平良ヶ崎城
2014/9/17
青森県南部町のお城めぐり
南部氏の糠部入国当初に政庁が置かれた南部氏発祥地の館
≪ お城の概要 ≫
城名: 平良ヶ崎城
よみ: ヘラガサキ
別称: 平良ヶ崎館・篦ヶ崎館
所在地: 青森県三戸郡南部町沖田面南古館
現状: 旧南部中学校跡地
築城年代: 建久三年(1192)
築城者: 南部光行
形式: 平城
遺構:
規模: 160m×220m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2014/9/17
≪ 訪城記 ≫
聖寿寺館から平良ヶ崎城へ向かう。
聖寿寺館跡を出て約750m東進、三叉路を右折、県道233号を130m南下した道の東側に南部中学校の看板のある坂道の入口に車を駐車する。
鎖で車止めされた坂を徒歩で登った先に古びた説明板があり、東側の空き地が旧南部中学校跡が平良ヶ崎城跡で、雑草が繁茂した状態で遺構はなにもない。
平良ヶ崎城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
建久三年 (1192) 初代南部光行が平泉の藤原氏討伐の戦功によって源頼朝から糠部の地を賜り、一族が入国、一時居館とした相内館が手狭になり平良ヶ崎館を築いて政庁が置かれた南部氏発祥の地。
≪ 写 真 ≫
平良ヶ崎城説明板付近
旧南部中学校跡
旧南部中学校跡のグラウンド跡
旧南部中学校跡への入口
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
青い森鉄道諏訪ノ平駅からバスで南部分庁舎前バス停下車、徒歩約750m、約15分。
<車>
八戸道八戸ICを降りて県道29号を北上、松園町三叉路信号を左折、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、南部町門前三叉路信号を右折、県道233号を約300m北上した道の東側に南部中学校の看板のある坂道を登った先が旧南部中学校跡で平良ヶ崎城跡です。登り口の坂に路上駐車すると良い。
≪ 位置図 ≫
平良ヶ崎城(旧南部中学校跡)
紹介したお城の数 279城
2014/9/17
青森県南部町のお城めぐり
南部氏の糠部入国当初に政庁が置かれた南部氏発祥地の館
≪ お城の概要 ≫
城名: 平良ヶ崎城
よみ: ヘラガサキ
別称: 平良ヶ崎館・篦ヶ崎館
所在地: 青森県三戸郡南部町沖田面南古館
現状: 旧南部中学校跡地
築城年代: 建久三年(1192)
築城者: 南部光行
形式: 平城
遺構:
規模: 160m×220m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2014/9/17
≪ 訪城記 ≫
聖寿寺館から平良ヶ崎城へ向かう。
聖寿寺館跡を出て約750m東進、三叉路を右折、県道233号を130m南下した道の東側に南部中学校の看板のある坂道の入口に車を駐車する。
鎖で車止めされた坂を徒歩で登った先に古びた説明板があり、東側の空き地が旧南部中学校跡が平良ヶ崎城跡で、雑草が繁茂した状態で遺構はなにもない。
平良ヶ崎城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
建久三年 (1192) 初代南部光行が平泉の藤原氏討伐の戦功によって源頼朝から糠部の地を賜り、一族が入国、一時居館とした相内館が手狭になり平良ヶ崎館を築いて政庁が置かれた南部氏発祥の地。
≪ 写 真 ≫
平良ヶ崎城説明板付近
旧南部中学校跡
旧南部中学校跡のグラウンド跡
旧南部中学校跡への入口
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
青い森鉄道諏訪ノ平駅からバスで南部分庁舎前バス停下車、徒歩約750m、約15分。
<車>
八戸道八戸ICを降りて県道29号を北上、松園町三叉路信号を左折、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、南部町門前三叉路信号を右折、県道233号を約300m北上した道の東側に南部中学校の看板のある坂道を登った先が旧南部中学校跡で平良ヶ崎城跡です。登り口の坂に路上駐車すると良い。
≪ 位置図 ≫
平良ヶ崎城(旧南部中学校跡)
紹介したお城の数 279城
戦国の城 (学研新書) | |
小和田 哲男 | |
学習研究社 |
織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書) | |
谷口 克広 | |
中央公論新社 |