レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

四月です

2014年04月10日 | ぼそぼそ
本日午後四時ごろ、駅前の噴水横で
ビールをグイグイ飲んでいた新人スーツの男の子。
やりきったのか、やっちまったのか!
どっちにしたって幾年か経つと
そのビールの味はいい思い出に変わるんです。

当日

2014年04月08日 | ぼそぼそ
結婚記念日当日だった訳ですが
彼から
「何か美味しいもの食べた?
こっちはハンバーグとモンブランを食べたよ!」
と、元気なメールが入りました。


...いつから今日は
何か美味しいものを食べる日になったのかな?

結婚記念日

2014年04月07日 | ぼそぼそ
巨大迷路が苦手だった。


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明日は結婚記念日。
2007年の4月8日に婚姻届を出しているので
今年で七年目ってことになる。早いなあ。

彼は昨年の結婚記念日に
「お花を買ってきて下さい。あと家にあったら玉ねぎ頂戴」
と言ったら、お花をすっかり忘れて玉ねぎしか持って来なかった。
今年は出張中。

毎年来ているはずなのに、毎年何だか薄味な結婚記念日。

デキャンタに移す

2014年04月04日 | ぼそぼそ
庭の存在意義が違うと思います。


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さて、アメリカ七不思議最後の謎は
『中流家庭でも酒は必ずデキャンタから注ぐ』
中流家庭でもという表現は
ごく一般的な家庭でも、という意味であります。

日本の一般的な家庭で、買ってきたお酒を
デキャンタに移して飲むってあまりしない。
トリスにしてもニッカにしてもサントリーにしても
CMは瓶から直でグラスにトットットット…と注いでいる。
…もちろんCMだから瓶を写さないと
何を売りたいのか分からないから、もあると思うけど!
ドラマやなんかで飲むシーンの時、
お酒のスポンサーが付いていない場合は
ご丁寧にオリジナルラベルを作って瓶に貼り付けてあるほど
「日本は直注ぎ」の文化。

で、アメリカはというと
中流以上家庭表現時には、居間にバーコーナー的なものがあり
蒸留酒が入ったデキャンタと伏せたグラスが
セットで置いてあって、ホストがそこから一杯勧めたり
無作法な客がそこから勝手に飲んだりしている。
瓶から直に注いだり飲んだりするのは
やさぐれている、金が無い、失業した、酔うのに緊急を要する、
貧困家庭、労働者階級、の表現時。

ワインの場合は「デキャンタージュ」という
デキャンタに注ぐことによって空気と撹拌させて
雑味を取り除いたりまろやかにしたりという技法があるのを
この前相棒の再放送で見た。
どんなワインにでもやりゃあ良いってもんではないと
佐野史郎が言っていましたが
では蒸留酒を移し替えるのもその効果を狙ってか、と思いきや
単に「買ってきたままの瓶から直接酒を飲むのは見栄えが悪い」
という常識から、らしい。

しかしデキャンタって揃いも揃って
どうして液切れの悪そうなデザインなんだろう?
液切れの悪そうなデキャンタから
お酒を注ぐシーンを見るたびに
なんともいえない気持ちになる。

果物を食べる

2014年04月02日 | ぼそぼそ
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六番目は『水感覚で口にする果物』。
映画の中でアメリカ人はちょいちょい果物をかじっている。
現実世界でも昔、アメリカの上等なホテルに泊まった時に
部屋にウエルカムフラワーとフルーツが置いてあって、
友達と2人で映画みたいだ!と騒いだ覚えがあるんだけど
それが全部、皮を剥いて食べる果物だったので
どうやって食べるんだろうと思ったものだ。(ナイフ添付なし)
旅行者はナイフくらいは持ち歩いているものなのか
皮ごと食べるのか、その場合皮やタネはいちいち吐き出すのか
噛み砕いて飲み込んでしまうのか、と。

