悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

難行苦行

2015-08-01 19:03:09 | 手話

私は、これまで人前で挨拶をする機会はけっして多くはなかったが、たまにはあった。
いつも大変苦行で、できれば避けたいと思っていた。今もまったく変わらない。
まず、原稿がないと落ち着かないし、あればあったで、まるで読むようになってしまう。
当会での挨拶は会長がやってくれるので、手話通訳をすれば良いのだが、会長欠席や、
その他の事情で、話さなければならないとき、手話をしながらということになる。
これがまた難しい。
話すだけでも精一杯なのに、手話をしながらだと、どちらも中途半端になってしまう。
手話通訳をするときは、話し言葉をどう手話に置き換えるかを考えながら行なう。
どう話すかで手一杯な私が、手話をどう表現するかも考えながらとなるので、
二重の苦行となる。また、メモを見ながら話し、手話もすることは不可能だ。
何回か、脇からメモを見せてもらったこともあるが、格好の良いものではない。
数項目だったら、手の甲や掌にメモしておくこともできるが、読めるように書くと、
手はひらひらと聴衆に向けられるので、書いてあるのがばれてしまうし、格好も悪い。
最近流行の、眼鏡型ウェアラブル端末を利用すれば、原稿を見ながらも可能となる。

対応策としては、話しながら手話をする練習をすれば良いので、訓練以外にない。
具体的に挨拶文を考え、それを手話をしながら話してみれば良いのだ。
まずは2~3分で良いから、練習してみようかと思っている。 

しかし、私は受験も行き当たりばったりで通してきた。
的を絞るなどということは、まったく経験が無い。
しかし、子どもたちの受験風景を見ると、「傾向と対策」をばっちりやっていた。
私の頃も「傾向と対策」はあったが、まったく見向きもしなかった。

最近、話しながら手話をすることを真剣に考えねばと、思うようになった。
いつまでもちゃらんぽらんではいけないと思うようになったからだが、そろそろ?
きちんとした話をしなければと、遅ればせながら考えるようになったからである。
「何を今更」とも思うし、「今更手遅れだよ」とも思うのだが。 


久しぶりの通訳依頼

2015-03-11 20:20:08 | 手話

手話通訳の登録資格(旧手話奉仕員)は、歩きが忙しくなってから返上してしまった。
そのため正式な通訳業務ではないが、知り合いに頼まれて市役所に同行した。
通訳依頼者は、電話通訳をよく頼まれる会員でもあるので周辺事情をよく知っている。
そのため、やり取りで困ることはなかった。共通理解・共通認識が必要な所以である。
同じ事柄や言葉については、同じように理解し合うことが必要だということである。
手話通訳業務において、共通理解が不足してると、一つの単語をどう読みとるか、
理解するまでに時間がかかったり、意味が不明なまま、わかり合えないことがある。
 
同じ言葉・事柄でも、共通理解が得られないと、無駄に時間を費やすことになる。
個人の人間関係や組織内においても、同じことが言える。
共通認識を持ち合うために、何をしたら良いのか。
社会の動きを見ていると、想像以上に難しい問題であることがわかる。

 


手話ビジネス

2014-10-03 21:14:06 | 手話

NHKテレビで「手話ビジネス」について紹介していた。学生時代手話サークルで学び、
震災の現場にも行き、ろう者の情報不足を痛感した大木さん。
学生時代にベンチャー企業を起こし、パソコンやタブレット、スマートフォンを用いた、
遠隔手話通訳サービスを主な事業としている。



ボランティアに頼る現状では、ろう者の生活は良くならないと考えた。
通訳者の生活も確保しないと、いつでもどこでも情報保障は実現できない。
そこで、通訳者とITの技術を結びつけ、遠隔地手話通訳の発送を得て事業化した。
先に書いたビデオ通話を利用し、店や行政の窓口に来たろう者と、手話通訳を結ぶ。
被災地では、通訳者も被災しているので、他地域の通訳者がビデオ通話を介して、
被災ろう者の手話を読み取り、手話を知らない窓口担当者とのやり取りをつなぐ。
素晴らしい発想だと思う。
もちろん、サービス費用は企業なり、行政が負担する。
手話通訳士の制度化にあたり、公務員としての採用が検討されたが、一向に進まない。
けっきょく多くの通訳者は、安定した待遇を得ていない。

大木さんは、この事業が拡大すれば、手話通訳士が常勤の職を得ることができる。
ろう者の情報保障にも結びつくと考えている。

金儲けを主目的として、似た事業を興す企業も出てくるだろう。
福祉サービスを企業化すると、常に不良企業も発生する。
介護事業の不正請求はどのくらいに及んでいるのだろう。
脱税も相変わらずだ。

持続可能な社会は訪れるのだろうか?

