悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

母の車椅子

2017-03-13 20:39:03 | 介護

いつもの歩きから帰ってくると、既に帰っているはずの訪問リハビリの療法士がいた。
ケアマネもいて、母の車椅子について検討していた。
患側(利かない方)の足が、フットレストからずり落ちてしまうのを改善し、かつ、
体が椅子の上で曲がっている状態を改善するための装具を採用する件を提案された。
私は、まず費用の嵩みへの懸念が脳裏に浮かんだが、効果には疑問があると答えた。
母は、背もたれに体をもたせ掛けることはあまりないので、装具採用の意味が弱い。
また装具の形状から、車いすに体を固定されることになるので、嫌がるのではないか。
介護する側から言えば、車椅子がごつく重くなることはありがたくない。
車で移動するには、できるだけ、軽く、嵩張らない方が良い。
これは、介護者の都合ではあるが。
結果、フットレストの検討を業者をまじえて近々おこなうことになった。

今日の花桃

今日の歩き

  


ヤングケアラー

2016-02-08 22:45:12 | 介護

中高生など若者が、祖父母などの介護に従事している状況を表す言葉。
私の場合は老老介護で自覚しているが、若者の場合、悲惨ではないだろうか。
貧困の最たるものだと思う。
以前にも、孫が祖父母を介護している状況はあったと思うが、今後は通例になってくるか。
晩婚化が進むと、その状況はかなり深刻なものとなるだろう。
35で子を産み、子も35で子を産むと、70歳で孫を見ることになる。
子は、50歳で、85歳の私を見ることになる。
私が介護状態になる可能性はかなり高くなる。
私が離婚し、要介護状態になると、私の孫は15歳で私を見ることになる。


 


背徳的な色合いを帯びた土曜日

2015-12-19 18:24:37 | 介護

子どもの頃から「土曜日」が好きだった。誰でもそうかもしれない。
日曜日の午後は、夏休みの後半の気分と似て、寂しい気分があるので、好きではない。
明日は「鎌倉ウオーク」に参加するので、今日から母はショートステイに行っている。
いつも、火・木・土とデイサービスを利用している。翌日朝が早い場合は、ショートステイ。
母を送り出してからの時間は、開放的で何とも好ましい気分、時間となる。
母は、「行きたくない」とは言ったことがないが、ショートステイが増えると不安定になるので、
「邪魔にされている」という思いでいることは、伝わってくる。
母のことを考えると、「歩ける喜びも半ばなり」という思いになる。
以前、介護保険事業者の仕事をしたことがある。利用者には権利ですよと言ってきたが、
利用者の思いは複雑で、一方向には括れるものではないことが、今にしてわかった。
「たまには息抜きが必要」も「家族の時間との折り合いを付ける」必要があるのもわかる。
どうしてこんな気分になるのかといえば、母の世話を「嫌々やっている」からだと思う。
親の介護は当然、の思いで心から対応できていれば、介護と自分の時間との折り合いに、
後ろめたい思いをすることはないだろう。

依頼した眼鏡の修理ができたので店まで歩いて行き、JMで夕飯のおかずを買って帰る。
本日4.5㎞歩いた。

 


ウォーカーの車いす操作術

2014-04-13 18:56:27 | 介護

車いすは通常両手で操作するが、私のように背が高いと、かがみ込む形となる。
これは少々無理な姿勢になるので、こんなことを考えた。
片手で車いすのグリップを持ち、自分の姿勢は通常のウォーキング姿勢を保つ。
このまま歩くのであるが、それほど力を入れずとも、スムースに移動できる。
ほとんど、通常のウォーキングの姿勢で歩くことができる。

ただ、段差があるところでは、両手使いとし、乗車者の安全と快適さを保つ。
20cmくらいの段差までは、前輪後輪の操作で苦も無く通過できる。
微妙な5cmくらいの段差は、グリップに少し体重をかけてやり過ごす。
これで、ウォーキングのついでに母の散歩ができるが、10㎞も歩くのはきついし、
母も嫌がるだろう。

