6時49分日が昇っていました
スナップエンドウが実を付けていました
プラムの樹が伸び放題です
久し振りに施設に入所している義母サヨコさんを見舞ったのです。
コロナ感染者が出るたびに面会が叶わず長い間面会中止が続いていました。
施設からのお知らせで面会室が設置されたとのお手紙を頂き
面会予約をして昨日会ってきたのです。
陰圧装置の面会室でクリーンパーテーション越しの10分間の面会は
あっという間でした 覚えているかしらと少々不安を抱きながらの面会
「お姉ちゃん来てくれたの?」以前は名前を呼んでくれていましたが
お姉ちゃんに 夫はお兄ちゃんになっていました。
開口一番「連れに来てくれたの?」この言葉が一番辛いのです。
サヨコさんは寝たきりの状態 白旗を挙げた私 一緒に帰ろうねとはどうしても言えませんでした。
不器用な私は共倒れが目に見えています 生まれ育った故郷が恋しいのでしょう。
心を鬼にして「また来ます元気でね」と毎回重たい気持ちを引きずって施設を後にするのでした。
連日の北朝鮮のミサイル発射
飢えに苦しむ国民をよそにミサイルを発射し続ける北の独裁者
愚かな独裁者は武器を振りかざし何処の向かおうとしているのか
拉致被害者の行く末を案じるのです。
澤地久枝さんは 戦争という手段によって人間が得るものは何もないと
たとえ勝って領土を得たとしてもその時に死んでいった大勢の命を考えたら虚しいと
遺族がどんなに苦労をするのかを先の大戦で経験した私たちは
おびただしい例で知っているはずとも
気を付けないといけないのはプーチン大統領を悪だと思う気持ちが
ロシアが悪いにすり変わってしまうことと
戦争の悲惨さを身をもって体験した彼女だからこそ戦争反対の意思を
後世に伝えることが義務だと考えているのです。
彼女の発する言葉の一言に意味があり重みがあり
戦争に向かう世の中を決して作ってはならないという事を肝に銘じています。
そちらの春の勢いはすごいですね✨
義母さんはおいくつですか?自宅に帰りたいでしょうね。認知症ですか?その上寝たきりでは家庭で世話するとなるととても大変な事ですよね、預ける事ができるだけで幸せです。
面会ができるようになったのですね。良かったですね。
我が家はまだ介護2ですけど。農作業始まったら施設に預ける事にしました。本人が行くと言ってくれました。😊
今日は花散らしの風が吹いて山桜の花弁の絨毯が出来ていますよ。
雪解けは進んでいますか?
忙しい季節がやてきますね
義母は6月が来ますと97歳になります。元気だったのですが骨折手術リハビリを繰り返し寝たきりになってしまいました。
介護4でしたが今は認定が厳しくなり介護3です。
コロナ禍面会も限られて認知症も少しずつ進んでいるように思われます。
本人の希望に沿ってあげたいのは山々ですが
冷たいようですが私は白旗を挙げたのです。
お義母様ご一緒でしたかー。
昨夜から5時迄は台風並みの風でした ゴミ出しに行く道にはタキロン波板の欠片が散乱していたが、我が家のもあるかも
義母サヨコさんは久し振りです
10分でも面会が出来て安堵と連れて帰っては胸をえぐられる思いは体験があります
こちらの義母は遠隔の地で独居老人でした 海が見える環境から認知症が進み、危険な所で転倒が重なり、向こうの社協の方が私共に近い施設へ送り出してくれました
施設の個室、他人とすぐに顔を突き合わす環境、自由に散歩も出来ず望郷の念から、面会に行けば一緒に連れて帰って
家内はその言葉で会うのが辛い
利用者さんとも上手く行かず、気持が荒むと施設から電話、、
週に2回くらい行ってましたがふとお昼ごはんを食べさせに連れ帰りはどうでしょう?
施設も快諾して週一のペースでした 暖かい時候は良いが12月から風邪が流行ると外出しにくく、ノロウイルスの危惧もあるから外出は春先からです
家内が大好きな義母さんは連れ帰りを喜び煮魚の昼食は私が用意 2年目は週2回から最高4回の記録もありました 家族の中には事情があり、月一も来れない利用者も居て義母は羨ましがられ、出来るときの孝行が一番行えました やがて冬になり外出出来なくなり、転倒して骨節、手術、歩行不能に、、
車椅子になると施設は面倒を見られないと、退出を求めます
3ヶ月かかり他の施設に入所できる迄は病院に頼み、施設探し
新しい施設になると、歩けないのに動いて転落して電話が、、
環境に馴染めないストレスから再度我が家の昼食を開始
車椅子で運び、半年間は連れ帰ります 血糖値が高いから施設の食事を言われ、私の連れ帰りは止めます
情緒が不安定になると暴言も出始め家内は辛いと私のみの面会の時期もありました
今日が最後かも知れない、、
そんな危機意識で面会に行ってた事もあります、、
連れて帰っての言葉は胸を裂くような気持ちも分かります
でも、チャンスがあれば面会の回数を重ねると、後から考えると よく行って上げた得心になります 義母の施設には我が母も入り、二人の母親に寄り添いました
今日のコメントは読まれたら隠して下さいませね
気になっていた面会が出来て 10分という短い時間ではありましたが
私の気持ちが落ち着きました。
義母と暮らした40年近く葛藤もありました。気の強い義母でしたが身体の衰えとともに其れも何処かにかくれ
弱っていく身に優しくありたいと思ったのも事実でした。
長男が代々家を守ってきましたので何れは親を看るものと思っていました。
ひな壇に建つ我が家は坂道の途中にあり
老いた身には不便で車いすの義母には尚更です。
私の体重より重い義母を背負うことも車椅子で押すことも叶わなくなりました。
足の悪い夫には頼れないのが現状です。
コロナで疎遠になっている面会が認知症を進ませてしまっています。
ひじきの煮物が食べたいという義母
解禁になったら沢山持ってくるからね
と時間間際の会話でした。
後悔しないように会いに行こうと思いました。
釣志さんのような事は出来ませんが心に止めおきたいと思いました有難うございました。