私は、これまで人前で挨拶をする機会はけっして多くはなかったが、たまにはあった。
いつも大変苦行で、できれば避けたいと思っていた。今もまったく変わらない。
まず、原稿がないと落ち着かないし、あればあったで、まるで読むようになってしまう。
当会での挨拶は会長がやってくれるので、手話通訳をすれば良いのだが、会長欠席や、
その他の事情で、話さなければならないとき、手話をしながらということになる。
これがまた難しい。
話すだけでも精一杯なのに、手話をしながらだと、どちらも中途半端になってしまう。
手話通訳をするときは、話し言葉をどう手話に置き換えるかを考えながら行なう。
どう話すかで手一杯な私が、手話をどう表現するかも考えながらとなるので、
二重の苦行となる。また、メモを見ながら話し、手話もすることは不可能だ。
何回か、脇からメモを見せてもらったこともあるが、格好の良いものではない。
数項目だったら、手の甲や掌にメモしておくこともできるが、読めるように書くと、
手はひらひらと聴衆に向けられるので、書いてあるのがばれてしまうし、格好も悪い。
最近流行の、眼鏡型ウェアラブル端末を利用すれば、原稿を見ながらも可能となる。
対応策としては、話しながら手話をする練習をすれば良いので、訓練以外にない。
具体的に挨拶文を考え、それを手話をしながら話してみれば良いのだ。
まずは2~3分で良いから、練習してみようかと思っている。
しかし、私は受験も行き当たりばったりで通してきた。
的を絞るなどということは、まったく経験が無い。
しかし、子どもたちの受験風景を見ると、「傾向と対策」をばっちりやっていた。
私の頃も「傾向と対策」はあったが、まったく見向きもしなかった。
最近、話しながら手話をすることを真剣に考えねばと、思うようになった。
いつまでもちゃらんぽらんではいけないと思うようになったからだが、そろそろ?
きちんとした話をしなければと、遅ればせながら考えるようになったからである。
「何を今更」とも思うし、「今更手遅れだよ」とも思うのだが。