車いす操作で苦労をしている方は、福祉事務所などに相談すると良い。
砂利道、泥道などの不整路も難なく通過できることを知ってほしい。


嬉しかったこと

2013-08-07 18:20:08 | 介護

父は、亡くなる一ヶ月前、入院中の病室でポータブルトイレを使った。
病院では、排便の度に洗っていたようで、臭いが残らなかった。
そんな記憶があったので、母のために家で使うことになったとき、
やはり、使用の度に洗いたいと思った。(家のと同型)



介護施設に勤める息子に相談すると、バケツにビニールをかぶせて、
使用後廃棄した方がいつまでもきれいに使え、臭いもつかないという意見だった。
(下の画像)

洗う場合は、病院にあるような「清掃用流し」がないと、面倒になる。(下の画像)

けっきょく、息子の意見をいれて40リットルのビニール袋を使い、
日に1~2回の交換をして、今日まで続け、約3年になる。

先週、毎週月曜日に来る「訪問リハビリ」のPT(理学療法士)に、
上記の件で迷ったことを話した。
PTは、多くの家では、消臭剤などを入れ適宜洗っているようだが、
どうしても部屋にまで臭いが残るようだ。
当家の方法はあまり見たことがないとのこと。部屋に入っても臭いがしないので、
不思議に思っていたとのこと。

間接的に褒められたようで、内心、嬉しかった。


矛盾

2013-04-03 21:26:26 | 介護

この言葉を教わったのは中学生の頃だと思う。どんな矛も跳ね返す盾と、
どんな盾もつらぬくという矛の話はよく覚えている。

さて、身近な「矛盾」の話であるが、ほぼ1日置きに感じている。
我が家では、介護保険のデイサービスを、週3日利用している。
ショートステイは、ウォーキングで出かけるときに、月2~3回の利用。
ショートステイの時はそれほど感じないのだが、デイの午後、

あぁ、もう帰ってきてしまう。と、いつも(たいてい?)そう思う。
朝の8時前後、迎えにきて母がいなくなると、午前中は余裕を感じる。
昼を過ぎると、4時15分までには家に居なければならないので、多少窮屈だ。

ちなみに、今日は家にいる。朝から、ゆっくり母はお茶、私は珈琲を飲みくつろぐ。
自分が出かけるときは、場合によっては母を連れ出せばよい。
意外と、母が家にいる日のほうが、朝からゆったりできるという風に思えるときがある。
一日の時間のコントロールが、自分の裁量でできるから、“しばられ感”がないのだ。

デイの日は、却って慌ただしい。家族が手を抜く(くつろぐ=余裕)ための制度だが、
制度に縛られるという側面がある。私の場合は、待機モードが煩わしいと感じている。

では、ずっと家に居ればよいのかというと、そうでもない。
ずっとそばに居ると、相対的には時間の使い方が窮屈になることもわかっている。

このようなつまらない矛盾を感じないですむ介護のあり方が、理想ではないだろうか。

ではどうすれば、と言われても、答えは難しい。

 


今年の目標

2013-02-02 21:29:52 | 介護

フランスとドイツは以前戦っていた。1963年のエリゼ条約を経て和解へと向かった。
今年は、この独仏協力条約締結から50周年となる。そのような状況の中、
フランス語とドイツ語で“ラップ”を刻む若者が活動を続けている。
二つの言葉で歌うことによって、その結びつきをさらに深めようという。

私たちの会でも、例会では二つの言葉が行き交っている。
しかし、互いに、相手の言葉を解せ(さ)ない。
通訳が入ったときだけ、互いに何が話されているかが了解される。
多数者は、少数者を無視しがちだ。私も聞こえる人の立場に立っている。
ただ、手話を学んだので、相手の立場を理解する基本だけは持っている。
しかし、私も、うっかりすると、聞こえない人を置いてけぼりにすることがある。
全会員が手話で会話することを望むのは無理なことはわかっている。
ただ、何人かが手話に関心をもってくれれば状況は大きく変わる。
聞こえない人を置いてけぼりにしない環境がかなり整う。
そういう雰囲気は、新規の会員を一人にしない環境にもつながる。


