お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

備中高松城

2014-05-19 05:47:07 | 岡山県
 備中高松城

2014/4/28

岡山県岡山市のお城めぐり

 羽柴秀吉に備中高松城を水攻めされ、城主清水宗治の切腹によって和睦成立した清水宗治の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 備中高松城
よみ: ビッチュウタカマツ
別称: 高松城・沼城
所在地: 岡山県岡山市北区高松
現状: 高松城址公園
築城年代: 十六世紀前半期か
築城者: 石川氏
形式: 平城(沼城)
遺構: 本丸・清水宗治公首塚・道塚・自刃跡・ごうやぶ遺跡・水攻め築堤跡(蛙ヶ鼻)
規模: 400m×400m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/4/28


≪ 訪城記 ≫

徳倉城から備中高松城へ向かう。

徳倉城跡大手登城口前の県道61号を南下、岡山空港北西側の道を進み、空港西端を大きく左に曲がり交差点信号を南下、横尾池の横を通り、岡山市水道局長野取水場を過ぎた三叉路を右折、長野浄水場を過ぎ、高松稲荷横を過ぎ、老人ホーム松風園を通り過ぎた高松城址公園案内板のある三叉路を右折、約400m西に進んだ突き当りを右折したすぐに高松城址公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。

公園駐車場の道を挟んだ東側にある清涼閣と寺の奥に清水宗治公自刃跡の供養塔がある。この供養塔の南側田んぼの中に清水宗治公の家臣が殉死したところ「ごうやぶ遺跡」がある。
高松城址公園には城の遺構はなにもないが、蓮池の北側の区画に清水宗治公の首塚と清水宗治城址碑や高松城水攻めの説明板があり、南東隅には高松城址水攻め築堤址の碑がある。
さらに北西隅の駐車場から約30m行った清水宗治公胴墓案内板のある角を入ったところのに胴墓がひっそりとある。

蛙ヶ鼻へ車で移動する。

駐車場を約60m南へ進んだ三叉路を左折、約400m東へ進んだ突き当りの三叉路を右折、県道241号を南下、JR吉備線の踏切を渡り、高松稲荷交差点信号を左折、国道180号を約200m南東に進んだ歩道橋のあるところの細い道に左折、すぐに踏切を渡り、川を渡って約200m進んだ突き当りを左折したところにベロ上に突き出た蛙ヶ鼻があり、ここが高松城水攻め史跡公園となっていて、蛙ヶ鼻の西側に駐車場がある。
ベロ上に突き出た築堤の根元に築堤の碑があり、築堤の南に発掘跡が保管されている。


高松城址公園の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

石川久孝が高松城の城主であったが、実子がなく奥郡の須々木氏の末子筑前守を養子に迎えて高松城を譲り、久孝は他界した、筑前守も早死にし、嗣子がなかった。
永禄八年八月 (1565) 石川氏は断絶の時期を迎え、適当な養子をとって城主にしようとしたが、長谷川氏が高松城で清水宗治に誅殺され、宗治が高松城主に収り毛利氏の小早川隆景の幕下となる。
天正六年四月 (1576) 毛利氏の播磨上月城攻めに清水宗治も出陣する。
天正十年三月 (1582) "羽柴秀吉の高松城攻めが始まり、清水宗治は高松城に籠城、後詰として毛利輝元が備中猿掛城に、吉川元春、小早川隆景が備中岩崎に陣を構える。四月二七日、秀吉は高松城を囲み、攻め落とそうとしたが、高松城は堅く守城する。そこで秀吉は水攻め以外ないと考え、城外三里に高さ二丈の堤を築き、足守川や長野川の水を引き入れ、高松城は孤立した。六月二日、本能寺の変で織田信長が明智光秀に倒され、報を受けた秀吉は、密かに講和を持ちかけ、条件に城主宗治の自刃を要求、六月四日、清水宗治は船上で切腹した。その後、有名な秀吉の大返しによって、明智光秀が山崎の合戦で討たれることになる。
和睦後、高松城には秀吉麾下の杉原七郎左衛門尉が城番した。このあと宇喜多氏の部将花房正成が居城とする。このとき大改修が行われる。"
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦後、宇喜多氏の家中騒動で追放された花房職之が徳川氏の旗本として入部して陣屋として活用された。


