病院の受付で待っていると、受診を待つ人の名前がひっきりなしに聞こえてくる。
他には、医師を呼ぶアナウンスや、病院のお知らせなども、時折聞こえてくる。
私はふと思った。これらの音声情報を同道したろう者に伝えなくてよいのかと。
まれには、付近を通過する救急車や、選挙時には宣伝カー、右翼の街宣車の音も。
こういった、どうでもいい?音は聞こえなくてもいいのか?
だが、音声情報ととらえた場合、時には有用な情報である場合もあるだろう。
最悪の場合、そのアナウンスを聞かなかったために、災難から逃げ遅れたり、
不都合な目に会ったり、TPOに外れてしまったりする結果、不利益を受けたり。
我々聞こえる者は、好むと好まざるとにかかわらず、聴力に応じて聞いている。
音声は、聴覚の特性により、聞こえないふり(実際に聞こえない)もできるし、
「うるさいな」とか「あぁ選挙が始まったか」などと、思いめぐらすこともある。
ろう者は、そのような雑音が聞こえてこないから、「かえって良いだろう」などと、
いい加減な評論をする人もいる。
ひどい騒音が常時鳴り響く工場では、「ろう者にはかえってふさわしい」などと、
わかったようなことを言う人も結構いる。
ろう者、聴覚障害者といっても、聞こえの程度は個人差がある。
耳鳴りのように、ただ「がぁがぁ」と聞こえて、とてもつらいという人もいる。
聞こえる人は、あの機械があんな音を出している、音が変わったから故障か?、
などと判断の材料にしたり、音源がわかるので、そのうち聞こえなる場合もある。
若いころ線路のそばに住んでいた父は、慣れると聞こえなくなったと言っていた。
また、私のうちは鉄道一家だったので、踏切の音を懐かしく聞く耳を持っているし、
長い開かずの踏切で待っていても、貨物の入れ替えをしているのだから仕方がないと、
子どもの頃まったく気にならなかった経験がある。
以上のことを踏まえると、受付嬢が名前を呼ぶ声も、伝えることはありではないか。
そんなことを、ふと思った。
例えば、顔は見えなかったが、「~さん」と呼んでいるのを聞いて、ふと目をあげる。
知人の「~さん」とわかり挨拶をしたり、却って知らないふりをした方が良かったり。
当人は、別に名前など聞かなくてもよいと思っているかもしれない。
通訳がいない場合、受付の人に手招きなどで読んでくれるよう頼むことが多い。
大きな病院では、表示板に呼び出し番号が出て便利になったが、居眠りをしたら?
車内や駅などでは、急停車の説明や遅延のお知らせなどが聞こえてくる。
最近は、次の発車の時刻表示の下に「遅延情報」が流れるようになって便利だが、
すべてのアナウンス内容を知ることはできない。
私がそばにいるときは、すかさず手話で伝えることになる。
昔は、来ない電車を延々と待っていた、などという経験談を手話サークルで聞いた。
例会などで、写真やビデオを撮っているろう者がスタートに遅れると、怒り出したり、
後ろから自転車が来ると声をかけても、聞こえないと、不快感を表わす指導者もいた。
ろう者を取り巻く状況は、何回かの手話ブームを経ても、こんな状態である。