清洲城
2013/2/24
愛知県清須市のお城めぐり
織田信長が桶狭間の戦いに出陣したお城
清洲会議の舞台になったお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 清洲城
よみ: キヨス
別称: 清須城
所在地: 愛知県清須市清洲
現状: 清洲古城跡公園・清洲公園・清洲城広場
築城年代: 応永十二年(1405)頃
築城者: 斯波義重
形式: 平城
遺構: 模擬天守・復元本丸石垣
規模: 2,000m×2,500m
文化財:
訪城日: 2010/8/8・2013/2/24
≪ 訪城記 ≫
名古屋高速16号一宮線春日出口で降りて、そのまま高速下の国道22号名岐バイパスを清洲IC下の朝日交差点の朝日南西信号を右折、名古屋環状2号線下の道を西へ進み、五条川を渡り、清洲中学校交差点を左折、もう一度五条川を渡り、清洲橋信号を右折、直進すると清洲城模擬天守が正面に見える。この模擬天守前で左折、広場の終わるところに市民センター駐車場がある。ここに車を駐車する。他にも清洲中学校交差点を直進してすぐ、左手の日産プリンス過ぎを左折した道を入って行くと清洲古城跡公園の駐車場に着く。
市民センター駐車場から西に歩くとすぐに清須城模擬天守に着く。広場は工事中で入ることができない。
清洲模擬天守前を五条川が流れていて、赤い大手橋がかかっている。
この大手橋を渡った五条川西側の一帯が清洲城跡で中央を東海道本線と東海道新幹線が通っていて東側が清洲古城跡公園で西側が清洲公園となっている。
まずは大手橋を渡った清洲古城跡公園の「清須ふるさとのやかた」右の堤防道の沿いに復元本丸石垣があり、説明板がある。
やかたの裏の小高い丘の上には信長公の社と「右大臣織田信長公古城跡」・「清須城墟碑」の二つの石碑が建っていて、その下に清洲城の説明板がある。
線路の下を堤防沿いに西へ進むと、線路の西側に清洲公園があり、ここには織田信長公の銅像と一緒に、以前は清洲城広場にあった濃姫の像が今は並んでいます。
桶狭間の戦いでは織田信長がこの清洲城で幸若舞「敦盛」を舞って出陣していく姿が目に浮かびます。
その後、模擬天守内を見学しました。入場料は大人300円でした。
この城は西向きに建てられているせいで、黒塗りの精悍なお城の姿を写真に撮る時間帯は早朝時には逆光になってしまいます。
おすすめは昼過ぎが良いと思います。わたしは早朝に着いたため、良い写真が撮れませんでした。
清洲城の詳細 ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
応永十二年頃 (1405) 尾張守護職斯波義重が五条川の左岸沿いに築城したといわれている。
文明八年 (1476) 尾張守護所下津が戦乱で焼失し、清洲に移転した。
文明十年 (1478) 織田敏定が清洲城を中心に尾張下郡、織田敏広が岩倉城を中心に尾張上郡を分割支配する。
弘治元年 (1555) 織田信長が尾張守護代織田信友を倒し、清洲城に移る。その後、弟織田信勝を清洲城で誘殺し、永禄二年(1559)、岩倉城の織田信賢を攻め尾張をほぼ統一した。
永禄三年 (1560) 今川義元の大軍が尾張に攻め入った際、織田信長は、この清洲城で幸若舞「敦盛」を舞って出陣し、桶狭間の戦いで見事義元を討ち戦国の世に頭角を現した。
永禄六年 (1563) 織田信長は美濃国の稲葉山城を攻めるため清洲城から小牧山城に移る。
天正十年 (1582) 本能寺の変で斃れた信長の後継者を決める清洲会議が清洲城で行われる。
天正十四年 (1586) 清洲会議後、信長の次男織田信雄が居城を清洲城に移し大改修を行う。
天正十八年 (1590) 豊臣秀次が城主となる。
