悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

不可能ではない、が…

2011-07-01 23:22:33 | Weblog
昨日、10㎞は不可能ではないと書いた。たとえにしては設定が高すぎたかもしれない。
これまでの感覚からいえば、10㎞という距離は軽い部類に入る。ただ、毎日というのと、
ゆっくり歩くと2時間かかることをちょっと横に置いて筆を滑らせたかもしれない。
(キーボードを打ち間違えたというと、言い訳がましくなる)

我が家から71m北に行くと通称「十軒道路」という道路がある。「十軒道路」は、古河駅
からほぼ真東に延びている。これを「マピオン」の「距離測」で測ると「和亭静の里」が
4,875m。この少し先が5㎞地点だから、往復すると10㎞になる。
時速6㎞で歩くと1時間40分。例会や下見は10㎞以上歩くから、それ以外の日を10㎞
歩き、調子に乗ったら大会などで20㎞~30㎞を歩けば、月に400㎞はいける。
年間4,800㎞、8年4ヶ月で地球一周40,000㎞となる計算だ。

これは希望的観測の数字。特に、大会に月5~6回というのは、毎日の10㎞を差し引か
なくてはならないので、現状では不可能だ。現実味があるのは、毎日10㎞を30日、月に
300㎞というところか。そうすると、13年3ヶ月ということになる。

これだと明日から始めても、74歳となる。順調にいっての話だから、何か事故があれば
実現は難しい。以前、108歳まで生きたいと言いふらしていたことがある。愛知の知り
合いが言い出したのをまねたものだが、最近では自信がない。まして、元気に歩いての話
だからなおさら難しい。

私は、宇宙や星には関心がないが、宇宙飛行士が地球に帰ってくると、骨密度が低下する
という話には関心がある。また、高齢になるほど動かないことによる筋力の低下が著しい
ことも、最近の私を「脅迫」してくれる。

もう少し「脅迫」を続けるか、あるいは観念して歩き出すか。時間はあまりないんだよ!!

閑話休題


これは、今日、北川辺のそば屋に行ったとき撮ってきた写真。前に「県境の町騒動」
と題して書いたが、勘違いではなかった。これでは「加須市板倉町」と読める。
近づいてみると、合併前は「北川辺町」と書いてあったところに「加須市」という
シールを貼り付けたらしい。「北川辺町」と「板倉町」は、並列しても二つの町と
自然に読める。私のような「特殊な」環境にある者が見ると、「群馬県板倉町」と
「埼玉県加須市が」合併して、「加須市板倉町」と読む可能性があるではないですか!!

↑この押しつけがましい「…ではないですか。」は大嫌いな若者言葉?(最近は年寄りも
使っている)だが、ここでは良いかな?

明日、加須市役所に、この写真を添付したメールを送り、注意を促そうと思う。





歩く理由を

2011-06-30 23:36:57 | Weblog
先般ウォーキング指導員の活動実績報告書を提出した。その集計結果によると、報告対象
期間15ヶ月のうち、歩行日数が全日であった人が2名いたそうだ。
私はというと、86日。一ケ月平均6日弱。それも内容は、例会、下見その他自主参加の
ウォーキングが少々という結果。とても恥ずかしい。

どうしてこんなに歩かないのか。日常的なウォーキングは、ほとんどしていない。
歩かなければならない時だけ歩いている。例会、下見は億劫ではない。その他約束した大
会には億劫がらずに行っている。日常的な、健康維持のためのウォーキングをほとんどし
ていないのが問題だ。

こんなことではいけないと、毎日思っているが、動き出せない。正確にいえば、億劫なた
めだ。この時期だと、暑い、…言い訳を書きだしても意味がないので省略する。

私にとって、困った状況ではある。私がこれまで困ったという自覚をしたことといえば、
たばこ、酒である。どちらも、さんざん迷った挙句時間をかけて禁煙、禁酒した。しかし、
この二つはやめた事柄なので、ウォーキングを「する」というのとは、正反対のことだ。
しかし、なんとか、理由をつけてやめる決心をした。酒はまだ100日くらいなので、宴
会では飲もうかなどと考えているので、不安材料は残る…。

日常的なウォーキングもなんとか自分で納得できる理由で追い込めば、歩けるかも
しれない。ただ、<歩くことが嫌いなわけではない>ので、念のため。

簡単に考えて、ウォーキングをする理由、常識的な理由はいくつでもある。そのどれもが、
今のところ動き出す後押しをしてくれない。このまま、非健康的な状態を続けると、体が
後戻りできないくらいに後退してしまうことは理解できる。これは、かなり自分を脅迫して
くれる。
今、膝や腰に多少問題があるが、歩けないほどではない。取手のナイトウォーク(45㎞)
も迷っているくらいの体力はあるつもりだから、毎日の10㎞は、体力的に不可能ではない。

