悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

「世間」と「絆」

2011-06-21 22:55:10 | Weblog
知り合いの障害者の話によると、「施設に通っていることを他人に言わない方が良い」
と言われたり、他にも信じられないような福祉観を持っている人がいることを、久しぶり
に聞いた。「死語」ならぬ「死フレーズ」とまでは思っていなかったが、「25条」は根付
いていないなと改めて思った。
そのような心ない言葉で心を痛めている福祉制度の利用者がどれだけいるのだろう。
世間では、「絆」や「心」や、その他気恥ずかしくなるような「ことば」が飛び交っている
というのに。

生活保護受給者に対して、「過保護」であり「不正受給が多い」との風潮が週刊誌ネ
タにされていたが、被災者に対する生活保護の原則の適用は、「行き過ぎ」と言う。

かつて、「老人が病院待合室を占拠している」というようなことが盛んに宣伝されたこと
もあった。

その頃、日本スリーデーマーチ参加者に対して、(初代)高橋竹山の演奏会をプレゼント
してくれたことがある。当時の東松山市長は、この演奏会に先立って以下のような話をし
た。
「…群馬県新町でスタートした「日本スリーデーマーチ」は第3回大会から東松山に会場
を移した。以来、ウォーキンググループの育成に力を注いだ。ウォーキングを通して健康
な市民を増やし、国民健康保険の財政を好転させたい…」

当時市民課に勤務していたウォーカーは、この話に感銘を受け、自分の町にウォーキング
グループを作りたいと思った。


二台の拡声器

2011-06-19 23:30:00 | Weblog
手話は日本語との対比では外国語に近いと思う。外国語を通訳する場合、そ
の国の言葉の決まりに則って言葉を変換しないと正確に伝わらないだろう。

日本語で話された言葉を手話に変換(通訳)するとき、まず、単語レベルで言
うと、手話の数が圧倒的に少ない。加えて、日本語の文法と手話の文法は違
うので、直訳すると聾者には正確に伝わらない。(聾者の日本語能力が高い
場合は、直訳でも通じる)だから、手話を日常的に使っていないと正確な通訳
はできない。

私は、手話活動から離れて20年になる(当時も上手ではなかったが)。だか
ら、新しい単語を知らないし、手話の世界で起きている事柄も少ない情報しか
もっていない。

当会で手話を母国語とする会員(聾者)は、私の下手な手話でも我慢して見て
(聞いて)いてくれる。必要最小限のことは伝わっていると思う。

通訳だけの場合でも楽ではないが、自分で話しながら通訳する場合は、本当は
辛いというか楽ではない。普通に話すだけでも苦手なのに、日本語から手話へ
の変換(通訳)まで意識しながらするのは、難しい。話しがぎごちなくなって
しまうし、手話と日本語の表現される時間の長さが違うので、知らない人は妙
な間が空いていると感じるだろう。それを意識してしまうので、余計ぎごちな
くなってしまうということもある。



<↑上のように使う:ここで通訳は話していないが、手話と同時に口を動かす
ことはよくある。口の形で、手話を限定的に読み取ることができる>

最近、例会で使っている拡声器に加えて、自分用のものを購入した。会の拡声
器は、マイク入力が一つしかないので、私が話すマイクと、司会者が話すマイ
クを差し替えながら話し、通訳しなければならない。手話がぎごちないところ
に持ってきて、機械の操作が加わるので、さらに面倒なことになる。
それを少し改善したくて2台目の購入となったわけである。

まだ使いこなしていないので、もう少し慣れる必要があるだろう。加えて、日
本語の話し方そのものも、練習しておかなければならないと思う。簡単なとこ
ろでは、まず、話す内容を事前に整理しておくことが必要だと思っている。
あとは慣れで対応していくしかないと思う。

例会と家族の風景

2011-06-18 23:03:05 | Weblog
本日は、香取駅から佐原駅までの10㎞を歩きました。香取駅は、香取神宮まで徒歩30分という位置に
ありますが、無人駅で駅前には店が一軒もありません。たまたま軽登山靴を履いてきた会員の靴底が
経年変化による劣化で剥がれてしまうというアクシデントがありましたが、応急処置でゴールまで歩くこ
とになりました。
JR成田線“香取駅”

JR成田線“佐原駅”


