積善寺城
2013/7/13
大阪府貝塚市のお城めぐり
根来衆が岸和田城の付城として築いたお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 積善寺城
よみ: シャクゼンジ
別称:
所在地: 大阪府貝塚市橋本
現状: 住宅街
築城年代: 桃山時代
築城者: 根来寺衆
形式: 平城
遺構:
規模: 東面140m、西面170m、南面220m、北面240m
文化財:
訪城日: 2012/9/23・2013/7/13
≪ 訪城記 ≫
岸和田城から積善寺城へ向かう。
岸和田市役所第4駐車場を出て岸和田城と岸和田市役所の前を通り過ぎ、岸和田本町信号を右折、府道を北東に進み、堺町交差点信号を右折、府道39号を南東に進み、南海本線の高架をくぐり、JR阪和線の高架下をくぐり、次の土生交差点信号を右折、府道30号を南西に進み、積善橋北交差点信号を斜めに渡り、交差点南側の「美笹のゆ」の駐車場に車を駐車させてもらう。
「美笹のゆ」駐車場から府道30号沿いに南西に歩き、隣の貝塚中央病院と近木川に架かる橋の手前に説明板が建っているのみで、遺構はない。
橋を渡った橋本集落内が城跡のようです。
≪ 歴 史 ≫
永禄元年 (1558) 根来衆が三好氏と争った際に砦を作ったのが始まりと言われている。
天正十二年 (1584) 小牧長久手の戦いに豊臣秀吉が出陣している隙を狙って一揆勢が岸和田城を囲んだ付城の一つが積善寺城で、岸和田城を攻撃したが、逆に中村一氏の反撃にあって敗れ、落城放火される。
天正十三年 (1585) 秀吉の根来・雑賀征伐の時には、卜半斎了珍の仲介で和談開城している。太田城が水攻めによって陥落したのち、積善寺城も破却されたと言われている。
≪ 写 真 ≫
貝塚中央病院と近木川の間の説明板
説明板根来出城配置図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR阪和線和泉橋本駅から徒歩約500m、約10分。
<車>
阪神高速4号湾岸線貝塚ICを降りて貝塚ランプ南信号を左折、次の脇浜西信号を右折、府道40号を南東へ進み、積善橋北信号を斜めに右折した貝塚中央病院前付近。
駐車場なし。
≪ 位置図 ≫
貝塚中央病院と近木川の間の説明板
紹介したお城の数 104城
2013/7/13
大阪府貝塚市のお城めぐり
根来衆が岸和田城の付城として築いたお城
≪ お城の概要 ≫
城名: 積善寺城
よみ: シャクゼンジ
別称:
所在地: 大阪府貝塚市橋本
現状: 住宅街
築城年代: 桃山時代
築城者: 根来寺衆
形式: 平城
遺構:
規模: 東面140m、西面170m、南面220m、北面240m
文化財:
訪城日: 2012/9/23・2013/7/13
≪ 訪城記 ≫
岸和田城から積善寺城へ向かう。
岸和田市役所第4駐車場を出て岸和田城と岸和田市役所の前を通り過ぎ、岸和田本町信号を右折、府道を北東に進み、堺町交差点信号を右折、府道39号を南東に進み、南海本線の高架をくぐり、JR阪和線の高架下をくぐり、次の土生交差点信号を右折、府道30号を南西に進み、積善橋北交差点信号を斜めに渡り、交差点南側の「美笹のゆ」の駐車場に車を駐車させてもらう。
「美笹のゆ」駐車場から府道30号沿いに南西に歩き、隣の貝塚中央病院と近木川に架かる橋の手前に説明板が建っているのみで、遺構はない。
橋を渡った橋本集落内が城跡のようです。
≪ 歴 史 ≫
永禄元年 (1558) 根来衆が三好氏と争った際に砦を作ったのが始まりと言われている。
天正十二年 (1584) 小牧長久手の戦いに豊臣秀吉が出陣している隙を狙って一揆勢が岸和田城を囲んだ付城の一つが積善寺城で、岸和田城を攻撃したが、逆に中村一氏の反撃にあって敗れ、落城放火される。
天正十三年 (1585) 秀吉の根来・雑賀征伐の時には、卜半斎了珍の仲介で和談開城している。太田城が水攻めによって陥落したのち、積善寺城も破却されたと言われている。
≪ 写 真 ≫
貝塚中央病院と近木川の間の説明板
説明板根来出城配置図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR阪和線和泉橋本駅から徒歩約500m、約10分。
<車>
阪神高速4号湾岸線貝塚ICを降りて貝塚ランプ南信号を左折、次の脇浜西信号を右折、府道40号を南東へ進み、積善橋北信号を斜めに右折した貝塚中央病院前付近。
駐車場なし。
≪ 位置図 ≫
貝塚中央病院と近木川の間の説明板
紹介したお城の数 104城
城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック) | |
クリエーター情報なし | |
辰巳出版 |