先日駅の構内で人を刺傷させる事件が有りましたね。
話せば分かるでは無くて、話す前に問答無用で刺される世の中に成った。
(尤も話せば分かると言った五・一五事件の犬養首相も、結局問答無用で犠牲と成ったが)
自分の自己中的な考えに反する事を、あらゆる手段で排除すると言う考えの下の行動
まあ、その考えが真っ当な事で有れば良いが、単細胞的に後先を考えずに突っ走る
尤も人間以外の動物は無用な争いはしない
キレる子供、キレる大人、キレる老人、何でも有りのこの頃
通常は、幾ら腹が立っても、暴力を以て抑えつけようとする事に躊躇いを感じるのが普通、まして傷つける事などしてはいけないと、大方の人は頭の中でブレーキがかかる筈だと思う。(偶に躊躇いを感じない人もいるが)
今度の事件は、肩がぶつかり頭に来たので刺した、秋葉原の事件もそうだし、枚挙にいとまが有りません、やたらと似た様な犯罪が出て来てます。
冷静に事の状況を紐解いて見ると、相手を刺して逃げ切れるとでも思ったのだろうか?
人を刺してもし逃げ切れたとして、これから生きて行く上で後悔の念は浮かばないのだろうか、若し浮かばないとしたら、人間の資格は無いし、そんな人間に世の中をうろうろされたら危なくってしょうがない。
そんな事をしたら一生償わなければ成らなくかもしれないと言う事を考える暇も無かったのか
ねえ~、そんなもん考えなくても、天秤にかけなくても、事の善悪は即座に分かる事じゃないのかな。
自分の欲しいものを買って貰えない時、子供が地面に寝て、泣きわめく姿と少しも変わらない
何が悪い、とどのつまり「親の躾」と言う事に成る
自分の要求は全て正しい、自分がこの様な苦しい生活をしているのも、全て人のせいだと考えるように成ってしまった原因は何か?
多分我慢とか、お預けとかと言う事を余り経験しなかったからでは無いのかな
社会的集団生活を営む上では、意にそぐわない事の連続だからこそ子供のうちに、叩きこまなければならない。
ジャンジャック・ルソー はこう言っています。
『子供を不幸にする確かな方法は、何でも手に入れられるようにする事と』
彼等は判決を受け、刑に服している間に、否が応でも我慢とお預けを学習する事に成るが
事件の代償は大きく、気付いた時にはもう遅いのである。