私の性格からして、もう少し愚図愚図と迷い、追い込まないとダメかもしれない。



雨後の花々

2011-06-29 21:53:38 | Weblog
先に、植木の手入れにシルバーの人が入ったことを書いたが、片付けは自分で行なうつも
りでいたが、その後あまり片付けていない。草も好き勝手に伸びている。雑草で庭づくりみ
たいな本を買ったりして、雑草をあまり邪険にしない付き合い方をしていこうかと思っている。
ただ、父が菊の栽培を長く続け、菊花愛好会の運営に生涯を捧げていたこともあって、申し
訳ない思いで庭を眺めている。

今日は朝からの晴天で次第に気温が上がり蒸し暑くなった。部屋のエアコンを入れ、涼んで
いたら急に雨が降ってきた。門の外においてあるベンチを片付け、風呂場のマットなどを片付
けていると、庭の花々が雨粒をつけて瑞々しさを増してきた。
しばらくすると雨が上がったので、デジカメを持ちだしホタルブクロ、アガパンサス、ニッコウ
キスゲを撮った。







地植えになっているものは、水をくれなくても勝手に生きていてくれるが、鉢植えは、「世話
をするよ」という約束の下に世話を始めたはずだ。契約者は、父だが、やはりこれも相続して
いるはずなので、責任を放棄するとマズイのだろうな。残念ながら、いくつかの鉢植えをだめ
にしてしまった。とくに、手入れが必要なものは放置されてひねてしまった。エビネや、クチナ
シ、大きくなりすぎた観葉植物、その他にも植え替えが必要なものがある。

不肖の息子を持った父は、ため息をついているだろうな(-_-)

捜し物は何ですか

2011-06-28 23:49:54 | Weblog
我が家ではよく捜し物をしている。たいていは出てくるが、時間がかかる。今日は、
1時間くらいかかった。今回の忘れ物は、3日前の土曜日に土浦に車ででかけたと
き同行者に見せた書類。同行者が、補助席の椅子の脇に挟み込んだのを見て、降
りるとき持ち帰ればいいやと思った。…そのまま置きっぱなしにした。
今日、その書類を役員会で配布しようと思い、部屋の中を探し回ったが、どこにもな
い。(当たり前だ)
そんなこんなで1時間くらいかかった。こんなことが、毎日のようにあり、所要時間は
短いの(数分)から数日というものまである。これらの時間を記録しておき、1年分を
計算したら、どれくらいになるのだろう。たぶん、何日にもなると思う。まさか、一ヶ月
にもならなければよいが…。一年の内の一ヶ月を捜し物の時間に当てているなんて、
考えただけでも恐ろしくなる。捜し物の時間は、有益な時間ということはなく、ほぼ間
違いなく「時間の無駄」だ。

以前、こんな「ムダ時間」を無くすために、エクセルで「しまったものリスト」を作ったこ
とがある。「期日」、「物品名」、「しまった場所」、「備考」などを入力する。もちろん、
ということはないが、続かなかった。続かなかった理由はわからないが、いちいち書
き込むことが面倒だったのだろう。

捜し物をしているぼうだいな時間に、肯定的な意味はあるだろうか。思いつかない。
頭を回転させるということは、「ぼけ防止」になるかもしれないが、思い出せないとい
う経験の積み重ねは、悪い作用を脳に与えるような気がする。


石けんと女工

2011-06-27 23:39:44 | Weblog
「寅さん」はあまり好きなドラマ、映画ではなかったが、渥美清の「泣いてたまるか」
というテレビドラマは好きだった(1966年4月17日から1968年3月31日の間に放送さ
れた)。細かいことは忘れてしまったが、渥美清がいろいろな職業の主人公を演じ、
寅さんのように決まった職業ではなかった。普通の、不器用だが「いい人」だった。

その中でも、主人公が好意を寄せる女性が石けん工場に勤めており、傍にいると
石けんの香りがする女性に、「石けんの香りが好きだ」と言う台詞を言っていたの
を今でも覚えている。正確に覚えているわけではないが…
その女性は、吉永小百合のような気がしていたが、違っていたかもしれない。

私の年齢は、15歳から17歳だから、高校生の時だった。職業の選択もほぼ決まっ
ていた。受験する学校も決まっており、予想では合格するはずであったが、不合格
となり、父との約束で国鉄に就職した。その後国鉄は辞めてしまったが、思い出す
と懐かしい。