文禄四年 (1595) 福島正則が城主となる。
慶長五年 (1600) 徳川家康の四男、松平忠吉が城主となる。
慶長十二年 (1607) 徳川御三家徳川義直が城主となり、慶長十五年(1610)、名古屋城を築城して「清須越し」が行われ、清洲城は廃城となる。
明治三十一年 (1898) 清洲公園が造られる。
平成元年 (1989) 旧清洲町制施行百周年を記念して清洲城天主閣が建設される。
≪ 写 真 ≫
清洲古城跡公園にある復元本丸石垣
清洲古城跡公園にある信長公の社
清洲古城跡公園にある清洲城墟碑
清洲古城跡公園にある右大臣織田信長公古城跡碑
清洲城址碑
清洲公園に建つ織田信長公像と濃姫像
織田信長公像
信長塀
正面からの清洲城天主閣
清洲城展望台から見た清洲城跡
清洲城入口
大手橋から見る清洲城
西から見る清洲城
広場から見る清洲城
正面から見る清洲城
現地清洲城周辺案内板(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
名鉄名古屋本線新清洲駅・JR東海道線清洲駅から徒歩15分。
<車>
名古屋高速16号一宮線春日出口で降りて、そのまま高速下の国道22号名岐バイパスを清洲IC下の朝日交差点の朝日南西信号を右折、名古屋環状2号線下の道を西へ進み、五条川を渡り、清洲中学校交差点を左折、もう一度五条川を渡り、清洲橋信号を右折、直進すると清洲城模擬天守が正面に見える。この模擬天守前で左折、広場の終わるところに市民センター無料駐車場がある。他にも清洲中学校交差点を直進してすぐ、左手の日産プリンス過ぎを左折した道を入って行くと清洲古城跡公園の無料駐車場に着く。
≪ 位置図 ≫
清洲城天主閣
清洲古城跡公園
清洲公園
紹介したお城の数 35城
2013/2/24
愛知県清須市のお城めぐり
織田信長が桶狭間の戦いに出陣したお城
清洲会議の舞台になったお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 清洲城
よみ: キヨス
別称: 清須城
所在地: 愛知県清須市清洲
現状: 清洲古城跡公園・清洲公園・清洲城広場
築城年代: 応永十二年(1405)頃
築城者: 斯波義重
形式: 平城
遺構: 模擬天守・復元本丸石垣
規模: 2,000m×2,500m
文化財:
訪城日: 2010/8/8・2013/2/24
≪ 訪城記 ≫
名古屋高速16号一宮線春日出口で降りて、そのまま高速下の国道22号名岐バイパスを清洲IC下の朝日交差点の朝日南西信号を右折、名古屋環状2号線下の道を西へ進み、五条川を渡り、清洲中学校交差点を左折、もう一度五条川を渡り、清洲橋信号を右折、直進すると清洲城模擬天守が正面に見える。この模擬天守前で左折、広場の終わるところに市民センター駐車場がある。ここに車を駐車する。他にも清洲中学校交差点を直進してすぐ、左手の日産プリンス過ぎを左折した道を入って行くと清洲古城跡公園の駐車場に着く。
市民センター駐車場から西に歩くとすぐに清須城模擬天守に着く。広場は工事中で入ることができない。
清洲模擬天守前を五条川が流れていて、赤い大手橋がかかっている。
この大手橋を渡った五条川西側の一帯が清洲城跡で中央を東海道本線と東海道新幹線が通っていて東側が清洲古城跡公園で西側が清洲公園となっている。
まずは大手橋を渡った清洲古城跡公園の「清須ふるさとのやかた」右の堤防道の沿いに復元本丸石垣があり、説明板がある。
やかたの裏の小高い丘の上には信長公の社と「右大臣織田信長公古城跡」・「清須城墟碑」の二つの石碑が建っていて、その下に清洲城の説明板がある。
線路の下を堤防沿いに西へ進むと、線路の西側に清洲公園があり、ここには織田信長公の銅像と一緒に、以前は清洲城広場にあった濃姫の像が今は並んでいます。
