お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

猪崎城

2013-05-23 05:06:58 | 京都府
 猪崎城

2013/4/29  但馬遠征(2泊3日)帰り道

京都府福知山市のお城めぐり

 明智光秀に滅ぼされた塩見氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 猪崎城
よみ: イザキ
別称: 監物山城・橘城・城山
所在地: 京都府福知山市猪崎
現状: 三段池公園
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 塩見利勝
形式: 平山城
遺構: 主郭・帯郭・矢倉台跡・空堀・土塁
規模: 標高65m、200m×200m
文化財:
訪城日: 2011/10/19・2013/4/29


≪ 訪城記 ≫

但馬遠征(2泊3日)帰り道  3日目、福知山城から猪崎城へ向かう。

福知山城観光用無料駐車場を出て府道55号お城通りを西へ、次の内記町一丁目三叉路を右折、城下通りを北上し、二つ目の突き当りの信号を大きく右へ曲がり由良川の堤防上へ出て左折、音無瀬橋を渡り、橋の東詰猪崎信号を東へ直進して、次の信号を左折、約200m北上したところに三段池公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から徒歩で三段池公園の西側の坂道を約350m登って、馬の背のような尾根上の墓地のある交差点を左に進み、墓地の切れ目のところに西へ続く丘に登る道があり、登り口に猪崎城址碑と縄張図付の説明板がある。
約150m登っていくと丸く広い台地状に削平された主郭に着く。入り口の左側に少し盛り上がった矢倉台跡がある。主郭の南北、東側に下に空堀と土塁があり、主郭を囲むように帯郭が配置されている。
草が綺麗に刈られていてとても見やすいです。
主郭からは福知山城を眼下に見ることができる。


≪ 歴 史 ≫

福知山城の前身、横山城の城主塩見大膳大夫頼勝の三男が猪崎城主の塩見監物利勝で天文年間(1532-55)に築城された。
天正三年 (1575) 織田信長の命を受けた明智光秀の丹波平定が始まる。
天正七年 (1579) 明智光秀は横山城を攻め、城主横山信房を切腹させると、猪崎城へも攻め寄せ、猪崎城主塩見家利(利勝の子)は城に火を放ち、城から落ちたが討ち取られた。


≪ 写 真 ≫


猪崎城登城口


登城口にある猪崎城址碑


主郭北側の空堀と土塁


主郭東側の空堀と土塁


主郭南側の空堀と土塁


主郭南側の帯郭


主郭


主郭矢倉台跡


主郭東側の三段の帯郭


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線福知山駅からバスで猪崎下車、徒歩約5分。
<車>
舞鶴若狭道福知山ICを降りて国道9号山陰道を西進、土師川を渡り、東堀交差点信号手前で下道に降り、信号を右折、府道55号お城通りを北西に進み、内記町一丁目三叉路を右折、城下通りを北上し、二つ目の突き当りの信号を大きく右へ曲がり由良川の堤防上へ出て左折、音無瀬橋を渡り、橋の東詰猪崎信号を東へ直進して、次の信号を左折、約200m北上したところに三段池公園の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

三段池公園駐車場


猪崎城


紹介したお城の数 68城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
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福知山城

2013-05-22 05:06:57 | 京都府
 福知山城

2013/4/29  但馬遠征(2泊3日)帰り道

京都府福知山市のお城めぐり

 明智光秀が改築し、有馬豊氏が完成させたお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 福知山城
よみ: フクチヤマ
別称: 横山城・臥竜城・八幡城
所在地: 京都府福知山市内記5
現状: 福知山城公園・伯耆丸公園・住宅街
築城年代: 天正七年~十年(1579-82)
築城者: 明智光秀・秀満
形式: 平山城
遺構: 復元天守閣・小天守閣・続櫓・現存銅門番所・本丸・二の丸・伯耆丸・石垣・豊磐の井・門
規模: 300m×400m
文化財:
訪城日: 2011/10/19・2013/4/29


