[復刻版] 東南アジア紀行[10] 煙霧のシンガポールへ
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月8日(木)
1997年8月30日.土曜日.
■早く目が覚める
クアラルンプール最後の朝である.
例によって4時30分に目が覚めてしまう.もう眠れない.
実は,今回の旅行に出発する直前に,某外資系コンピュータメーカの月刊誌の巻頭言を2000字でまとめてほしいという依頼を受けていた.成田からクアラルンプールに向かう飛行機の中でも,メモ用紙を取りだして,原稿案作りに励んでいた.また,クアラルンプールに到着した夜に,ホテルの近所のコンビニで,この原稿作成専用のノートを買い込んで,思いつくままに,それこそ何回も,何回も原稿の下書きを繰り返していた.
クアラルンプール最後の朝を迎えるのに,まだ,原稿のシナリオができない.
目覚めてから1時間ばかり,この原稿のシナリオ作りに頭を悩ませ続けた.
「うぅ~ぅん やっぱり纏まらない!」
部屋の冷房が利きすぎて寒い.そこで,私は,原稿が纏まらなくてイライラする気持ちをおさえるために,朝風呂へゆっくりと入ることにした.
のぼせるほどの長い間,朝風呂に浸かっていたが,まだ,6時前である.荷物をパックし直したりして,グダグダと無駄時間を過ごす.訪問先から頂戴した沢山の資料が重い.
6時50分.漸く空が明るくなり始めた.
■団体客と間違えられる
待ちかねたようにレストランへ行く.別に空腹というわけでもないが・・・
入口から向かって左側に中国から来たと思われる団体客が20人ほどかたまって,騒がしく食事をしている.私がぐうたらな格好をしていたためか,右手に空席が沢山あるのに,わざわざ混んでいる左手のテーブルに案内される.
私がこのグループの一員だと誤解されていることに気付いた.
「まぁ いいか」
としぶしぶ座ってみたものの,周囲のあまりにうるささに閉口してしまう.コーヒーを飲みながら考え事をしようと思っていたのに・・・・
私はウエイトレスに文句をいった.
「私はこの人達のグループではない.もっと静かな席へ案内せよ」
と英語ながら怒りの表情でクレームした.
ウエイトレスは吃驚したような表情をしたが,
「オーケー」
といって,一番奥の静かな席へ案内した.窓際の席である.
日本ではあまり見掛けないツバメを一回り小さくしたような黒い鳥が2~3羽,窓際の木に止まって,
「チュピッ チュピッ ~」
と啼いている.
"Excuse me ! "
"More coffe, Sir ?"
・・・・・・・・・
"Thank you, Sir."
と先ほどのウエイトレスが,やけに丁寧にコーヒーを注ぎに来る.
「やっぱり,たまには文句をいう方が良いな」
と私は心の中で呟いている.
同行の先生方は,まだ,誰も食堂に現れない.
昨夜のM社のドンチャカに出席して,すっかり草臥れたのだろう.あるいは荷物のッキングに往生しているのかも知れない.
私は,コーヒーを味わいながら,某社依頼の原稿の構想作りに没頭していた.
■早朝の一人散歩
8時頃,一旦,部屋に戻る.
ロビー集合は11時である.まだ,3時間ほどの余裕がある.私は旅行中の運動不足が気になっていた.幸い,今,一人である.
「よ~し,ホテルの周辺をグルグルと散歩しよう」
と思い立った.でも,事故を起こすと皆に迷惑が及ぶので,なるべく道路を横断せずに,大通りだけをグルグル回ることにした.
今,宿泊中のリーゼントホテルの前には伊勢丹がある.ホテルと伊勢丹の間の大通りを北東方向に歩き出す.大きな交差点に出る.横断歩道を渡るのは恐いので,そのまま右折する.暫く進むと,また,大きな交差点にぶつかる.同じ理由で,また右折する.必ずしも,交差点で,道が90度で交差するとは限らないので,何となく台形の周辺を回っているような感じがする.
しばらく進むと,人通りが少なくなってきた.右手に「Japanese Restaurant 花亭」と書いた看板が目立つレストランがある.早朝なので,勿論,まだ開店していない.
しばらく道なりに進むと,三角形のトンガリ屋根を幾つも連ねた2階建ての風変わりなレストランが見える."RESTORAN EDEN" である.すばらしい外観である.滞在中に来てみたかったなぁ~
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RESTORAN EDEN の外観
(注:翌年,1998年に,このレストランで念願の食事をした)
広い道路の向こう側には,鬱蒼とした椰子の林が続いている.その中に,KARYANEKA alaysian Handcraft and Souveniar Centre の入口が見える.まだ,時間が早いので開いていないようだ.また,交差点がある.仕方がないので右折する.道が登り勾配になる.
