悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

聞こえること聞こえないこと

2019-11-23 13:03:33 | 手話

病院の受付で待っていると、受診を待つ人の名前がひっきりなしに聞こえてくる。
他には、医師を呼ぶアナウンスや、病院のお知らせなども、時折聞こえてくる。

私はふと思った。これらの音声情報を同道したろう者に伝えなくてよいのかと。

まれには、付近を通過する救急車や、選挙時には宣伝カー、右翼の街宣車の音も。
こういった、どうでもいい?音は聞こえなくてもいいのか?
だが、音声情報ととらえた場合、時には有用な情報である場合もあるだろう。
最悪の場合、そのアナウンスを聞かなかったために、災難から逃げ遅れたり、
不都合な目に会ったり、TPOに外れてしまったりする結果、不利益を受けたり。

我々聞こえる者は、好むと好まざるとにかかわらず、聴力に応じて聞いている。
音声は、聴覚の特性により、聞こえないふり(実際に聞こえない)もできるし、
「うるさいな」とか「あぁ選挙が始まったか」などと、思いめぐらすこともある。
ろう者は、そのような雑音が聞こえてこないから、「かえって良いだろう」などと、
いい加減な評論をする人もいる。
ひどい騒音が常時鳴り響く工場では、「ろう者にはかえってふさわしい」などと、
わかったようなことを言う人も結構いる。

ろう者、聴覚障害者といっても、聞こえの程度は個人差がある。
耳鳴りのように、ただ「がぁがぁ」と聞こえて、とてもつらいという人もいる。
聞こえる人は、あの機械があんな音を出している、音が変わったから故障か?、
などと判断の材料にしたり、音源がわかるので、そのうち聞こえなる場合もある。
若いころ線路のそばに住んでいた父は、慣れると聞こえなくなったと言っていた。
また、私のうちは鉄道一家だったので、踏切の音を懐かしく聞く耳を持っているし、
長い開かずの踏切で待っていても、貨物の入れ替えをしているのだから仕方がないと、
子どもの頃まったく気にならなかった経験がある。

以上のことを踏まえると、受付嬢が名前を呼ぶ声も、伝えることはありではないか。
そんなことを、ふと思った。

例えば、顔は見えなかったが、「~さん」と呼んでいるのを聞いて、ふと目をあげる。
知人の「~さん」とわかり挨拶をしたり、却って知らないふりをした方が良かったり。
当人は、別に名前など聞かなくてもよいと思っているかもしれない。
通訳がいない場合、受付の人に手招きなどで読んでくれるよう頼むことが多い。
大きな病院では、表示板に呼び出し番号が出て便利になったが、居眠りをしたら?

車内や駅などでは、急停車の説明や遅延のお知らせなどが聞こえてくる。
最近は、次の発車の時刻表示の下に「遅延情報」が流れるようになって便利だが、
すべてのアナウンス内容を知ることはできない。
私がそばにいるときは、すかさず手話で伝えることになる。
昔は、来ない電車を延々と待っていた、などという経験談を手話サークルで聞いた。

例会などで、写真やビデオを撮っているろう者がスタートに遅れると、怒り出したり、
後ろから自転車が来ると声をかけても、聞こえないと、不快感を表わす指導者もいた。

ろう者を取り巻く状況は、何回かの手話ブームを経ても、こんな状態である。


名付け親?

2019-07-20 20:51:25 | 手話

今日の例会の地は北茨城市、まさに茨城県の端から端への移動。
その昔、水戸周辺のろう者は、古河を表すのに「しっぽ」のしぐさをしていた。
聞こえる知人から、茨城県は犬の形をしていると最近になって聞いた。
それによると、古河は「しっぽ」の位置にあたる。
「それでか!」と思ったものだ。
40年以上前の話である。「古河」の手話が「しっぽ」ではあんまりではないかと思い、
その時私が提案した表現が「古い・河」で「古河」であった。
それがもとで「古河」の手話が定着したと思っているが、どうだろうか?