≪ 訪城記 ≫

但馬遠征(2泊3日)帰り道  3日目、ホテルから帰り道途中に福知山城へ向かう。

ホテルを出て土居西交差点信号を東へ進み、JR山陰本線踏切を渡り、円山川堤防道を南下、鶴岡橋交差点信号を左折、円山川を渡り、国道482号を東進する。出石川に架かる鳥居橋を渡り、鳥居橋東詰交差点信号を右折、次の長砂橋東詰信号を右折、もう一度出石川を渡り、長砂橋西を左折、出石トンネルを抜け、出石川をもう一度渡り、国道426号を東へ進む、出合三叉路信号を右折、そのまま国道426号を南東へ進み、登尾トンネルを通って京都府へ入る。さらに南下して野花三叉路信号を左折、国道9号を東進、牧三叉路信号を右折、国道9号のまま南下する。福知山市に入って、下篠尾三叉路信号を左折、JR山陰本線の陸橋を越えた信号を右折、府道523号を南下、左へ大きく曲り福知山駅前を通り府道24号を東進、福知山市役所前を通り過ぎると福知山城が見えてくる。お城を右手に見ながら法川を渡ったすぐの三叉路を右折して約100mで道の東側に観光用無料駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場付近から福知山城を見上げ、精悍な天守閣に見とれる。
法川に架かる昇龍橋というアーチ橋を越えた右側が櫓風に作られた美術館で、美術館の北側県道沿いに福知山城址碑がある。
美術館と福知山城の間に南へ上る登城道があり、登りきった先が本丸で北西隅に現存の移築された銅門番所、その横に五輪塔等が石材として石垣に利用された転用石が置いてあります。
本丸からの外観復元された天守閣の眺めは素晴らしいです。
東側へ廻り、お城の正面には豊磐の井、門、復元鯱瓦、鉄砲石を見て、城内を見学しました。入場料は310円でした。
最上階の4階から西の市役所方向に小高い丘の伯耆丸が見えます。
お城を出て、県道沿いに西へ約250m歩き、福知山市役所東側の道を南へ約250mでJR山陰本線手前の丘へ登る道を西に登った先が伯耆丸で、福知山藩初代藩主有馬豊氏の重臣有馬伯耆守の屋敷があった場所です。
ここからの福知山城が一望でき眺めは最高です。ちなみに福知山城と伯耆丸の間の住宅街が二の丸跡です。


福知山城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

塩見大膳頼勝の子頼氏が横山と姓を改め、城を築き横山城と呼ばれていたようです。
天正七年八月 (1579) 明智光秀の丹波攻略で攻められ、頼氏の子信房は敗れ、切腹して果てた。
城代に藤木権兵衛と三宅弥平次(のちの明智秀満)を置いて近代的城郭に改築させた。
天正十年六月 (1582) 明智光秀は本能寺の変で織田信長を倒したが、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ小栗栖で土民に殺された。福知山城も攻められ、留守を守っていた秀満の父も捕えられ磔にされた。
その後、秀吉の養子秀勝が丹波を領し、ついで北政所の叔父杉原家次が城主となり、家次が病没すると小野木重勝が城主となった。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いで小野木重勝は西軍に属し、細川幽斎が籠る田辺城を攻めたが、関ヶ原後、細川忠興の攻撃を受け重勝は切腹する。
その後、有馬豊氏が城主となり、福知山城や城下町を完成させる。
元和六年十二月 (1620) 有馬豊氏が筑後久留米へ転封。
元和七年八月 (1621) 岡部長盛が丹波亀山から移る。
寛永元年 (1624) 岡部長盛が大垣に転封すると、稲葉紀通が摂津中島から移る。
慶安二年二月 (1649) 松平忠房が三河の刈谷から移る。
寛文九年六月 (1669) 常陸土浦から朽木稙昌が入部し、明治維新を迎え破却され廃城となる。
昭和六十一年 (1986) 福知山城が再建される。


≪ 写 真 ≫


駐車場付近からの福知山城


美術館北側の福知山城址碑


櫓風の美術館


本丸


本丸からの福知山城


転用石


現存銅門番所


復元鯱瓦


東からの天守閣


豊磐の井


鉄砲石


天守閣前の門


小天守と続櫓


天守閣からの伯耆丸


本丸の石垣


伯耆丸からの福知山城


伯耆丸

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線福知山駅下車、徒歩約15分。
<車>
舞鶴若狭道福知山ICを降りて国道9号山陰道を西進、土師川を渡り、東堀交差点信号手前で下道に降り、信号を右折、府道55号お城通りを北西に進み、左にカーブする法川手前で左折、約100mで道の東側に観光用無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

