
朝降っていた雨も午後には漸く上がってきた

街からの帰り道そこここに合歓の木の花が咲いていた 昔当地では泳ぎ始めに合歓の木の枝を口にくわえて
泳いだという 安全祈願のオマジナイだろうか
朝の会話は「イノシシに遣られんかった?」で始まる。
昨日今日と街まで出掛けてきたが車を走らせて4~5分のところで昨日は2匹今日は4匹
うり坊に遭遇した 車に気が付いて慌てて道路を渡っていたが先日生協が配送に来た折り
大人のイノシシに出遭ったという。
春先のハクビシンからイノシシに取って代られた。
「食べ物無いのにどうしてくるの-」と独り言 どうも土を掘り起こしてミミズや蛇や作物を食べているようだ。
5~6年前迄は今頃の時季になると蛇を見掛けた このところメッキリ見なくなった。
マムシも生息している地域なので イノシシとマムシを天秤に掛ければカボチャを食べられる方が
未だ良いかも知れない 其れよりも真剣に電気柵での対策を考えねばと思っている。
作っても食べられるその繰り返しをここ何年もやって来た。
心も萎えかけてしまいそうになるけれど萎える前に決行しよう。
あわよくばスイカもサツマイモも植えられるかも知れない。
ミカン農家の友人の山は電気柵の中にイノシシが住んでいる 広い山の中見つけ出すのは大変のようだ。
電気柵を設置した際柵の中のイノシシを知らずにいたためで食べるに任せているという。
半島のミカン山は海から石を人の手で運んで石垣を作り土地の少ない海岸線を段畑に変えた。
段畑に木が植えられ潮風と太陽を浴びながら甘いミカンを育て貧しかった先人達の苦労が
今この地に生きる人達の幸せを築いてくれたのだ。
土地に根付いた先人の思いは今でも脈々と受け継がれている。
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