていながら
人はどうして 生れて来るのだろう
命には 死という限りがあると知りながら
人はどうして 生きているのだろう
それが神が与えた 人の道ならば
それが天が与えた 人の運命ならば
誰もがみんな 不幸よりも幸せになりたいから
誰もがみんな 悲しみよりも笑顔でいたいから
明日という日に その答えを探しに行くけれど
人の命に 時間の終わりや運命があるのならば
きっと人にとって一番大切なのは 今日という日をどんなことよりも
大事に生きることだろう・・・・・
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愛美が、十二階にある無菌室から戻って来たのは、乳がんの手術が終わってから三日後のことだった。
そして、その無菌室から戻って来たのをきっかけに、山中医師の病状も落ち着いて来ているし“もう大丈夫だろう・・・”という判断もあり、部屋も十階の個室から七階の同じ乳がん患者が、四人一緒に寝泊りしている大部屋(団体部屋)に移ることになった。
愛美以外のほかの患者三人は、すべて五十代の女性患者だった。
同室になったのは、大阪と四国の愛媛県から山中医師の“神の手”を持つ名医と呼ばれている噂を聞き、彼に乳がんの手術を行ってもらうために、わざわざ家族の反対を押し切ってまで地元の病院での手術を取り止めて、山中医師のいる大都医大までやって来たという、鈴木幸子と青山和子という女性が二人いた。
だが、ただやはり愛美と一番親しくなったのは、自宅が方南町と新高円寺で近いこともあり、方南町の近くの弥生町にある星光病院から、大都医大に移って来た本間美奈子という名前の、五十四歳のスナックを経営している女性だった。
彼女の話によると、都内のある私立病院で乳がんと診断されながら、まったく誰の紹介もない通常の診察だったために、なかなか空ベッドがないことを理由に入院するのを断られて、やっとの思いで弥生町にある星光病院に入院することになったものを、そのときにはもうすでに乳がんであると診断されて一年以上という年月が経っていたために、癌の進行度(悪性度)が愛美と同じ一番が重い五の末期状態であるとのことだった。
そして、さらにそれに加えて本間美奈子にショックを与えたのは、その診断結果からやっとの思いで入院することが叶った星光病院の担当医師に、もう癌の進行度が進みすぎていて、ほとんど手術をしても治る見込みがないことを理由に投薬や放射線での治療を進められたという話だった。
一時は、その担当医の話を聞きあまりのショックから、“死を覚悟”して、その担当医の指示に従うことを決意したものの、やはり時間が経つに連れて自分の中で“もっと生きたていたい”と思う気持ちが強くなり、何かの理由をつけては星光病院を抜け出して、毎日のようにあっちこっちの知り合いに電話をしたり会いに行ったりして必死で頼み込んだ結果、ようやく彼女の“もっと生きたていたい”というその強い信念が天に通じたのか?その一月後くらいに念願が叶い、やっと大都医大にコネのある人物に巡り会えて、その人物の紹介で愛美と同じ大都医大に入院できることが決まったという。
その後、本間美奈子の手術は上手くいき、いつの間に愛美と彼女も “乳がん”という同じ苦しみの中で生きているせいか、抗がん剤の投与の副作用による脱毛用の鬘をどんな髪形のものにするのかとか?吐き気やめまいなどがしたりする度にお互いの背中を擦りあったり、労わりの言葉を掛け合ったりするほどまでに急速に仲良くなり、大都医大に入院して治療を受けているその間ももちろんだが、病院を退院した後も頻繁にお互いの家を行き来したり外で食事をしたりするなどするようになっていた。
ただ、愛美と本間美奈子とのそういった仲も、長くは続かなかった。
それは、十一月の半ば過ぎをきっかけに彼女からの連絡がまったく途絶え、愛美が心配して方々に連絡を取り彼女の行方を捜してみると、“こんな苦しい思いをするのなら、もう絶対にお互いこんな病気(乳がん)に掛からないように注意しないとね・・・”とあれだけ明るく振舞い話していた彼女が、再び乳がんの治療のために大都医大に入院していることが分かったからだった。
愛美も、その事実を知ったとたん、やはり彼女の病気(乳がん)が再発したことが、やはり自分の病気のことと重なり合って、相当のショックを受けたのだろう。
その日を境に、かなり数日間は食欲もなくなり、体調を崩して体重も落ちた。
そして、本間美奈子が亡くなったという話を愛美から聞いたのは、彼女の病気が再発し入院してから三ヵ月後のことだった。
ただ、そのときは、まだ拓也も愛美も自分たちの人生設計が狂いはじめ、一家離散の方向へ向かって進んでいることに、何ひとつとして気付いていいなかった。
書いている本人もビックリするような、大事件が起こりました。それは、現在gooブログ“おとぎのお家と青い鳥”で掲載中の「生きる力」に、昨日1日約1000人近くもの読者が訪れてくれたからです。本作品が、小説や音楽、ドラマ、芸術etcのジャンルを越えて、今凄い多くのみなさんに読まれていることが分かっていますが、この場をお借りしてみなさんのご支援に対しまして、心よりお礼を申し上げます。
いよいよ
本日から、「日本夢づくり大学」の仕事が本格的に活動をスタートします。「日本夢づくり大学」とは?!全国のみなさんが自分は将来こんな仕事に就きたいと思っているとか?こんな商品を作ったのだけどどういうふうにして売り出したらいいのかとか?個人でネットショップを開店したのだけど、お客を増やすのにはどうしたらいいのかとか?そんなみなさんが今悩んでいる夢づくりの実現をお手伝い(有無料)することです。そして、そのみなさんの悩んでいることに対する草案やフロー略図などの提案(無料 / 3日~5日ほどで回答)させてもらい、その内容を気に入っていただきますと、実際の夢づくりための準備の次の段階に進んでいくというシステムです。そして、その内容が現実的に実現した場合には、この仕事に対しては自分でこれくらいの金額を払ってもいいと思うお手伝い金額を、自分自信で決めて支払ってもらうというシステムの、新たなベンチャーコンサルティングビジネスです。
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