≪ 写 真 ≫


備中高松城本丸跡


清水宗治城趾碑


清水宗治公首塚


高松城址公園


高松城址公園資料館


高松城址水攻築堤址碑


清水宗治公胴塚


清水宗治公自刃供養塔


ごうやぶ遺跡


高松城水攻築堤跡(蛙ヶ鼻)


発掘調査跡


高松城水攻築堤址碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR吉備線備中高松駅から徒歩約10分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、高松稲荷三叉路信号を左折、JR吉備線踏切を渡り、県道241号を約500m北上した高松城址の案内板のある三叉路を左折、約400m西に進んだ突き当りを右折したすぐに高松城址公園の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

備中高松城(高松城址公園)


清水宗治公自刃供養塔


清水宗治公胴塚


蛙ヶ鼻(高松城水攻め史跡公園)


紹介したお城の数 218城



図説戦国合戦地図集―決定版 (歴史群像シリーズ)
クリエーター情報なし
学研マーケティング




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5200 ダブルズームキット AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR/ AF-S DX NIKKOR 55-300mm f/4.5-5.6G ED VR ブラック D5200WZBK
クリエーター情報なし
ニコン

徳倉城

2014-05-18 05:44:23 | 岡山県
 徳倉城

2014/4/28

岡山県岡山市のお城めぐり

 松田氏一族の居城で金川城の出城

≪ お城の概要 ≫

城名: 徳倉城
よみ: トクラ
別称: 土倉城・徳蔵城
所在地: 岡山県岡山市北区御津河内
現状: 山
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 松田親秀
形式: 山城
遺構: 本丸・出丸・腰曲輪・土塁・石垣・堀切・井戸跡
規模: 300m×170m、標高232m、比高170m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/28


≪ 訪城記 ≫

金川城から徳倉城へ向かう。

北区役所支所を出て、支所の東側、旭川沿いの国道53号を南下、宇垣三叉路信号を右折、JR津山線の踏切を渡り、すぐに左に大きく曲り、県道61号を南西方向に進み、川の右側を進み橋を渡り、御津河内の集落を過ぎた橋を渡る手前に徳倉城跡大手登城口の案内板がある手前の道路脇スペースに車を駐車する。

案内板に沿って川沿いの舗装路を少し入ると本丸登山道の案内板のあるところから登っていく。要所の角々に小さな案内標識が建ててあり道に迷うことなく登れるが、堀切、出丸付近からほぼ直登で非常にきつい。約25分登ると出丸長郭跡に出て、ここからは道が緩やかになる。矢竹林、腰曲輪、井戸跡を過ぎると、いきなり野面積の石垣で屈折した虎口に出る。この上が本丸で登城口から約50分で着く。本丸は南北に細長く、中央高い部分に祠があり、南面に石垣を施した土塁跡が残る。
この徳倉城は岡山空港に近いため旅客機が城跡の上を飛んでいくのに本丸に着いたときちょうど出くわし、旅客機をまじかに見ることが出来ました。


≪ 歴 史 ≫

文明八年 (1476) 松田元隆の三男親秀が居城とする。
天文年間(1532-55)から永禄五年(1562)頃に宇垣市郎兵衛が城主であったが、宇喜多直家による離反工作にあい永禄十年(1567)頃、徳倉城を退去する。
永禄十一年 (1568) 宇喜多直家が松田氏を滅ぼして備前国西半を支配し、家臣の遠藤河内守が城主となる。天正末年には城番を置いて岡山に移住する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦で宇喜多秀家が滅び、代わって小早川秀秋が備前国主になり、徳倉城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


徳倉城虎口石垣


南面の石垣のある土塁跡


本丸


本丸北面


井戸跡


腰曲輪


矢竹林


出丸長郭跡


堀切


登城口


徳倉城跡大手登城道入口

≪ アクセス ≫

<車>
山陽道岡山ICを降りて国道53号岡山北バイパスを北上、山陽道高架下をくぐり、吉宗付近で大きく右に曲がってから今度は左に曲がり、辛香トンネルを通り、トンネル出口で大きく右に曲がり、今度は左に曲がり北上、かつらぎ橋信号を直進、旭川沿いに大きく曲り、宇垣三叉路信号を左折、JR津山線の踏切を渡り、すぐに左に大きく曲り、県道61号を南西方向に進み、川の右側を進み橋を渡り、御津河内の集落を過ぎた橋を渡る手前に徳倉城跡大手登城口の案内板がある手前の道路脇スペースに駐車可能。


