確定申告も、漸く8合目迄到達した。あとちょっと・・あとちょっと。。。
日頃の行いが悪いせいか、途中で、涙目になり、鼻水が出て、頭痛となり、眼科、耳鼻科ついでに狭心症後の通院と、ちっとも作業がはかどらない毎日だった。。
でもね、もうちょっとでトンネルから抜け出せると言おうか、富士山の頂上に立てると言おうか、あとちょっとなの。
これが終われば、後は山を下りるだけ。
今年の試算表をしみじみと眺めれば、今年はわが社にとって「苦難の年」になった。
何故なら、夫の急死後、平行線だった売上が今年は低空飛行になった。
夫急死の時、息子はまだ大学生だった。息子を無理やり代表取締役にすげ変えて、事業を継続したのは私だ。息子の意向なぞ知ったこっちゃない。彼しか頼る人がいなかったのだ。
その時から今まで25年間「影となく、日向となく」息子に仕事のノウハウを教えてくれたY君。
彼のおかげで、息子は慣れない仕事もやりこなせて、彼がアドバイスしてくれて、此処まで来たのだ。
その彼が、七夕頃から、声が枯れ始めたんだそうだ。そして、とうとう声が出なくなった。
風邪にしてはおかしい、一度医者に行こうと、近所の町医者に行くと、風邪薬でも出してくれるかと思ったら「わしとこでは無理や」と総合病院を紹介されたらしい。
紹介状を持って、病院へ行き、色んな検査の結果「腎臓がんのステージ4で肝臓と肺にも転移が見られるので、余命半年」と宣告されたのだった。
まだ52歳、早すぎる・・・しかし現実は厳しい。私は彼の若い時しか知らないけれど、結構イケメンでユーモアもあり、人当たりも良く、仕事熱心ないいヤツだ。
先生が手術を勧めたけれど、彼は「もう充分働いた、子供も20歳を超えたし、痛い思いをして、長生きしたくない」とさっさと会社を畳んだ。
となると、息子は「片腕をもがれた」ような状態である。
我々も何か良い道はないものかと鳩首会議をしたが、彼の意思は固かった。医者に「痛みさえ取ってくれたら、ええから」と言って、相当きつい痛み止めを処方してもらったとか。
彼はタバコは吸わない。けど「お酒大好き」(^-^; 朝山陰から帰って、昼から四国へ行き、徹夜で九州迄走るという無茶な仕事をやっていた。
どれもこれも、下請けの悲しさ、上からの提示額が低くてもやらざるを得ない。で、結局僅か50歳ちょっとで体がぶっ壊れてしまったのだ。
そういえば、夫も51歳で亡くなった。彼もワーカーホリックだった。家族の為、従業員の為と入院先に背広を運ばせ病院着と着替えて得意先に行っていた。
お盆の頃医者の強い説得で、漸く気持ちを切り替え、手術に臨んだ。
「腎臓片方摘出、膀胱半分切除、リンパを取れるだけ取る、肺と肝臓に転移したガンは取れないので、放射線で叩く」だったらしい。
予後は私は、よう聞かなんだ・怖かったもの。でも息子が、あんな偉丈夫な0.1トンもあった息子が心配のあまり90kg位になったので「ああ、多分今年一杯かなあ」と、仕事に関係ない私迄具合が悪くなる有様だった。
「年末が命日なんて、キリがええかもな」なんて言ってみたり「いや、それは忙しい最中やし、初荷あたりがええんちゃう?」等と、話して、お陰で今年の正月は、息子と私は高熱でダウン。
この先、わが社はどうなるのだろう?舅が創業し、夫が大きくして、息子と3代に渡る老舗、ちっぽけだけど。
冷えピタを貼って、寝ている私を「どうちたの?」と見つめるフク。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/00/97f42e4f09c4b20cdfd3e6c57a4e7b5a.jpg)
日頃の行いが悪いせいか、途中で、涙目になり、鼻水が出て、頭痛となり、眼科、耳鼻科ついでに狭心症後の通院と、ちっとも作業がはかどらない毎日だった。。
でもね、もうちょっとでトンネルから抜け出せると言おうか、富士山の頂上に立てると言おうか、あとちょっとなの。
これが終われば、後は山を下りるだけ。
今年の試算表をしみじみと眺めれば、今年はわが社にとって「苦難の年」になった。
何故なら、夫の急死後、平行線だった売上が今年は低空飛行になった。
夫急死の時、息子はまだ大学生だった。息子を無理やり代表取締役にすげ変えて、事業を継続したのは私だ。息子の意向なぞ知ったこっちゃない。彼しか頼る人がいなかったのだ。