映画で印象に残っているのは
007シリーズ「慰めの報酬」で、マチュー・アマルリック演じる
ドミニク・グリーンが、メドラーノ将軍との大口契約の場に
青リンゴをボリボリ齧りながら現れたシーン。
ドミニクは大金持ちなので、あの果物は止むを得ず口にしている訳じゃなく
好んで口にしているんだなあと思ったら、やっぱり馴染めなかった。
彼を見る限り果物は皮ごと食べて
皮やタネを吐き出している感じはなかった。
私だったらジュースを選ぶな…!どうして果物なんだろう。

ピーナッツバターとジェローを塗ったパン
あとM&Mを何粒かとリンゴ一個、みたいな子供のお弁当も
何の映画か忘れたけど見たことがある。
お弁当にみかんは入っていたが、リンゴ丸のままは…
…歯は丈夫になりそうですよね。


食に関してはまだまだ謎が多いけど
今回は果物まで。

いやですよ

2014年03月31日 | ぼそぼそ
閑話休題。


五歳と四歳くらいの男の子と女の子が
「申し訳ございません!」「申し訳ございません!」
と言いながら三歳くらいの男の子を追いかけ回していて
笑ってしまった。
三歳くらいの男の子は
「いやですよ!」「いやですよ!」を連呼しながら
逃げ回っていた。
丁寧に言われても許したくなくて
丁寧にお断りしてるんだな。

さらにナンセンスに

2014年03月31日 | ぼそぼそ
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前述のエディが出したクイズは、
もちろん本気で面白いと思っている訳ではなくて
遠い昔の、切ないながらも楽しかった思い出の一部として
口にするものだ。
アメリカ文学における「いたずらおもちゃ」と「ナンセンス」の
共通点がここ。

ナンセンスを前にした所謂大人の反応は
バラエティに富んだ嫌悪の反応だ。
顔を顰める、遮るように咳払いをする、笑顔でドアを開けて退場を促す、
黙れを色々な語彙で五回くらい言う(最後はフォルテシモ)
理詰めで黙らせる、(これは大抵成功しない例として挙げられる)
他にはとにかく無言で見つめる、銃をぶっぱなす。
お前は幼稚だと指摘し怒鳴りつける、が王道。
早く大人になれ、といった具体的指示で〆られる事も多い。


いたずらおもちゃとナンセンスが表すのが
幼稚な、無垢な心の象徴で、多くのアメリカ人が
大人になる過程これを過ぎ去ったもの、
馬鹿らしくなって捨ててきたものとし拒否しながらも
心の奥ではもう一度それらに夢中になりたい!と願っているように見える。
日本にはそういう、強烈な幼心の象徴みたいなものがないなあと思ったが
日本はアメリカほど、子供の文化と大人の文化が違わないからだ、と
思いついた。
日本では大人の方が断然漫画やアニメ、おもちゃ収集にお金をかけるし
それが当然の文化として定着している。
大人がアニメや漫画、ゲームに夢中になっていても
白い目で見られる文化ではないからこそ
「いたずらおもちゃ」や「ナンセンスな発言」の奥深い意味に
あまりピンと来ないのだろう。

大人とこどもの境目がはっきりと違う文化を背景に持つから、こその
いたずらおもちゃの地位、ナンセンスに対する厳しさ、なのだ。

そしてナンセンスへ

2014年03月27日 | ぼそぼそ
イングリッシュガーデンの一部です。

ーーーーー
ところでナンセンスって言葉、普段使いますか?
日常使いしている人を私は一人しか知りません。夫です。


アメリカ七不思議 五番目は『ナンセンスであることに厳しい』。
ここで言うナンセンスの定義は
バカバカしいこと、意味がない(ように見える)こと、
広義で
子供じみた言動や馬鹿騒ぎ、夢想にふけることなども入れておきます。