≪ 位置図 ≫

徳倉城


登城口


紹介したお城の数 217城



レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5300 ダブルズームキット ブラック 2400万画素 3.2型液晶 D5300WZBK
クリエーター情報なし
ニコン

金川城

2014-05-17 05:50:07 | 岡山県
 金川城

2014/4/28

岡山県岡山市のお城めぐり

 宇喜多直家に攻め滅ぼされた備前国松田氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 金川城
よみ: カナガワ
別称: 玉松城
所在地: 岡山県岡山市北区御津金川
現状: 山
築城年代: 承久年間(1219-22)・暦応二年(延元四、1339)
築城者: 承久=松田盛朝、暦応=松田元喬
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・北の丸・道林寺丸・出丸・桝形虎口・土塁・堀切・石垣・天守の井戸・白水の井戸・杉の木井戸
規模: 500m×500m、標高225m、比高185m
文化財:
訪城日: 2014/4/28


≪ 訪城記 ≫

ホテルから金川城に向かう。

国道53号を北上、岡山地方裁判所交差点信号を直進、県道27号を北上、山陽本線と山陽新幹線の高架下をくぐり、大和町交差点信号を左折、岡山県総合グラウンド前を通り、国道53号を西進、山陽道岡山IC入口三叉路信号を右折、国道53号岡山北バイパスを北上、岡山IC入口を通り越し、山陽道高架下をくぐり、吉宗付近で大きく右に曲がってから今度は左に曲がり、辛香トンネルを通り、トンネル出口で大きく右に曲がり、今度は左に曲がり北上、かつらぎ橋信号を直進、旭川沿いに大きく曲り、御津金川の三叉路を斜め左へ進み、金川駅前を通り過ぎ、宇甘川を渡った御津高校西交差点信号を少し斜め右に山沿いに曲がりながら約200m直進した道の左側に金川城登城口があり、北区役所支所の駐車場に車を駐車させてもらう。

道の左側に消防車庫があり、その裏手が大手登城口で玉松城案内図と遊歩道案内図付のパンフレットが置いてある。
遊歩道を登ること約25分で二段になった出丸に着く。さらに5分程で二の丸に着くが草木が生い茂り判りにくいが土塁跡と杉の木井戸跡が見られる。そのまま進むこと約10分で本丸に着く。入口には桝形虎口、本丸中央に供養塔と説明板、玉松城趾碑、西側の一段高い場所に土塁跡、北西側から下に降りると深い素掘りの天守の井戸跡、北へ行くと堀切があり、分かれ道の案内板を白水の井戸方向に東斜面を降りていくと犬走りの下に白水の井戸跡、分かれ道に戻り、北の丸跡方向へ向かい、雑木林の中が二の丸跡で虎口、土塁跡があり、北東側に2条の堀切、堀切を越えた曲輪に竪堀2条が見られ、城域はここまでのようです。
引き返し道林寺丸へ、階段を降りていく右側に段々の比較的大きい3段の曲輪があり、東側側面に石垣が残っている。このまま降りていくと妙覚寺に出る。


≪ 歴 史 ≫

承久年間 (1219-22) 相模国の松田十郎盛朝が承久の乱の戦功によって金川の地を与えられ、城を築き、代々居城とした。
相模国の松田元国が南朝方につき、鎌倉幕府討伐に功をあげ、備前国伊福郷を賜り富山城に居城した。この元国の子元喬が暦応二年(1339)、金川に移り臥竜山に築城して居城とした。その後、元泰、元方、元運、元澄と続く。
松田元隆は、備前国守護赤松氏と守護代浦上氏がともに上洛しているときに備前国の執政をとりしきり、富山城と金川城を拠点に実質的守護代となる。
文明五年 (1473) 松田元隆が富山城で死去する。
文明十二年 (1480) 元隆の子元成が本拠地を金川城に移し、改築を行う。
文明十六年 (1484) 赤松・浦上氏と備前国福岡で戦い、元成は敗走中に自刃するが、領有権は子元勝に継承される。
明応六年 (1497) 三石城の浦上宗助の攻撃を受けるが、松田元勝は撃退する。その後、元隆、元盛、元輝と続く。
永禄十一年七月七日 (1568) 宇喜多直家に攻められ、元輝、子の元賢は討死して金川城は落城し、松田氏は滅んだ。金川城を攻略した直家は、金川城を浮田春家に与える。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦で宇喜多秀家が滅ぶと備前国は小早川秀秋に与えられ、金川城は廃城となったようです。


