<花立山からの富士山>
春の丹沢:泥濘とネコが眠たい塔ノ岳(今年15回目)
(単独山行)
2011年3月31日(木) 晴れ後曇り
■地震で登山を自粛していた
今月11日(金)の東北地方太平洋沖地震から,今日で2週間以上経過している.長いような短いような2週間である.テレビを通じて見る被災地の惨状は目を覆いたくなる.さらに福島第1原発事故は一向に収束に向かう気配がない.
私はボランティアをしたくても,何の特技もない.できることは節電ぐらいである.
昭和1桁生まれの性(さが)かもしれないが,被災地の映像を見ると,どうしても,東京大空襲を連想してしまう.あの空襲で10万人もの人たちが死んだ.まさに天災ではなく人災だった.
地震直後から続いていた計画停電も,陽気が温かくなるにつれて,だんだんと実施されない日が多くなっている.そして,今日(3月31日)は,東海道本線や小田急線の電車も縮退運転ながら,どうやら動くようである.
私は随分と迷ったが,久々に塔ノ岳に出掛けることに決める.前回,私が塔ノ岳を訪れたのは3月8日.実は13日(日)に塔ノ岳に登るつもりでいたが,それどころではなくなった.その間,今日まで実に19日のブランクがある.勿論,その間,乗り物を利用しないで鎌倉市内をあちこちと歩き回っていたが,所詮,それだけで体力・・というか登山力を維持することは無理である.
とはいえ,この世相の中で,リュックを背負って,ノコノコと交通機関を利用して出掛けるのは気が引ける.でも,私の場合,適度に登山を続けてこそ健康が維持できていると思う.そこで,ラッシュアワー以外の時間帯に電車に乗るのならば差し支えないだろうと,手前勝手な屁理屈を付けて,早朝5時10分に家を出発する.
■空き空きの電車
家から外に出て,もう色の見分けが付くほど明るくなっているのにビックリする.たった,13日のブランクの間に,随分と季節が進んで,夜明けも早くなっているし,何よりも温かくなっている.
大船から,5時44分発小田原行の電車に乗車する.電車はガラ空き.小田原まで4人掛けのボックス席を独り占め.続いて小田急の電車に乗車する.休日ダイヤに近い特別ダイヤながら,ほぼ平常通りの運転である.ただ特急ロマンスカーは運転していないようである.
渋沢発大倉行1番バスに乗車する.乗客は10名ほど.やっぱり乗客が少ない.何時もの3分の2程度だろうか.
乗客の中に,韋駄天のTさん,努力家のY川さんなどご常連が5名.皆さんに久しぶりですと挨拶する.
7時01分,バスは大倉に到着する.手許の寒暖計が摂氏6℃を指している.韋駄天組は,バスから下りるとすぐに歩き出す.私は例によってモタモタ.結局,出発が一番最後になってしまう.
■やっぱり身体が重い
久々の塔ノ岳である.私は,とにもかくにも,無事に山頂までを往復できることを,今回の最重点目標に決める.まあ,登りは3時間程度掛かっても仕方がないなと覚悟を決める.
歩き出してすぐに,今日は随分と身体が重いなと感じる.やっぱり19日間のブランクは歴然としている.ちょっと,急ごうとすると,すぐに息が切れてくる.私は,昔の自動車のように,登りだしてから暫くの間,慣らし運転を続ける.
幸いなことに足許はほどほどに乾いていて,随分と歩きやすい.それに日の光が林の中まで柔らかで明るく射し込んでいるので,とても気分が良い.ゆっくりとした足取りながら,私は歩く楽しさを実感しながらマイペースで登り続ける.
登山口を過ぎて克董窯辺りで,努力家のY川さんに追いつく.1~2分,Y川さんと雑談した後,ひとまず先に行かせて貰う.その後,ご夫婦の登山客を追い抜いた後は,暫くの間,全くの一人旅になる.
<克董窯>
<日だまりを歩く>
<神社の参道のような見晴山荘への尾根道>
■堀山の尾根道からの富士山
余り調子が出ないまま,8時17分に駒止茶屋を通過する.大倉を歩き出してから1時間08分経過している.1時間03分程度ならば合格だが,今日は5分ほど長く掛かっているので不合格.でもまあ,疲労感は全くないのがせめてもの救いである.気温は6℃.無風.
相変わらず,私の前後には全く人の気配がない.
すぐに堀山の尾根に出る.道路の状態が一変して,水を含んだ土が凍結している. 大倉尾根を挟んで右側,つまり東側は雲が沸き出していて,次第に視界が悪くなっているが,左側は良く晴れている.多少雲が多いが富士山も良く見えている.ここで立ち止まって富士山をデジカメに収める.
■韋駄天のYさんが下る
8時35分,堀山の家を通過する.小草平からも富士山が良く見えている.
いよいよ,これから花立山荘までの長い登り坂になる.この登り坂を安全に登ることができれば,山頂まであと僅かである.