大津港駅

五浦岬公園から六角堂を臨む

GPSソフトは誤作動か、操作ミスがあったようだ。
   


手話通訳

2019-06-27 18:59:59 | 手話

ろうの知人に頼まれ、診察時の手話通訳として、ある病院に行った。
予約時間を待っていると、知り合いのろう者が派遣通訳者を伴って受付に姿を見せた。
簡単な挨拶だけしてそれぞれに分かれた。私は未登録なのでめったに手話通訳はしない。
本来は、通訳者として登録し、それなりに研鑽をしなければならない。
30年近いブランクがあるし、今更地域の手話サークルに通うのもしんどい。
登録すれば、通訳依頼がきて、土日に多いウォーキングへも出かけにくくなる。
30年前、それも理由の一つとして、手話奉仕員(旧制度)の登録を取りやめた。
10年ほどやってみて、手話通訳はかなり難しい業務であり、精神的にも負担がある。
不可能ではないにしても、後期高齢者がこれから取り組むべき仕事ではないだろう。

今日会った通訳者は、かなり以前から知っている人で、私が最も信頼している人である。
私のつまらない手話指導を早めに切り上げ、地元のろう者から直に手話を習う道を選んだ。
その後、そのろう者の話を聞きたいという、地元の教育委員会からの依頼があった。
「ろう者の子育ての苦労」を学校の保護者会で話してほしいというものだったそうだ。
それは、ろう者が直接手話で語るのではなく、通訳者が語る添え物としての位置づけだった。
教育委員会では、障害者を前面に出すと、「さらし者」のようで、望ましくないと言う見解。
その人は、手話を学び始めたばかりの自分が語るのではなく、ろう者が手話で語るのを、
伝える立場に徹したいと、やりあったそうである。準備にはかなり時間をかけたと聞いた。
この話を後日聞いた時、この人は信頼できる人だと思った。
それで、私が職場で手話通訳を必要としたときは、その人を依頼するようにした。
手話通訳の指導者を紹介してほしいという依頼がいくつかあったが、その人に話を振った。
その人は、もう30年以上手話にかかわっている。私とは雲泥の差、月とすっぽんである。

今日はわりに楽に歩く決心がついた。




  
今日は握りを持ってこなかった。家に帰ってから腹が減って困った。


「令和」の手話~その後

2019-04-26 21:04:59 | 手話

「令和」の手話は、その後どのような受け止め方をされているか調べてみた。
ろうの知人が「バカ」と言う手話に似ている。反響が心配だと言っていたので、
そのあたりが気になっていたのだが、今のところ杞憂であったようだ。

むしろ、「手話かぶり?」と「誤訳?」が話題になっていた。
「手話かぶり」とは、下記の画像のような状況をさす

これは、NHKのうっかりミスだろうが、「手話が邪魔だ」とか「NHKはけしからん」
などの反応があった。<このように手話を別画像で入れることを「ワイプ」という>

ニュースその他の情報番組に手話通訳を入れること自体が、浅い歴史しかない。
官邸の会見に手話を入れるのは、2011年の東日本大震災からということだ。
生放送に、ワイプ位置の調整を考慮して画像(手話)を入れることが、そもそも難しい。
手話通訳者は官房長官の、向かって左にいる。

手話通訳者は、かぶっていることを知らない。それでも敢えて「こちらです」と表現
しているのは素晴らしいという意見もあった。<右手で表現している>

また、手話通訳の原則~話者の口元と手話通訳を同時に見ることができる位置に立つ。
ろう者は、常時ではないが、話者の口元も見ながら手話を同時に見ている。その場合、
話者が「きれい」と言い、通訳が「ぶす」と表現しても、気がつく可能性がある。
聾学校では口の形を読み取るよう指導するが、同音異義語が多いので、苦労する。
「たばこ」「なまこ」は、口の形が同じなので、口の形だけでは読み取れないことを
考えてほしい。

本来は、手話通訳者は話者のすぐ隣に立ち、額を掲げた時はすかさず位置を変える。
すぐ脇にいれば、そんな対応ができる。
その原則を軽視して、ワイプで対応している現状にこそ、問題がある。

「天皇」が喋った時に、隣に手話通訳が立つということが可能になった頃には、
「天皇制」は廃止しよう、という状況に民意が傾く兆しがでてくると思う。
そんな状況は、どれだけ民度が上がった暁に可能となるのだろうか?

