もう社会生活から脱落して10年になる。内3年間は閉鎖病棟での人生だが。もう家族としか人とは接していない。あとは月に2回ほど訪問に来る市の福祉相談員と主治医だけか。
やはりもっと他の人間と接するようにしたほうがいいのだろうか?そう思ってしまうが、対人関係が自分の状態を悪くしてしまうのも確かだ。
そんな事をうじうじと考えていないでエイっと人の集まる場所へまた行った方がいいのだろうか?すると行先はやっぱり精神科デイケアか地域支援センターか。
なんだか自分は死ぬまでこのペースの生活を続けられると、そして続けようと思ってしまっている。家族がいなくなり財産も尽きたら生活保護になれると。するとそこにとても安堵感を感じている。そう何もしなくてよいと。
もう自分には就労や社会参加といったことは無理だと思っているのだろう。なので社会参加したいと気持ちにもならない。諦めているからだ。そこにはもう人恋しさなんてものはない。インターネットと古本があればよいといった様子だ。孤独を嗜む。
自分ももうすぐ50代である。ミドルエイジクライシスの頃だが、もっと老いたあとは死を待つのみといった感覚の人生感になっている。もう何もしなくてよい、この事にとても安堵感がある。あとは待つだけの人生。
いったい何かをするという事をこんなにしんどく感じてしまうようになったのか?病気の症状なのか?それとも足るを知ってしまったのか。そして実際は安全地帯にいるからか。
世の中のほとんどの人々は生計を立てるために就労している。だが自分にはその必要がない。福祉貴族とでもいいのか。つまりあがりだ。生活実態はほとんど布団の上で時に近所へ散歩へいくといった生活だが、自分は穏やかに過ごせているのでとても満足している。これが精神障害者の大切なポイントか。
もう自分は障がい者であって一般健常者とは違うと、ここを理解して納得しておく事が肝心だ。一般健常者と同じようにと思うと悪い方向へと進んでしまう。身の丈と自分自身次第。
さらに一歩なら、どこへ行けばいいのだろうか・・・
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