今日は、母が自分の若い頃の写真が見たいというので、弟が持ってきてくれた動く
写真立て(デジタルフォトフレーム)を見た。父母の若い頃の写真や私たち兄弟の子
どもの頃の写真も入っている。久しぶりに父の写真を見ると、改めて、「居ないんだ
なぁー」と思われる。月並みだが、寂しさを感じ、懐かしい気持ちになった。
見終わってから、母が「仏壇に飾る写真がないな」と言い出した。適当な写真を探そ
うとしたのかもしれない。

石けんや、花などの香りは、古い記憶と結びつき、記憶を引き戻すことがある。

香りだけではなく、夕焼けの色や音楽なども記憶を呼び戻す。ふと思い出した「泣い
てたまるか」のドラマから、連想が広がった。


斑入りノウゼンカズラ

2011-06-26 23:24:11 | Weblog

斑入りノウゼンカズラがやっと咲いた。小さな鉢で購入してから15年くらい経つだろう
か。その間何も手入れをしていなかったが、枯れずにいた。どういうわけか、鉢から出
て、あちこちに葉を伸ばすようになった。それでも花は咲かなかった。
昨日気がついたのは、鉢から出て、門柱付近の松の根もとあたりに数年前から葉を茂
らせるようになったものだ。

こちらは、普通のノウゼンカズラ。やはり花を付けるまでに年月を要したが、数年で咲い
た。こちらは、最初から地植えにしていた。調べてみると、斑入りの方は、2~3年で花
芽を付けると書いてあった。
ノウゼンカズラは自立して育ちにくく、他の木に絡みつき育つ。いずれは絡みついた木
を枯らしてしまうらしい。我が家では、支柱を立てたり、別の木にひもで結びつけたりし
て何とか姿を整え、花を咲かせてきた。今年はひもを縛り付けた木が腐ってしまったの
で、植木を手入れしてくれるシルバーの人に頼んで、街路樹の支柱のようにしてもらっ
た。しばらくはしっかりと立っていてくれそうである。

コーヒーとカークダグラス

2011-06-25 23:52:06 | Weblog
酒を止めるとコーヒーを飲むことが多くなり、300gの豆が10日でなくなる。
コーヒーといえば、しばらく忘れていた職場の先輩のことを思い出した。アメリカ
の映画俳優のカークダグラスに似て、少しあごのしゃくれた、渋い顔をしていた。

彼は福祉事務所で生活保護の担当をしていた。車の免許を持っていなかったの
で、雨の日も合羽を着て自転車で走り回っていた。仕事上の記録もきめ細かに
書く几帳面な人だった。
彼は、学生時代結核をやったので、あまり丈夫でなく、医師からはあまり無理を
しないよう注意されていたが、手を抜かない人だった。

また、絵で身を立てようと思っていたこともあるらしく、東山魁夷などが好きだった。
そんな彼に絵を教えてもらおうかということになり、一緒にスケッチブックを買いに
行った帰り、私の家に寄りコーヒーを一緒に飲んだ。当時、私はコーヒーに凝って
おり、上皿天秤で豆を量り、ブレンドを試していた。その日は、偶然うまく淹れるこ
とができ、先輩からほめられた。

この先輩も含め、当時の福祉の仲間は、皆仕事熱心で近くの喫茶店に入り浸って
は福祉の話をしていた。

手話を始めたのもこの仲間が中心となり、職場内に「手話研究会」を作ったのが始
まりだった。その集まりが元になり、「古河手話を学ぶ会」ができた。この会は、今
でも活動している。

コーヒーのできをほめられた2、3日後から先輩は風邪を引き、仕事を休んでいたが、
突然体調を悪化させ、亡くなってしまった。まだ30歳を少しでたばかりの若さだった。
この先輩の担当地域を引き継いだので、仕事ぶりがよくわかり、惜しい先輩を亡くし
たと、今でも残念に思う。



嫌いな夏が

2011-06-24 23:42:03 | Weblog
子どもの頃から夏が嫌いで、毎日ぐだぐだしていた。山やウォーキングで汗をかくのは
嫌いではないが、平地で服が濡れるのは不快で、避けたいという気持ちが占領する。

ところが、気がついてみると、子どもの頃ほど不快感が強くない。腰や膝が老化により
変化しているように、季節に対する感覚も変化しているようだ。そういえば、冬や秋が
好きだったのに、寒さは少々辛くなりつつある。