福知山城


伯耆丸


紹介したお城の数 67城



日本の城 (山川Mook 1)
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豊岡城

2013-05-21 05:51:04 | 兵庫県
 豊岡城

2013/4/28  但馬遠征(2泊3日)

兵庫県豊岡市のお城めぐり

 宮部善祥房継潤が構築した居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 豊岡城
よみ: トヨオカ
別称: 亀城・神武山
所在地: 兵庫県豊岡市京町12-91
現状: 神武山公園・市立図書館
築城年代: 天正八年(1580)
築城者: 宮部善祥房継潤
形式: 平山城
遺構: 天守台跡・本丸跡・萩の丸跡・笠の丸跡・旧豊岡県庁の正門
規模: 400m×100m
文化財:
訪城日: 2013/4/28


≪ 訪城記 ≫

但馬遠征(2泊3日)  2日目、八木城から豊岡城へ向かう。

下八木公民館を出て、国道9号を東へ進み、つるぎが丘三叉路信号を斜め左折、山陽道を道なりに進み宮越三叉路信号を左折、国道312号を円山川沿いに北上、上小田北三叉路信号を道なりに北上、土居西交差点信号を右折、東進して円山川の堤防道へ出る。国道312号をそのまま北上、豊岡市内に入り、豊岡市民会館前三叉路信号を左折、約100mで神戸地方裁判所前の三叉路を右折、裁判所前を通って道なりに約150m北上した交差点を左折、約60mで突き当りが豊岡市立図書館で正面に「旧豊岡県庁の正門」がある。突き当りのクランクを左に曲がり、すぐに右に曲がって約60m進み、道の左側に図書館の無料駐車場がある。ここに車を駐車させてもらう。さらに西へ行くともう一か所駐車場がある。

まずは豊岡陣屋跡の図書館と「旧豊岡県庁の正門」を見に行き、門の横に説明板があります。
駐車場の東側に神武山公園に入る遊歩道があり、入り口に神武山公園の案内板があります。
山を山頂まで登ると本丸跡と天守台跡があり、説明板と「元禄15年豊岡城下絵図」が設置されていますが、遺構らしきものはなにもありません。
天守台跡から下ったところの端に萩の丸跡、水道施設の水源地に笠の丸跡の標柱があるのみです。


≪ 歴 史 ≫

天正八年 (1580) 羽柴秀吉が但馬を攻めて、有子山城を攻略した。その後、豊岡に宮部継潤を置いた。この時に豊岡城を築城した。
天正十年 (1582) 秀吉が鳥取城を攻略し、宮部継潤を鳥取城主に移し、豊岡城主は木下重堅、尾藤知定、明石則実、福原道高と次々交代した。
慶長二年 (1597) 杉原伯耆守長房が肥前の臼杵城から入り、長重、重元と杉原氏が三代続いた。その後、承応二年(1653)十月、重元が早世し杉原氏は断絶、豊岡城も廃城となる。
寛文八年五月 (1668) 京極伊勢守高盛が丹後の田辺城から入部した時には城はなく、陣屋があるのみだった。


≪ 写 真 ≫


豊岡市立図書館


旧豊岡県庁の正門


図書館駐車場と神武山公園入口


天守台跡


本丸跡


頂上の公園


萩の丸跡


笠の丸跡


現地神武山公園案内板(リンク付サムネイル)


現地元禄15年豊岡城下絵図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線豊岡駅より徒歩約20分。
<車>
播但連絡有料道路和田山ICを降りて国道312号を北上、一本柳交差点信号を左折、国道9号を北へ進み、上野南三叉路信号を斜め右折、国道312号を円山川沿いに北上、上小田北三叉路信号を道なりに北上、土居西交差点信号を右折、東進して円山川の堤防道へ出る。国道312号をそのまま北上、豊岡市内に入り、豊岡市民会館前三叉路信号を左折、約100mで神戸地方裁判所前の三叉路を右折、裁判所前を通って道なりに約150m北上した交差点を左折、約60mで突き当りが豊岡市立図書館で正面に「旧豊岡県庁の正門」がある。突き当りのクランクを左に曲がり、すぐに右に曲がって約60m進み、道の左側に図書館の無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

