郡上八幡城
2014/4/5
岐阜県郡上市のお城めぐり
東氏を滅ぼした支族の遠藤盛数が築いた居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 郡上八幡城
よみ: グジョウハチマン
別称: 八幡城・積翠城・郡城・虞城
所在地: 岐阜県郡上市八幡町柳町
現状: 郡上八幡城・城山公園・岸剣神社
築城年代: 永禄二年(1559)
築城者: 遠藤盛数
形式: 平山城
遺構: 復興模擬天守・隅櫓二棟・城門・天守台・松の丸・桜の丸・八幡屋敷・石垣・首洗い井戸・空堀
規模: 標高523m、比高220m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2011/9/13・2014/4/5
≪ 訪城記 ≫
篠脇城から郡上八幡城に向かう。
「古今伝授の里フィールドミュージアム」の駐車場を出て、栗栖川沿いの県道318号を西進、徳永交差点信号を左折、国道156号越前街道を南下、東海北陸道高架下をくぐり、長良川、長良川鉄道沿いに進み、五町三叉路信号を左折、すぐに大きく左に曲がり県道319号を北上、道が大きく右に曲がり郡上八幡トンネルを通り総合庁舎前三叉路信号を右折して南下、道が左へ曲がった中坪1交差点信号を右折、約700m南下した城下町プラザ駐車場の交差点を左折、突き当りの安養寺前を右折してすぐに今度は左折した坂道を登って、道が左に曲がり城山公園沿いに右に曲がった郡上八幡城への登城道前の駐車場に車を駐車する。
城山公園には山内一豊と妻の像があり、像越しに見上げる郡上八幡城が美しい。城山公園の登城口から徒歩でヘアピンカーブの一方通行道路を登ること約10分で石垣のある入口に着く。石垣沿いの道を登り、そのまま犬走り道を東に抜けると、断崖の八幡屋敷があり、ここから眺める天守閣も美しい。西側の出丸、隅櫓を見ながらお城への登城道を進むと売店と入場券売り場があり、入場料は310円です。城門をくぐり天守閣を見学する。北側にも隅櫓がある。
天守閣北側の駐車場は空堀跡で南西隅に首洗い井戸がある。
郡上八幡城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
永禄二年 (1559) 木越城主遠藤胤縁が東殿山城を訪問したとき東常堯が家臣に命じて胤縁を謀殺させた。胤縁の弟盛数は兄の弔い合戦で東殿山城を攻撃して城を奪い、東氏を滅ぼした。郡上を支配することとなった遠藤盛数が東殿山城攻撃の際に陣を張った八幡山に城を築いたのが郡上八幡城の始まりです。盛数はわずか四年で没し、長子慶隆が跡を継いだ。
天正十一年 (1583) 賤ヶ岳の戦いで遠藤慶隆は岐阜城主織田信孝に味方し、豊臣秀吉に領地を没収され小原城主に移される。
天正十六年 (1588) 稲葉一鉄の子稲葉貞通が郡上八幡城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いで、最初西軍に属した稲葉貞通の郡上八幡城を遠藤慶隆が金森可重の援軍を得て攻め、戦後、途中から東軍に転じた稲葉貞通は豊後臼杵に転封となり、遠藤慶隆が郡上八幡城主に復帰する。その後、養子の慶利、その子の常友と継ぐ。
寛文七年 (1667) 常友が城を修理して、城下町を整備する。以後、常春、常久と続く。
元禄五年五月 (1692) 常久が重臣に毒殺され、嗣子なく、弟の胤親が遠藤氏を継ぎ、常陸国で減封となる。その後、しばらく笠松代官が置かれる。
元禄五年十一月 (1692) 井上正任が郡上八幡城主となる。その後、正岑が継ぐ。
元禄十年六月 (1697) 井上正岑が丹波亀山へ転封となり、代わって金森頼旹が郡上八幡城主となる。頼旹が没すると子の頼錦が継ぐ。
宝暦八年十二月 (1758) 金森頼錦は郡上宝暦騒動の百姓一揆によって所領を没収される。代わって丹後宮津城主青山幸道が郡上八幡城主となる。以後、幸完、幸孝、幸寛、幸礼、幸哉、幸宜と続き、明治の版籍奉還となる。
昭和八年 (1933) 大垣城に模して天守閣が造られる。
≪ 写 真 ≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b3/b94e918e3c4d9171c137c031fd894169.jpg)
郡上八幡城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/cf/fe0825580229f596f6d77cb1389b2795.jpg)
西側通路からの見上げる天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/56/5f5f8d1a2627fc5cf235cac76552e020.jpg)
西側からの天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8a/b8094613369695444c5239adcc0cc065.jpg)
松の丸からの天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d8/6c2e33a91e32ac9e56b2a0678510cc84.jpg)
天守閣と隅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/16/7f2e2fcc17a1119459240aae445e0972.jpg)
八幡屋敷からの天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/97/5efd8090456213fc5888dabdf9e2b31e.jpg)
南面の隅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/01/f5b887810a0b512ae2b03655607ec23e.jpg)
北西面の隅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/73/a51b5f37103bb65cdd570ef21877c74e.jpg)
城門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/db/66b709c7ee51178c66872d3d607b04ff.jpg)
桜の丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/2b/1dd148ca7adde82406d59cef4353ba11.jpg)
