備中高松城
2014/4/28
岡山県岡山市のお城めぐり
羽柴秀吉に備中高松城を水攻めされ、城主清水宗治の切腹によって和睦成立した清水宗治の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 備中高松城
よみ: ビッチュウタカマツ
別称: 高松城・沼城
所在地: 岡山県岡山市北区高松
現状: 高松城址公園
築城年代: 十六世紀前半期か
築城者: 石川氏
形式: 平城(沼城)
遺構: 本丸・清水宗治公首塚・道塚・自刃跡・ごうやぶ遺跡・水攻め築堤跡(蛙ヶ鼻)
規模: 400m×400m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/4/28
≪ 訪城記 ≫
徳倉城から備中高松城へ向かう。
徳倉城跡大手登城口前の県道61号を南下、岡山空港北西側の道を進み、空港西端を大きく左に曲がり交差点信号を南下、横尾池の横を通り、岡山市水道局長野取水場を過ぎた三叉路を右折、長野浄水場を過ぎ、高松稲荷横を過ぎ、老人ホーム松風園を通り過ぎた高松城址公園案内板のある三叉路を右折、約400m西に進んだ突き当りを右折したすぐに高松城址公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。
公園駐車場の道を挟んだ東側にある清涼閣と寺の奥に清水宗治公自刃跡の供養塔がある。この供養塔の南側田んぼの中に清水宗治公の家臣が殉死したところ「ごうやぶ遺跡」がある。
高松城址公園には城の遺構はなにもないが、蓮池の北側の区画に清水宗治公の首塚と清水宗治城址碑や高松城水攻めの説明板があり、南東隅には高松城址水攻め築堤址の碑がある。
さらに北西隅の駐車場から約30m行った清水宗治公胴墓案内板のある角を入ったところのに胴墓がひっそりとある。
蛙ヶ鼻へ車で移動する。
駐車場を約60m南へ進んだ三叉路を左折、約400m東へ進んだ突き当りの三叉路を右折、県道241号を南下、JR吉備線の踏切を渡り、高松稲荷交差点信号を左折、国道180号を約200m南東に進んだ歩道橋のあるところの細い道に左折、すぐに踏切を渡り、川を渡って約200m進んだ突き当りを左折したところにベロ上に突き出た蛙ヶ鼻があり、ここが高松城水攻め史跡公園となっていて、蛙ヶ鼻の西側に駐車場がある。
ベロ上に突き出た築堤の根元に築堤の碑があり、築堤の南に発掘跡が保管されている。
高松城址公園の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
石川久孝が高松城の城主であったが、実子がなく奥郡の須々木氏の末子筑前守を養子に迎えて高松城を譲り、久孝は他界した、筑前守も早死にし、嗣子がなかった。
永禄八年八月 (1565) 石川氏は断絶の時期を迎え、適当な養子をとって城主にしようとしたが、長谷川氏が高松城で清水宗治に誅殺され、宗治が高松城主に収り毛利氏の小早川隆景の幕下となる。
天正六年四月 (1576) 毛利氏の播磨上月城攻めに清水宗治も出陣する。
天正十年三月 (1582) "羽柴秀吉の高松城攻めが始まり、清水宗治は高松城に籠城、後詰として毛利輝元が備中猿掛城に、吉川元春、小早川隆景が備中岩崎に陣を構える。四月二七日、秀吉は高松城を囲み、攻め落とそうとしたが、高松城は堅く守城する。そこで秀吉は水攻め以外ないと考え、城外三里に高さ二丈の堤を築き、足守川や長野川の水を引き入れ、高松城は孤立した。六月二日、本能寺の変で織田信長が明智光秀に倒され、報を受けた秀吉は、密かに講和を持ちかけ、条件に城主宗治の自刃を要求、六月四日、清水宗治は船上で切腹した。その後、有名な秀吉の大返しによって、明智光秀が山崎の合戦で討たれることになる。
和睦後、高松城には秀吉麾下の杉原七郎左衛門尉が城番した。このあと宇喜多氏の部将花房正成が居城とする。このとき大改修が行われる。"
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦後、宇喜多氏の家中騒動で追放された花房職之が徳川氏の旗本として入部して陣屋として活用された。
≪ 写 真 ≫
備中高松城本丸跡
清水宗治城趾碑
清水宗治公首塚
高松城址公園
高松城址公園資料館
高松城址水攻築堤址碑
清水宗治公胴塚
清水宗治公自刃供養塔
ごうやぶ遺跡
高松城水攻築堤跡(蛙ヶ鼻)
発掘調査跡
高松城水攻築堤址碑
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR吉備線備中高松駅から徒歩約10分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、高松稲荷三叉路信号を左折、JR吉備線踏切を渡り、県道241号を約500m北上した高松城址の案内板のある三叉路を左折、約400m西に進んだ突き当りを右折したすぐに高松城址公園の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
備中高松城(高松城址公園)
清水宗治公自刃供養塔
清水宗治公胴塚
蛙ヶ鼻(高松城水攻め史跡公園)
紹介したお城の数 218城
2014/4/28
岡山県岡山市のお城めぐり
