お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

瀬田城

2014-02-09 08:46:05 | 滋賀県
 瀬田城

2014/1/23

滋賀県大津市のお城めぐり

 瀬田の土豪山岡氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 瀬田城
よみ: セタ
別称:
所在地: 滋賀県大津市瀬田2丁目13-26
現状: グランスイート近江・臨湖庵
築城年代: 永享年間(1429-41)
築城者: 山岡資広
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2010/4/6・2014/1/23


≪ 訪城記 ≫

膳所城から瀬田城へ向かう。

膳所城跡公園前の湖岸道路を琵琶湖沿いに南下、東海道本線、国道1号の高架下をくぐり唐橋西詰交差点信号を左折、瀬田唐橋を渡り、唐橋東詰交差点信号を右折、県道29号夕照の道を南下、東海道新幹線高架手前で道が琵琶湖岸に出る緩いカーブの琵琶湖側に道路の脇に少し余裕があるので、ここに車を駐車する。
この道路は通行量が多いので、道路脇に駐車するのは非常に危険です。前回来たときは、膳所城から距離はあるけど徒歩で来ました。

車を駐車した場所の道路東側のグランスイート近江・臨湖庵というマンションの北西隅に瀬田城趾碑と消えかかった木製の説明板が建っているのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

永享年間 (1429-41) 瀬田の土豪山岡氏の一族で田上城主であった山岡資広が築城する。
天文十四年五月 (1545) 細川晴元が山城宇治田原へ発向したとき、六角氏の被官とともに従軍する。
永禄十一年 (1568) 織田信長の入京後に織田方に属する。
元亀元年五月九日 (1570) 織田信長が京から岐阜へ戻る途次に瀬田城を宿所とする。
天正十年 (1582) 本能寺の変で主君織田信長を殺した明智光秀が瀬田城主山岡景隆を味方に引き入れようとしたが、景隆は光秀の行く手を妨げるため瀬田橋を焼き落としする。
天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦で山岡隆景は、柴田勝家に内通したことが発覚して、豊臣秀吉に瀬田城を追われ、逃亡先の甲賀郡毛牧村において死去する。


≪ 写 真 ≫


瀬田城趾碑と説明板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
京阪電鉄石山坂本線唐橋前駅から徒歩約15分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、くねった坂道を下り国道1号、東海道本線高架下をくぐり、まっすぐ琵琶湖岸へ向かって北上、京阪電鉄踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を右折、湖岸道路を東進、近江大橋付近で大きく右へ曲がり南下してすぐ、琵琶湖側にある膳所城跡公園が膳所城跡です。湖岸道路を挟んだ西側に公園駐車場があります。ここから徒歩で約3.3km、約1時間で瀬田城趾碑前。


≪ 位置図 ≫

瀬田城


紹介したお城の数 180城



Nikon デジタル一眼レフカメラ D5300 ブラック 2400万画素 3.2型液晶 D5300BK
クリエーター情報なし
ニコン