豊岡城(神武山公園)


豊岡市立図書館


紹介したお城の数 66城



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八木土城

2013-05-20 05:20:37 | 兵庫県
 八木土城

2013/4/28  但馬遠征(2泊3日)

兵庫県養父市のお城めぐり

 山名四天王の一人八木氏が築いた土の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 八木土城
よみ: ヤギツチ
別称:
所在地: 兵庫県養父市八鹿町八木
現状: 山
築城年代: 鎌倉時代
築城者: 閉伊氏とも
形式: 山城
遺構: 本丸・段曲輪・土塁・堀切・虎口・井戸
規模: 全長約370m、標高409m、比高310m
文化財: 市指定重要文化財
訪城日: 2013/4/28


≪ 訪城記 ≫

但馬遠征(2泊3日)  2日目、八木城から八木土城へ向かう。

竹田城第1駐車場から出た道が一方通行のため、左折して山の道を降りていく、降りたところで左折してJR播但線の踏切、円山川を越えて国道312号へ出る交差点信号を左折、このまま国道312号を北上、一本柳交差点信号を左折、国道9号を北西に進み新和田山トンネル、和田山トンネルを通って、南但馬トンネルで大きく左へ曲がり、そのまま西進する。八木の集落に入ったところに八木城跡の案内板があり、最初の信号を右折すると八木城への登城口がある。この信号を左折して、集落の中に入った最初の交差点を右折、約150mで下八木公民館に着く。公民前の空き地に駐車可能です。ここに車を駐車させてもらう。

八木城の本丸南側高石垣の下の脇道を通って、大きな堀切を過ぎて500m先に八木土城がある。
それほど距離はないが、道は細い尾根道が続き、城跡へ入る前はほぼ直登で険しい。
登りきると削平地に出て、ここから北に6段の土塁で囲まれた曲輪が良好に残っている。2段目の曲輪には井戸跡も残っている。
段曲輪の土塁上を登って頂上の一番高いところが本丸で南側には登り口がない。北側へ廻って急な踏みつけ道をほぼ直登すると削平された台状地があり、ここが本丸跡です。
本丸北側にも1段曲輪があり、その北に大きな堀切があります。
八木城から約20分で八木土城の本丸へ着く。


≪ 歴 史 ≫

平安時代末期に閉伊氏が築いたとも、鎌倉時代に朝倉高清の次男が八木氏を称して居城としたとも言われている。
以後、代々八木氏が在城する。
南北朝期に八木城を築き移り、八木土城は八木城の詰の城として存続し、八木城とともに廃城となる。


≪ 写 真 ≫


入り口の曲輪


南へ6段目の曲輪


南へ5段目の曲輪の土塁


南へ5段目の曲輪


南へ4段目の曲輪の土塁


南へ4段目の曲輪


南へ3段目の曲輪


南へ2段目の井戸のある曲輪


南へ1段目の曲輪入り口の虎口


南へ1段目の曲輪


本丸


北へ1段目の曲輪


北へ1段目の曲輪の北側の大きな堀切

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線八鹿駅からバスで下八木下車、徒歩約65分。
<車>
播但連絡有料道路和田山ICを降りて国道312号を北上、一本柳交差点信号を左折、国道9号を北西に進み新和田山トンネル、和田山トンネルを通って、南但馬トンネルで大きく左へ曲がり、そのまま西進する。八木の集落に入ったところに八木城跡の案内板があり、最初の信号を右折すると八木城への登城口がある。この信号を左折して、集落の中に入った最初の交差点を右折、約150mで下八木公民館に着く。公民前の空き地に駐車可能です。


≪ 位置図 ≫

八木城登城口


八木土城


下八木公民館


紹介したお城の数 65城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
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廣済堂出版

八木城

2013-05-19 16:39:10 | 兵庫県
 八木城

2013/4/28  但馬遠征(2泊3日)

