<2012年4月1日の山猫ミー>
丹沢:山猫“ミャ~”との交友録(8);山ネコの話2題
2012年3月31日(土) 強風吹き荒れる雨の一日
■強風吹き荒れる雨の一日
月日の過ぎ去るのは早ですね.もう,今日は3月最終土曜日です.
私の元々の計画では,今日は絶対に塔ノ岳に登る日でした.ところが天気予報を見ていると,今日は終日雨.しかも強風が吹き荒れるとのこと.そうなると,慎重居士の私は,塔ノ岳詣でを止めるのが当然の帰結です.
…ということで,今月の塔ノ岳山行実績は,たった5回だけ.この分だと,年間の目安である60回はちょっと怪しくなります.
「登山回数を数えるのが山登りの目的じゃないだろう・・・」
と心の中のもう一人の私が,私を諭します.
「おっしゃるとおりですね・・・」
と返事をしたまではよいのですが,すぐに何事も安易に考えがちな悪い癖がすぐに頭をもたげます.
「じゃあ・・今日は雨なので終日家に籠もって,昼寝でもしているか・・・」
すぐ,こう,安きに流れる性向があるものですから,私はダメなんです.
午前中に細々とした用事を済ませてしまいます.そして,パソコンの電源をONにして,フェースブックを覗いてみました.大学時代に同じ研究室に居られたIさんのページを覗くと,Iさんの新しい絵が掲示されています.この絵を拝見している内に,
「オレも頑張らなければ・・・」
という気分になってきます.
すでに,私は,この4月に開催される神奈美公募展に出展予定の3枚の水彩画は選定済みです.でも続いて開催される某公募展にも,1枚水彩画を出したいなと思っていますが,これがなかなか上手くいかないんです.
過去に旅をしたときに書きしたためたメモ帳や写真を,あれこれとあさっている内に,ネコに関係する写真が随分たくさん出てきました.
そこで,今日は,たくさんのネコの写真の中から,「山猫」をテーマにして,雑談を2話だけ,親愛なる尊仏山荘ミー君にご披露することにしたいと思います.
****題1話:メンヒヨッホ小屋の山猫****
さて,トップバッターは「メンヒヨッホ小屋の山猫」のことです.
もう古い話になりますが,数年前,山仲間6人と一緒に,モンブランに登りました.いきなり余談ですが,この中のメンバーのお一人に,ノシイカさんという女性がおります.この方は,韋駄天のTさんもよくご存じの塔ノ岳常連でもあります.
さて,私たち6名は,現地の山岳ガイドにザイルで身体を確保してもらいながら,モンブラン山頂を目指しました.軟弱な私には死ぬかと思えるほど,本当にシンドイ登山でした.同行者6人の内,何とか山頂まで辿り着いたのは4名.登頂率は平均の60パーセントでした.そのときFHも,何とか登頂成功組に入っていました.このときの記録は,この私のブログにも掲載済みですので,ご高覧頂ければ幸いです(ただ,記事の構成が余り良くないので再編集したいと思っています).
モンブラン登頂で,ヨーロッパアルプスの魅力に,すっかり取り憑かれた私たちは,モンブラン山登頂が苦しかったのも忘れて,2006年,つまり今から6年前に,今度はメンヒ山とユングフラウ山登頂に出掛けました.このとき,FHはすでに70歳代後半に入りかけていました.
またまた,苦労話になりますが,特にユングフラウは,モンブラン以上に険しくて厳しい山でした.
<メンヒヨッホ小屋>
2006年7月12日.
私たちはグリンデルワルトから電車を乗り継いで,9時丁度にユングフラウヨッホ駅に到着しました.駅前からすぐに,雪原の中を歩き出して,9時50分にメンヒ山登山口に到着.ここで荷物の整理をして,いよいよメンヒ山山頂に向かいます.アタックザックに必要最小限のものだけを入れて,後は雪原の中に纏めておいておきます.
重登山靴に12本アイゼン,それにピッケルの重装備です.これだけで,片足3キログラムほどの重さになります.
現地の山岳ガイドとザイルパーティを組んで,10時頃歩き出しました.そして,12時36分に,メンヒ山山頂(標高4107m)に到着.山頂で10分ほど休憩を取った後,ほぼ往路に沿って下山,登山口で置きっぱなしにしておいた荷物を持って,15時16分に宿泊場所のメンヒヨッホ小屋(標高354m)に到着しました.
メンヒヨッホ小屋は広々とした雪原の尾根近くに建てられています.天気さえ良ければ,ユングフラウヨッホ駅から,なだらかな上り傾斜の雪原を2時間ほど歩けば到着します.ですから,たとえメンヒやユングフラウに登らなくても,この小屋まで歩いて1泊すれば,一寸した冬山山行の気分を味わうことができます.そのためか,比較的軽装の宿泊客もかなり居るようでした.
