長松城
2014/8/7
岐阜県大垣市のお城めぐり
竹中半兵衛重治の従弟源助重利の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 長松城
よみ: ナガマツ
別称:
所在地: 岐阜県大垣市長松町
現状: 荒崎小学校
築城年代: 永禄・天正年間(1558-73)
築城者: 竹中源助重利
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2011/1/9・2014/8/7
≪ 訪城記 ≫
御茶屋屋敷から長松城へ向かう。
御茶屋屋敷駐車場を出て正安寺角を左折、細い路地を抜け県道216号へ出るT字路を右折、東進して杭瀬川に架かる赤坂大橋手前の赤坂大橋西交差点信号を右折、南下して熊野町西交差点信号を左折、次の熊野町交差点信号を右折。国道21号を南下、すぐに道が大きく右に曲がり大垣西IC前を通って西進、長松町東交差点信号を左折してすぐに右折した大垣市勤労者総合福祉センターの駐車場に車を駐車させてもらう。
大垣市勤労者総合福祉センター東の道を徒歩で約400m南下、県道31号に出て左折して東に行く路地に入り、約130mで道の北側に荒崎小学校があり、南門の西側道路脇に長松城趾碑と説明板があるのみで遺構はない。
≪ 歴 史 ≫
永禄元年 (1558) 竹中半兵衛重治の父重元が長松の地を手に入れる。後に重利は半兵衛重治から長松の地を分知され長松城を築く。
文禄三年 (1594) 竹中重利が豊後高田に移り、代わって武光式部忠棟が城主となる。
慶長五年 (1600) 武光忠棟は関ヶ原の戦いに石田三成方の西軍に属したが城を捨る。戦後、一柳監物が入るが、すぐに廃城となる。
≪ 写 真 ≫
長松城趾碑と説明板
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線大垣駅からバスで長松バス停下車、徒歩約5分。
<車>
東海環状道大垣西ICを降りて桧交差点信号を右折して西進、長松町東交差点信号を左折してすぐに右折した大垣市勤労者総合福祉センターの駐車場を利用すると良い。ここから徒歩約10分。
≪ 位置図 ≫
長松城(荒崎小学校)
紹介したお城の数 251城
2014/8/7
岐阜県大垣市のお城めぐり
竹中半兵衛重治の従弟源助重利の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 長松城
よみ: ナガマツ
別称:
所在地: 岐阜県大垣市長松町
現状: 荒崎小学校
築城年代: 永禄・天正年間(1558-73)
築城者: 竹中源助重利
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2011/1/9・2014/8/7
≪ 訪城記 ≫
御茶屋屋敷から長松城へ向かう。
御茶屋屋敷駐車場を出て正安寺角を左折、細い路地を抜け県道216号へ出るT字路を右折、東進して杭瀬川に架かる赤坂大橋手前の赤坂大橋西交差点信号を右折、南下して熊野町西交差点信号を左折、次の熊野町交差点信号を右折。国道21号を南下、すぐに道が大きく右に曲がり大垣西IC前を通って西進、長松町東交差点信号を左折してすぐに右折した大垣市勤労者総合福祉センターの駐車場に車を駐車させてもらう。
大垣市勤労者総合福祉センター東の道を徒歩で約400m南下、県道31号に出て左折して東に行く路地に入り、約130mで道の北側に荒崎小学校があり、南門の西側道路脇に長松城趾碑と説明板があるのみで遺構はない。
≪ 歴 史 ≫
永禄元年 (1558) 竹中半兵衛重治の父重元が長松の地を手に入れる。後に重利は半兵衛重治から長松の地を分知され長松城を築く。
文禄三年 (1594) 竹中重利が豊後高田に移り、代わって武光式部忠棟が城主となる。
慶長五年 (1600) 武光忠棟は関ヶ原の戦いに石田三成方の西軍に属したが城を捨る。戦後、一柳監物が入るが、すぐに廃城となる。
≪ 写 真 ≫
長松城趾碑と説明板
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線大垣駅からバスで長松バス停下車、徒歩約5分。
<車>
東海環状道大垣西ICを降りて桧交差点信号を右折して西進、長松町東交差点信号を左折してすぐに右折した大垣市勤労者総合福祉センターの駐車場を利用すると良い。ここから徒歩約10分。
≪ 位置図 ≫
長松城(荒崎小学校)
紹介したお城の数 251城
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