段畑 PCからの画像が見にくいです悪しからず
耕して天に至る と言われた
「ブラタモリ」が来ましたよ
「ブラタモリ」が街にやって来た。
どの様に我が街を紹介してくれるのか大いに関心があった。
「ギザギザは宇和島に何をもたらせたの?」という副題で形容していたが
そう言えば半島の先まで続くリアス式海岸
山が海まで迫っている平地の少ない街をどの様に発展させたのか興味津々だった。
川の少ない宇和島は人工的に山から海に流れ出るように2本の川を造りその堆積物で
土地を広げていった その為に道路に高低差を付けた方法が城下町の発展へと繋がっていき
今でも名残として微妙に高低差が残っている。
仙台伊達藩との繋がりは深く伊達政宗の長男秀宗が宇和島藩の初代藩主になり
興味深いことに仙台の笹かまぼこと宇和島のじゃこ天は魚のすり身という繋がりを感じる。
宇和島城は三方を山に囲まれ海に開けたお城で現存の天守12の1つになっている。
造りは5角形で敵に4角形と錯覚させるという城の造りで藤堂高虎によって造られ後に高虎は大阪城を造っている。
様々なギザギザが街の発展へと繋がって興味深く観ていた 何にも無い街だけど
先人達の知恵と工夫で街の発展へと繋がったことは捨てたものでは無い街だという事か。
むかし宇和島の闘牛場に行ったことがありましたが、段畑が闘牛場の起源だったのですね。ローマの人達のように闘牛を楽しんだ宇和島の人達は、地の利に恵まれ、先見の明があったということでしょうか。
闘牛場は自然の傾斜を利用して造られていましたね。
今は立派な闘牛場が出来ましたが。
取り上げるかしらと思っていたのが
市内に穂積橋という橋がありますが日本最初の法学博士で
碑を建てたいと申し出ましたら「銅像になって仰がれるよりも
老若男女万人の渡るる橋になりたい」と近代日本の司法の礎を築いた穂積陣重です。
大津事件を裁き司法権の独立を維持し「護法の神様」と言われた児島惟謙
鉄道唱歌の作者大和田建樹等沢山輩出しております。
明治維新に前後 活躍した人達が沢山おります・・です。
側室の子を可愛がった結果がアレとは。
しかし、段々畑の規模が違う!
こちらにも段々畑は有りますが、島に
築いていたり山間部だったりで、
ここまで広くないんです。凄いわw
宇和島、もう四半世紀ほど行ってない。
また行きたいところの1つ。
番組表も滅多に見ないので、ちょっと気が付くのが遅かったのですが「みました」
宇和島の闘牛、伊達様のお話等も通っていた酒場で聞いていたので「ウン? 」と反応したわけです。
あんなに段々なんですね~、ほんとギザギザ。
「再放送があるかもな~っ、そしたらちゃんと観なくっちゃ」と思っていますが、また観逃がすのかも…デス。
ものの本によりますと当地には吉田藩が最初にやって来たそうで
宇和島藩と吉田藩に分割された地図を見ていますと成る程と思いました。
財政立て直しの為政宗の命を受け秀宗の家老として仙台藩から山家清兵衛を連れてきましたが
後に秀宗の命により一族殺害される事件があり次々に起こる災いに山家清兵衛の祟りをおそれ和霊神社で手厚く祀られるようになりました。
時を経て今 7月22~24日の夏祭り「和霊様」は盛大に行なわれるようになりました。
段畑は海から石を担いで畑を造りました
よくぞ造ったものと先人の苦労が忍ばれます。
明治維新前の宇和島は面白いところだったろうと思います。
司馬遼太郎の街道を行くなどからも当時の様子が見て取れます。
夜明け前の日本 宇和島の地で多くの若者が語り合ったと
私の好きな高野長英も大村益次郎も皆宇和島におりました。
NHK プラスで再放送が観られますよ。