二十一世紀最初の戯曲集 | |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |
2011/7/28
普通に考えれば、実在の人物を題材にするのと同じような理由。
世相を反映することで、閉塞的な一人芝居を脱却できる。
ただ、智恵子にとって、高村光太郎が天皇だったかというと、やっぱりピンとこない。
こういう比喩よりも、ありふれた痴話話に埋もれていく男女の関係のほうが読者としては、はるかに「近く」感じる。
「ああ、あるある。こういうパターン。芸術家でも、一昔前の人でも変わらないよね」という感じ。
それで十分の話だと思うんだけど、これだけじゃ都合が悪かったのかな。やっぱりよくわからない。
なにか「教訓的」な要素を入れなきゃいけない事情でもあったのかなと、うがった見方をしてしまう。
映像で見てもよくわからなかった。何かいい解釈があったら、教えてほしい。
また、実際の世の中ではそんなに「あるある」ではないけど、狂うのは一人芝居における定石。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます