山崎城
2012/11/18
京都府大山崎町の城めぐり
天下分け目の山崎合戦のあった地に築かれた豊臣秀吉の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 山崎城
よみ: ヤマザキ
別称: 鳥取尾山城・天王山城
所在地: 京都府乙訓郡大山崎町大山崎古城
現状: 山
築城年代: 南北朝時代初期
築城者: 赤松則祐
形式: 山城
遺構: 曲輪・天守台跡・井戸・土塁・石垣
規模: 標高270m、比高240m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/11/18
≪ 訪城記 ≫
名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。ここに駐車させてもらう。
ここから徒歩で天王山山頂の山崎城跡へ向かう。
宝積寺の境内へ入り、その右手、社殿と閻魔堂の間から突き当りに天王山への登山道があり、天王山山頂への案内板が出ている。
閻魔堂北側にある池の中にある小さな社付近はちょうど紅葉の季節で、とても綺麗でした。
しばらく登ると左手に青木葉谷広場があり、この広場に堺屋太一氏の「秀吉の道」と題した「秀吉の中国大返し」について書かれた石碑が建てられている。この後も山頂までの要所要所に建てられていて、この碑文を読みながら登るのもいいです。
また、この広場右手にも曲輪跡のような段曲輪があります。
30分程で酒解神社の鳥居前に着きます。この鳥居前には山崎合戦の地の石碑や旗立松があり、鳥居を過ぎたところ左手に「秀吉の道」、「天下分け目の天王山」の石碑が2枚あります。この後、分かれ道があり右側の道を行くと、すぐに禁門の変十七烈士の墓があります。そのまま登っても、元の道をまっすぐ行っても、酒解神社に着きます。入り口に三社宮の古い社があり、そのまま登ると酒解神社です。
神社を通り過ぎて、さらに登っていくと山頂に着きます。ここが山崎城跡です。奥の一段高いところに石が積まれていて天王山山頂の標柱のある場所が天守台跡のようです。本丸跡左に一段下がった曲輪があり、そこには井戸跡や土塁跡、さらに奥に帯曲輪があり、ここに石垣跡があるそうですが、わたしは分かりませんでした。
登山道脇には削平地や石垣跡が所々にあり、登りながら見つけるのも楽しいです。
帰りに大山崎町歴史資料館に寄りました。
大山崎町歴史資料館の詳細 ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
摂津国の南朝方から京都を防御するため、南北朝時代初期に播磨守護赤松則村の子則祐によって天王山山頂に築かれた。
応仁の乱頃、西軍に対抗するため山城守護山名是豊によって修築される。
その後、三好元長、柳本賢治・法華一揆、一向一揆の諸勢力の間で争奪が繰り返される。
天文七年三月 (1538) 細川晴元が修築をする。
天正十年六月 (1582) 本能寺の変後、備中国高松城から大返しをした羽柴秀吉と明智光秀が、この山崎の地で天下分け目の合戦を行い、天王山を占領した秀吉方が勝利し、秀吉は翌年六月に大坂城に移るまで山崎城を本拠地とした。
≪ 写 真 ≫
宝積寺
青木葉谷広場
酒解神社鳥居前にある山崎合戦の地の石碑
酒解神社鳥居前にある旗立松
酒解神社鳥居
禁門の変十七烈士の墓
三社宮
酒解神社
酒解神社神興庫
本丸西側の帯曲輪
本丸西側の井戸跡
井戸のある曲輪の土塁跡
本丸の一段高い天守台跡
本丸跡
宝積寺の紅葉
天王山山頂にある案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線山崎駅より徒歩50分。
<車>
名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
宝積寺社殿と閻魔堂の間にある登城口
天王山山頂の山崎城跡
大山崎町歴史資料館
紹介したお城の数 33城
2012/11/18
京都府大山崎町の城めぐり
天下分け目の山崎合戦のあった地に築かれた豊臣秀吉の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 山崎城
よみ: ヤマザキ
別称: 鳥取尾山城・天王山城
所在地: 京都府乙訓郡大山崎町大山崎古城
現状: 山
築城年代: 南北朝時代初期
築城者: 赤松則祐
形式: 山城
遺構: 曲輪・天守台跡・井戸・土塁・石垣
規模: 標高270m、比高240m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/11/18
≪ 訪城記 ≫
名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。ここに駐車させてもらう。
ここから徒歩で天王山山頂の山崎城跡へ向かう。
宝積寺の境内へ入り、その右手、社殿と閻魔堂の間から突き当りに天王山への登山道があり、天王山山頂への案内板が出ている。
閻魔堂北側にある池の中にある小さな社付近はちょうど紅葉の季節で、とても綺麗でした。
しばらく登ると左手に青木葉谷広場があり、この広場に堺屋太一氏の「秀吉の道」と題した「秀吉の中国大返し」について書かれた石碑が建てられている。この後も山頂までの要所要所に建てられていて、この碑文を読みながら登るのもいいです。
また、この広場右手にも曲輪跡のような段曲輪があります。
30分程で酒解神社の鳥居前に着きます。この鳥居前には山崎合戦の地の石碑や旗立松があり、鳥居を過ぎたところ左手に「秀吉の道」、「天下分け目の天王山」の石碑が2枚あります。この後、分かれ道があり右側の道を行くと、すぐに禁門の変十七烈士の墓があります。そのまま登っても、元の道をまっすぐ行っても、酒解神社に着きます。入り口に三社宮の古い社があり、そのまま登ると酒解神社です。
神社を通り過ぎて、さらに登っていくと山頂に着きます。ここが山崎城跡です。奥の一段高いところに石が積まれていて天王山山頂の標柱のある場所が天守台跡のようです。本丸跡左に一段下がった曲輪があり、そこには井戸跡や土塁跡、さらに奥に帯曲輪があり、ここに石垣跡があるそうですが、わたしは分かりませんでした。
登山道脇には削平地や石垣跡が所々にあり、登りながら見つけるのも楽しいです。
帰りに大山崎町歴史資料館に寄りました。
大山崎町歴史資料館の詳細 ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
摂津国の南朝方から京都を防御するため、南北朝時代初期に播磨守護赤松則村の子則祐によって天王山山頂に築かれた。
応仁の乱頃、西軍に対抗するため山城守護山名是豊によって修築される。
その後、三好元長、柳本賢治・法華一揆、一向一揆の諸勢力の間で争奪が繰り返される。
天文七年三月 (1538) 細川晴元が修築をする。
天正十年六月 (1582) 本能寺の変後、備中国高松城から大返しをした羽柴秀吉と明智光秀が、この山崎の地で天下分け目の合戦を行い、天王山を占領した秀吉方が勝利し、秀吉は翌年六月に大坂城に移るまで山崎城を本拠地とした。
≪ 写 真 ≫
宝積寺
青木葉谷広場
酒解神社鳥居前にある山崎合戦の地の石碑
酒解神社鳥居前にある旗立松
酒解神社鳥居
禁門の変十七烈士の墓
三社宮
酒解神社
酒解神社神興庫
本丸西側の帯曲輪
本丸西側の井戸跡
井戸のある曲輪の土塁跡
本丸の一段高い天守台跡
本丸跡
宝積寺の紅葉
天王山山頂にある案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線山崎駅より徒歩50分。
<車>
名神高速道路大山崎ICで降りて大山座IC信号を右折、国道171号を南西に進み東海道新幹線高架下を通り約1.4kmで大山崎交差点を右折、もう一度東海道新幹線の下をくぐり、約200mで左折して府道67号西国街道を進み、大山崎町歴史資料館を右手に通り過ぎ、阪急京都線の下をくぐり、約600mで右折、東海道本線山崎駅前を北東に約200mで突き当りに東海道本線の踏切があり、この踏切を越えて、そのまままっすぐ狭い山道を登っていくと宝積寺の入口に着き、その右手に宝積寺の参拝者用駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
宝積寺社殿と閻魔堂の間にある登城口
天王山山頂の山崎城跡
大山崎町歴史資料館
紹介したお城の数 33城
日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック) | |
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