悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

その後の母

2018-06-22 19:16:04 | 介護

母の長期入所は2ヶ月を過ぎた。入浴に合わせ、週2回、洗濯物を取りに行く。
今日は、かかる費用の請求書も受け取ってきた。
母は、確実に衰えてきている。右目が目やにで開かなかったので手を添え開き、
ティッシュで拭くときれいになった。言葉も聞き取りにくく、小さくなった。
眼科に行かねばならないのだが、連れて行くのに手間がかかる。
2時間近くも待つので、母には負担になる。予約診療を特別に相談しようか。
特別養護老人ホームの申請をしてある。

長期入所期限の10月までには入所できるだろうと、見込みをつけているが、
どうなるかはわからない。
入所できなかった場合は、1週間から1ヶ月、家を起点に、短期入所を利用する。
その場合、ベット、スロープ、車椅子なども借りなくてはならない。

私の体調は復したので、家に戻せなくはないのだが、自分の負担を考え、
現状維持でいくことになるだろう。
母は、家に帰りたいとは言わない。
たぶん、諦めているのだろう。

先日娘にも話したのだが、蕎麦を食べに行こうかと母に言った。
「良いね」と言うかと思ったが、「外に出るのは億劫だ」と言う。
1月頃は、喜んで一人前を食べていたのだが、食事も細ってしまった。
糖尿病のため、外食でも量を制限していたのだが、今はその必要もない。
調べてみると、母と最後に「道の駅ごか」で蕎麦を食べたのは2月12日だった。
3月13日から、急激に衰え始まった。ろれつが回らなくなり、嚥下障害も出現。
医師は、一時的な脳梗塞が起こったのかもしれないというが、画像ではわからない。
もう、いつ逝ってもおかしくはないような気がする。

  


残りの時間

2018-03-22 21:29:18 | 介護

母は、8年間、家で風呂に入ったことがない。熱があったり、施設の都合が悪いと、
入浴ができない。最近、入浴して頭を洗っていないらしく、頭にふけが出ていた。
今朝は、迎えの担当者に、洗髪を頼んだ。
母は、カレーなど味の濃いものが好きだ。
昨日から、母の食事は少しだけ気を入れて作っている。今日は、刺身を買ってきた。
他に、安い牛肉を買い、「肉じゃが」をいつもより濃いめの味付けで作った。
今日は珍しく、うまくできた。
だが、食膳に上った肉じゃが、刺身は、貧弱ななりをしていて、どうだったろうか。
きれいに食べたが、もっと食べさせたいと思った。
先日、母に食べさせた後自分のカレーを食べていると、「うまそうだな」と言う。
食欲が出て来たのは良いが、満足するまで食べさせられないのが切ない。

今夜の母の寝る準備は腰が痛くなった。限界というのは大袈裟だが、体力的にきつい。
母の食事に付き合うのは、もうそんなに長い時間ではない。
穏やかに対応したいが、意思の疎通が思うようにいかないと、つい当たってしまう。

谷中湖からの帰り、Mさんから電話があった。ろう者のSさんの大会スタッフにつき、
東京フェスタでの対応は難しいとの回答。つくば国際で私が補助的に付くことにより、
ろう者スタッフの対応方について検討したいと思った。
近日、IWAの担当者に相談してみたい。

よし焼き後の谷中村共同墓地への道

  


かわいそうなぞう

2018-03-20 23:27:48 | 介護

母が家にいる日、(ほぼ)9時半から12時15分まで歩きに出かけるのだが、
トイレ介助もままならず、歩きに出かけるのが難しくなった。

昨日、ケアマネージャーに長期入所の意思を伝えた。
今日、希望の施設に行き申請書をもらう。
デイの送迎を受けず、私が迎えに行き、そのまま母を主治医に連れて行った。
診断書の作成のためであるが、突然病院に連れて行かれ、母はいぶかしげであった。
帰りの車中、母に長期入所のことを伝えた。反応はとくになかった。

母が倒れて8年5ヶ月が経過し、施設入所という別れ、いずれ来る死別を自覚している。
数日前、水が飲めず、食事もとれないままにデイサービスに送りだす朝のこと。
迎えの車を待つ間、いつも持参する手提げを手元に取り寄せるべく、私に指示をした。
私は胸をつかれた。
いつもの仕草であるが、死を待つ動物園の象が客に愛嬌をみせているかのようであった。