松の丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/ab/53863b10082151678a967941ff0f2e58.jpg)
首洗い井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/67/b6e0169025c279c893beccadea923d54.jpg)
松の丸石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/10/34ecc0e932b9920811a2e82ee346569b.jpg)
入口の出丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b7/ce04a290358ef925b8227903bd6da5aa.jpg)
力石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/fc/1d27a0624ed1180ec343e877e41cb9be.jpg)
八幡屋敷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/32/ec5334c22a747f2ae1564af170761f30.jpg)
入口の石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f8/2471d4865aaa00615ffb43ad05cb74ea.jpg)
登城口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/6b/ae08604022c875e1821ecb0d78883a2e.jpg)
山内一豊と妻の像と郡上八幡城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/46/8e/0b5aaaaec2f14c35844fefc2458d740e_s.jpg)
現地郡上八幡城案内図(リンク付サムネイル)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/f0/93ac7cb116d334b730f04709407198a6_s.jpg)
現地城山公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
長良川鉄道郡上八幡駅からバスで城下町プラザ下車、徒歩約20分。
<車>
東海北陸道郡上八幡ICを降りて八幡IC口交差点信号を右折、五町三叉路信号を右折、すぐに大きく左に曲がり県道319号を北上、道が大きく右に曲がり郡上八幡トンネルを通り総合庁舎前三叉路信号を右折して南下、道が左へ曲がった中坪1交差点信号を右折、約700m南下した城下町プラザ駐車場の交差点を左折、突き当りの安養寺前を右折してすぐに今度は左折した坂道を登って、道が左に曲がり城山公園沿いに右に曲がった郡上八幡城への登城道前の駐車場がある。天守閣北側にも駐車場があるが、登城口から駐車場まで一方通行なので注意。
≪ 位置図 ≫
郡上八幡城
紹介したお城の数 200城
2014/4/5
岐阜県郡上市のお城めぐり
東氏を滅ぼした支族の遠藤盛数が築いた居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 郡上八幡城
よみ: グジョウハチマン
別称: 八幡城・積翠城・郡城・虞城
所在地: 岐阜県郡上市八幡町柳町
現状: 郡上八幡城・城山公園・岸剣神社
築城年代: 永禄二年(1559)
築城者: 遠藤盛数
形式: 平山城
遺構: 復興模擬天守・隅櫓二棟・城門・天守台・松の丸・桜の丸・八幡屋敷・石垣・首洗い井戸・空堀
規模: 標高523m、比高220m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2011/9/13・2014/4/5
≪ 訪城記 ≫
篠脇城から郡上八幡城に向かう。
「古今伝授の里フィールドミュージアム」の駐車場を出て、栗栖川沿いの県道318号を西進、徳永交差点信号を左折、国道156号越前街道を南下、東海北陸道高架下をくぐり、長良川、長良川鉄道沿いに進み、五町三叉路信号を左折、すぐに大きく左に曲がり県道319号を北上、道が大きく右に曲がり郡上八幡トンネルを通り総合庁舎前三叉路信号を右折して南下、道が左へ曲がった中坪1交差点信号を右折、約700m南下した城下町プラザ駐車場の交差点を左折、突き当りの安養寺前を右折してすぐに今度は左折した坂道を登って、道が左に曲がり城山公園沿いに右に曲がった郡上八幡城への登城道前の駐車場に車を駐車する。
城山公園には山内一豊と妻の像があり、像越しに見上げる郡上八幡城が美しい。城山公園の登城口から徒歩でヘアピンカーブの一方通行道路を登ること約10分で石垣のある入口に着く。石垣沿いの道を登り、そのまま犬走り道を東に抜けると、断崖の八幡屋敷があり、ここから眺める天守閣も美しい。西側の出丸、隅櫓を見ながらお城への登城道を進むと売店と入場券売り場があり、入場料は310円です。城門をくぐり天守閣を見学する。北側にも隅櫓がある。
天守閣北側の駐車場は空堀跡で南西隅に首洗い井戸がある。
郡上八幡城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
永禄二年 (1559) 木越城主遠藤胤縁が東殿山城を訪問したとき東常堯が家臣に命じて胤縁を謀殺させた。胤縁の弟盛数は兄の弔い合戦で東殿山城を攻撃して城を奪い、東氏を滅ぼした。郡上を支配することとなった遠藤盛数が東殿山城攻撃の際に陣を張った八幡山に城を築いたのが郡上八幡城の始まりです。盛数はわずか四年で没し、長子慶隆が跡を継いだ。
天正十一年 (1583) 賤ヶ岳の戦いで遠藤慶隆は岐阜城主織田信孝に味方し、豊臣秀吉に領地を没収され小原城主に移される。
天正十六年 (1588) 稲葉一鉄の子稲葉貞通が郡上八幡城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いで、最初西軍に属した稲葉貞通の郡上八幡城を遠藤慶隆が金森可重の援軍を得て攻め、戦後、途中から東軍に転じた稲葉貞通は豊後臼杵に転封となり、遠藤慶隆が郡上八幡城主に復帰する。その後、養子の慶利、その子の常友と継ぐ。
寛文七年 (1667) 常友が城を修理して、城下町を整備する。以後、常春、常久と続く。
