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虎御前山城

2014-04-24 06:08:07 | 滋賀県
 虎御前山城

2014/4/19

滋賀県長浜市のお城めぐり

 浅井長政の小谷城を攻めるために織田信長が築いた前線基地の陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 虎御前山城
よみ: トラゴゼヤマ
別称: 虎御前山砦
所在地: 滋賀県長浜市中野町・湖北町河毛・湖北町別所
現状: 山・虎御前山公園・矢合神社
築城年代: 元亀三年(1572)
築城者: 織田信長
形式: 山城
遺構: 織田信長陣地跡・木下秀吉陣地跡・堀秀政陣地跡・柴田勝家陣地跡・滝川一益陣地跡・丹羽長秀陣地跡・蜂屋頼隆陣地跡・多賀貞能陣地跡・大曲輪・曲輪・土塁・桝形虎口・馬場・横堀・竪堀・堀切・かざし堀
規模: 標高218.6m、比高110m
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2014/4/19


≪ 訪城記 ≫

自宅から虎御前山城へ向かう。

自宅を出て国道8号を北上、姉川に架かる姉川大橋を渡り、酢三叉路信号を右折、県道273号を東進、北陸道手前の宮部交差点信号を左折、県道510号を北上、北陸道高架下をくぐり、宮部信号から約1km北上した農道の交差点を左折、もう一度、北陸道高架下をくぐり、約1.4km西進した虎姫時遊館前を通り、道が大きく右に曲がった田川を越えたところに虎御前山城への登り口があり、手前に駐車場がある。ここに車を駐車する。

登り口には大きな地図付の案内板がある。虎御前山ハイキングコースを進み、藤棚を越えた上に東屋があるところが多賀貞能陣地跡で、丘を降りたところに矢合神社がある。神社右側を登っていくと虎御前山教育キャンプ場入口の木製鳥居があり、越えた左側の丘の上が蜂屋頼隆陣地跡です。ここから道が下りになり水道タンクを利用した見張台があり、進んでいくと丹羽長秀陣地跡のある教育キャンプ場ですが、取り壊し工事中で丹羽長秀陣地跡を見ることが出来ませんでした。ここから緊急自動車用の柵を越えて、さらに登ると尾根沿いの段曲輪の上にNTT電波塔があり、塔の上の古墳群上に滝川一益陣地跡、二つの堀切、尾根沿いの段曲輪、横堀、竪堀を抜けて小高い丘上に堀秀政陣地跡、さらに進み、三段の曲輪、大曲輪、長桝形虎口を抜けると、頂上の織田信長陣地跡に着きます。ここまで約50分です。
織田信長陣地跡を東側の切岸を降り、信長馬場を通り、次の木下秀吉陣地跡に約10分で着きます。陣地の小谷城方向に三角形の大曲輪があり、裾を堀が囲み、北西側にかざし堀、西側には土塁、虎口、堀切、道を西へ進むと前方後円墳上に柴田勝家陣地跡があります。


≪ 歴 史 ≫

元亀三年 (1572) 浅井長政の小谷城攻めの最前線基地として虎御前山に陣城を築き、翌元亀四年(1573)八月二十七日の小谷城落城まで信長の本営として使われました。

≪ 写 真 ≫


虎御前山城織田信長陣地跡


長桝形虎口


大曲輪


段曲輪


堀秀政陣地跡


堀秀政陣地跡前の竪堀


堀秀政陣地跡前の横堀


堀秀政陣地跡前の段曲輪


堀秀政陣地跡前の堀切


織田信長陣地跡東側降口の切岸


信長馬場


木下秀吉陣地跡


木下秀吉陣地跡降口の切岸


木下秀吉陣地跡西側の土塁


三角形の大曲輪


三角形の大曲輪裾


かざし堀


堀切と土塁


前方後円墳上の柴田勝家陣地跡


木下秀吉陣地跡西側の虎口


木下秀吉陣地跡北側裾


織田信長陣地跡南側の曲輪


滝川一益陣地跡


解体工事中のキャンプ場


見張台


蜂屋頼隆陣地跡


矢合神社


多賀貞能陣地跡


虎御前山城登り口


現地虎御前山城案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線虎姫駅から登り口まで徒歩約15分。織田信長陣地跡まで約50分。
<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口信号を右折、県道37号を西進、イオン長浜角の山階町東信号を右折、県道510号を北上、姉川を渡り、宮部交差点信号を直進、約1km北上した農道の交差点を左折、北陸道高架下をくぐり、約1.4km西進した虎姫時遊館前を通り、道が大きく右に曲がった田川を越えたところに虎御前山城への登り口があり、手前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

虎御前山城


虎御前山城登り口


紹介したお城の数 208城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




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滋賀県教育委員会
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