次が「誤訳?」
下の画像で、手話通訳者は指文字で「め」と表している。この後に「い」「わ」と表現。
つまり、「めいわ(明和?)」と表現している。

ここには、先の「かぶり」とは別の、大きな問題を抱えている。
新元号は、極秘とされてきた。ごく一部の関係者しか知らない。
だが、この文字を書いた人には知らされている。
知らせなければ「書けない」ので、これは当然視されている。
ならば、手話通訳者にも知らせるべきではないか、という課題も議論されるべきである。
「令和」の手話があれば、すぐに表現できる。極秘だから、まだできていない。
手話通訳者に知らされていれば「れいわ」と指文字で表現していただろう。
だが、官房長官の言葉は、「めいわ」と聞こえた人が多かったのも話題になったらしい。
当然(たぶん)、手話通訳者は聞こえたまま、「めいわ」と表現した。

聞き間違いということもあるし、聞こえない場合も想定できる。

以前、選挙の立ち会い演説会での手話通訳を見たことがある。
ヤジがひどくて、弁士の声が聞こえないため手話通訳が頻繁に通訳停止状態となっていた。
あぁ、手話通訳がかわいそうと思った。。
後で、選挙管理委員会に「弁士の声が聞こえるようヘッドフォン」を使わせたらと進言したが、
実現されなかった。1983年、公職選挙法の改正で演説会は廃止された

自分の手話通訳経験でも、話者の発音が悪かったり、周囲の音がうるさくて、
話者の声が聞き取りにくいことがけっこう頻繁にあった。

これは、上記の問題とは別だが、以前所属していたウォーキングクラブの例会で、出発式、
昼食後の連絡事項を、常時手話通訳していた。当時、ろう者が数人参加していた。
だが、手話通訳(私)が位置に付く前に話し始めることが多く、「ちょっと待って」と、
私が、さえぎることが多かった。何度伝えても、なかなか理解されなかった。
私がトイレに行っていたり、別の作業をしている時に、スタッフが勝手にしゃべり出す、
という状況を想像してほしい。
これなども、ろう者の情報(聞こえ)の保障という問題をはらんでいる。

ぜひ、「令和」が「明和」とならないよう、聞こえる人すべてに考えてほしい。


冷や汗の手話読み取り

2017-09-25 21:27:33 | 手話

母のおやつが済み、さて、片づけようかと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」と返事をしても反応がない。そんな時は9割方知人のろう者とわかる。

私にとって、もっとも手話の読めない○○さんで、ウォーキング大会参加の件だった。
自分で申し込んだが、受付済の内容に疑問があり、連絡をとってほしいということだった。
私も参加予定の「しまなみ海道W」だった。今回は人任せにしたので、詳細がわからず、
ネットでチラシを確認し、何が不都合なのか了解するまでにかなり時間がかかった。
内容を掴むのに時間がかかったのは、○○さんの手話が読めないことが1番の理由である。
なぜ読めないのか、説明は難しい。
40年来の付き合いであるのに読めないのは、たぶん「日本手話」なのだろう。
本来のろう者が使う手話を「日本手話」といい、手話独特の文法構造をもっている。
私たちが使うのは、日本語の文脈に沿って手話を並べる「日本語対応手話」である。
多くのろう者は、日本語の文脈に沿って表現し、未熟なボランティアに合わせてくれる。
だが、○○さんは、「日本語対応手話」しかできない相手に合わせようとはしてくれない。
そこで、「わからない」を連発すると、「手話が下手で申し訳ない」と言うのが常である。
○○さんの家族が傍にいると、その手話を、私にわかるように通訳してくれる。
○○さんに、「手話が下手で申し訳ない」と言われると、私は、却って恥ずかしくなる。
○○さんは本来の手話を使っているのに、私が下手だから読み取れないのが実情だと思う。

状況をやっとの思いで掴んだ私は、実行委員会と近畿日本ツーリストに連絡をし、
疑問点を確認し、双方に伝えることができた。

私も参加予定である旨伝えたことに対し、一緒のツアーにしたかった言われたときは、
私にも一端の責任があるかなと、思い返したことであった。

  


日本手話

2017-06-15 21:59:18 | 手話

13日に借りたCD『楢山節考』はパソコンに取り込んであるので、本日返しに行った。
次に借りたのは、藤沢周平のCD『驟り雨/朝焼け』という短編。朗読は柳家小三治。
知っている落語家だったので、どんな朗読をするのか心配したが、上手に読んでいた。