元禄五年五月 (1692) 常久が重臣に毒殺され、嗣子なく、弟の胤親が遠藤氏を継ぎ、常陸国で減封となる。その後、しばらく笠松代官が置かれる。
元禄五年十一月 (1692) 井上正任が郡上八幡城主となる。その後、正岑が継ぐ。
元禄十年六月 (1697) 井上正岑が丹波亀山へ転封となり、代わって金森頼旹が郡上八幡城主となる。頼旹が没すると子の頼錦が継ぐ。
宝暦八年十二月 (1758) 金森頼錦は郡上宝暦騒動の百姓一揆によって所領を没収される。代わって丹後宮津城主青山幸道が郡上八幡城主となる。以後、幸完、幸孝、幸寛、幸礼、幸哉、幸宜と続き、明治の版籍奉還となる。
昭和八年 (1933) 大垣城に模して天守閣が造られる。
≪ 写 真 ≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/b3/b94e918e3c4d9171c137c031fd894169.jpg)
郡上八幡城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/cf/fe0825580229f596f6d77cb1389b2795.jpg)
西側通路からの見上げる天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/56/5f5f8d1a2627fc5cf235cac76552e020.jpg)
西側からの天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8a/b8094613369695444c5239adcc0cc065.jpg)
松の丸からの天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d8/6c2e33a91e32ac9e56b2a0678510cc84.jpg)
天守閣と隅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/16/7f2e2fcc17a1119459240aae445e0972.jpg)
八幡屋敷からの天守閣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/97/5efd8090456213fc5888dabdf9e2b31e.jpg)
南面の隅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/01/f5b887810a0b512ae2b03655607ec23e.jpg)
北西面の隅櫓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/73/a51b5f37103bb65cdd570ef21877c74e.jpg)
城門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/db/66b709c7ee51178c66872d3d607b04ff.jpg)
桜の丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/2b/1dd148ca7adde82406d59cef4353ba11.jpg)
松の丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/ab/53863b10082151678a967941ff0f2e58.jpg)
首洗い井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/67/b6e0169025c279c893beccadea923d54.jpg)
松の丸石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/10/34ecc0e932b9920811a2e82ee346569b.jpg)
入口の出丸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b7/ce04a290358ef925b8227903bd6da5aa.jpg)
力石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/fc/1d27a0624ed1180ec343e877e41cb9be.jpg)
八幡屋敷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/32/ec5334c22a747f2ae1564af170761f30.jpg)
入口の石垣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f8/2471d4865aaa00615ffb43ad05cb74ea.jpg)
登城口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/6b/ae08604022c875e1821ecb0d78883a2e.jpg)
山内一豊と妻の像と郡上八幡城
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/46/8e/0b5aaaaec2f14c35844fefc2458d740e_s.jpg)
現地郡上八幡城案内図(リンク付サムネイル)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/f0/93ac7cb116d334b730f04709407198a6_s.jpg)
現地城山公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
長良川鉄道郡上八幡駅からバスで城下町プラザ下車、徒歩約20分。
<車>
東海北陸道郡上八幡ICを降りて八幡IC口交差点信号を右折、五町三叉路信号を右折、すぐに大きく左に曲がり県道319号を北上、道が大きく右に曲がり郡上八幡トンネルを通り総合庁舎前三叉路信号を右折して南下、道が左へ曲がった中坪1交差点信号を右折、約700m南下した城下町プラザ駐車場の交差点を左折、突き当りの安養寺前を右折してすぐに今度は左折した坂道を登って、道が左に曲がり城山公園沿いに右に曲がった郡上八幡城への登城道前の駐車場がある。天守閣北側にも駐車場があるが、登城口から駐車場まで一方通行なので注意。
≪ 位置図 ≫
郡上八幡城
紹介したお城の数 200城
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