左手の道を隔てた前方にマリオットホテルが見える.そのず~っと先の右手にはわれわれが宿泊しているリーゼントホテルが白くそびえ立っている.私のすぐ右手にはGirls School Bukit Bintang と看板に書いてある小さな学校がある.その先に並ぶように Secondary School の建物が建っている.柔道着を着た少女が数人歩いている.とても可愛い.
交差点の歩道を渡るのが恐くて,台形の形に大きな道路を一回りしたら,30分ほどで,出発点のホテル前に戻ってしまった.そこでホテルの前の地下道を潜って伊勢丹側へ出る.大きな伊勢丹の建物に沿って,裏側まで回ってみる.
■伊勢丹をブラブラ
伊勢丹の入口には,間もなく開店するのを待ちわびる沢山の人達がたむろしている.開店前の日本の百貨店の風景と全く同じである.土曜日とあって,若い人が結構多い.
間もなく10時.待っていた人達が一斉に店内になだれ込む.
私も何となく興味を持って,店内に入る.といっても,特段,買いたいものはない.
雑貨,洋品,洋服,電化製品,文房具,本などを見て回る.物価は,結構,高い感じである.衣料品,電化製品は日本よりも大分高いような印象を受ける.文房具はほとんど全部,日本製品である.もっとも伊勢丹だから日本製品が多いのかも知れない.その辺りは,コンビニ以外で,全く買い物をしていないので,とんと,様子が分からない.
■クアラルンプール国際空港
10時40分頃,ホテルへ戻る.
いよいよ,このホテルともお別れである.集合時間の少し前にロビーへ降りてチェックアウトを済ます.間もなく,全員が揃った.先日会ったD社の社長が,別件で,このホテルに用事があったらしく,ロビーにいた.ついでかどうか分からないが,われわれを愛想良く見送ってくれた.
11時05分にホテルを出発.途中,土産店に立ち寄ることもなく,国際空港へ直行する.
11時50分に空港に着く・・・が,昼食を摂る適当なところがない.やむなく,待合室の側のカフィテリアで,パンとコーヒーの昼食を簡単に済ましてしまう.
クアラルンプールの出国手続きは,至極簡単であった.
われわれの搭乗するシンガポールエアラインの飛行機は13時25分発の予定であったが,13時40分に延発した.みどり地に茶色のストライプが入った粋な制服を着たスチュワーデスが,われわれを迎え入れた.
離陸すると間もなく,コーヒーサービスを開始した.コーヒーを味わいながら,ゆっくりとしようとしている内に,飛行機は高度を下げ始めた.途中,乱気流のために飛行機が木の葉のように激しく揺れた.あまり気持ちの良いものではない.
でも,14時45分に,無事,シンガポールに到着した.
■シンガポールに到着
シンガポールの入国審査は,ごく,簡単であった.税関も簡単であった.ただ,段ボールに入れた土産物の包みは,シンガポールでも「中身は何か?」という質問を受けた.
整然とした空港である.マレーシアとは,さすがに格が違うという印象を受ける.
空港では,ガイドの陳(タン)さんが,われわれを待っていてくれた.度の強い眼鏡をかけ,目つきの鋭い30歳代後半と推定される男性である.青いジーンズ姿である.
上空は,カリマンタンの大山火事の影響で煙霧が立ちこめ,どんよりと曇っている.遠い国の山火事が,クアラルンプールだけでなく,こんなに離れた位置にあるシンガポールにも影響を与えているのとは・・・・・
ただ,森林火災のただスケールの大きさに唖然とするのみである.
シンガポールは,さすがに先進国である.街の様子はガーデンカントリーというだけあって,美しく洗練されている.広い通り,大きなビル,何をとっても東京を凌駕しているようにすら見える.
われわれがシンガポールで宿泊するホテルは,ラッフルススクエアの近くにあるカールトン(Carlton)ホテルである.マレーシアでは五つ星ホテルに宿泊したが,シンガポールで宿泊するホテルは中級ランクである.空港からホテルまでの所要時間は約20分であった.
例によって,陳さんに1万円だけシンガポールドルに両替して貰う.交換レートは,「1シンガポールドル=85円」であった.
ホテルへのリムジンの中で,例によって,ガイドの陳さんから,いろいろと注意を受ける.
「ホテルについたら,ボーイが各自の荷物を部屋まで運びます.そうしたら荷物一つについてチップを1ドルあげて下さい.毎日,ベッドには1ドルおいて下さい・・・」
ホテルでのチップの額,暖かいものは無料だが冷たいものは有料,パスポートと航空券はセフティボックスへ入れる,Room to Room の電話のかけ方,等々・・・・あ~ぁ・・・耳蛸状態だ.
■またもや高価な夕食か!
