駒野城
2014/8/18
岐阜県海津市のお城めぐり
斎藤氏の客分高木彦左衛門貞久の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 駒野城
よみ: コマノ
別称:
所在地: 岐阜県海津市南濃町駒野
現状: 城山小学校
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 高木源大夫貞成
形式: 山城
遺構:
規模: 標高30m、比高20m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/9/2・2014/8/18
≪ 訪城記 ≫
津屋城から駒野城へ向かう。
津屋城跡の本慶寺駐車場を出て前の道を南下、養老線踏切を渡り、次の点滅信号交差点を右折、川沿いに西進、津屋三叉路信号を左折、県道56号を南東に進み、庭田交差点信号を直進、約700m南下した片山材木店付近のY字三叉路を斜め左折、約150m東進した交差点を深く斜め左折した先の小山上に城山小学校があり、ここが駒野城跡です。小学校の駐車場に車を駐車させてもらう。
校門から入ってすぐの運動場手前に手書きの説明板が建っているのみで遺構はない。
≪ 歴 史 ≫
文明年間 (1469-87) 高木貞政の伯父高木源大夫貞成によって築かれる。貞政の孫娘の婿彦左衛門貞久は斎藤氏に仕えていたが、後に織田信長に属する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦に高木貞久は石田三成に味方したが、同族の高木貞利らが徳川家康に内通し、東軍の攻撃をまぬかれ、戦後、廃城となった。
≪ 写 真 ≫
駒野城跡の城山小学校
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
養老線駒野駅から徒歩約1.2㎞、約20分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を南下、杭瀬川、牧田川に架かる養老大橋を渡り、津屋川を渡り、養老線上を越え約100mの交差点を右折、約160m交差点を斜め右折した先の小山上に城山小学校があり、ここが駒野城跡です。小学校の駐車場を利用すると良い。
≪ 位置図 ≫
駒野城(城山小学校)
紹介したお城の数 255城
2014/8/18
岐阜県海津市のお城めぐり
斎藤氏の客分高木彦左衛門貞久の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 駒野城
よみ: コマノ
別称:
所在地: 岐阜県海津市南濃町駒野
現状: 城山小学校
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 高木源大夫貞成
形式: 山城
遺構:
規模: 標高30m、比高20m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/9/2・2014/8/18
≪ 訪城記 ≫
津屋城から駒野城へ向かう。
津屋城跡の本慶寺駐車場を出て前の道を南下、養老線踏切を渡り、次の点滅信号交差点を右折、川沿いに西進、津屋三叉路信号を左折、県道56号を南東に進み、庭田交差点信号を直進、約700m南下した片山材木店付近のY字三叉路を斜め左折、約150m東進した交差点を深く斜め左折した先の小山上に城山小学校があり、ここが駒野城跡です。小学校の駐車場に車を駐車させてもらう。
校門から入ってすぐの運動場手前に手書きの説明板が建っているのみで遺構はない。
≪ 歴 史 ≫
文明年間 (1469-87) 高木貞政の伯父高木源大夫貞成によって築かれる。貞政の孫娘の婿彦左衛門貞久は斎藤氏に仕えていたが、後に織田信長に属する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦に高木貞久は石田三成に味方したが、同族の高木貞利らが徳川家康に内通し、東軍の攻撃をまぬかれ、戦後、廃城となった。
≪ 写 真 ≫
駒野城跡の城山小学校
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
養老線駒野駅から徒歩約1.2㎞、約20分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を南下、杭瀬川、牧田川に架かる養老大橋を渡り、津屋川を渡り、養老線上を越え約100mの交差点を右折、約160m交差点を斜め右折した先の小山上に城山小学校があり、ここが駒野城跡です。小学校の駐車場を利用すると良い。
≪ 位置図 ≫
駒野城(城山小学校)
紹介したお城の数 255城
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