立川談志の落語CDも借りた。彼は横柄な印象を持っているので好きではないのだが、
名人とも言われているので、聴いてみたくなり借りてきた。

最後に「綾小路きみまろ」。軽いお笑い、嫌いではない。面白いが、連続で聴くと飽きる。

本も出してくれたので、あれっと思った。昨日予約した、初歩の手話テキストだった。
初歩ではあるが、いわゆる「日本手話」を使って解説している。
私が覚えた「日本語対応手話」とかなり違う表現をするので、けっこう難しい。

「日本手話」は、「伝統的手話」とも言われ、ろう者が通常使う手話で、文法が違う。
「日本手話」を使う人たちは、独自の文法を持つ言語的少数者であるという自覚があり、
このろう者独特の手話で教育できる教師を育て、聾学校でも「日本手話」で授業をして
ほしいと願っている。

私もそうであるが、ろう者同士で会話しているのを、完全に読み取れる教師は少ない。
ろう学校のほとんどの教師は、つい最近まで手話を使わずに授業をしていた。
最近でこそ、補助的に手話を取り入れて授業を行なっているが、「日本語対応手話」
なので、ろう児には十分に伝わらない。その結果、授業を理解できず、日本語の
習得も不十分になる、という主張がある。

わたしは、「日本手話」を読み取れないが、彼らの主張には同意できる。
「日本手話」は、日本語とは文法が違うので、外国語に近いと理解したほうが良い。
下の例は、簡単な語順の違いを示す程度の解説だが、もっとわかりにくい例もある。

手話の語順の違いだけでなく、表情、口の形(パピプペポの形)を付け加えて、
現在形、過去形などの時制や、強調、感情を表したり、眉の動き、身体の移動
(前に乗り出したり、後へ引いたり)なども使われる。
これらは、地域の講習会ではなかなか学べない。意識的な指導者の下で学ぶか、
日々の交流を積み重ねる中で理解していくしかないので、難しいのである。

先のつくば国際2日目に、急遽、出発式の通訳を担当したが、冷や汗ものであった。
しばらくやっていないので、単語がすぐにでてこなかった。また、準備もしなかったので、
ウォーキング特有の表現や、難しい言い回しが「翻訳」できず、ろう者には通じなかった
のではと、申し訳ない思いであった。

今日の歩き~スマホのアプリは操作ミスで掲載できなかった。


手話CG

2017-05-24 22:07:26 | 手話

以前、ネットで手話単語を検索した際、動きのあるCGで表したものを見たことがある。
初心者には良いかなと思った程度だったが、今日のニュースで新しい動きを知った。
まだ開発途上のようだが、天気予報や事故発生のニュースなど、限定的な場面では、
実現の可能性が見えてきたようだ。
YouTube画像にリンク https://www.youtube.com/watch?v=O7J6f2ISbMY

テレビ放送に限らず、映画、駅ホームや改札口での情報表示にも拡大利用が可能だ。
さらに、公共施設における音声による情報提供も、すべて手話CGを同時に提供する。

現時点で難しいと考えられるのは、市の広報車などで、「断水のお知らせ」などを、
走らせたとき、その音声を、手話CGでも提供するというわけにはいかない。
それでも、スマホなどに「行政のお知らせ」を手話CG付きで、送付することはできる。

以上のようなことは、AI囲碁の現状を見れば、容易に実現可能と思われる。

  

 


久しぶりのお仕事?

2017-02-27 21:22:10 | 手話

久しぶりに手話を使った手伝いをした。
やり取りの内容がパソコンの設定に関することなので、不十分な通訳となった。
また、手話単語が新しい状況に追いつかない面があり、Windows10の新機能や、
ID、パスワードを忘れた状況から、質問を繰り返しながらやっとたどり着いた。
結局、2時間強をかけ、必要な設定がすべて済んだ。
下手な通訳であっても、何とか目的を達することができたので、若干の達成感あり。

通訳資格はすでに返上したので、もぐり。高齢者の運転免許返上に似た状況である。
手話の会を止め、密なろう者との交流もないと、資格を維持する技量に問題がでる。
ウォーキングが忙しくなり、通訳依頼に応えられなくなったことも大きな理由。