今月は、古くなったエアコンを2部屋入れ替えた。高齢の母が熱中症にならないように
という言い訳も用意してあるが、自分の適応能力の低下に対応するためでもあり、快
適な環境で過ごしたいという普通の欲求に従ったまで、でもある。

また、ナイトウォークの季節がやってきた。今年はどうしようか。年々長距離が辛くなっ
てきた。寝だめならぬ歩きだめが効かなくなってきている。どちらもいけないこととされ
ているが、歩きだめは一ヶ月くらいは効くと思っていた。それが効かなくなってきつつあ
る。
これもやはり体の変化の一つであるようだ。

県境の町騒動

2011-06-23 23:44:06 | Weblog
群馬県邑楽郡板倉町にある「原田製麺」から「お中元にうどんを贈りませんか」とダイレク
トメールが届いた。たいへん美味しい生麺を製造している会社だ。

3月のある日、埼玉県加須市のうどんが美味しいという店に行った帰り、埼玉県久喜市の
定福院というお寺に寄り、群馬県邑楽郡板倉町の「原田製麺」に行き、うどんを買って帰っ
た。板倉町に行く途中、道を間違え、案内看板を頼りに埼玉県と群馬県をうろうろと行った
り来たりした。いくつも眺めた案内看板の中に「加須市板倉町」という看板を見つけた(よう
な気がした)。

少し走って、愕然としたのは、「5県ウォーク」ができなくなってしまったことに気がついた
からだ。群馬県板倉町は、天狗の鼻の如く、栃木県、埼玉県の県境をなす渡良瀬川の土
手に先端を接している。このため、3.3キロ歩くと「茨城県古河市」、「埼玉県加須市」、
「栃木県栃木市藤岡町」、「群馬県邑楽郡板倉町」と4県を通過できる。
遊水地の谷中湖をぐるっと回って10㎞をかせぎ、千葉県野田市往復約40キロを加えると、
50㎞コースができあがる。1日で5県を歩けるのは、県境の町ならではである。

「群馬県邑楽郡板倉町」が越境合併して「埼玉県加須市板倉」になってしまうと、4県にし
かならない。7~8年前から一人で騒いでいたが、ぐずぐずしている内に「5県ウォーク」
が消滅してしまう…と思った。

けっきょく勘違いだったわけだが、「埼玉県加須市北川辺町」は、以前「茨城県」だったこ
とがあり、「古河市」は、明治4年印旛県古河町だったことがあり、また、隣の「茨城県猿
島郡五霞町」は「埼玉県久喜市」と合併の話が持ち上がったことがある。というように、勘
違いをする素地はあったのである、と言い訳をしたくなるのも許していただけるのではない
だろうか(^_^;)

心地よい対応こそ

2011-06-22 23:07:59 | Weblog
21日付朝日新聞の記事。「世界遺産 楽じゃない 騒音ゴミ「観光公害」/費用が重荷
断念も」
日本各地の「世界遺産」、地域が抱え込む負の部分が多く、対策に頭を悩ませている。
観光客が殺到し、騒音や振動、マナーの悪い観光客、ゴミの不法投棄や山野草の採取。
民家の植木を盗む等々。経済効果ゆえに引き受けざるを得ないのか?
山形県では、登録に要する費用が膨大なため、取りやめたそうだ。

世界遺産でなくても、地域に観光客を呼び込めば、ゴミが増え、対応に費用がかかる。
経済効果があれば、費用も賄えるが、不法投棄のゴミや騒音、山野草の盗掘などは、
費用と考えたくはない


難しいことかもしれないが、観光客として訪れた人が、「その地域を大切にしたいと思い、
地元に負担をかけないようにしよう」という配慮が働くような取り組みができないだろうか。

ちょっと違うかもしれないが、「飯能新緑ツーデーマーチ」は、参加者が心地よくなる大会
だ。スタッフの対応が良いので、終始にこやかなやりとりが交わされている。大会の対応
に文句を言う参加者も少ないような気がする。

そんな地域には、「ゴミを落とさず、きれいなままにして帰ろう」と思う参加者が増えるの
ではないだろうか。
マナーの良い参加者ばかりが来るということはないだろう。例えマナーの悪い参加者がい
ても、柔らかく包み込んでくれているのではないだろうか。結果として、ごく少数のマナー
違反者がいても、全体の中に吸収され、心地よい大会として、参加者間で語り継がれて
いるのではないだろうか。

古河の花桃ウォーク、つくば国際も、多くの参加者を迎え、十分採算が取れるような大会
にできれば素晴らしいことだと思う。