私は慎重に坂道を登り始める.実は,大倉尾根のコースの中で,この坂道を登るのが,私にとって一番楽しいところである.確かに長い坂道はシンドイが,いかにも登山をしているという気分になれるからである.
坂道を登り掛けると,上の方から,韋駄天のYさんが,いきなり飛び出すように現れる.
「こんにちは・・」
と一言挨拶するのがやっとの勢いで下っていく.
■妄想
長い坂道である.その内に,どうしても惰性で登り続けるようになる.こうなると,自動運転のロボットのように,何時の間にか無意識のうちに足を動かしている.言い換えればバックグラウンドジョブで登っている.
一方,フォアグラウンドの方では色々と雑念が湧いている.
今回も,つい数日,スワルトバートルのオバサンや自称年寄りの男性と散策していたときのことを,脈絡もなく,思い出している.
自称お年寄りは昭和20年代生まれ.この方が昔の生活は厳しかったと盛んに主張する.そのとき,昭和1桁生まれの私は,内心で,
「何をほざいているんだ・・!」
とやや怒りにも似た気分になっていた.
“昭和20年代生まれだって! 冗談じゃない! そんなら物心ついたときは昭和30年代じゃないか.私が大学を卒業した頃だよ,あの頃は,そりゃ~・・今に較べれば確かに物はなかったよ.でも,もう戦後の混乱期は過ぎていたし,外食券はまだ確かにあったけど,かなり自由に飯も食えるようになっていたよ.戦争末期から戦争直後の混乱期に比較すれば,昭和30年代の生活は天国みたいなものだよ・・大体,お前さん,タケノコ生活,モク拾い,釘拾い,ヤミ列車など知らねえだろう・・1桁時代の私に,「昔はひどかった」なんて,聞いてきたようなこと,ほざくんでないッ!”
と心の中で悪態をつく.
登りながら,フト我に返る.
なんとまあ,荒(すさ)んだことを連想しているんだろうと,自分が恥ずかしくなる.
■萱場平
8時55分,ようやく萱場平に到着する.温かい春の日射しが一杯に降り注いでいる.路面は意外に乾いている.不気味なほどに静まり返っている広場を通過する.そして,再び急坂を登り続ける.
長い階段道が終わって露岩帯に入る頃,下山してくる女性2人組とすれ違う.
「・・今朝登られたんですか,随分と,お速いですね・・」
「はい,戸沢から山頂まで2時間を一寸切るぐらいで登りました・・」
私は戸沢口から登ったことは,ほとんどないので,2時間が速いのか遅いのか良く分からないが,威勢が良いのに驚く.
■花立山荘
9時11分,後7分坂の下に到着する.ここまで来ればあと一息.この坂を何とか7分で登って,9時18分に花立山荘を通過する.
登り始めてからここまでの所要時間は2時間11分.やっぱり体調が今ひとつ,普通の時より10分ほど遅いようである.でも,まあ,こんなものだと思いながら通過する.
山荘前からは,相変わらず富士山が良く見えている.ただ富士山の北側に上昇気流があるらしくて,雲が垂直に湧き上がっているのが気になる.
■花立山からの展望
9時28分,花立山山頂に到着する.今日は怪しげな雲が湧き上がっているものの富士山から南アルプスまで良く見えている.ここで写真タイムを取って,辺りの展望をデジカメに収める.
ただ,東側には濃い雲が沸いていて,すぐ近くの大山も全く見えない.後僅かで大倉尾根辺りも間違いなく雲の中だなと予感する.
■悪路の登り坂
鍋割山山塊の写真を撮りながら,馬の背から金冷シに向かう.この辺りから日陰や登山道脇に残雪が見え始める.
9時34分,金冷シを通過する.ここで,下山してくる韋駄天のTさんとすれ違う.
「今日は暖かいですね・・山頂の気温は0℃・・・」
「ではまたお会いしましょう・・」
金冷シを過ぎると,途端に道路は最悪の泥んこになる.今はまだ解けかかった状態だが,それでも,随分と歩きにくい.下山するときは多分グチャグチャ道に変わっているだろう.
路面の状態が悪くなると,途端に歩行速度も遅くなる.前後にだれも居ない階段道を黙々と登り続ける.
<韋駄天のTさんが下る>
<ドロンコキナーゼ>
■塔ノ岳山頂
9時51分,ようやく塔ノ岳山頂に到着する.山頂には誰も居ない.山頂の気温は+1.5℃.所要時間は,何とまあ2時間42分.“我,衰えたり.”
まずは山頂からの眺めを360度デジカメに収める.
海の方から分厚い雲がだんだんと登ってきている.まだ富士山は見えているが,もうすぐ雲の中だろう.反対側の大山は完全に雲の中である.
<塔ノ岳山頂からの富士山>
<だれも居ない塔ノ岳山頂>
■尊仏山荘
尊仏山荘に立ち寄る.先客は2人.見慣れない方々である.かなりの重装備で,これから丹沢山方面に向かうようである.私が山荘に入ると入れ替わりに出発する.
今日の小屋番の方は,50歳代だろうか.私の知らない人.