桶狭間の戦いでは織田信長がこの清洲城で幸若舞「敦盛」を舞って出陣していく姿が目に浮かびます。
その後、模擬天守内を見学しました。入場料は大人300円でした。
この城は西向きに建てられているせいで、黒塗りの精悍なお城の姿を写真に撮る時間帯は早朝時には逆光になってしまいます。
おすすめは昼過ぎが良いと思います。わたしは早朝に着いたため、良い写真が撮れませんでした。
清洲城の詳細 ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
応永十二年頃 (1405) 尾張守護職斯波義重が五条川の左岸沿いに築城したといわれている。
文明八年 (1476) 尾張守護所下津が戦乱で焼失し、清洲に移転した。
文明十年 (1478) 織田敏定が清洲城を中心に尾張下郡、織田敏広が岩倉城を中心に尾張上郡を分割支配する。
弘治元年 (1555) 織田信長が尾張守護代織田信友を倒し、清洲城に移る。その後、弟織田信勝を清洲城で誘殺し、永禄二年(1559)、岩倉城の織田信賢を攻め尾張をほぼ統一した。
永禄三年 (1560) 今川義元の大軍が尾張に攻め入った際、織田信長は、この清洲城で幸若舞「敦盛」を舞って出陣し、桶狭間の戦いで見事義元を討ち戦国の世に頭角を現した。
永禄六年 (1563) 織田信長は美濃国の稲葉山城を攻めるため清洲城から小牧山城に移る。
天正十年 (1582) 本能寺の変で斃れた信長の後継者を決める清洲会議が清洲城で行われる。
天正十四年 (1586) 清洲会議後、信長の次男織田信雄が居城を清洲城に移し大改修を行う。
天正十八年 (1590) 豊臣秀次が城主となる。
文禄四年 (1595) 福島正則が城主となる。
慶長五年 (1600) 徳川家康の四男、松平忠吉が城主となる。
慶長十二年 (1607) 徳川御三家徳川義直が城主となり、慶長十五年(1610)、名古屋城を築城して「清須越し」が行われ、清洲城は廃城となる。
明治三十一年 (1898) 清洲公園が造られる。
平成元年 (1989) 旧清洲町制施行百周年を記念して清洲城天主閣が建設される。
≪ 写 真 ≫
清洲古城跡公園にある復元本丸石垣
清洲古城跡公園にある信長公の社
清洲古城跡公園にある清洲城墟碑
清洲古城跡公園にある右大臣織田信長公古城跡碑
清洲城址碑
清洲公園に建つ織田信長公像と濃姫像
織田信長公像
信長塀
正面からの清洲城天主閣
清洲城展望台から見た清洲城跡
清洲城入口
大手橋から見る清洲城
西から見る清洲城
広場から見る清洲城
正面から見る清洲城
現地清洲城周辺案内板(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
名鉄名古屋本線新清洲駅・JR東海道線清洲駅から徒歩15分。
<車>
名古屋高速16号一宮線春日出口で降りて、そのまま高速下の国道22号名岐バイパスを清洲IC下の朝日交差点の朝日南西信号を右折、名古屋環状2号線下の道を西へ進み、五条川を渡り、清洲中学校交差点を左折、もう一度五条川を渡り、清洲橋信号を右折、直進すると清洲城模擬天守が正面に見える。この模擬天守前で左折、広場の終わるところに市民センター無料駐車場がある。他にも清洲中学校交差点を直進してすぐ、左手の日産プリンス過ぎを左折した道を入って行くと清洲古城跡公園の無料駐車場に着く。
≪ 位置図 ≫
清洲城天主閣
清洲古城跡公園
清洲公園
紹介したお城の数 35城
愛知の山城ベスト50を歩く | |
愛知中世城郭研究会,中井 均 | |
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