アメリカ文学中ではナンセンスであることをとにかく嫌う。
ただ!日本とは「ナンセンス」の度合いが大幅に違う。
バカバカしい、なんてもんじゃない。
テンションが上がりすぎて始終身体をバタバタさせ
奇声を放っている三歳の子供がひねり出すクイズが
アメリカの言うナンセンスのレベルだと思えばいい。

「僕は、どうして、いるでしょう?!」「答えは、ウンコでした!」
問題にも答えにも何の意味もない、ただ言った本人だけが爆笑している。
こういうシチュエーション、ありますね。

不思議なことに、このレベルの「ナンセンス」が
大人同士の会話の中にごろごろ出てくるのだ。
エディー・マーフィーの日本語吹き替えの声で再生すると
分かりやすい。彼がそういう役柄で登場する時、
相手の声に被せて被せて言っていることは
大抵この手のナンセンス発言だ。
スティーブン・キング連投で申し訳ないけど、
「ダークタワー」シリーズで、主役の一人、エディが
お気に入りのクイズを出すシーンがある。

『死んだ赤ん坊はなぜ道路を渡ったか?』
『青信号で渡るニワトリにホチキスでとめられていたからさ!』

最初に読んだ時には日本語訳が間違ってんじゃないかと思った。
クイズの内容もさることながら、そんなクイズを
大の大人が(ヤク中だけどね)得意げに披露することに
衝撃を覚えたもんです。


~ちょっと長いので続く~

いたずらおもちゃ

2014年03月26日 | ぼそぼそ
この羊!ウォレスとグルミットでしか見たことない。

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さて四番目 『「いたずらおもちゃ」という特別な謎のジャンル』
これに関してはもうずーっと語りたいくらい不思議。
小説ではスティーブン・キングの「ニードフル・シングス」他多数
映画だと「ヘアスプレー」で、主人公の父親が
念願のいたずらおもちゃ店を経営していた。
「ハリー・ポッター」シリーズの作者はイギリス人だけど
蛙チョコレートに始まり、生徒たちが夢中になるホグズミード村の悪戯店、
ウィズリー家の双子、フレッドとジョージが始める悪戯専門店など
やはり作中でいたずらおもちゃに対する並々ならぬ情熱を見せていた。

いたずらおもちゃ。
日本人の私がこう聞いて思い浮かべるのは
その昔流行ったと聞いたことがあるブーブークッション、
初期のビックリマンに封入されていたいたずらシールくらい。
他に何かあったかなと思うくらい、
日本にはいたずらおもちゃが文化として確立していない。
多分だけど、真面目な日本人はそういった
……何だろう、ふざけた物に対する嫌悪感が強いのかもしれない。


で、作中でのいたずらおもちゃの扱いなんだけど
これが一様に同じで
「子供が夢中になる、子供の心を忘れていない大人も夢中になる」。
裏を返すと、これに夢中にならない者は
・冷めてしまっている・夢のない・汚れっちまった・つまらない←重要
人物の扱いなのだ。

微妙に5にもつながるので、続きます。

作るハイテンション

2014年03月25日 | ぼそぼそ
郊外は一枚の絵であります。


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アメリカ七不思議の三番目は『大学入学時の高すぎるテンション』。
入学前日に鏡の前で「ハァイ!私はキャサリン、キャシーって呼んで!」
と挨拶の練習をしてみたり、笑顔の特訓をしたり、
初日はどういうキャラクターで行こうか悩んでみたり。
日本で言うと「大学デビュー」っていうのは
それほどかっこ良くない扱いで
下だと思っている人が中を目指すイメージがある。
アメリカ(文化)では特にデビューする必要のなさそうな
中の子がハイテンションを作り、高を目指して挑んでいる。
思うに「普通」「中くらい」「目立たない」はアメリカ社会では負け組であり
「人気者」「ヒーロー又はヒロイン」「目立つ存在」でないと
意味がないようだ。想像するだけで疲れちゃいそう。

最近の映画だと「モンスターズ・ユニバーシティ」が顕著でした。
見ているだけでしょっぱい顔になったよ。