古河悠歩の会では、ろう者が安心して参加できるよう私の手話が少しは役立ったが、
よんどころない事情で退会してしまったので、ろう者には申し訳なく思っている。

だが、各地のウォーキング大会に参加すると、知り合いのろう者とときどきで会う。
古河の会員のろう者とも、たまには大会に参加している。

先に実施したろう者を中心としたウォーキング大会への参加は、聞こえる人の参加で、
聞こえる人の意向が優先され、趣旨が生かされない面が一部にあった。
今後実施する時は、十分注意して計画を練り、不測の事態が起こらないようにしたい。

  


明晴学園

2016-07-20 19:37:04 | 手話

5月1日に届いた本『手話を生きる-少数言語が多数派日本語と出会うところで』。
今日やっと読み始めた。

米原万里の二冊目を読み終え、十和田湖に持っていく次の本を借りようと思ったが、
見えるところに積んでおき、ずっと気になっていた、この本を持っていくことにした。
十和田湖までは、電車だけで4時間かかるので、計算上、往復8時間以上読める。

明晴学園は、日本で唯一、手話だけで教育をする「私立ろう学校」である。
教員は26名中、12名がろう者。聴者の教員も、手話だけで教える。教員同士は、
ほとんど手話だけでコミュニケーションをするそうだ。しかも、12名中6名は、
両親がろう者…純粋なネイティブ・サイナー(手話だけで育ったろう者という意味)。

全国のほとんどのろう学校(特別支援学校)では、聴者に近づくことが求められる。
口の形から言葉を読み取り、自分には聞こえない音を、発声できるよう教育される。
だが、現実には、ほんの一部のろう者しか、口型を読み取り(完全にではない)、
上手に発声できない。
その間、長い間、ろう者は、聴者になる(近づく)ように強いられる。

この学校でのエピソードが最初に紹介されている。
聴者は、病気でろう者になることがあるという話をしたとき、生徒が先生に聞いた。
自分たちは、病気で聞こえるようになることがあるのか、と。
先生は、そういうことは聞いたことがないというと、子どもたちは手話で「やった!」
と、喜んだそうだ。
今の自分を、自然に肯定しているのだ。
多くのろう学校の子どもたちは、聞こえる子どもに近づくことを求められているのに!

これから読んでいくのが楽しみだ。まさか、十和田湖前には読み終わらないだろう。
だが、明日、埼玉の鶴ヶ島に歩きに行く計画をしたが、天気が悪そうなので不安。
まさか2日では読み終わらないだろうが、中途半端に残ると面倒だ。
行きの電車で読み終わってしまうと、帰りが困る。明日明後日が勝負だ。 

涼しい風が吹いて、嬉しくなったときの、目の前の景色。
思わず写真を撮った。木々の向こうが総合公園。 


手話言語法

2016-06-09 19:54:43 | 手話

手話は、音声言語と同じ「法的地位」を持たない。これをわかりやすく言うと、
通訳をつけるかどうかは聴者中心社会の「善意」に任せられているということ。

逆の状況を設定すると、面白い。
手話だけが認められていて、音声言語は善意によって、保障される社会を見てみよう。
駅の表示板では、手話で案内がされ、聞こえる人は、筆談で駅員に聞かなければならない。
演劇、映画、講演は手話で行なわれ、字幕を見て内容を知るが、すべてに字幕がつかない。
コミュニケーションはすべて手話で行なわれるので、音声言語しか理解できない人は、
手話を音声言語に通訳してくれる、音声通訳者を頼まなければならない。
歩く会も手話で進行されるので、諸注意などが、わからず、危険な目に遭うこともある。
たまたま、手話のできる会員がいると、手話を音声に通訳してくれるので安心できる。
…というわけだ。

「全国手話言語市区長会」が発足した。全国250市区長が加盟。全国で813市区がある。
手話を言語と位置づけて、手話教育の充実や手話通訳の配置を求める「手話言語法」
の制定を目指している。目標期限は、2020年である。
私は、オリンピックにはあまり関心も期待もないが、このような改善が図られる点は良い。
1981年の「国際障害者年」により、国内の障害者施策はかなり進んだのは事実。
オリンピックにむけて、政府以下全国市町村は、外国に恥ずかしくないよう努力するだろう。

当市の市長はこの市区長会に参加しているのだろうか。

今日の歩き<Runkeeper>の操作を誤り、測定ができなかった。