小丸城
2014/4/12
福井県越前市のお城めぐり
越前支配を任された柴田勝家を補佐した府中三人衆の一人、佐々成政の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 小丸城
よみ: コマル
別称:
所在地: 福井県越前市五分市町
現状: 小丸城跡
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 佐々成政
形式: 平城
遺構: 本丸・石垣跡・堀跡
規模: 本丸50m四方
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/12
≪ 訪城記 ≫
福井城から小丸城へ向かう。
北ノ庄城址公園駐車場を出て北へ向かい、信号を右折、県道5号を東進、西方交差点信号を右折、国道8号を南下、葛岡三叉路信号を左折、武生IC入口を通り、北陸道の高架下をくぐり、県道262号を東進、葛岡信号から約3.2㎞の交差点信号を右折、南下して道が左へ曲がったところの上真柄町へ入っってすぐの交差点を左折、約100m南下した三叉路を左折、約300m東進した道の北側に小丸城跡の丘があり、西側の常安楽院入り口の空き地に車を駐車させてもらう。
道の北側沿いに小丸城趾碑と説明板があり、丘の上に本丸があり慰霊碑が建てられている。城跡の南東側に門跡のような橋跡のような石垣跡があり、北と東側の城周りには堀跡が残る。
≪ 歴 史 ≫
天正三年 (1575) 越前の一向一揆を平定した柴田勝家の越前支配を補佐する府中三人衆の一人、佐々成政が小丸城を築き、居城とする。
天正七年 (1579) 佐々成政が越中砥山城(富山城)に転封となり、わずか四年間で廃城となる。
≪ 写 真 ≫
小丸城
小丸城趾碑
南面の石垣跡
本丸
石垣跡
東側の堀跡
南東側からの本丸
北西側からの本丸
北東側からの本丸
堀跡
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅からバスで小丸城下車すぐ。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を右折、北陸道の高架下をくぐり、県道262号を東進、葛岡信号から約3.2㎞の交差点信号を右折、南下して道が左へ曲がったところの上真柄町へ入っってすぐの交差点を左折、約100m南下した三叉路を左折、約300m東進した道の北側に小丸城跡の丘があり、西側の常安楽院入り口の空き地に駐車すると良い。
≪ 位置図 ≫
小丸城
紹介したお城の数 205城
2014/4/12
福井県越前市のお城めぐり
越前支配を任された柴田勝家を補佐した府中三人衆の一人、佐々成政の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 小丸城
よみ: コマル
別称:
所在地: 福井県越前市五分市町
現状: 小丸城跡
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 佐々成政
形式: 平城
遺構: 本丸・石垣跡・堀跡
規模: 本丸50m四方
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/12
≪ 訪城記 ≫
福井城から小丸城へ向かう。
北ノ庄城址公園駐車場を出て北へ向かい、信号を右折、県道5号を東進、西方交差点信号を右折、国道8号を南下、葛岡三叉路信号を左折、武生IC入口を通り、北陸道の高架下をくぐり、県道262号を東進、葛岡信号から約3.2㎞の交差点信号を右折、南下して道が左へ曲がったところの上真柄町へ入っってすぐの交差点を左折、約100m南下した三叉路を左折、約300m東進した道の北側に小丸城跡の丘があり、西側の常安楽院入り口の空き地に車を駐車させてもらう。
道の北側沿いに小丸城趾碑と説明板があり、丘の上に本丸があり慰霊碑が建てられている。城跡の南東側に門跡のような橋跡のような石垣跡があり、北と東側の城周りには堀跡が残る。
≪ 歴 史 ≫
天正三年 (1575) 越前の一向一揆を平定した柴田勝家の越前支配を補佐する府中三人衆の一人、佐々成政が小丸城を築き、居城とする。
天正七年 (1579) 佐々成政が越中砥山城(富山城)に転封となり、わずか四年間で廃城となる。
≪ 写 真 ≫
小丸城
小丸城趾碑
南面の石垣跡
本丸
石垣跡
東側の堀跡
南東側からの本丸
北西側からの本丸
北東側からの本丸
堀跡
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅からバスで小丸城下車すぐ。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を右折、北陸道の高架下をくぐり、県道262号を東進、葛岡信号から約3.2㎞の交差点信号を右折、南下して道が左へ曲がったところの上真柄町へ入っってすぐの交差点を左折、約100m南下した三叉路を左折、約300m東進した道の北側に小丸城跡の丘があり、西側の常安楽院入り口の空き地に駐車すると良い。
≪ 位置図 ≫
小丸城
紹介したお城の数 205城
お城の手帖 (タツミムック) | |
クリエーター情報なし | |
辰巳出版 |
お城の手帖 戦国武将編 (タツミムック) | |
クリエーター情報なし | |
辰巳出版 |