羽柴秀吉に備中高松城を水攻めされ、城主清水宗治の切腹によって和睦成立した清水宗治の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 備中高松城
よみ: ビッチュウタカマツ
別称: 高松城・沼城
所在地: 岡山県岡山市北区高松
現状: 高松城址公園
築城年代: 十六世紀前半期か
築城者: 石川氏
形式: 平城(沼城)
遺構: 本丸・清水宗治公首塚・道塚・自刃跡・ごうやぶ遺跡・水攻め築堤跡(蛙ヶ鼻)
規模: 400m×400m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/4/28
≪ 訪城記 ≫
徳倉城から備中高松城へ向かう。
徳倉城跡大手登城口前の県道61号を南下、岡山空港北西側の道を進み、空港西端を大きく左に曲がり交差点信号を南下、横尾池の横を通り、岡山市水道局長野取水場を過ぎた三叉路を右折、長野浄水場を過ぎ、高松稲荷横を過ぎ、老人ホーム松風園を通り過ぎた高松城址公園案内板のある三叉路を右折、約400m西に進んだ突き当りを右折したすぐに高松城址公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。
公園駐車場の道を挟んだ東側にある清涼閣と寺の奥に清水宗治公自刃跡の供養塔がある。この供養塔の南側田んぼの中に清水宗治公の家臣が殉死したところ「ごうやぶ遺跡」がある。
高松城址公園には城の遺構はなにもないが、蓮池の北側の区画に清水宗治公の首塚と清水宗治城址碑や高松城水攻めの説明板があり、南東隅には高松城址水攻め築堤址の碑がある。
さらに北西隅の駐車場から約30m行った清水宗治公胴墓案内板のある角を入ったところのに胴墓がひっそりとある。
蛙ヶ鼻へ車で移動する。
駐車場を約60m南へ進んだ三叉路を左折、約400m東へ進んだ突き当りの三叉路を右折、県道241号を南下、JR吉備線の踏切を渡り、高松稲荷交差点信号を左折、国道180号を約200m南東に進んだ歩道橋のあるところの細い道に左折、すぐに踏切を渡り、川を渡って約200m進んだ突き当りを左折したところにベロ上に突き出た蛙ヶ鼻があり、ここが高松城水攻め史跡公園となっていて、蛙ヶ鼻の西側に駐車場がある。
ベロ上に突き出た築堤の根元に築堤の碑があり、築堤の南に発掘跡が保管されている。
高松城址公園の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
石川久孝が高松城の城主であったが、実子がなく奥郡の須々木氏の末子筑前守を養子に迎えて高松城を譲り、久孝は他界した、筑前守も早死にし、嗣子がなかった。
永禄八年八月 (1565) 石川氏は断絶の時期を迎え、適当な養子をとって城主にしようとしたが、長谷川氏が高松城で清水宗治に誅殺され、宗治が高松城主に収り毛利氏の小早川隆景の幕下となる。
天正六年四月 (1576) 毛利氏の播磨上月城攻めに清水宗治も出陣する。
天正十年三月 (1582) "羽柴秀吉の高松城攻めが始まり、清水宗治は高松城に籠城、後詰として毛利輝元が備中猿掛城に、吉川元春、小早川隆景が備中岩崎に陣を構える。四月二七日、秀吉は高松城を囲み、攻め落とそうとしたが、高松城は堅く守城する。そこで秀吉は水攻め以外ないと考え、城外三里に高さ二丈の堤を築き、足守川や長野川の水を引き入れ、高松城は孤立した。六月二日、本能寺の変で織田信長が明智光秀に倒され、報を受けた秀吉は、密かに講和を持ちかけ、条件に城主宗治の自刃を要求、六月四日、清水宗治は船上で切腹した。その後、有名な秀吉の大返しによって、明智光秀が山崎の合戦で討たれることになる。
和睦後、高松城には秀吉麾下の杉原七郎左衛門尉が城番した。このあと宇喜多氏の部将花房正成が居城とする。このとき大改修が行われる。"
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦後、宇喜多氏の家中騒動で追放された花房職之が徳川氏の旗本として入部して陣屋として活用された。
≪ 写 真 ≫
備中高松城本丸跡
清水宗治城趾碑
清水宗治公首塚
高松城址公園
高松城址公園資料館
高松城址水攻築堤址碑
清水宗治公胴塚
清水宗治公自刃供養塔
ごうやぶ遺跡
高松城水攻築堤跡(蛙ヶ鼻)
発掘調査跡
高松城水攻築堤址碑
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR吉備線備中高松駅から徒歩約10分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、高松稲荷三叉路信号を左折、JR吉備線踏切を渡り、県道241号を約500m北上した高松城址の案内板のある三叉路を左折、約400m西に進んだ突き当りを右折したすぐに高松城址公園の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
備中高松城(高松城址公園)
清水宗治公自刃供養塔
清水宗治公胴塚
蛙ヶ鼻(高松城水攻め史跡公園)
紹介したお城の数 218城
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