今日は歩かなかった


レ・ミゼラブル

2018-01-28 21:29:26 | 介護

母を外に連れ出さなくなったと、介護の担当者会議で話したので、久しぶりに出かけた。
行き先は「道の駅ごか」、屋根付きの車椅子用駐車場が2台分あり、トイレも完備する。
専用駐車場は、たまに埋まっているが、7~8割方は空いていて、駐められるので良い。
最近は、母のトイレ回数が減ったので、家を出るときに済ませれば、ほぼ大丈夫だが、
不安があるので、どうしても安心できる場所を選ぶことになる。
今日は日曜日とあって、駐車場も店内も混み合っていた。不安に思いながら順番を待つ。
母は、待つことが嫌で、1度はせっかく行ったのに、途中で帰ってきたことがある。
車で30分以上かけて行きながら、待てずに、途中でコンビニ弁当を買って帰った時は、
徒労感に打ちひしがれる思いだった。何年か前、権現堂に彼岸花を見に行ったときは、
上天気で良かったのだが、陽の光がまぶしいと、降りることを拒み、帰ったこともある。
ある蕎麦屋は、うまいのだが、光がまぶしいと騒ぎ、席を何度も換えたことがある。
加えて、トイレが狭いので、200m先の役場のトイレを借りに行ったことがあった。
それ以来、その店は行くのを止めてしまった。
母が光を嫌うのは、緑内障に加え、気にし出すと対象物から目を外せない事情もある。
そんな行動が、介助者の嫌気を誘い、出渋る結果となっている側面もある。
介助者に、思いやりが足りないと自省を強いるのではとも思ってみるが、自己弁護だ。
母は、いつも暖かい蕎麦を食べる。私は「ニラ大根蕎麦大盛」とナマズの天ぷらを注文。
天ぷらは少しだけ母にやる。蕎麦も天ぷらも、家での量より多いが、少なかったと言う。
うまいので、もっと食べたかったのだろう。
私が、ほぼ毎日歩くようになってから、母と出歩くことが減ったのも事実である。
毎日自分が歩く時間(3時間~4時間半)を確保するために、意識的にか無意識的にか、
母の散歩や食事の時間を減らす結果になっているのも確かなことだ。あぁ、無情。

  


独り相撲

2017-09-10 22:21:46 | 介護

「日経ビジネスオンライン」のサイトに、続けて読みたくなる記事が2~3本あった。
会員登録をしておくと、毎日お薦め記事のお知らせがメールで送られてくる。
毎朝の作業で、9割以上が即決削除の憂き目にあうが、このメールはチェックしている。
最近チェックしていた1つが、連続物で「介護生活敗戦記」(全22話)であった。
これは最近まとめられて出版された~『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』
痴呆の始まった母親を、介護保険を利用しながらほぼ男1人、苦難の闘いを描いたもの。

次に目についたのが、『俺に似たひと』という、やはり男1人、こちらは父親である。
図書館で借りて今読んでいる。ちょっとキザな書きぶりで、あまり好かない作家だが、
目をつぶって読んでいる。軽い内容なので、すぐに読み終わりそうだ。

1つだけ気になる記述があった。
父親の入浴介助や下の世話をしながら、父の介護突入に前後して亡くなった母でなくて
良かった、と、書いている。
自分を産んだ母親の排便介助や、身体を洗うことには抵抗があると書いていた。

わが家では、足腰の立たない母の入浴介助は無理だとして、デイサービスに頼っている。
だが、時に見舞われる、長い便秘の後の下痢状態の後始末は、数日続くのでたいへんだ。
これからウォーキングに出かけようという朝、そのような状況になると、悲惨だ。
これまでに1~2回あったが、何とか間に合った。
だから、家を出る直前に起こすことは危なくてできない。いつもより30分早く起こし、
余裕を持って出かける準備をするのだが、最近はおにぎりを作るのが億劫になった。

いつもの朝の起床時には、お湯で清拭をしてから衣服を着せ、車椅子に移乗させる。
これは、慣れも何もない。必要に迫られて淡々とやるだけだ。
乳児の頃、娘の身体を洗ったこともあるので、それと同じようなものだ。

子どものおむつは、井戸水で素手で洗ったが、母親のおむつは手で洗うのは抵抗がある。
もっとも、母親のおむつは、使い捨てなので、洗うこともないが、もしもの話である。

最近、母親は、気に入らないおやつがでると食べ残し、私に食べろという。
母の食べ残しを口にすることには抵抗があるが、目の前で断ることはできないので、
そっと台所に運んでいる。
次男の妻が先日、子がこぼした食事を口に運んでいる様子を見た。
幼い頃、私が食べこぼした物を、母も手で摘まんで口に運んでいたと思う。