とりあえず何時ものように300円也のお茶を所望する.
「・・ネコ,元気にしていますか」
と伺う.
「・・ええ元気ですよ・・」
こんな話をしていると,2階からネコがコトコトと階段を降りてくる.そして,土間に眠そうな顔のままボンヤリと立っている.
やっぱり,ここのネコが,何処のネコより可愛い感じがする.
私は,
「おい,・・ミーや.元気かな・・」
と言いながら,ミーの背中や頭を撫でたり,スナップ写真を撮ったりで,暫くの間,ネコと戯れる.
ネコから連想して,小屋番に,
「・・今度,(小屋番の)Oさんが登ってこられるのは何時ですか・・」
と尋ねる.小屋番はカレンダーを覗き込んで,
「今週末に登ってこられますよ・・来週はOさんが当番です」
私は,“では,来週中頃にでも,また塔ノ岳に登ろう”と思っている.
それにしても,この頃,ミー君の毛に艶が無くなったような気がする.ミー君も年だから艶が無くても仕方がないが,元気で居て欲しい.
■泥んこ道を下山
10時10分,尊仏山荘においとまして下山を開始する.
往路をセーブして登ったので,体調はとても良くなっている.下りは快調である.ただ,安全を考慮して,転倒しないように,一歩一歩,丁寧に下山し続ける.
山頂から2番目の階段を降りているときに,ご常連のローギャー氏とすれ違う.その後も,何人かの登山客とすれ違ったが,平常時に比較すると,やっぱり登山客は少ないようである.
金冷シ付近で,同じバスに乗車していたご常連とすれ違う.
「・・漸く,ここまで登ってきました・・」
と苦笑しながら私に挨拶する.
金冷シまでは,凄い泥んこ道になっている.泥んこを避けたくても避けられないほど一面の泥田状態である.靴はすっかり泥だらけになる.
その後も駒止茶屋付近までは泥んこに悩まされる.
往路の空が嘘のように上空は分厚い雲に覆われている.いくら春とはいえ,日が陰るとかなり寒い.
11時26分,駒止茶屋を通過する.私は,“この分だと,多少急げば12時22分のバスに間に合うな”と計算する.
その後は,道草せずに,セッセと下り続けて,12時17分に,無事,大倉に下山する.
目論見通り,12時22分発のバスに乗車する.乗客の中に,登山客は私1人だけ.何時もならば2~3人は乗っているのに・・・一般の乗客に対して,ちょっと肩身が狭い.
小田急線は節電のための臨時ダイヤだが,特急が運休以外に大きな変化はないように思える.名前は急行だが各駅停車で小田原に出る.
途中,新松田で御殿場線の運行状況について,車内アナウンスがある.
「・・計画停電のために,御殿場線の電車は2時間に1本程度の運行になっています.詳しいことは駅でお確かめ下さい・・」
それにしても2時間に1本とは恐れ入った.これでは,谷峨駅を利用して西丹沢の山へ行くのは困難なようである.
小田原からの東海道本線は順調.14時少し過ぎに無事帰宅.
ああ,サッパリした.
<ラップタイム>
7:09 大倉歩き出し
7:30 観音茶屋
7:46 見晴茶屋
8:17 駒止茶屋
8:35 堀山の家
9:18 花立山荘
9:34 金冷シ
9:51 塔ノ岳山頂 着(+1.5℃)
============================================
10:10 塔ノ岳山頂 発
10:24 金冷シ
10:36 花立山荘
11:00 堀山の家
11:26 駒止茶屋
11:48 見晴茶屋
12:00 観音茶屋
12:17 大倉 着
[山行記録]
■水平距離 7.0km(片道)
■累積登攀下降高度 1269m
■登攀所要時間
大倉 発 7:09
塔ノ岳 着 9:51
(所要時間) 2時間42分(2.70h)
登攀速度 1269m/2.70h=470.0m/h
■下降所要時間
塔ノ岳 発 10:10
大倉 着 12:17
(所要時間) 2時間07分(2.12h)
下降速度 1269m/2.12h=598.6m/h
(おわり)
「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/bdb074fe5610b0cedb3c9b29a62c0f87
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/047bfda4778d24c316790bd368ad76fb
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[編集後記]
今年は,東北地方太平洋沖地震のため,鎌倉観光協会主催の第53回「鎌倉まつり」で楽しみにしていたパレード,流鏑馬,ミス鎌倉お披露目,静の舞等々が全面的に中止されるとのこと.残念だがやむを得ない.
日本が,早く,地震からの混乱から立ち直ることを祈るばかりである.
地震で被災された方が,テレビで,
「今まで,如何に贅沢な暮らしをしてきたか,被災してみて分かったよ・・」
と言っておられた.この方の言葉が,強く心の中に残る.
私は幸いにして被災しなかったが,計画停電のお陰で,何時からとはなしに,電気なしではどうにもならない“あだ花”のような生活をしていることに気がついた.
あの戦前戦後の混乱期を経験しているのに・・・
(愚痴おわり)
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