兵庫県養父市のお城めぐり

 八木氏が築き、別所重棟が修築した石の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 八木城
よみ: ヤギ
別称:
所在地: 兵庫県養父市八鹿町八木
現状: 山
築城年代: 室町時代
築城者: 八木氏
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台跡・本丸櫓台跡・段曲輪・石垣・切岸・堀切
規模: 全長約350m、標高330m、比高230m
文化財: 市指定重要文化財
訪城日: 2013/4/28


≪ 訪城記 ≫

但馬遠征(2泊3日)  2日目、竹田城第1駐車場から八木城へ向かう。

竹田城第1駐車場から出た道が一方通行のため、左折して山の道を降りていく、降りたところで左折してJR播但線の踏切、円山川を越えて国道312号へ出る交差点信号を左折、このまま国道312号を北上、一本柳交差点信号を左折、国道9号を北西に進み新和田山トンネル、和田山トンネルを通って、南但馬トンネルで大きく左へ曲がり、そのまま西進する。八木の集落に入ったところに八木城跡の案内板があり、最初の信号を右折すると八木城への登城口がある。この信号を左折して、集落の中に入った最初の交差点を右折、約150mで下八木公民館に着く。公民前の空き地に駐車可能です。ここに車を駐車させてもらう。
八木城の見学を終えて帰ってきたら、親切に車のワイパーにパンフレットを挟んでおいていただきました。ありがとうございました。

公民館から徒歩で、公民館裏から国道9号に出て、西へ少し行くと信号があり、この信号を北に渡り、約25mで御堂のある下に道から見えるように縄張図付の説明板があります。
さらに約30m進み、八木城跡登城口の案内板のある民家の間の道を西へ行くとお墓があり、お墓の北側に獣除けの柵がしてあり、ここから扉を開けて入ると登城道です。扉は簡単な針金を巻いただけです。閉め忘れの無いようお願いします。
尾根道をひたすら登り、秋葉さんと呼ばれるお地蔵さんのある休憩所から八木城跡の領域に入ります。
登城道の左側に広い段曲輪がいくつかあり、三の丸、二の丸を過ぎると、石垣ある登り口に出る。ここを登ったところが本丸で、入り口に説明板があり、西へ三段の削平地になっていて、一番奥が天守台跡のようです。石垣の石があちこちに散乱しています。
この本丸南側に苔むした高石垣が良く残っています。
石垣の下を通り抜けるとすぐに大きな堀切があります。
登城口か本丸まで約45分です。
さらに西へ山を登っていくと八木土城へ行けます。


≪ 歴 史 ≫

室町時代 八木土城から同じ尾根の低いところに八木城を築き移ったようです。
戦国時代末期には守護山名氏の影響力が落ち、天正年間には八木氏は太田垣・垣屋氏とともに毛利氏に属する。
天正五年 (1577) 羽柴秀吉が但馬侵攻を開始する。
天正八年四月 (1580) 羽柴軍の攻撃を受け、城主八木但馬守豊信は降伏し、八木城を退去する。
天正十三年 (1585) 別所重棟が城主となり、石の城に修築する。
天正十九年 (1591) 重棟の子吉治が城主となる。
慶長五年 (1600) 吉治は関ヶ原の戦いで西軍に属したため、改易となり、八木城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


八木城全景


八木城登城口


獣除け柵の扉


登城道の尾根道


稲葉さんの休憩所


稲葉さん上の段曲輪


三の丸の切岸


三の丸


二の丸


本丸登り口の石垣


本丸櫓台の石垣


本丸


本丸南側の高石垣


本丸西側の大きな堀切


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線八鹿駅からバスで下八木下車、徒歩45分。
<車>
播但連絡有料道路和田山ICを降りて国道312号を北上、一本柳交差点信号を左折、国道9号を北西に進み新和田山トンネル、和田山トンネルを通って、南但馬トンネルで大きく左へ曲がり、そのまま西進する。八木の集落に入ったところに八木城跡の案内板があり、最初の信号を右折すると八木城への登城口がある。この信号を左折して、集落の中に入った最初の交差点を右折、約150mで下八木公民館に着く。公民前の空き地に駐車可能です。


≪ 位置図 ≫

八木城登城口


八木城


下八木公民館


紹介したお城の数 64城



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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社