昨日から心配した雨も最後まで降らずにいてくれました。“水の郷さわら”で買い物とトイレをすませ、古
河に向かう途中で満を持したようなタイミングで降り出しました。古河庁舎に着く頃はだいぶ小降りとな
りました。道路が多少混み、古河着が6時30分、会員と別れを告げ6時40分。

そのまま野木の“ショートステイ”に母を迎えに行きました。施設着が6時59分。予定時間は7時までの
契約でしたのでギリギリのセーフ。車いすをたたみ車に乗り込む頃、少し降っていた雨は、ほぼ上がり、
濡れることもなく我が家に到着しました。

今回は朝が早かったので1泊のショートステイを利用しましたが、母は二晩泊まったと思っていたらしく、
余りよく眠れなかったと言い、早めに就寝しました。

明日は、アダプトプログラムの“(市との)合意書”を作成し、そのあと本日の例会の報告をHPにアップ
する段取りです。

月曜日午前中、作成した書類を持ち、三和庁舎にある環境部まで、会長他2名で手続きに行く予定です。

コースタイム

2011-06-17 23:55:13 | Weblog
当会では常に団体歩行で歩いています。歩行能力には個人差があるので、全体の動きに合わせなくてはなりません。
慣れない内はもどかしく感じる人や、やっと付いていく人が出たりします。これは慣れの問題で、自然と合わせることが
できるようになります。

ただ、その日の体調や、コースの状況により、当日のコースタイムに合わせられない人も出てきます。その時仕事をする
のが、スタッフの役割です。先頭はアンカーや中間のスタッフからの情報や、全体の動きを見て、スピード調整をします。

ここ2回ほど、事前にコースタイムを設定して歩いています。時速を4.5㎞とし、1分75mで換算し、2.8㎞ならば37分~
38分(約40分)を見て、目的地までのコースタイムを割り出して歩きます。これで、ほぼ設定通りに歩けるようです。参
加者の状況によっては、一定区間、時速5㎞で歩いてみようとか、5.5㎞を試してみるのも面白いと思います。

梅雨から夏本番へと体調管理が難しい季節になります。あまり無理をせず、「楽しく歩けたな」と感じられるような例会運
営をしていきたいと思います。

六分の三

2011-06-16 23:55:50 | Weblog
血圧を下げるための生活習慣の修正項目は六つあり、そのうち三つはクリアした。
①アルコール摂取量の制限、②適正体重の維持、③禁煙。
未達成が、④食塩制限、⑤運動療法、⑥野菜・果物の積極的摂取。
①は、量の制限が困難なので禁酒としたが、適量飲んだ方がよさそう(-_-)83日経過(^_^)v
飲んでると今頃起きていない!
②何とか(^_^)v
37年前就職直後の体重に戻ったが、筋力などは落ちているので、あまり威張れない!
③十年以上経過(^_^)v
もう隠れて吸っている夢を見ない♪
④6gはたぶん無理だろう(-_-)
食物の素材のうまさに目覚めればよいのだが!
⑤毎日歩きたいのだが(^_^;)
アル中は簡単になれそうだが、歩き中毒(あるちゅう)はいまだ実現せず!
⑥嫌いじゃないが、あまり努力していない(^_^;)

リュックの不可欠な機能

2011-06-15 23:38:13 | Weblog
手ぶらで歩くためにリュックは必需品です。雨もまた自然であるからには、雨対策は避けて通れません。

今使っているこのタイプは3代目となります。肩紐の位置がリュックの上部から少し下がったところに付いています。
このため、カバーを付けたとき、下記のようになります。雨の進入がかなり防げます。
カバーがリュックからずり落ちているものをよく見かけます。リュックの中の濡れてはいけないものは、ビニール袋に
入れますが、雨が進入しない方が良いので、この機能は欠かせません。

雨には濡れなくても、汗で濡れることはあります。これが肩ベルトから浸みだして内部にまで進入します。
その対策のためか、このリュックの肩紐は、網状になっており、濡れることがありません。
完璧ではありませんが、かなり高機能です。皆さんも、雨対策にはこのようなリュックを選んでください。

コース図

2011-06-14 23:30:53 | Weblog
明後日行く例会のコース確認に行ってきました。今回は2度目。最初は震災前。写真のブルーシートは伊能忠敬の生家で、損壊が大きかったため中には入れませんでした。
近辺は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていますが、復興中でやはり入れない建物がいくつかありました。建物周辺は整理されていたので危険なことはありませんでした。平日にもかかわらず、多くの観光客が訪れており、市役所の職員が来訪者にアンケートを行なっていました。