≪ 写 真 ≫


金川城本丸


本丸土塁跡


玉松城趾碑


供養塔


天守の井戸跡


桝形虎口


杉の木井戸跡


二の丸土塁跡


二の丸


出丸


分かれ道


白水の井戸跡


北の丸


北の丸北東の一本目の堀切


北の丸北東の二本目の堀切


北の丸北東の一本目の竪堀


北の丸北東の二本目の竪堀


道林寺丸


道林寺丸の石垣


大手登城口


現地金川城平面略図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR津山線金川駅から徒歩約1km約20分で登城口、本丸まで約40分。
<車>
山陽道岡山ICを降りて国道53号岡山北バイパスを北上、山陽道高架下をくぐり、吉宗付近で大きく右に曲がってから今度は左に曲がり、辛香トンネルを通り、トンネル出口で大きく右に曲がり、今度は左に曲がり北上、かつらぎ橋信号を直進、旭川沿いに大きく曲り、御津金川の三叉路を斜め左へ進み、金川駅前を通り過ぎ、宇甘川を渡った御津高校西交差点信号を少し斜め右に山沿いに曲がりながら約200m直進した道の左側に金川城登城口があり、北区役所支所の駐車場を借りると良い。


≪ 位置図 ≫

金川城


登城口


紹介したお城の数 216城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5300 ダブルズームキット ブラック 2400万画素 3.2型液晶 D5300WZBK
クリエーター情報なし
ニコン

鬼ノ城

2014-05-14 05:54:13 | 岡山県
 鬼ノ城

2014/4/27

岡山県総社市のお城めぐり

 白村江の戦いで大敗した大和朝廷が唐、新羅連合軍の侵攻を恐れ急ぎ築城した城の一つ

 古代朝鮮式山城  日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鬼ノ城
よみ: キノ
別称:
所在地: 岡山県総社市奥坂
現状: 山・吉備史跡県立公園
築城年代: 五世紀説・六世紀説・七世紀説
築城者: 吉備氏・渡来系集団・国家
形式: 古代朝鮮式山城
遺構: 復元西門・角楼・高石垣・土塁・南門・東門・北門・水門・礎石建物群
規模: 800m×900m、標高400m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/4/27


≪ 訪城記 ≫

有漢常山城から鬼ノ城へ向かう。

うかん常山公園駐車場を出て、公園の山裾道を右回りに一周して北西側の交差点信号を右折、県道49号を北東へ進み、岡山道有漢IC入口で右折、有漢ICから岡山道を南下、岡山総社ICを降りて国道180号を西進、県立大学入口三叉路信号を右斜め直進した突き当りの三叉路信号を右折、一般道を北上、岡山道高架下をくぐり、黒尾集落内で右の折れ、すぐに左に折れて北上し、突き当りの三叉路を左折、砂川公園へ向かう。砂川公園を抜ける辺りの三叉路を斜め右に進み、非常に狭い道を約3km北上した道の右側に鬼城山ビジターセンターがあり、北側に無料駐車場がある。ここに車を駐車する。

ビジターセンターから城跡へ歩いてすぐですが、コースが指定されていて「総社ふるさと自然のみち」以外を歩かないようになっているので注意。
驚いたのは、観光バスで団体さんが来ていて見学者が非常に多い。
最初に鍵岩の学習広場から遠目で西門、角楼、土塁を見ることができ、ドンドコと原始的な太鼓の音が今にも聞こえてきそうな雰囲気です。
元のコースに戻り、右回りで西門から一周しました。途中にある石垣や水門の跡は見ごたえがあります。特に屏風折れの石垣は壮大で見ごたえがあります。
城域は非常に広く、一周に約90分かかってしまいへとへとです。距離の表示を見たら約2.8kmあるとのことです。