たぶんあったであろう、そんな風景を思い起こすと、薄情な態度かなと思ってしまう。

  

 


紙一重

2017-07-14 21:37:39 | 介護

「日経ビジネスオンライン」というサイトがある。
私はここに掲載されている何本かの記事を購読(無料登録)している。
その内の1つ、「介護生活敗戦記」が面白い?というか、身近な話題で読ませる。
記事は、松浦晋也という科学技術ジャーナリスト。
先日、彼の著書『のりもの進化論』を図書館で借りて読んだ。

昨日のテーマは、『果てなき介護に疲れ、ついに母に手をあげた日』であった。
彼は独身で、2014年頃から次第に衰えを見せる母親との生活を続けている。
老いは次第に進み要介護3、痴呆状態も現れ、介護制度を最大限に使い奮戦している。
今回の記事は、とうとう手をあげてしまったかということだが、他人ごとではない。

私もまだ手こそあげていないが、理解力の落ちた母との応酬に疲れ、時に大声をあげる。
その時の自分の興奮状態は、我ながら抑えが利かなくなっており、危ないなと思うほど。

彼は、手をあげてしまいそうな自分を恐れつつ、自らのそそのかしの声を聞いている。
「叩いてしまえば終わりだ」という自暴自棄に自ら落ち込んでしまおうとする時を経て、
ついに、抑えきれなくなり、手をあげて(平手打ち)しまったとのことである。

母親は最初の内「親に手をあげるなんて」と言って抵抗していたが、ひとしきりすると、
「どうして口の中が切れているんだろう?」と、騒ぎのあったことを記憶していない。
ここで彼は、自力介護の限界を感じ、すぐに妹に連絡し、ケアマネージャーと相談した。
そして入所施設探しを始めた。昨日の記事の内容はここまでであった。

彼には、弟と妹がいるが、2人とも介護を直接手伝うことは困難な状況にある。
妹は外国に住んでいるが、定期的に電話で話をしている。
彼はジャーナリストという職業柄、会社勤めではないので、これまでやってこられた。
ホームヘルパーによる家事援助を利用しながらも、母の食事、トイレ介助、洗濯など、
仕事と現実生活との格闘で疲れ切ってしまう時期に到達してしまった。

この記事を読んで、私にもいずれこんな時が訪れるのではないかと、不安になった。

  


技術

2017-06-24 22:03:33 | 介護

ある本を探していたところ、『ユマニチュード入門』という本に目がとまった。
3年前、新聞に紹介されていたもので、既に読んでいるが、まったく生かされていない。

理解力に問題のない高齢者に対しては、普通に対応し、まぁ、よい介護者でいられる。
だが、一筋縄にはいかない場合、通常の対応では結果が出せず、すぐにぼろが出る。
最初に読んだ頃は、より良い介護をするために、などと、プラスアルファのつもりだった。

ところが、歳を重ねるにしたがい、理解力が衰え、持ち前の性格が強く出るようになると、
「理解させよう」という下手な対応ではコミュニケーションが取りにくくなり、喧嘩腰になる。
家族の場合は、互いに甘えがあるので、相手への理解や配慮に手抜きが出てくる。
その結果、互いの悪い面が表に出て、引っ込みがつかなくなり、エスカレートする。
こうなると、互いにストレスが積もり積もっていく。

介護者のストレスがたまるのは当然だが、被介護者も、理解力が落ちているとはいえ、
不快感だけは残っている。心理的不安、悲壮感、孤独感などが、底流に淀むようになる。

これらのマイナス感情が被介護者に定着する前に、介護者のストレスが爆発する前に、
介護技術を生かし、良好な関係を保つよう、対応を変えなければならない。
そのことにやっと気づくほどに、言い争いをするようになってしまった。

再度この本を熟読玩味し、介護に生かそうと思う、今日この頃の私である。

   


『楢山節考』を聴く

2017-06-14 19:30:26 | 介護

昨日、北川辺図書館で借りてきた朗読CD『楢山節考』を聞きながら歩いた。
歩きながら聞くには重い内容と思われ、懸念していたのだが、すぐに引き込まれた。

朗読は小沢昭一。「小沢昭一の小沢昭一的こころ」をラジオで聞いていたので、
軽い語り口かと思ったが、会話の部分はそれなりに、地の部分も淡々と読んでいる。

この作品、「親捨て」の短編小説であることは知っていたが、読んだことはなかった。

老母は、しっかり者で家事万端何でもできる。息子は、貧しく食べるのもやっとだが、
母親を捨てることには迷いがある。
村の掟通り、70歳になったら山に行くと決め、こまごまと準備を進めていた。
息子に後添いをもらい、山に行く前の晩、別れの席を設け、どぶろくまで準備した。