「伊能忠敬先生像」のある庭には入れたので記念撮影。

前回の下見で、コースに不確かなところが1箇所あったため、確認のため行ったのですが、二万五千の地図では、道がはっきりと表示されておらず、コースラインを引くのに迷いました。GPSを持って行ったのでほぼ確定できそうです。ただ少し雑に見てきてしまったので、地図の上で確認をとりながらの線引きはできませんでした。今回の反省点です。

魚屋の娘と車屋の息子

2011-06-13 23:09:33 | Weblog
私の父母のことである。母の実家は、味噌、醤油、塩、酒、駄菓子などを商う商店で、父の方はその昔水車小屋で精米を生業としていた。父の方はわかるが、母の方は、時代を遡らないとわからない。単純な話で、江戸時代は魚屋だったらしい。今は、酒屋に専念しているが厳しいようだ。

私がよく行く本屋は、「かもじや(髢屋)本店」という。髢(かもじ)とは、日本髪に使う添え髪(義髪)のこと。本を売っているから本店ではなく、「支店」に対する「本店」のようだ。「かもじや支店」というのが20年くらい前まであったが、手芸用品、化粧品などを商っていたので、こちらの方はその面影を残していたようだ。

事務局の用事でコピーをしに行くのは、「近長酒店」。酒店、燃料店の他にコンビニも経営している。「坂長」という酒問屋が近くにあるので関係があるのかと聞いてみたところ、無関係という。滋賀県の近江出身だったので近江屋だったのだが、市内に近江屋という店が3軒あり、間違い電話が多かったので、談合の結果近江の長兵衛が当時の主人だったので、近長としたとのこと。

屋号というのは面白い!!

三十七年一昔

2011-06-12 23:48:06 | Weblog
うがったタイトルですが、「十年」という歌に引っかけたのと、最近ここでよく触れるようになった手話に関連した数字でもあります。ネタをばらすと、私が手話を学び始まってからの年数です。…が、37年も継続しているわけではありません。学んだと言えるのは12年くらい。再開のきっかけは、5年前の「高崎観音だるまマーチ」で、日立のIさんに会い、共通の知人に聾者のウォーカーがいたことです。

Iさんは、大阪に住んでいたとき手話を学びはじめ、Sさんという聾者と知り合った。私は、全国を歩き回っていたとき、Sさんと各地で一緒に歩き知っていた。共通の知人であることがわかり、次第にウォーカーの聾者グループが育ちつつあることを知ったのです。その後、3人の聾者が日本ウオーキング協会の公認指導員の研修会に参加するという話が持ち上がり。手話通訳をどうするかというところで、少し関わったのが始まりでした。当初、当会には聾者はいませんでしたが、聾者グループの知り合いが栃木県に住んでいることから、当会を紹介され入会してから次第に参加者が増えていったわけです。

私は、仕事柄、あるいはボランティアとして障害者に関わることが多かったので、多くの障害者が日常的に運動をする機会に恵まれていないことを知っていました。もちろん例外はあり、全盲でスポーツ万能という方や、全聾で陸上競技で活躍している人も知ってはいました。…が、多くは、情報不足のため、ポピュラーなスポーツに触れる機会そのものが閉ざされているのです。

たまたま昔関わった手話とウォーキングが私の中で結ばれて、現在に至っているわけです。聞こえる人も聞こえない人も一緒にウォーキングを楽しめる会にしていきたいと思います。ノーマライゼーション(障害を持つものも持たないものも、分け隔てなく社会生活を営める社会が正常な社会であるという考え方)を会の中で実現することから始め、少しずつ社会に広げていければと微力ながら願っています。

救援募金

2011-06-11 10:20:30 | Weblog
N会員からの声かけをきっかけとして、総会、例会で震災救援募金を呼びかけ、朝日新聞厚生文化事業団
を通じて支援金を送ったのが4月25日。新聞掲載を希望する会員が多かったので、その旨希望した。
毎日、新聞を見ていた限りでは誰の分も掲載されず、よっぽど(茨城弁とのこと。庄内弁にもあるらしい。後
で調べてみたい)整理が付かないのかと思っていた。

巷では、募金の配分が遅いと騒がれている。最後は役所で配分することが多いので、小さな政府を目指す
自治体が多い中、気の毒にも思う。自治体の対応の違いもあるが、できるだけ早く配分されることを願いたい。