鬼ノ城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

白村江の戦いで大敗した大和朝廷が唐、新羅連合軍の侵攻を恐れ、急ぎ築城した城の一つと考えられている。

≪ 写 真 ≫


鬼ノ城


学習広場からの西門付近


角楼


版築土塁


西門


高石垣


第0水門


第1水門付近の石垣


第1水門


南門


東門


屏風折れの石垣


土塁跡


北門


礎石建物群


角楼からの西門


現地鬼城山案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を西進、県立大学入口三叉路信号を右斜め直進した突き当りの三叉路信号を右折、一般道を北上、岡山道高架下をくぐり、黒尾集落内で右の折れ、すぐに左に折れて北上し、突き当りの三叉路を左折、砂川公園へ向かう。砂川公園を抜ける辺りの三叉路を斜め右に進み、非常に狭い道を約3km北上した道の右側に鬼城山ビジターセンターがあり、北側に無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

鬼ノ城


鬼城山ビジターセンター


紹介したお城の数 215城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5300 ダブルズームキット ブラック 2400万画素 3.2型液晶 D5300WZBK
クリエーター情報なし
ニコン

有漢常山城

2014-05-13 05:59:37 | 岡山県
 有漢常山城

2014/4/27

岡山県高梁市のお城めぐり

 秋庭氏居館の番手城

≪ お城の概要 ≫

城名: 有漢常山城
よみ: ウカンツネヤマ
別称:
所在地: 岡山県高梁市有漢町有漢
現状: うかん常山公園
築城年代: 十三世紀
築城者: 秋庭三郎重信
形式: 山城
遺構: 主郭・二の壇・三の壇・二重堀・模擬天守
規模: 60m×80m、標高265m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/4/27


≪ 訪城記 ≫

備中松山城から有漢常山城へ向かう。

城見橋公園駐車場を出て山を下り、御根小屋城跡の高梁高校前の狭い道を通り、JR伯備線踏切を渡って川端町三叉路信号を右折、国道180号を高梁川沿いに北上、新幡見橋三叉路信号を斜め右折、国道313号を北東に約8.5km進んだ巨瀬町の三叉路信号を斜め右折、県道49号を約4.8km北上した有漢の交差点信号を右折、うかん常山公園下の道を南東に進み、山裾沿いに左回りに登っていくとうかん常山公園の入口着く。入ると広い駐車場があり、駐車場の東側に有漢常山城模擬天守が見える。ここに車を駐車する。

模擬天守前の説明板によると裏山に主郭があるらしいので、天守前の道を下り、説明板のとおり裏山があり、西側に二本の堀切が見える。これが二重堀跡のようで、道沿いにもう一枚説明板がある辺りの上が主郭らしいが、登り道がないので斜面をよじ登りました。そこには細長い削平地があり、ここが三の壇らしい、北側に木々をかき分け入ると東側に明らかに段差のある高い部分があり、ここが主郭のようですが、雑草が生い茂り良く分からない状態です。周りの削平地が二の壇のようです。南側に出ると遊歩道がありました。


≪ 歴 史 ≫

鎌倉時代の地頭秋庭氏の居館が近くにあり、本貫地を守るための番手城と見られています。秋庭氏といえば、備中松山城を築いた秋庭三郎重信で有漢常山城も築城したようです。
戦国時代には、三村方の新山家住が居城し、その後、肥田五兵衛が居城したようです。


≪ 写 真 ≫


駐車場から見る有漢常山城模擬天守


模擬天守


裏側から見た模擬天守


二重堀


三の壇にある常山城標柱


三の壇


主郭の段差


二の壇


主郭


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<車>
岡山道有漢ICを降りて三叉路を左折、次の交差点信号を左折、うかん常山公園下の道を南東に進み、山裾沿いに左回りに登っていくとうかん常山公園の入口着く。入ると広い駐車場があり、駐車場の東側に有漢常山城模擬天守が見える。


≪ 位置図 ≫

有漢常山城(うかん常山公園)


紹介したお城の数 214城



戦国山城を攻略する-キャッスリング入門-
森本 基嗣
吉備人出版




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5200 ダブルズームキット AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR/ AF-S DX NIKKOR 55-300mm f/4.5-5.6G ED VR ブラック D5200WZBK
クリエーター情報なし
ニコン