さて,この小屋には,正真正銘の”山猫”が住んでいます.辺り一面は万年雪の雪原と岩稜しかありません.もちろん,草木もないし,人里らしいところと言えばユングフラウヨッホ駅しかありません.
こんな辺境の地で暮らす猫君.さぞかし寂しかろうと同情しますが,当の猫君は至って上機嫌で人なつこいんです.身体の大きさは,尊仏山荘のミー君よりも,ちょっと大きいようですが,とてもスレンダーで軽快な美人(美猫?)です.
「こっちへお出で・・」
と呼びかけると,耳を前に向けて,興味深げに寄ってきます.そして,すぐにじゃれつきます.その仕草がとても可愛いんです.
もともと猫好きの私は,猫を相手にとてもハッピーでした.
この猫はスイス国籍.でも,尊仏山荘のミー君と同じように,
「にゃ~・・・」
と鳴きます.
”日本の猫とスイスの猫は通訳なしで会話できるかな・・?”
なんて,妙なことを想像してしまいます.
<メンヒヨッホ小屋の山猫>
<山猫はすぐに何にでもじゃれつく>
余談ですが,翌,7月19日,メンヒヨッホ小屋を暗い内に出発して,ユングフラウ山に登りました.こちらも大変きつい山で苦労しましたが,良い思い出になっています.
****第2話:正真正銘の“山猫料理店”****
さて,第2話は,ぐっと身近なところの話です.
今日(3月31日)は,朝から荒れ模様の天気ですが,幾ら天気が悪いと言っても,終日,家に引きこもっていたのでは,気分が優れないし,第一,ブロイラーになってしまいそう.そんな強迫観念に駆られ,私は,ビニール傘をオチョコにしながら,強風の中を1時間余りブラブラと,大船駅まで歩きました.
歩きながら,
「何で,こんなひどい雨の日にわざわざ外出するんだよ・・・」
と私の心の奥底に住んでいるもう一人の私に窘められました.もう一人の私が言うとおりです.
まあ,それはともかく,私は自宅から,鎌倉中央公園を抜けて,山崎跨線橋と大船駅西口の大跨線橋を通って,大船駅までブラブラと歩きました.
そして,例によって,某コーヒー店で200円也のコーヒーを賞味しました.
その内に,風雨が強まってきたので,歩くのを諦めて,バスを利用して帰宅しました.
そこで,ここからが,本日の第2話の主題です.
大船駅西口近くに,実は“山猫料理店”というレストランがあります.
私は,前々から,この珍妙な店の名前が気になって仕方がありません.いつかは,ここで山猫料理を食べたいなと思っていますが,未だに実現していません.
このお店の前を通る度に,宮沢賢治の「注文の多い料理店」の話や,山猫山荘,いや,ゴメンナサイ!.尊仏山荘の山猫ミー君を連想してしまいます.
たまには,山猫ミー君に,このお店の店番をさせてみたいなとすら,思っています.
とはいえ,仮に,私が客になって,この店を訪れるとしても,この童話のように,まさか裸になって,クリームを体中にベタベタと塗りたくりなさいとは言われないだろうな・・・なんて変な連想をしてしまいます.
それにしても,“山猫料理店”とは良い名前ですね.
お店の中に,営業部長担当の客寄せ猫殿が居たら,さぞかし楽しいでしょうね.
<山猫料理店>
2012年4月1日(日)
私は,久々に(・・・といっても,4日ぶり),塔ノ岳を往復しました.このときの様子は,もう,このブログに掲載済みですので,記事の重複は避けることにしましょう.
…で,前日の3月31日,土曜日が悪天候だったので,土曜日の登山客も,随分と今日に変更したらしく,塔ノ岳は大変な賑わいでした.私は,偶然にも,ダニーズ様のご一行にお供して,大倉尾根を往復することになりました.
塔ノ岳の山頂では,冷たい風が吹いていて,とても寒い一日でした.
私たちが尊仏山荘に立ち寄ったとき,山荘はたくさんの登山客で賑わっていましたが,当の山猫ミー君は,ストーブの前で正座して居眠りをしていました.
「おい,お前さん・・・元気かい?」
と声を掛けましたが,ちょっと具合の悪い右目を半分閉じたまま,何の返事も返ってきませんでした.
<2012年4月1日のミー君>
<6年前;男盛りの頃のミー君>
私の手許には,若かりし頃のミー君の写真がたくさん残っています.その中から6年前のミー君の写真を紹介したいと思います.それが上の2枚の写真です.
その頃の写真と見較べながら,
「お互いに年を取ったな・・・」
と慰め合っています.
人も猫も年を取るのは寂しいですね.
(おわり)
「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7088d0d3e1a79dd33e362a43401d30dc
「丹沢の山旅」の次回の記事
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