翌朝早く、しきたり通り言葉を交わすこともなく、息子に背負われ、山に向かう。
頂上が近づくと、息子は歩が遅くなり、迷いが出てくる。
母親は、息子を背中から叱咤し、白骨累々とした山頂に下ろさせ、筵に座る。
息子は、胸が張り裂けそうな思いを振り切って、山を下りていく。

途中の谷で、隣の親父と息子に遭遇する。隣の親父は、自分の母親と同年配。
その息子は、別れの席も設けず、嫌がる親父を荒縄で背に縛り付け上ってきた。
山の頂上まで連れて行かず、ずっと手前の谷で、父親を崖上から蹴落としてしまう。
山は奥深いので、途中で捨てていくことも許されていた。
そんなことが当たり前の寒村での風習である。

主人公の息子が、母親を山奥に捨てに行く場面では、図らずも涙がにじんだ。

現実の家に帰ると、母はわがままばかり言い、私は同じ土俵で言い争っている。

   


元気な母

2017-05-30 22:16:58 | 介護

昨晩は寝るときに一悶着あった。下着か寝間着かわからないが、何か変だという。
2度起き直って、衣類を直したが、納得にいたらず、不満を抱えたまま、「いいよっ」
と、プンプンしながら寝た。

夕方、デイサービスから帰る。係の人が、にこにこしながら、「今日は元気だったね」
と言う。前回も同じ人に、同じことを言われている。大きな声を出して怒ったらしい。
施設の人は、怒ったとか、暴れたとかは言わない。こちらも詳しくは聞かなかった。
何となく、母が何をしたかわかったので、「そうでしたか」とだけ言って、飲み込んだ。

このところ母は、不機嫌になることが多い。
こちらの対応が悪いのも一因だが、理解力が落ちてもいる。何がどう不快なのかは、
言葉にできなくても、自身の苛立ちと不快感だけは、腹に溜め込んでいる。
普段はおとなしく静かな母だが、気に入らないことがあると、短気になり、爆発する。
もっとも性格としては、昔からそうだった。
今のように、訳のわからない短気ではなかった。普通の短気な性格の人だった。

母は、「おじちゃんが早く迎えにくればいいんだよ」と、毎日のように言っている。
その後には必ず「向こうにいい人ができたんだろう」と付け加える。
「おばちゃん(母)は短気だから、向こうで怒られてはかなわないので、迎えに来ない」
と言って茶化すのが常である。
今日は、夕食の食器を母の目の前に並べながら、初めてこんなことを言ってしまった。
「1週間くらい食べなければ、おじちゃん(父)のところに行けるんじゃないかな」と。

聞こえたのか聞こえなかったのか、母はさっそく食事に手を伸ばして食べ始めた。
言った直後に、小さく「うふっ」と笑ったので、聞こえたのだろう。

言葉による虐待!

公共の工作物を、私が自主的に保守点検している。加須市と板倉町の間の「・」は、
私が取り付けた「磁石」である。ときどき下に落ちるので、見つけては直している。
「・」が無いと、「加須市板倉町」となり、合併したかのように読めてしまうので、
「・」を打ったつもりである。
2年前、加須市にメールをしたところ、「・」を書き込んでくれたが、消えてしまった。
再度言うのもはばかられるので、自主的な「保守管理」をしているつもり。

桑の実は色づき、道路を汚すようになった。

ぱっとしない花、「ヒメジョオン」

咲き出した「タチアオイ」野木町野渡地区にて

   


バッテリー上がり

2017-03-26 21:49:31 | 介護

さいたマーチ2日目は、朝からゴールまで小雨が降り続いた。
今日は最後まで一人歩きとなった。距離は昨日とほぼ同じだが、ゴールは早かった。
間の4時間ほどはまったくの小降りで、濡れそぼつことはなく、比較的快適だった。

 

参加者集計表<今日の分は、まだ書かれていなかった>
花桃ウオークを大きく上回っている。今日はかなり少なかった。 

 

稀勢の里の優勝を確認、施設に母を迎えに行こうと思ったが、車のバッテリー上がり。
近所の人に頼んでブースターでつないでも復旧できなかったので、車を借りて迎えに。
母を抱きかかえて車に移乗させたが、落としそうになるくらい困難だった。
バッテリー上がりはこの車。使えないと通院その他にかなり制限がでてくる。
老老介護の限界に近づきつつあるか。