 


1つから始める

2014-07-20 17:06:44 | 手話

聴覚障害者に後ろから声をかけることはできない。例会時によく目にする場面だが、
そばにいる会員が自然に腕や肩に手を触れて知らせる行動をとることは少ない。
手話を使えないからということもあるだろうし、遠慮だったり、気がつかなかったり。
昨日の役員会で話題にしたのだが、特定の手話、例えば「危ない」を繰り返し伝える。
自然に出てくるまで、何度も教え、示し、使ってみせることが良いかもしれない。
今日の新聞に、英語教育に長年携わってきた人が、繰り返しの効用を語っていた。
昼に実施している「ミニ手話講座」で、毎回「危ない」の手話を教え、1年続ける。
そうすると、8割くらいの会員が覚えるのではないだろうか。
8月の例会から始めようと思う。その手話とは

そばにいる聴覚障害者の肩や腕に触れ、この手話をする。
これで完璧である。


私の責任の一部

2013-10-18 20:08:14 | 手話

「明日から富士河口湖もみじマーチに出かける」と、県会長からのメールに書いてあった。
1月の「いぶすき菜の花マーチ」に参加すべく準備中なので、思い出したことを返信した。

私は、「富士河口湖」の第15回大会(2006年)に参加し、印象的なできごとがあった。
会場で、以前からの知り合いであったろう者と会い、会場の後方でおしゃべりをしていた。
会場には手話通訳が配置されていなかったので、彼らの傍(そば)で通訳した。
拡声装置の関係もあり、後方には途切れ途切れにしか伝わってこなかった。
また、間に、彼らとのおしゃべりもあったので、主催者の話は伝わっていなかった。

その出発式では「熊出没によりコース変更、猟友会による警戒がある」と伝えていた。
私は聞いておらず、一緒に歩き出してから、「コースが違う」、「猟友会会員が立哨」
などの状況に出会って驚いた。回りの人に聞くと、出発式で放送していたとのこと。

この経験があってから、当地の花桃ウォークの実行委員会で、周囲から嫌われながらも、
執拗に手話通訳の配置を主張し、数年かけて実現した。
多くの場合、出発式に通訳がいなくても困ることはないだろうが、こんな状況があると、
主催責任者として真剣に考えてほしいと思う。

私の主張に、古河市の大会担当者は、市長挨拶など誰も聞いていないと言っていたが、
大会実行委員長(市長)が、どのような気持ちで参加者に言葉をかけているのか、
「おもてなし」を考えた場合、参加者へのメッセージとして重要なことではないだろうか。

とくに、何らかの状況によってコースが変更されたことは、事前に伝えなければならない。
また注意事項なども、参加者の安全に関わる場合、主催者の責任問題にもなる。
参加要項には、<免責範囲>として「障害者の参加には、介助者(手話通訳者)の同伴
が必要です」と書いてあるが、「伝えるべきことが伝わっていない」状況は、
免責されるのだろうか。
聞こえる人だけの場合は、「聞いていないのが悪い」で逃げられるが、聞こえない人には、
手話通訳を配置できなければ、文書を配布するなどの対応が、本来必要だと思う。

ろうあ者問題に不慣れな人にとっては、「何言ってんの」ということかもしれないが、
けっこうシビアな問題である。このように自分の発言できる範囲で主張することは、
偶然(たまたま)にでも、身近な課題に関わっている者の責務だろうと思う。

いぶすきの実行委員会に電話をしたが、手話通訳の配置は予定していないという。
今回、当会のツアーで12名の聴覚障害者が参加することになった。このことを伝え、
正式申込みに際しては、手話通訳の配置を要請してみたい。
ダメだった場合は、恥ずかしながら、下手な通訳を覚悟してやりたいと思う。
必要最低限なことは伝えられると思うから…


スカイプの便利さを痛感

2013-09-12 22:26:54 | 手話

明後日の例会の件で、ろう者の会員と相談する必要があり、スカイプをつないだ。
画像は、以前のものだが、下記のようなパソコンの画面であり、手話でやりとりできる。
左がHさん、家という手話を表している。右が私の画像で、カメラを構えている。
双方のパソコンにカメラが内蔵されており、二人の画像が同時に表示されるので、
ビデオ通話ができる。もちろん、話せる人は、テレビ電話として使える。
無料で2人まで、3人以上は有料だが、安価にビデオ会議が開ける。

メールやファックスでも通じるが、込み入った話や、即時性を求めるには手話が一番だ。
この画面は、スカイプとは別のサービス、ooVoo(オーブ-)での表示。
パソコン、あるいはカメラの能力のためか、動きがぎくしゃくしているのが難点。
しかし、読み取りの苦手な私には、動きが少し遅いので却って手話が確認しやすい。

私は、科学技術の発達には疑問をもつ方だが、この分野での発達は歓迎している。

兵器産業の末端にいれば、戦争は飯の種となる。
立場が違えば求めるものも違うのは当たり前か?