夕方のシンガポールの街を全員で散歩すると,「真面目」が提案する.
「そろそろ,自分一人の時間が欲しいな・・・」
と私は思い始めていたが,そこは団体行動である.リーダの「真面目」が一人で歩くのが恐いのならば,やむを得ない.
結局,30分ほど各自の部屋で繕いだ後,16時30分にホテルのロビーへ集合し,ラッフルズホテルの周辺を,7人揃って,ぞろぞろと散歩する.まったく,様にならない.私一人ならば,適当に安い店に入って簡単に夕食を済ましてしまうのだが,高級指向の「真面目」は,そうはいかない.ラッフルズスクエアの案内所に首を突っ込んで,あれこれと適当な店はないかと探す.結局,"Inagiku" という日本食(鉄板焼き屋)レストランを,「真面目」主導で,19時に予約した.また日本食である.
■束の間の自由行動
18時30分まで,自由行動ということになる.
私はラッフルズスクエアの3階にある「紀伊之国屋書店」で,殆どの時間を費やした.他の大半の先生方は,自由行動だった筈なのに,結局は6人束になってお土産探しをしていたようだ.
地図売り場へ行く.有名なバーソレミュー(Barthoremew)が出版したマレーシアの地図もあったが,迷った末,メローズの地図(Mellows Map)シリーズの地図を数枚購入する.1枚10.2ドルであった.かなり広いスペースの専門書売場がある.そこを隈なく見て回る.George Laboviz という方が書いた "The Power of Alignment" という本が面白そうなので購入する.34.95ドルであった.
集合時間の5分前に1階コンコースの中央にある噴水の脇に戻る.
この噴水,7~8メートルの円形にコンクリートで縁取られた池に作られている.池の外周に等間隔に並んだ4ヶ所のノズルから水を吹き出す.吹き出された水は放物線を描きながら池の中央へ進む.中央では,4ヶ所から吹き出た水の流れが焦点のようにぶつかり合って下に落ちていく.面白がって見ていると,「パタリ・・・」と水流が止まる.
「どうしたのかな・・・?」
と思っていると,今度は,ノズルは水を「ピョン,ピョン・・・」と間欠的に弾くようなリズムで吹き出す・・・
暫くすると,また焦点モードに戻る.なかなか凝った演出である.
■日本食レストラン”稲ぎく”で夕食
Inagiku は,The Westin Stanford & Westin Plaza の中にある.
「紅花」に良く似た鉄板焼き屋であった.2平方メートルほどの大きな鉄板の廻りに,片仮名の「コ」の字型に,客席が6~7人分設えてある.真ん中で料理人が手際よく料理をするという嗜好である.
私のような年輩者は,連日の「こってり料理」で,油っぽいものは,もう,食傷気味である.しかし「煙突」たちの若い先生は,沢山食べたいという.またもや一人1万円の夕食代になる.極端な「割り勘負け」になる.内心「この野郎」とも思うのだが,これも団体行動なので仕方がない.一人で食事をすれば,1000円程度で済んだのに・・・と内心で悔しがる.
仲居がお茶を運んできた.
私は,この店の名前を正確に知りたかったので,仲居に日本語で,店の名前を聞いた.だが,仲居はキョトンとしている.
"Do you speak Japanese ? "
"No・・・"
と愛想がない.
"Well・・・・ Give me the name of this restaurant ?"
"Inagiku."
「漢字でどう書くの?」
仲居は
「ちょっとまって」
というボデーランゲージを残して,帳場に消えた.そして割り箸の袋を持ってきた.なるほど!
そこには「稲ぎく」と書いてあった.
■マーライオン
夕食後,マーライオンの彫刻が飾ってある広場まで,全員で散策することにした.マーライオンの入り江には,いつの間にか大きな橋が架かっている.マーライオン周辺の景色は,2年前に来たときとは,大きく変わっていた.
「ゴムゾーリ」が盛んに「つかれた,つかれた」を連発し始めた.
第9回終わり
(第10回につづく)
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[資料編] 出典:JETROマレーシア,プライスウオータハウス,M社
6.投資および社会環境(つづき)
(3)マレーシア社会の変化
a.急速な近代化・産業化
b.農村から都市への人口移動
核家族化の加速
c.都市における住宅建設ラッシュ
d.工業団地の地方分散努力
e.人口増 年率 2.4%
f.生活水準向上の意欲が激しい
モータリゼーション
電化ブーム
g.流通革命
量販店の出現
h.輸入保護関税の引き下げ,撤廃
i.国民意識の変化
農耕集落型社会から都市型社会への移行[ゴトンロヨン→競争型,欲望型]
「東南アジア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/90076e20639f192cc68bc6d951949e2c
「東南アジア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5287291127134c4b8f862aff521ba637
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