ため息など

2013-01-25 21:14:53 | 介護

以前の職場(福祉施設)で、利用者の体重を定期的に量っていた。
抱きかかえ一緒に体重計に乗り、量ることがある。その職場には9年間いたので、
8~9年目の頃は、息がきれるようになった。若い女性を量るときには、息を詰め、
息を切らせた様子を見せないようにしなければならない。

母の毎日の介護でも、ため息などをつかないように気をつけている。
それでも時として、大きな声を出すことがあるし、物にあたろうとしてしまうことがある。
そのたびに、自己嫌悪に陥るが、自分のことでもあるし、責めないようにしている。
おおらかに、息を詰め、ポータブルトイレのフタは静かに下ろさなければならない。
それでも月に1~2回は、バタンと音を立ててしまう。
そんなときは、ゆっくりと息をはき、気持ちをなだめる。

職場では、ほぼ完全にコントロールできていたのだが。


文の日

2013-01-23 22:26:30 | 介護

母(ふみ)の誕生日は1月25日。実際は1月22日であるが、親の勝手な思い込みで、
25日の方が覚えやすいとして、役所に届け出た。通称は「文子」である。
今日が「文の日」であるのは、孫にあたる私の娘が、母(祖母)の誕生祝いをしよう、
ということで急遽決まった。「文の日」の命名は、1月23日に因んだ私の下手な洒落。
記念日としての「ふみの日」は、7月23日。

午前中通院し、上々の体調であった。今日、誕生祝いでそばを食べることなどを話す。
医師も、そばが好きらしく、かなり食べ歩いているとのことであった。
母が、そばの話になると積極的に話すので、喜んで聞いてくれた。
昼、娘共々「ほどほど」に行き、そば定食、「ネギピザ」を食べる。
母は、珍しくゆっくり食べたので、帰る頃には、おなかいっぱいと言っていた。
食後、ネーブルパークを散策し、3時過ぎに帰宅。
夕方、入会希望者の家に行き、機関紙他の資料を届ける。

明日は、機関紙の編集、総会資料の作成など、次第に事務的に忙しくなる。


昔取った杵柄

2012-12-28 18:30:39 | 介護

いくつかの支払いと買い物の帰り、知人に会った。要約筆記の講習会でご一緒した方。
昨年の講習会修了生は、サークルの設立を望まれたができなかった。
今年の修了生が中心となって、サークルを立ち上げる動きがあることを、
障害福祉課からの通知で知った。
私は、要約筆記に関心があるのだが、諸般の事情で関わり続けることはできないと思い、
設立の動きには加わらないつもりでいる。

手話は、私の青春のまっただ中で出会った活動であり、最も思い入れが強いものだ。
1974(昭和49)年、「古河手話を学ぶ会」の母体となる「手話研究会」は、
Kさんというろう者の協力を得て、福祉事務所の若手職員が中心となって立ち上げた。
1年後、市民に呼びかけ、手話学習グループ「古河手話を学ぶ会」が設立された。
当時は「○○手話を学ぶ会」という名称が一般的であった。
京都市手話学習会「みみづく」は、当会設立の11年前に活動を開始していた。
私たちは、ろう者から、手話、聴覚障害者問題を直に学ぶという姿勢を持ち続けるため、
この会名を選んだ。
ろう協(後に聴障協)と一緒に、福祉環境の改善を求めて市長交渉をしたり、
資格も持たず、病院通訳をしたり、八代英太議員や宮尾登美子氏の講演通訳をしたりと、
今では想像もできないような(無謀な)活動もしていた。

その内、学生時代から関心のあった長距離ウォークにのめり込むようになり、
通訳活動を断ることが多くなったので、「手話奉仕員(当時の名称)」を辞退した。

「あ~れから(約)40年」、当会には10名のろう者が在籍し、参加率も高く、
積極的に行事に参加している。これは、昔取った杵柄が役に立っていると思うのだが、
今年も臼と杵は物置で眠ったまま餅つきはできず。
正月餅は、店に買いに行くことになりそうだ。