その時から今まで25年間「影となく、日向となく」息子に仕事のノウハウを教えてくれたY君。
彼のおかげで、息子は慣れない仕事もやりこなせて、彼がアドバイスしてくれて、此処まで来たのだ。
その彼が、七夕頃から、声が枯れ始めたんだそうだ。そして、とうとう声が出なくなった。
風邪にしてはおかしい、一度医者に行こうと、近所の町医者に行くと、風邪薬でも出してくれるかと思ったら「わしとこでは無理や」と総合病院を紹介されたらしい。
紹介状を持って、病院へ行き、色んな検査の結果「腎臓がんのステージ4で肝臓と肺にも転移が見られるので、余命半年」と宣告されたのだった。
まだ52歳、早すぎる・・・しかし現実は厳しい。私は彼の若い時しか知らないけれど、結構イケメンでユーモアもあり、人当たりも良く、仕事熱心ないいヤツだ。
先生が手術を勧めたけれど、彼は「もう充分働いた、子供も20歳を超えたし、痛い思いをして、長生きしたくない」とさっさと会社を畳んだ。
となると、息子は「片腕をもがれた」ような状態である。
我々も何か良い道はないものかと鳩首会議をしたが、彼の意思は固かった。医者に「痛みさえ取ってくれたら、ええから」と言って、相当きつい痛み止めを処方してもらったとか。
彼はタバコは吸わない。けど「お酒大好き」(^-^; 朝山陰から帰って、昼から四国へ行き、徹夜で九州迄走るという無茶な仕事をやっていた。
どれもこれも、下請けの悲しさ、上からの提示額が低くてもやらざるを得ない。で、結局僅か50歳ちょっとで体がぶっ壊れてしまったのだ。
そういえば、夫も51歳で亡くなった。彼もワーカーホリックだった。家族の為、従業員の為と入院先に背広を運ばせ病院着と着替えて得意先に行っていた。
お盆の頃医者の強い説得で、漸く気持ちを切り替え、手術に臨んだ。
「腎臓片方摘出、膀胱半分切除、リンパを取れるだけ取る、肺と肝臓に転移したガンは取れないので、放射線で叩く」だったらしい。
予後は私は、よう聞かなんだ・怖かったもの。でも息子が、あんな偉丈夫な0.1トンもあった息子が心配のあまり90kg位になったので「ああ、多分今年一杯かなあ」と、仕事に関係ない私迄具合が悪くなる有様だった。
「年末が命日なんて、キリがええかもな」なんて言ってみたり「いや、それは忙しい最中やし、初荷あたりがええんちゃう?」等と、話して、お陰で今年の正月は、息子と私は高熱でダウン。
この先、わが社はどうなるのだろう?舅が創業し、夫が大きくして、息子と3代に渡る老舗、ちっぽけだけど。
冷えピタを貼って、寝ている私を「どうちたの?」と見つめるフク。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/00/97f42e4f09c4b20cdfd3e6c57a4e7b5a.jpg)
旦那様51才で亡くなられたんですね~
当時は大変だったでしょうね~
やはり会社を続けていくのは大変なのでしょうね~
ストレスが一番体には悪そうです。
いつもは特定口座源泉徴収ありなので
税金は天引きされるのですが昔からある
半端の株が一般口座なのですが
去年TOBと言うのにあって売らないといけないことになり。
その分だけ確定申告しないといけません。
めんどくさ~
恩義ある方の病気、奇跡が起ってくれると良いですね~
社長が入院なんて、得意先に知れると受注が無くなると、点滴後こっそり得意先に行ってました。
頑固な人でしたから、私の話なんて聞く人じゃなかったので、ハラハラしながらも、後を連いて行き、後始末してました。
Y君も「一人親方」ですから、さっさと「インヴォイス」も抹消、後は「座してその日を待つだけ」なんて笑ってたらしいんですが、週1の放射線治療が良く効いているとかで、今も痩せてはいるものの、元気だそうです。
でもインヴォイスも抹消して、会社もたたんだので、戻る所がないと、頭を抱えているとか。
我々零細事業主は多かれ少なかれ「明日は我が身」の人多いです。本当にC国の留学生にカネつこてる場合じゃないと思うんですがね。
あちゃ、一般口座なんですか。税務署に行く事そのものがイヤなのに、ついでに「オカネ払って帰る」んですからね、二重にむかつきますね(; ・`д・´)